今年も県庁1Fホールの展示ケースにおひな様が飾られています。
私が子どもの頃に飾られていたのと同じ、御殿飾りもあります。
当時は、藁葺き屋根のオンボロ家に住んでいたのです。ご近所だいたい同じような家ばかりでしたが、おひな様は豪華でした。
ボロ家だからこそ、みんな「御殿」にあこがれたのかも知れません。
戦後10年も経っていない、まだまだ貧しい時代だったからこそ、「御殿」を飾ったのでしょうか。
みんな貧乏でお金もない時代だったと思われますが、娘の嫁ぎ先に女の子が生まれたら、実家が奮発して、りっぱな雛飾りを贈ったそうです。
見栄で生きていたんですね、多くの人々が。
嫁入り道具も、お金もないのに、タンスいっぱい着物を入れて持たせていましたしね。
きれいな着物を着て過ごすなんて全然、そんな機会はなかったのですけど、借金してでも持たせてくれました。
豪華なおひな様といい、嫁入り道具や着物といい、今思えば贅沢でした。贅沢すぎるくらいでした。
でも「贅沢はテキだ」という時代が終わり、「贅沢はステキだ」という時代に変わってきたことの喜びが、借金の苦しさより大きかったのかも知れません。
豪華な御殿のおひな様を飾ってくれて、遊山箱にお弁当を詰めて持たせてくれた、幸せな子ども時代を与えてくれた、祖父母、両親たちの恩を、誰も居なくなった今、しみじみ感じます。
私が子どもの頃に飾られていたのと同じ、御殿飾りもあります。
当時は、藁葺き屋根のオンボロ家に住んでいたのです。ご近所だいたい同じような家ばかりでしたが、おひな様は豪華でした。
ボロ家だからこそ、みんな「御殿」にあこがれたのかも知れません。
戦後10年も経っていない、まだまだ貧しい時代だったからこそ、「御殿」を飾ったのでしょうか。
みんな貧乏でお金もない時代だったと思われますが、娘の嫁ぎ先に女の子が生まれたら、実家が奮発して、りっぱな雛飾りを贈ったそうです。
見栄で生きていたんですね、多くの人々が。
嫁入り道具も、お金もないのに、タンスいっぱい着物を入れて持たせていましたしね。
きれいな着物を着て過ごすなんて全然、そんな機会はなかったのですけど、借金してでも持たせてくれました。
豪華なおひな様といい、嫁入り道具や着物といい、今思えば贅沢でした。贅沢すぎるくらいでした。
でも「贅沢はテキだ」という時代が終わり、「贅沢はステキだ」という時代に変わってきたことの喜びが、借金の苦しさより大きかったのかも知れません。
豪華な御殿のおひな様を飾ってくれて、遊山箱にお弁当を詰めて持たせてくれた、幸せな子ども時代を与えてくれた、祖父母、両親たちの恩を、誰も居なくなった今、しみじみ感じます。