< 1. フランス革命 >
世界の憲法制定の流れを要約し、日本の状況を見ます。
< 2. 大日本帝国憲法発布 >
日本の憲法
1867年、日本は明治維新をなしとげ大日本帝国憲法を制定した。
この維新は王政復古をうたい混乱を速やかに終息させた意味で画期的だった。
一方、立憲君主制の下、天皇が国民に憲法を与えるものになった。
これは政府が、当時沸き起こる民主的な憲法案(英国やフランス風の)を恐れ、君主制のプロイセン憲法を参考に、急ぎ制定した。
次いで、大戦後の1946年、現行の日本国憲法が公布された。
この憲法は、日本政府の原案では旧憲法色が強いとして、連合国軍総司令部が起草したものが基になった。
< 3. マグナカルタ >
世界の革新的な憲法や条約の流れを要約
1689年、権利の章典、イギリス : 憲法により君主の権力を制限し、議会が優位に立った。
1776年、独立宣言、アメリカ : イギリスからの独立を宣言し、基本的人権と革命権を唱えた。
1788年、合衆国憲法、アメリカ : 世界初の成文憲法。連邦制を目指し、共和制、民主制、三権分立、二院制、大統領制を採用した。
1789年、人権宣言(17条)、フランス : 絶対王制を倒したフランス革命で、基本的人権を唱えた。
1867年、大日本帝国憲法、日本 : 明治維新後。天皇が軍権を専有し統治した。
1918年、14箇条の平和原則、国際連盟 : 第一次世界大戦を休戦させ、戦争の再発防止を訴えた。
1919年、ワイマール憲法、ドイツ : 第一次世界大戦末期の革命で、最も民主的な憲法となった。
1945年、国際連合条約、国際連合 : 第二次世界大戦後、戦争の再発防止策を規定した。
1946年、日本国憲法、日本 : 第二次世界大戦後、GHQが草案。基本的人権、戦争放棄を唱え、象徴天皇を認めた。
< 4. アメリカの独立宣言 >
日本の状況
日本は東アジアを代表する大国にはなり得たが、国民が自ら民主的な法や憲法を生みだすことはなかった。
お仕着せがあったとも言えるが、外圧がなければ旧態依然としたものになっていただろう。
女性の参政権や地主制の解体は、先進国よりかなり遅れて戦後、外圧によって行われた。
重要なこと
日本は、ここ2000年ほどの間、海外先進の文明や文化を素早く取り入れ、自らのものにしてきた。
また日本は海外からの脅威に対して、国民が一丸となって武力だけでなく、あらゆる面で乗り越えて来た希有な民族です。
しかし、憲法に見られるように何かもの足りないものがある。
これから先進国の憲法のエッセンスを見ていきます。
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