旦那: 植木屋さん、たいそうご精がでますな
植木: えっ、こりゃァ、どうも、だんなですか。いえね、そう言っていただくとありがてんで・・・・・これが、植木屋をめったにお呼びにならねェお宅へまいりますと、植木屋はしょっちゅう煙草ばかり吸っていて、なんにも仕事をしねえなんて言われますけど、こうやって煙草を吸っておりましてもね、べつにぼんやりしている訳じゃァねェんで・・・・・あの赤松は、池のそばへ移した方がいいんじゃねえかとか、あの枝は少し短くつめた方がいいんじゃねえかとか、庭をながめながら考えておりますんで・・・・・
旦那: そりゃァそうだろう。人間はむやみやたらね動き回っていればいいってもんじゃァない。
植木屋さん、どうだな、こっちへきて休みませんか?
植木: へえ、ありがとうございます
旦那: さきほど、おまえさんが水を撒いてくだすった。家の者が撒くと水たまりができたりするが、そこへいくと植木屋さん、あなたは満遍なく撒いてくれる。おかげで、青いものを通してくる風が、ひときわ気持ちがいい
植木: へえ、さようでござんすか。まあ、こちらのお屋敷なんぞは、どこを見ても、青いもんばかりだが、あっしなんざァ、こんな商売をしておりましても、うちへ帰ったら、青いもんなんざあ、見るかげもねえんですから・・・
なにしろ、あっしのうちときたら、長屋のいちばん奥だもんですから、風がは入ェってくるったって、あっちの羽目へぶつかり、こっちのトタンにぶつかって、すっかりなま温っかくなってからうちへ入ェってくるんですからね、なんのこたァねえ、化け猫でも出そうな風なんで・・・・・
旦那: 化け猫の出そうな風とはおもしろいことを言うな・・・・・植木屋さん、あなた、ご酒はおあがりかな?
植木: ご酒? ああ、酒ですか。さけならもうなにより・・・・・
旦那: ほう、よほどお好きだな。ちょうど、やっておりましたでな。こちらへおかけなさい
植木: え? ここへ? そいつァいけませんや。こんな泥だらけの半纏で、ご縁先が汚れまさァ
旦那: まあ、遠慮せずにおかけなさい、なーに、汚れたら、あとで拭けばいいんだから・・・・・まあ、ひとつ・・・大阪の知り合いから届いた柳影だ
植木: へえ、え? 旦那が注いで・・・・すいやせん。おやッ、これは・・・ガラスのへェー・・・・・柳影ねえ・・・・
おや、こっちで言う直しじゃァねェんですか? いやァ、よく冷えてますねえ
旦那: いや、さほど冷えてはおらんのだが、あなた、いままで、日なたで仕事をしておって、口の中が熱くなっておるで、それで、冷えているように感じるのでしょうな
植木: さいでござんすかねえ、しかし、おいしゅうございます。結構でござんすねえ
旦那: いや、あなたのように、うまい、うまいと言ってくださると、まことに気持ちがよい。それから、なにもないが、鯉のあらいをおあがり
植木: へえ? どれが鯉のあらいで?
旦那: ・・・・・ここにあるから、おあがり
植木: えっ、この白いのが鯉のあらい? ああ、なるほど、鯉をしゃぼんであらって白くしちまうから、それであらいというんで?
旦那: いや、べつに洗って白くするわけじゃない。鯉の身は、もともと白いもんなんだ。
植木: へえ、鯉の身は白いんですか? あっしはね、鯉てえものは黒いもんだと思ってました
旦那: 黒いのは、皮だよ。言ってみればあれは外套だな
植木: へえー、あっしゃァ、この歳ンなるまで、あらいなんぞ食ったことがなかったもんですから・・・黒いのは鯉の外套なんだ・・・へーえ、贅沢なもんなんですねえ。では、いただきます。うーん、こりゃァ、しこしこして、よく冷えていてうめえもんでござんすねえ
旦那: なに、淡白なもので、冷えているのは下に氷が敷いてあるでな
植木: 氷が? ああ、なるほど・・・・・ああ、下の方に、氷がありました。こいつァ、冷たそうだ。喉が渇いておりますからね、この氷、ひとついただいてよござんすか? ひょーっ、ひょーっ、いやあ、この氷はよく冷えてますねえ
旦那: 氷がひえてるとは、おもしろいね・・・・・ときに、植木屋さん、あなた、菜のおしたしはおあがりかな?
