名曲っていうのは
その季節
や
人の置かれてる立場にその外側に
流れている音楽で
変わらず
時を巻き戻してくれたり、
一瞬でその場所へ
連れて行ってくれたり
してくれる。
目を閉じれば
その場にいることさえ
可能だ。
曲によって蘇る記憶や感情は
多分
生まれて 死ぬまで
その生きてきた場面の数だけ
曲も存在するのだろうと
思う。
もう半世紀以上も立つ
この「悲しき雨音」
音的にはもう、昔の曲なんだけど
メロディラインの美しさ
切ない歌詞なのに
C調の曲だから
悲しさを感じさせない。洋楽の詩と曲のギャプは
定番のようであり、
悲しい詩には悲しいメロディでは
ないんだね。
切なすぎる感情のやり切れなさも
サラリと明るく歌ってゆく
地域性、お国柄
そんな表現のちがいはよく感じながらも
日本だと
も少し
ジメジメとした歌になっているのかも…
アメリカンポップスのステキなところは
こうしたノリの良さ。
邦題 悲しき雨音
ってタイトルだと
もう、演歌やね。
梅雨の時期聴きたくなる一曲だ。
雷の音から始まるこの歌
古さを感じながらも
色褪せはしないメロディラインの美しさとハーモニーは
ずっと僕たちのハートを掴んで離さない。
梅雨の終わりの雷は
夏を知らせる合図。
もうすぐ梅雨も終わる。