夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

日本国の「国家理念」の定式化とその意義について

2019年04月23日 | 国家論
 
 
日本国の「国家理念」の定式化とその意義について
 
 
日本国の国家理念、⎯⎯「自由にして民主的な独立した立憲君主国家」

現代日本の政治家の資質の劣化については、多くの国民にも気づかれ始めているのではないだろうか。右派に人気のある、ある作家の言によれば、現在の日本の政治家の八割方が「屑」の政治家なのだそうである。

しかし、現在の日本の政治家たちに、「野党の政治家たちは全部屑だ」などと愚痴ったところで、もちろん日本国民はいささかも幸福にもならず、日本政治の堕落と腐敗の事態がいささかでも改善するものではない。

考えなければならないのは、なぜ現在の日本の政治家たちの多くが国民多数の目には「屑」に映るのか、また、どうすれば国民の負託と需要に十二分に応えるこのとのできる資質と能力を持った政治家たちを得ることができるのか、ということだろう。

日本の政治家たちが「屑」に映るというのは、彼らが国民の貴重な税金を費消していながら、日本国民の多数の負託に十分に応えきるだけの資質と能力を欠いているためである。それは、最近の政党支持率を見ても明らかである。



【図解・政治】政党支持率の推移:時事ドットコム https://is.gd/VefYyA
 
 
支持する特定の政党のない国民の割合は、実に、六割にも達する。もし彼ら政治家たちが、民間の営利企業の経営者であるならば、これほど国民の需要に応えきれない企業として、もうとっくの昔に倒産していることだろう。

彼ら政治家たちもまた親方日の丸で、彼らの職業活動である「政治」によって国民の需要に応えることがなくとも、政党交付金など税金で養われているために失業もしないから、堕落しきっているのである。
 
上記の政党支持率の推移の表を見てもわかるように、政党は一強多弱の状態にある。第一に、弱小野党が七党もあるというのは、いかにもこれらの諸政党が雑魚野党であることを示しており、これでは国民のための強力で効率的な政治は実行できない。

どうして、現在の日本政治がこんな雑魚野党の集合体になってしまったのだろうか。おそらくそれは、現代の日本の政治家たちの国家哲学や国家の理念についての認識がとりわけ貧困であること、それに起因する資質や能力の劣化に原因があると思われる。
 
イギリスの政治思想家スマイルズによれば、「国民は自らの民度にふさわしい政治しかもてない」ということらしい。このことが真理であるならば、やはり自らの民度を自己批判して何とか向上させてゆくしか手はないのかもしれない。(政治のありようは、その国民の鏡

日本国の国家理念については、以前に「自由にして民主的な独立した立憲君主国家」として定式化したことがある。これは、日本の国家としての理念であるとともに、日本国のもっとも普遍的な概念でもある。

それは国家の概念としては絶対的なものであり、日本国としての理念はそれ以外にはあり得ないものである。政党政治として、いやしくも日本国の政党である限り、与党も野党もこの国家理念を政治理念とすべきであり、すべての政治家は、この政治理念の実現を目指して政治に従事すべきものである。

もし、この政治理念に異を唱える政治家、政党が存在するならば、この政治理念に対する批判を明らかにして、自らの政治理念の優越とその正当性の根拠を論証すべきだろう。

「自由にして民主的な独立した立憲君主国家」というこの普遍的な理念を日本国において具体的に現実的なものとしてゆくのは政治家の使命である。さらに、この国家の理念からいえば、日本国に存在すべき政党は、論理的には、自由を実現する「自由党」と民主的な国家社会の形成を目的とする「民主党」以外ではあり得ない。

この二つの政党によって日本国の政治が担われるべきものであり、かつ、それで必要にして十分である。そして「自由党」も「民主党」もいずれも、さらに根本的により完成された「独立した立憲君主国家」の実現を使命とする。日本国の政党と政治家は、この国家の理念を立法において、司法や行政、また軍事国防などの組織において、さらに具体的に現実的なものとしてゆかなければならない。
 
イギリスであれアメリカであれ、多少なりとも「まともな国家」であるならば、「自由党」と「民主党」に相当する現実的な国民政党が、それぞれ交代して国家の政権を担っている。たとえば、イギリスにおいては保守党と労働党が、アメリカにおいては共和党と民主党がそれに相当する。

しかし、とくに我が国には、イギリスにおける保守党、アメリカにおける共和党に相当するような、自由と伝統を堅持する、いわゆる「保守政党」が存在しない。これは日本の宿痾といえるほどの政治の貧困であり悲劇である。日本の政治家たちの資質能力の劣悪さはここにまで至っている。とくに野党の現状はひどすぎる。

日本の政治家たちの国家理念についての認識がもし明確なものであるならば、日本の政界も「立憲民主党」「小沢自由党」「希望の党」「国民民主党」などといった上記の表に見るようなわけもわからぬ雑魚政党の、烏合の寄り合いに成り果てることもなかっただろう。
 
 
 ※追記20240906
ふたたび「自由と民主政治の概念」について - 夕暮れのフクロウ https://tinyurl.com/239fwg3m
保守自由党と民主国民党による日本政治 - 夕暮れのフクロウ https://tinyurl.com/2dxrftsk
自由と民主政治の概念 - 夕暮れのフクロウ https://tinyurl.com/28d5cm9v

 
 
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ヘーゲル『哲学入門』序論 二[意識と知識]

2019年04月23日 | ヘーゲル『哲学入門』
§2[意識と知識]
 
Das Bewusstsein überhaupt ist die Beziehung des Ich auf einen Gegenstand, es sei ein innerer oder äußerer. Unser Wissen ent­hält teils Gegenstände, welche wir durch sinnliche Wahrneh­mungen erkennen; teils aber Gegenstände, die  dem Geist selbst ihren Grund haben. Jene machen die /sinnliche,/ diese die /intelligible/ Welt aus. Die rechtlichen, sittlichen und religiösen Begriffe gehören zur letzteren.



意識とは一般的に、一つの対象と「私」との関係である。その対象が私の内部にあるものか、あるいはそれが外部にあるかにはかかわらない。私たちの知識には、一方では、私たちが感覚的な知覚を通して認識する対象が含まれているが、しかし他方においては、その知識の対象は精神自身に根ざしている。前者は/感覚的な/世界からなり、後者は/知的な/世界を構成する。法的な概念、道徳的な概念、そして宗教的な概念は後者に属する。(※ 1)

※1
意識とは私と対象の或るものとの関係のことであるが、その対象は目や耳、鼻などの感覚器官によって認識しうる外部にある対象と、善悪や真偽、美醜など、精神自身に原因をもつ内部にある対象とに分かれる。後者は知的な世界を構成する。
 
 
 
 
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4月22日(月)のTW;#ヘーゲル『哲学入門』序 一

2019年04月23日 | ツイッター
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