植木: 菜のおしたし? ええ、もう、大好物なんで・・・・・
旦那: じゃァ、ここへ取寄せましょう。
植木: いえ、そんなわざわざ・・・・・あっしが台所へ取りにいきますよ
旦那: まあまあ、飲んでいる途中で立ったり座ったりはおちつきませんから・・・・(手を二度打ち) 奥や、奥や
奥様: はい、旦那さま
旦那: 植木屋さんに菜のおしたしを・・・鰹節をたっぷりかけてな
奥様: 旦那さま
旦那: なんぞしたか?
奥様: 鞍馬山から牛若丸がいでまして、その名を九郎判官
旦那: ああ、そうか。では、義経にしておけ・・・・・。いやァ、植木屋さん、男というものは勝手のことがよくわからんでな、わしは、まだ菜があると思っていたら、無いんだそうだ。いや、まことにしつれいしたな
植木: ええ、それはよろしゅうございますがね・・・・・・お客様がお見えになったんじゃありませんか?
旦那: いや、来客なぞないが・・・・・
植木: いま、鞍馬さまとか、義経さまとか・・・・・
旦那: あはははは・・・・・どうか気になさらんように・・・・・いや、あれは、来客の折、わしと家内とで使っている隠し言葉でな・・・・・植木屋さんの前だから、種明かしをしてもいいが、いま奥の言ったのは、おまえさんに失礼のないように、『鞍馬山から牛若丸がいでまして、その名を九郎判官』 ・・・・・菜を食べてしまった、菜を食ろうてしまった、というのをその名を九郎判官・・・・・わしが 『よしとけ』 というところを、『義経にしておけ』 と、こう言ったのだ
植木: へーえ、そうでござんすか・・・・・ふーん、こいつァ、恐れ入りました。なるほど・・・・・『鞍馬山から牛若丸がいでまして、その名を九郎判官』 ・・・・食っちまってねえから、九郎判官。旦那が、そしとけてえのを、『義経にしておけ』 ・・・・・こりゃ、旦那さまと奥さまのつづきものの洒落ですね。こうやりゃァ、お屋敷のまずいことは、まるっきり、よその人にはわかりませんねえ。なにごともこういきてえもんでござんすねえ。
そこへいくてえと、うちのかかあなんぞ・・・いえ、まあ、うちのかかあと、こちらの奥さまといっしょにしちゃァ申しわけねえんですがね・・・・・うちのかかあときたら、黙ってりゃァわかんねえことを、大きな声でふれ歩くんですから、まったくあきれけえったもんで・・・・そこへいくと、こちらさまの奥さまは、じつにどうも、てえしたもんだ・・・・・あっ、こりゃァいけねえ。旦那、柳影が義経になりました
旦那: ほう、そりゃ失礼したな。柳影は、それでもうないが、ほかの酒はいかがかな?
植木: いえ、もう十分に頂戴いたしました。どうもごちそうさまで・・・・・これ以上いただきますと、もう、すっかり酔っ払っちゃいますんで・・・・・どうもありがとうございました。また、あしたうかがいますから・・・・・ごめんください
旦那: いや、どうもご苦労様でした
植木: へえ、どうも・・・・・うーん、えれえもんだねえ。さすがにお屋敷の奥さまだ。言うことにそつがねえや。
『鞍馬山から牛若丸がいでまして、その名を九郎判官』 ・・・・・旦那が、よしとけってえやつを、『義経にしておけ』 なんて、てえしたもんだ。まったく女らしくていいや。そこへいくと、うちのかかあ、ありゃなんだい? あれでも女かよ。男じゃねえから、しょうがなくって女でいるんじゃァねえか。うーん。まったく、てえしたもんだ。
女房: おまえさん、なにをぶつぶつ言いながらあるいているんだよう。お前さんが帰ってくる頃だと思うから、鰯を焼いて待ってたんだよっ、鰯がさめちゃうよ、鰯がっ
植木: あれっ、こん畜生、おれの面見りゃ、鰯だ、鰯だって・・・・・長屋中にきこえるよ、この野郎
女房: なに言ってんだ。鰯じゃないものを鰯だっていってるんじゃァないんだ。鰯の何が悪いんだ。早く入って、食べちゃいな
植木: ああ、わかったよ、わかったよ。よせやい・・・・・おうおう、鰯を焼くんならなんでこう頭ごと焼くんだ。食えねえじゃねえか
女房: 何言ってんだいお前さん、知らないのかい? 頭は栄養になるんだよ、まるごと食べた方が。犬をごらんよ、風邪ひかないだろ
植木: あれっ、おれと犬といっしょにしてやがら、あきれたなァどうも・・・・・いや、そんなことよりも、今日は、おれ、感心しちまった
女房: また、始まった。お前さんぐらい感心する人はないねえ。猫があくびをしたって感心して・・・・・今日は、なんに感心したんだい?
