1月が終わりました。
これまで経験したことのない時間でした。
昨年12月にお義母さんがなくなったその日に、91歳のお義父さんは体調を壊して二日後入院しました。
お義父さんはお義母さんの葬儀にも出られなかったのです。
コロナ禍、またお義母さんのご兄弟も高齢で、孫たちも子供を抱えており、葬儀はお義姉さんとオットと私だけ。
我が家にはまだお墓がなかったので、昨年末にお義姉さん夫婦と私達で横浜市内の納骨堂を見学にに行きました。
そこはオットの実家がある旭区でも私達が住む泉区でもない、あまり縁のない場所だったので、どんなもんだろうと思っていたのですが、
行ってみると交通の便がよく、茨城に住むお義姉さんが来やすい場所で、またMNMの家から車で15分ぐらいで行ける場所。
後に残された人がお参りするにはいい場所なのだと、そこに決めました。
私の実家もお墓はないし、これから先、オットと私がどこに住んで。。とかわからないのに、死んだら入る場所は決まっているというのは不思議な気分。。
お義父さんはずっと入院中でしたが、年明けには老健に移れそうな状態で、場所もほぼ決まっていたのです。
しかしお正月が終わって、緊急事態宣言が出たあたりで、オットが病院に呼ばれて、もう回復の見込みがないと言われました。
お義父さんは9年前にがんの手術を受けてましたが、うまく歩けない以外はどこが悪いということはなかった・・・でも高齢ということもあり、少しづつ弱ってしまったようです。
20日からMNMとMDRがやって来て、嵐のような(笑)にぎやかなひととき。
二人が帰った翌日の23日、出勤していたオットがまたも病院に呼ばれて、あと2、3日と。
24日はお義母さんの四十九日にあたり、納骨の予定だったのですが、一旦キャンセル。
オットは「ばあちゃん、おそるべしだな。。」
お義父さんは25日に緩和ケア病棟の個室に移り、26日はオットとお義姉さんが会いに行きましたが、お義父さんは27日の午後3時ごろ眠るように亡くなりました。
オットも私もお義父さんの最期には間に合いませんでした。
お義母さんの時もそうでしたが、今こんなご時世で、面会もままならず、最期の連絡のタイミングって難しいんでしょうね。
主治医の先生は「苦しむことなく、大往生ですよ」と言ってました。
お義母さんがお義父さんを連れて行ったのです。
病院を出るのにやや時間がかかり、斎場へ移動し、打ち合わせを済ませたら21時を過ぎ、緊急事態宣言下で食事もできなかった。
翌日28日はポアハのレッスンがあったのですが、キャンセルさせてもらいました。
生徒さん達にはご迷惑をおかけしました。
火葬は2月1日までできず、前日の31日に私の母とMNMが、お義父さんにお別れをしに行きました。
私の母は少し年上のお義父さん、お義母さんと仲が良かったのです。
翌日お義姉さん、オットと私、私の母の4人でお義父さんをお見送りしました。
お義父さんの名前は「多聞」、お義父さんは生前この名前をとても気に入っていて、「坊さんに付けてもらったんだ」と言っていたので、
戒名をつけてもらう時、多聞の文字のどちらかでも使ってもらえるように、お坊さんに頼んでみようとしてました。
ところがお坊さんの方から連絡がきて、この「多聞」とは仏教の言葉で、これ以上の名前がないので、このまま戒名に使いたいと。
できることなら、お義父さんに教えてあげたいです。
晩年は言い争いばっかりしてたようにも見えたけれど、結局仲がよかったということなのか。。
2月終わりか、3月の頭に二人一緒に納骨することになります。
こんなことってあるんだなってまだ信じられない気持ちです。