< 1.チェルノブイリ原発事故 >
前回に続いて、1986年のチェルノブイリ原発事故の報道について考察します。
今回は、欧米の政府やマスコミがこの原発事故を如何に利用したかを見ます。
「社会と情報 32、33」を先に読んで頂くと判り易いです。
欧米の主張と報道
A.「ゴルバチョフが核エネルギーの平和利用の分野で、すでに近隣諸国の信頼を失っているとすれば、核兵器を減らしますと世間に向かって喧伝したところで、そんなものは誰も信じない」米国のニューヨーク・タイムズ
B.「ソ連の原子力は安全管理の水準が並外れて低い。その結果、原子力災害を起こす危険性は並外れて高まってしまった」英国のタイムズ
C.「我々の原子力発電技術は、ソ連のものとは根本的に違っており、数多くの安全対策が幾重にも備え付けてあります」ホワイトハウスの報道官
D.「原子力は今後も多くの国にとって“善き事”であり。・・今回のソ連の原発が“悪”だからと言って、それを理由に原子力を十把一からげにダメだと決めつけては、ならないのであります。」ホワイトハウスの主席補佐官
E.「どこもかしこも墓だらけ、原発事故現場に死者1万5000体を埋葬か・・」米国のニューヨーク・ポスト
F. 「チェルノブイリ原子力発電所は、炉から漏れ出た核分裂物質を封じ込めておく構造にはなっていない。しかし米国のすべての原子力発電所は、ソ連ではほとんど装備されていない鋼鉄とコンクリートの防護壁で覆い包まれている」原子力産業フォーラム
< 2. 新聞報道 >
報道の要点と狙い
1. 「ソ連は人命の尊さなどはほとんど気にかけない野蛮な奴隷国家である」
2. 「ソ連の工業技術力は年々歳々後退している」
3. 「ソ連は真実を告げず、嘘つきで信用できない」
ソ連は事故による死者が当初2名で、後に32名と公表しており、欧米は数千から数万の死者が出たと報道していた。
米国政府は、ソ連が嘘つき国家、管理が出来ない国家として流布されれば、核軍縮の場で有利になる。
一番重要なことは、この原発事故が欧米の原発では絶対起きないことを国民に印象づけることでした。
当時、OECD(欧米)は原子力エネルギーに頼りつつあり、かつ米国は79年のスリーマイル島の原発事故以来、原発の受注が1台もなかった。
こうして事故後の2週間ほどの間に、欧米の政府とマスコミは異口同音に、批難とデマを流した。
しかしやがて真実が知れ、その論調の修正は目立たないように行われたが、政府や原子力団体は十分に目的を果たすことが出来た。
< 3. レーガンとゴルバチョフ大統領 >
デマの検証
「死傷者の数とか、火災に遭った原子炉の数とか、火災鎮火の正否などの重大な問題に関して、結局、ソ連が当初発表した内容のほうが、概ね正しかった。一方、レーガン政権が流した情報は、ジャーナリストたちが真に受けて報道したものの、結局、正しくなかった」原子力時代の科学者広報
「我が国の政府だって、米国の原子力開発事業の目的や安全性をめぐって、時に応じて様々なレベルで自国民を騙したり、情報隠しを行ってきたのだ」米国記者のバーンスタイン
チェルノブイリ原発事故は86年4月に起きたが、当時、米国ではソ連と同型炉が2基稼働していた。
防護壁の無い核兵器製造用の危険な原子炉がさらに4基稼働していた。
ソ連はスリーマイル島事故の教訓を生かし、防護壁を備える改造を行っていた。
つまり、米国は嘘を言っていた。
< 4. 福島の原発事故 >
その後
日本の世論も相次ぐ原発事故で原発反対に傾いていった。
さしも困った電力業界は、これ以降、年間広告費を1000億にし、やっと4年後から世論は賛成へと反転していった。
チェルノブイリ原発事故の灰が舞い降りた、ドイツとフランスでは対応が別れることになった。
ドイツは、この事態を危険とし科学者は公にし、原発反対へと路線を切り替えた。
フランスでは、この事態を隠し、反対運動は盛り上がらなかった。
面白いことに、日本科学未来館がフランスの原発優位について、以下のように語っています。
「フランスは、政府によるリスクコミュニケーションが成功した好例にも挙げられます。フランスの国民は、・・原発にともなうリスクを理解した上で、経済効果などの利点や安全対策をふまえ、原子力エネルギーに賛成しています。」2011年5月18日(東北大震災の2ヶ月後)
この団体には日本原子力学会等がいます。
こうしたデマや煽動が繰り返し行われ、やがて真実は闇の中に見えなくなってしまうのです。
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