植木: お屋敷でそりゃァ感心したんだ。おれがな、仕事の区切りがついたんで、お庭で一服やってたんだ。すると、旦那に呼ばれて柳影てえ酒をご馳走になった。肴は、鯉のあらいてえやつだ。鯉のあらいなんぞ、おめえは知るめえ。ありゃァ、洗って白くするんじゃァねえぞ
女房: なに言ってんだよ。鯉のあらいぐらい、あたしだって知ってるさ
植木: へーえ、知ってたのか・・・・で、旦那が、『植木屋さん、菜のおしたしをおあがりかな?』 とお聞きなすった。
おれが、『大好物なんで』 と答えると、旦那が、ぽんぽんと手を叩いて、『ああ、奥や』 とお呼びになった。
呼ばれて出てきた奥さまの行儀のいいこと・・・・・次の間に控えてな、旦那の前で、こんな具合に両手をついて・・・・・おい、こっちを見ろよ。おめえに行儀を教えてやるから・・・・・こっちを見ろよ。旦那のまえに、こんな具合に両手をついて・・・・・
女房: そういう蛙が出てくると、雨が降るよ
植木: 蛙の真似してんじゃねえや・・・・・なんてまあ、口のへらねえやつなんだ。言葉だって、そりゃァ丁寧なもんだぞ。『旦那さま、旦那さま』
女房: 右や左の旦那さま
植木: ふざけるなっ、なぐるよ、こいつは・・・・・いいか。奥さまが、『鞍馬山から牛若丸がいでまして、その名を九郎判官』 ・・・・・旦那か、『義経にしておけ』 ・・・・・このわけが、おめえにわかるかよ
女房: わかるさ、やけどのまじないだろう?
植木: おうじゃねえや、情けねえなあ。らくらいの折り・・・・・
女房: どこかに、雷さまが落ちたのかい?
植木: 雷なんか落ちるもんか。お客が来たんだよ
女房: じゃァ、来客だろう?
植木: そう、それよ。そのらいらいの折り、『お前さんに失礼の無いように、鞍馬山から牛若丸がいでまして、その名を九郎判官』・・・・・菜を食っちまってねえから、九郎判官だ。旦那が、『よしとけ』 てえのを、『義経にしておけ』 と、こうおっしゃったんだ。こういう結構なことは、てめえに言えめえ
女房: 言えるよ、それくらいは・・・・・
植木: 言えるなら言ってみろ
女房: 鯉のあらいを買ってごらん
植木: あれっ、畜生め、人の急所をついてきやがる・・・・・おっ、向こうから熊の野郎が来た。あいつに一杯飲ましてよってくれ。いまの、鞍馬山をやるんだから・・・・・いいか、やるんだそ。鞍馬山から牛若丸がいでましてだぞ。そのときになって、言わねえでみやがれ、おっぺしょって洟かんじまうぞ。さあ、お屋敷の奥さまみてえに、次の間にさがってろ・・・・・
女房: 次の間なんてないよ
植木: あっそうか。・・・・・じゃァ、しかたがねえから、この押入れに入ェえってろ
女房: 冗談じゃァないよ。この暑いのに・・・・・
植木: ぐずぐず言わねえで、おとなしく入ェえってろ・・・・・
おいおい、おいおい、植木屋さん
熊: なんだ? おれかァ? おれァ大工だ、植木屋はおめえじゃねえか
植木: あなた、たいそうご精がでますな
熊: なーに、精なんかでるもんか。今日は仕事を休んで、朝から昼寝して、いま、湯へ行ってきたんだ。今ァすいてるから、おめえも行ってきたらいいぜ
植木: えッ、昼寝を?・・・・・いや、昼寝をするとは、ご精がでますな
熊: 何を言ってんだ。昼寝して精がでるわけがねえじゃねえか
植木: まあ、いいから、こっちへお上がり。遠慮なくおかけなさい。汚れたら、あとで拭けばいいんだから・・・・・
熊: 何を言いやがる。おめえんちのが汚ねえじゃねえか、ええ? ともかく上がらしてもらうよ
植木: 青いものを通してくる風が、ひときわ気持ちがいいな
熊: おい、しっかりしろよ。おめえ、青いものったって、なんにもありゃァしねえじゃねえか。向こうにごみ溜めがあるだけだァな
植木: あのごみ溜めを通してくる風が、ひときわ気持ちがいい
熊: おかしなことを言うぜ、おめえは・・・・・
植木: ところで、あなた、ご酒をおあがりかな?
