Hegel: Philosophische Propädeutik (1808-1811) marxists.org/deutsch/philos…
— review (@myenzyklo) 2016年7月1日 - 17:47
§ 90
形式論理学の対象は、(1)概念そのもの、(2)判断、
(3)推理、である。
※
ここで主観的論理学と形式論理学との違いを正確に押さえておく必要がある。形式論理学のモメントは観念であるが、それに対して、主観的論理学のモメントは実在もしくは客観である。a
— review (@myenzyklo) 2016年7月1日 - 18:01
形式論理学は主観的論理学に包摂される。すなわち主観的論理学の(1)の形式的な概念または概念そのものの特殊な形態が形式論理学である。ここで「主観的論理学」は、むしろ「主体的論理学」とした訳した方が,
概念の発展の実在的で動的な運動の性格がよりとらえられるのではなかろうか。>>
— review (@myenzyklo) 2016年7月1日 - 18:15
§ 91
(1)概念(Begriff)は個別性(Einzelheit)、特殊性(Besonderheit)、普遍性(Allgemeinheit)の三つの契機を持つ。
※
ここで具体的に人間(人類)という概念を例にとって考えてみると、
— review (@myenzyklo) 2016年7月1日 - 18:45
太郎や花子は、人間の個別性であり、個別的な人間であり、人類という概念の個別性を示す。日本人やイギリス人は、人間の特殊性を示す概念であり、人類は人間の普遍性そのものを示す概念である。概念が三つの契機を持つということはこういうことである。
— review (@myenzyklo) 2016年7月1日 - 18:46
すべて事物の本性を捉えるためには、その概念の三つの契機において把握されなければならない。>> ⎯⎯個別性は「概念の自らにおける否定的反省」※1である。どんなものでも個別性という点ではan und für sich に存在し、また、個別性には要素としての規定が含まれている。
— review (@myenzyklo) 2016年7月1日 - 18:59
※1
Die Einzelheit ist die negative Reflexion des Begriffs in sich,
「個別性は概念の自らにおける否定的反省」ここの事柄の説明が今ひとつよく分からない。
— review (@myenzyklo) 2016年7月1日 - 19:08
wodurch etwas an und für sich ist
⎯⎯全ての事物は、まず「或る物そのもの」としてあり、かつ、それ自身の隠された本性を顕にしてゆくものである。
— review (@myenzyklo) 2016年7月1日 - 19:08
⎯⎯普遍性は概念の自分との肯定的な、排他的でない統一である。それは反対者を中に含むが、同時に反対者には何の関わりもなく、それによって規定されることなくとどまっている。⎯⎯特殊性は個別性と普遍性との相互の関係である。それはある規定に引き下げられた普遍である。
— review (@myenzyklo) 2016年7月1日 - 19:16
また逆に普遍性に高められた個別性である。
個別性
Die Einzelheit ist die negative Reflexion des Begriffs in sich
— review (@myenzyklo) 2016年7月1日 - 19:22
普遍性
Die Allgemeinheit ist die positive, nicht ausschließende Einheit des Begriffs mit sich, welche das Entgegengesetzte in sich enthält,
— review (@myenzyklo) 2016年7月1日 - 19:22
このようにして個別性と普遍性を対置して考えればわかりやすいかもしれない。
個別性は、同位にある概念の他者を区別する排他的な関係にあるから「相互に否定的な関係(反省) 」として捉えらる。それに対し、普遍性は、その概念の内部の区別を無視して統一的に捉えられるから肯定的である。
— review (@myenzyklo) 2016年7月1日 - 19:33
※2022・05・23 追記
上記のツイートは六年ほど前に、ヘーゲル『哲学入門』第二課程 第三部 概念 をツイッターでメモをとったときのもの。
岩波文庫版の訳者である武市健人氏は、この個所で Die subjektive Logik を「主観的論理学」と訳されている。しかし、その訳では「形式論理学」との対比関係が明確にならないのではないか。武市健人氏には、概念の実在性、客観性について認識が不十分であったせいだろう。
「主体的論理学」と訳した方が、この論理学の動的、客観的かつ実在的な性格がより明らかになる。「主体的論理学」もしくは「実在論理学」という用語を確立しておきたい。
「第三部 概念」の訳と註解にたどりつくのはいつの日か。