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デマ・偏見・盲点 9: 衰退の始まり

2013年07月18日 | 連載中 デマ・偏見・盲点

< ロンドン万国博覧会 >

世界を席巻した国が、如何にして衰退に陥ったのか?
かつては進取の気質に溢れた国もやがて惰性と慢心に犯され衰退します。
19世紀後半の英国にそれを見ることが出来ます。

栄光の日々、1850~1870年頃
英国は先駆けて産業革命を成し遂げた史上最大の帝国でした。
一人当たりのGDP、世界の工業生産高のシェア32%、年間貿易伸び率25%はいずれも世界トップであった。
市場と人口が世界2位のインドやカナダ、オーストラリアを植民地にしていた。
絶頂期の1851年、ロンドンで世界初の万国博覧会が開催された。
この時、最も評判を取った出品物は米国の「自動刈り入れ機」と言う皮肉な結果であった。

凋落の兆候
西欧諸国も遅れて産業革命期に入っていたが、中でもドイツ帝国が急成長を始めた。
アメリカは南北戦争を終え、西部開拓時代に突入し、人口と経済は急伸していた。



< 1869年、米国、大陸間鉄道開通 >

さらに、英国は自ら進めていたスエズ運河等の航路整備によって、安価な食料を大量に輸入するようになった。
英国は自由貿易を信条にしており、輸入品に対して保護政策をとらなかった。
これにより英国農業は大打撃を受け、大半を占める地主階級は農業経営から海外投資に資金を移動させた。

追い抜かれた英国

20世紀に入る頃には、ドイツは世界に占める工業生産高で英国と同じ、アメリカは英国の2倍に成長していた。

衰退の原因
資源に乏しい島国であれば、資源や国土、人口共に巨大な米国には及ばない。
しかしそれが真の原因ではない

英国は一次産品の輸入超過で大幅な貿易赤字が続いたが、海外投資の収益で黒字になっていた。
これは国内の資本投資を減少させ、生産性停滞を招いた。



真の原因
当時、最新の産業や技術の導入に抵抗したのは英国の企業家だった。
有機化学、繊維、アルミニウム、製鉄等で大幅な技術後退を招いた。
大学はジェントリーに古典の教養を授ける所であり、科学・技術教育に意を払わなかった。当然、技能者や労働者教育はヨーロッパで最も遅れていた。

まとめ
産業革命を呼び込んだ進取の気質は祖先のものであり、その子孫達は伝統や現状維持にすがりついた。
このような状況は現代の日本でも進行中です。




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