熊: ご酒? 酒かい? えっ、ごちそうしてくれるかい? へーえ、うれしいねえ。いただこうじゃァねえか
植木: じゃァ、これから酒をごちそうしよう。大阪の知り合いから届いた柳影だ。このガラスのコップで、おあがり
熊: ガラスのって、淵の欠けた湯のみじゃねえか。ええ? でも、柳影ってえと、こっちでいう直しだろ? いただくよ・・・・・ん? なんだい、これ、ただの酒じゃァねえか
植木: 柳影だと思っておあがり。さほど冷えておらんが、あなた、いままで、日なたで仕事をしておって・・・・・
熊: 仕事ォ休んじまったって言ってるだろ、ええ? 聞いてんのか?・・・・・でェいち、冷えちゃァいないよ。燗酒じゃねえか
植木: なにもないが、鯉のあらいをおあがり
熊: おいおい、おめえ、職人のくせに、鯉のあらいなんぞ食ってんのかい? 贅ェ沢じゃァねえか。ええ? おい、どこにあるんだ? 鯉のあらいが?
植木: そこにあるから、おあがり
熊: こりゃァ、鰯の塩焼きじゃァねえか
植木: それを鯉のあらいだと思って、おあがり
熊: いちいち言うことが変だなァ。まあ、いいや。とにかく食わしてもらうぜ・・・・・おらあ、へたな魚よりも、この塩焼きのほうが、ずーっと好きなんだ。うん、うめえ、脂が乗っててうめえよ
植木: うまいというほどのものではない。淡白なものじゃ
熊: なに聞いてんだよ、脂が乗っててうめえってんだよ
植木: あなたのように、そう、うまい、うまいと言ってくれると、まことに気持ちがいい・・・・・ときに、植木屋さん
熊: なにを言ってんだ。植木屋はおめえじゃァねえか。おらァ、大工だよ
植木: うん、そう・・・・・あなた、菜のおしたしはお上がりか?
熊: おらァ、嫌えだ
植木: えッ、あのう、菜のおしたし・・・・・
熊: 嫌えだよ、おれは。ガキの時分から、でえっきれえだ
植木: それはないぞ・・・・植木屋さん
熊: 植木屋はおめええだよッ
植木: 菜の・・・・・酒を飲んじまって、鰯を食って、いまさら菜が嫌えだなんて、ひでえじゃねえか・・・・・なあ、おめえが嫌えなら食わせやしねえから、食うと言とくれ
熊: なんだ、無いてやがら・・・・・おかしな野郎だな。・・・・・じゃァ、食うよ
植木: 食う? しめたな・・・・では、取寄せるから、しばらくお待ちを・・・・・
熊: 取寄せなくたっていいよ、どうせ食わねえんだから・・・・
植木: (ぽん、ぽんと手を打つ) これ、奥や、奥や
熊: なに言ってやんでェ。奥にも、なんにも、一間しかねえじゃァねえか
植木: 黙ってろい・・・・・これ、奥や
女房: はい、旦那さまッ
熊: わあ、びっくりした・・・・・おい、なんだい? どうしたんだい? どうもかみさんの姿が見えねえと思ったら、押入れからとびだしたりして・・・・・この暑いのに、汗びっしょりじゃァねえか・・・・・どうしたい?
女房: 旦那さま・・・・・鞍馬山から、牛若丸がいでまして、その名を、九郎判官、義経
植木: えッ、義経? うーん、じゃァ、弁慶にしておけ
植木: えっ、こりゃァ、どうも、だんなですか。いえね、そう言っていただくとありがてんで・・・・・これが、植木屋をめったにお呼びにならねェお宅へまいりますと、植木屋はしょっちゅう煙草ばかり吸っていて、なんにも仕事をしねえなんて言われますけど、こうやって煙草を吸っておりましてもね、べつにぼんやりしている訳じゃァねェんで・・・・・あの赤松は、池のそばへ移した方がいいんじゃねえかとか、あの枝は少し短くつめた方がいいんじゃねえかとか、庭をながめながら考えておりますんで・・・・・
旦那: そりゃァそうだろう。人間はむやみやたらね動き回っていればいいってもんじゃァない。
植木屋さん、どうだな、こっちへきて休みませんか?
植木: へえ、ありがとうございます
旦那: さきほど、おまえさんが水を撒いてくだすった。家の者が撒くと水たまりができたりするが、そこへいくと植木屋さん、あなたは満遍なく撒いてくれる。おかげで、青いものを通してくる風が、ひときわ気持ちがいい
植木: へえ、さようでござんすか。まあ、こちらのお屋敷なんぞは、どこを見ても、青いもんばかりだが、あっしなんざァ、こんな商売をしておりましても、うちへ帰ったら、青いもんなんざあ、見るかげもねえんですから・・・
なにしろ、あっしのうちときたら、長屋のいちばん奥だもんですから、風がは入ェってくるったって、あっちの羽目へぶつかり、こっちのトタンにぶつかって、すっかりなま温っかくなってからうちへ入ェってくるんですからね、なんのこたァねえ、化け猫でも出そうな風なんで・・・・・
旦那: 化け猫の出そうな風とはおもしろいことを言うな・・・・・植木屋さん、あなた、ご酒はおあがりかな?
植木: ご酒? ああ、酒ですか。さけならもうなにより・・・・・
旦那: ほう、よほどお好きだな。ちょうど、やっておりましたでな。こちらへおかけなさい
植木: え? ここへ? そいつァいけませんや。こんな泥だらけの半纏で、ご縁先が汚れまさァ
旦那: まあ、遠慮せずにおかけなさい、なーに、汚れたら、あとで拭けばいいんだから・・・・・まあ、ひとつ・・・大阪の知り合いから届いた柳影だ
植木: へえ、え? 旦那が注いで・・・・すいやせん。おやッ、これは・・・ガラスのへェー・・・・・柳影ねえ・・・・
おや、こっちで言う直しじゃァねェんですか? いやァ、よく冷えてますねえ
旦那: いや、さほど冷えてはおらんのだが、あなた、いままで、日なたで仕事をしておって、口の中が熱くなっておるで、それで、冷えているように感じるのでしょうな
植木: さいでござんすかねえ、しかし、おいしゅうございます。結構でござんすねえ
旦那: いや、あなたのように、うまい、うまいと言ってくださると、まことに気持ちがよい。それから、なにもないが、鯉のあらいをおあがり
植木: へえ? どれが鯉のあらいで?
旦那: ・・・・・ここにあるから、おあがり
植木: えっ、この白いのが鯉のあらい? ああ、なるほど、鯉をしゃぼんであらって白くしちまうから、それであらいというんで?
旦那: いや、べつに洗って白くするわけじゃない。鯉の身は、もともと白いもんなんだ。
植木: へえ、鯉の身は白いんですか? あっしはね、鯉てえものは黒いもんだと思ってました
旦那: 黒いのは、皮だよ。言ってみればあれは外套だな
植木: へえー、あっしゃァ、この歳ンなるまで、あらいなんぞ食ったことがなかったもんですから・・・黒いのは鯉の外套なんだ・・・へーえ、贅沢なもんなんですねえ。では、いただきます。うーん、こりゃァ、しこしこして、よく冷えていてうめえもんでござんすねえ
旦那: なに、淡白なもので、冷えているのは下に氷が敷いてあるでな
植木: 氷が? ああ、なるほど・・・・・ああ、下の方に、氷がありました。こいつァ、冷たそうだ。喉が渇いておりますからね、この氷、ひとついただいてよござんすか? ひょーっ、ひょーっ、いやあ、この氷はよく冷えてますねえ
旦那: 氷がひえてるとは、おもしろいね・・・・・ときに、植木屋さん、あなた、菜のおしたしはおあがりかな?
植木: 菜のおしたし? ええ、もう、大好物なんで・・・・・
旦那: じゃァ、ここへ取寄せましょう。
植木: いえ、そんなわざわざ・・・・・あっしが台所へ取りにいきますよ
旦那: まあまあ、飲んでいる途中で立ったり座ったりはおちつきませんから・・・・(手を二度打ち) 奥や、奥や
奥様: はい、旦那さま
旦那: 植木屋さんに菜のおしたしを・・・鰹節をたっぷりかけてな
奥様: 旦那さま
旦那: なんぞしたか?
奥様: 鞍馬山から牛若丸がいでまして、その名を九郎判官
旦那: ああ、そうか。では、義経にしておけ・・・・・。いやァ、植木屋さん、男というものは勝手のことがよくわからんでな、わしは、まだ菜があると思っていたら、無いんだそうだ。いや、まことにしつれいしたな
植木: ええ、それはよろしゅうございますがね・・・・・・お客様がお見えになったんじゃありませんか?
旦那: いや、来客なぞないが・・・・・
植木: いま、鞍馬さまとか、義経さまとか・・・・・
旦那: あはははは・・・・・どうか気になさらんように・・・・・いや、あれは、来客の折、わしと家内とで使っている隠し言葉でな・・・・・植木屋さんの前だから、種明かしをしてもいいが、いま奥の言ったのは、おまえさんに失礼のないように、『鞍馬山から牛若丸がいでまして、その名を九郎判官』 ・・・・・菜を食べてしまった、菜を食ろうてしまった、というのをその名を九郎判官・・・・・わしが 『よしとけ』 というところを、『義経にしておけ』 と、こう言ったのだ
植木: へーえ、そうでござんすか・・・・・ふーん、こいつァ、恐れ入りました。なるほど・・・・・『鞍馬山から牛若丸がいでまして、その名を九郎判官』 ・・・・食っちまってねえから、九郎判官。旦那が、そしとけてえのを、『義経にしておけ』 ・・・・・こりゃ、旦那さまと奥さまのつづきものの洒落ですね。こうやりゃァ、お屋敷のまずいことは、まるっきり、よその人にはわかりませんねえ。なにごともこういきてえもんでござんすねえ。
そこへいくてえと、うちのかかあなんぞ・・・いえ、まあ、うちのかかあと、こちらの奥さまといっしょにしちゃァ申しわけねえんですがね・・・・・うちのかかあときたら、黙ってりゃァわかんねえことを、大きな声でふれ歩くんですから、まったくあきれけえったもんで・・・・そこへいくと、こちらさまの奥さまは、じつにどうも、てえしたもんだ・・・・・あっ、こりゃァいけねえ。旦那、柳影が義経になりました
旦那: ほう、そりゃ失礼したな。柳影は、それでもうないが、ほかの酒はいかがかな?
植木: いえ、もう十分に頂戴いたしました。どうもごちそうさまで・・・・・これ以上いただきますと、もう、すっかり酔っ払っちゃいますんで・・・・・どうもありがとうございました。また、あしたうかがいますから・・・・・ごめんください
旦那: いや、どうもご苦労様でした
植木: へえ、どうも・・・・・うーん、えれえもんだねえ。さすがにお屋敷の奥さまだ。言うことにそつがねえや。
『鞍馬山から牛若丸がいでまして、その名を九郎判官』 ・・・・・旦那が、よしとけってえやつを、『義経にしておけ』 なんて、てえしたもんだ。まったく女らしくていいや。そこへいくと、うちのかかあ、ありゃなんだい? あれでも女かよ。男じゃねえから、しょうがなくって女でいるんじゃァねえか。うーん。まったく、てえしたもんだ。
女房: おまえさん、なにをぶつぶつ言いながらあるいているんだよう。お前さんが帰ってくる頃だと思うから、鰯を焼いて待ってたんだよっ、鰯がさめちゃうよ、鰯がっ
植木: あれっ、こん畜生、おれの面見りゃ、鰯だ、鰯だって・・・・・長屋中にきこえるよ、この野郎
女房: なに言ってんだ。鰯じゃないものを鰯だっていってるんじゃァないんだ。鰯の何が悪いんだ。早く入って、食べちゃいな
植木: ああ、わかったよ、わかったよ。よせやい・・・・・おうおう、鰯を焼くんならなんでこう頭ごと焼くんだ。食えねえじゃねえか
女房: 何言ってんだいお前さん、知らないのかい? 頭は栄養になるんだよ、まるごと食べた方が。犬をごらんよ、風邪ひかないだろ
植木: あれっ、おれと犬といっしょにしてやがら、あきれたなァどうも・・・・・いや、そんなことよりも、今日は、おれ、感心しちまった
女房: また、始まった。お前さんぐらい感心する人はないねえ。猫があくびをしたって感心して・・・・・今日は、なんに感心したんだい?
植木: お屋敷でそりゃァ感心したんだ。おれがな、仕事の区切りがついたんで、お庭で一服やってたんだ。すると、旦那に呼ばれて柳影てえ酒をご馳走になった。肴は、鯉のあらいてえやつだ。鯉のあらいなんぞ、おめえは知るめえ。ありゃァ、洗って白くするんじゃァねえぞ
女房: なに言ってんだよ。鯉のあらいぐらい、あたしだって知ってるさ
植木: へーえ、知ってたのか・・・・で、旦那が、『植木屋さん、菜のおしたしをおあがりかな?』 とお聞きなすった。
おれが、『大好物なんで』 と答えると、旦那が、ぽんぽんと手を叩いて、『ああ、奥や』 とお呼びになった。
呼ばれて出てきた奥さまの行儀のいいこと・・・・・次の間に控えてな、旦那の前で、こんな具合に両手をついて・・・・・おい、こっちを見ろよ。おめえに行儀を教えてやるから・・・・・こっちを見ろよ。旦那のまえに、こんな具合に両手をついて・・・・・
女房: そういう蛙が出てくると、雨が降るよ
植木: 蛙の真似してんじゃねえや・・・・・なんてまあ、口のへらねえやつなんだ。言葉だって、そりゃァ丁寧なもんだぞ。『旦那さま、旦那さま』
女房: 右や左の旦那さま
植木: ふざけるなっ、なぐるよ、こいつは・・・・・いいか。奥さまが、『鞍馬山から牛若丸がいでまして、その名を九郎判官』 ・・・・・旦那か、『義経にしておけ』 ・・・・・このわけが、おめえにわかるかよ
女房: わかるさ、やけどのまじないだろう?
植木: おうじゃねえや、情けねえなあ。らくらいの折り・・・・・
女房: どこかに、雷さまが落ちたのかい?
植木: 雷なんか落ちるもんか。お客が来たんだよ
女房: じゃァ、来客だろう?
植木: そう、それよ。そのらいらいの折り、『お前さんに失礼の無いように、鞍馬山から牛若丸がいでまして、その名を九郎判官』・・・・・菜を食っちまってねえから、九郎判官だ。旦那が、『よしとけ』 てえのを、『義経にしておけ』 と、こうおっしゃったんだ。こういう結構なことは、てめえに言えめえ
女房: 言えるよ、それくらいは・・・・・
植木: 言えるなら言ってみろ
女房: 鯉のあらいを買ってごらん
植木: あれっ、畜生め、人の急所をついてきやがる・・・・・おっ、向こうから熊の野郎が来た。あいつに一杯飲ましてよってくれ。いまの、鞍馬山をやるんだから・・・・・いいか、やるんだそ。鞍馬山から牛若丸がいでましてだぞ。そのときになって、言わねえでみやがれ、おっぺしょって洟かんじまうぞ。さあ、お屋敷の奥さまみてえに、次の間にさがってろ・・・・・
女房: 次の間なんてないよ
植木: あっそうか。・・・・・じゃァ、しかたがねえから、この押入れに入ェえってろ
女房: 冗談じゃァないよ。この暑いのに・・・・・
植木: ぐずぐず言わねえで、おとなしく入ェえってろ・・・・・
おいおい、おいおい、植木屋さん
熊: なんだ? おれかァ? おれァ大工だ、植木屋はおめえじゃねえか
植木: あなた、たいそうご精がでますな
熊: なーに、精なんかでるもんか。今日は仕事を休んで、朝から昼寝して、いま、湯へ行ってきたんだ。今ァすいてるから、おめえも行ってきたらいいぜ
植木: えッ、昼寝を?・・・・・いや、昼寝をするとは、ご精がでますな
熊: 何を言ってんだ。昼寝して精がでるわけがねえじゃねえか
植木: まあ、いいから、こっちへお上がり。遠慮なくおかけなさい。汚れたら、あとで拭けばいいんだから・・・・・
熊: 何を言いやがる。おめえんちのが汚ねえじゃねえか、ええ? ともかく上がらしてもらうよ
植木: 青いものを通してくる風が、ひときわ気持ちがいいな
熊: おい、しっかりしろよ。おめえ、青いものったって、なんにもありゃァしねえじゃねえか。向こうにごみ溜めがあるだけだァな
植木: あのごみ溜めを通してくる風が、ひときわ気持ちがいい
熊: おかしなことを言うぜ、おめえは・・・・・
植木: ところで、あなた、ご酒をおあがりかな?
熊: ご酒? 酒かい? えっ、ごちそうしてくれるかい? へーえ、うれしいねえ。いただこうじゃァねえか
植木: じゃァ、これから酒をごちそうしよう。大阪の知り合いから届いた柳影だ。このガラスのコップで、おあがり
熊: ガラスのって、淵の欠けた湯のみじゃねえか。ええ? でも、柳影ってえと、こっちでいう直しだろ? いただくよ・・・・・ん? なんだい、これ、ただの酒じゃァねえか
植木: 柳影だと思っておあがり。さほど冷えておらんが、あなた、いままで、日なたで仕事をしておって・・・・・
熊: 仕事ォ休んじまったって言ってるだろ、ええ? 聞いてんのか?・・・・・でェいち、冷えちゃァいないよ。燗酒じゃねえか
植木: なにもないが、鯉のあらいをおあがり
熊: おいおい、おめえ、職人のくせに、鯉のあらいなんぞ食ってんのかい? 贅ェ沢じゃァねえか。ええ? おい、どこにあるんだ? 鯉のあらいが?
植木: そこにあるから、おあがり
熊: こりゃァ、鰯の塩焼きじゃァねえか
植木: それを鯉のあらいだと思って、おあがり
熊: いちいち言うことが変だなァ。まあ、いいや。とにかく食わしてもらうぜ・・・・・おらあ、へたな魚よりも、この塩焼きのほうが、ずーっと好きなんだ。うん、うめえ、脂が乗っててうめえよ
植木: うまいというほどのものではない。淡白なものじゃ
熊: なに聞いてんだよ、脂が乗っててうめえってんだよ
植木: あなたのように、そう、うまい、うまいと言ってくれると、まことに気持ちがいい・・・・・ときに、植木屋さん
熊: なにを言ってんだ。植木屋はおめえじゃァねえか。おらァ、大工だよ
植木: うん、そう・・・・・あなた、菜のおしたしはお上がりか?
熊: おらァ、嫌えだ
植木: えッ、あのう、菜のおしたし・・・・・
熊: 嫌えだよ、おれは。ガキの時分から、でえっきれえだ
植木: それはないぞ・・・・植木屋さん
熊: 植木屋はおめええだよッ
植木: 菜の・・・・・酒を飲んじまって、鰯を食って、いまさら菜が嫌えだなんて、ひでえじゃねえか・・・・・なあ、おめえが嫌えなら食わせやしねえから、食うと言とくれ
熊: なんだ、無いてやがら・・・・・おかしな野郎だな。・・・・・じゃァ、食うよ
植木: 食う? しめたな・・・・では、取寄せるから、しばらくお待ちを・・・・・
熊: 取寄せなくたっていいよ、どうせ食わねえんだから・・・・
植木: (ぽん、ぽんと手を打つ) これ、奥や、奥や
熊: なに言ってやんでェ。奥にも、なんにも、一間しかねえじゃァねえか
植木: 黙ってろい・・・・・これ、奥や
女房: はい、旦那さまッ
熊: わあ、びっくりした・・・・・おい、なんだい? どうしたんだい? どうもかみさんの姿が見えねえと思ったら、押入れからとびだしたりして・・・・・この暑いのに、汗びっしょりじゃァねえか・・・・・どうしたい?
女房: 旦那さま・・・・・鞍馬山から、牛若丸がいでまして、その名を、九郎判官、義経
植木: えッ、義経? うーん、じゃァ、弁慶にしておけ