安呑演る落語

音源などを元に、起こした台本を中心に、覚え書きとして、徒然書きます。

後生鰻

2007年03月20日 | 落語
  よくこの、われわれのほうに、信心ということを申し上げます。信心は徳のあまりでございますけれど、ほんとうに信心なさる人は、やはり少ないですナ。いろんな信心がある。
  よくこのゥ以前はてえと、どこの橋のところにも、放し亀てえのがありまして、亀の子を吊るして売っておりますナ。それを逃してやるということは、大変功徳(クドク)になる。だから、この亀の子を逃そうと思ったら、すぐに逃せばいいんけすがね。中にゃ、このゥ、大変、逃す前に、亀の子に恩をかけてンのがある。
男: こいつゥ、逃してやらァ
商人: へえ、どうも、功徳になりますよ
男: うん万年の寿命があるんだからなァ
商人: そうですよ
男: こないだ、おれ、夜ネ、亀の子買ったら、朝、死んじゃったよ。ちょっと、掛け合いに行ってやったら、万年目でしょうっていやがるんだよ、うめえことを言ってやがんねえ。
  (亀に) なあ、おめえ、あァ、おれ逃してやっから・・・・・いいか、おれの恩を忘れるな! いいか、なんかおれをもうけさせろ。おれの顔、よく見とけよ、え、こういう顔だから・・・・・。な、おれは義侠に富んでいるんだからな、ありがてえと思えよ、あァ、エヘン、ウッフン!
  (亀売りの商人に) そっちのちいせえのはいくらだ? 四十銭? あそうか・・・・・うん、これが六十銭か、じゃ、そっちのほうにしよう
  なんてンでね、え、さんざん恩にかけといて、となりの安いほうの亀の子逃してやったりなんかするから、こっちの亀の子はおもしろくなくって、
亀: このしみったれ野郎め、さんざん恩にかけやがって、え、隣ィ逃しやがったな。覚えてやがれ。てめェ、とっついてやるから・・・・・
  じゃ、なんにもならねえ、逃したのが・・・・・。
  ですからこのゥ・・・・・ご信心もいろいろですが、年をとってくると、本当に殺生をきらいましてナ、倅さんに家督をゆずってしまったこの・・・・・ご隠居さんで、えェ、殺生嫌い。信心家でがざいまして虫も殺さないというのが、この人です。
  だから、夏場なんざァ、蚊かくってとまって、一生けんめい、刺してても、かゆいの我慢している。
隠居: おい、かいいよ、おい・・・・・。おォい、もうよしなさいよ、おまえ。さっきからずいぶん飲んでるぜ。
え、まだほかに仲間がいるんだよ。さ、どきな、どきな。もうあっちィ行きな、あっちィ・・・・・。
ホラ、さ、そっちの・・・・・こっちへ来て、吸え
  なんてナことをいって・・・・・。
  毎日のように浅草の観音さまへお詣りに行っております。
  かえりに、天王橋のところまで来ると、向こう側が川で、こっち側がうなぎ屋で、うなぎ屋の親方が、今、客の注文で蒲焼をこしらえようというので、うなぎを割き台の上に乗っけて、きりを通そうとする。
うなぎはきりを通して、割かれて、焼かれた日にゃァ、痛くて合わねえから、逃げようとする。それを逃すまいとするような場合で・・・・・。
隠居: おいおい、おいッ・・・・・
鰻屋: いらっしゃい。二階上がらっしゃい。二階上がらっしゃァい。
隠居: 二階へ上がるんじゃないよ。お前さん、何をするんだ、それ?
鰻屋: えッ?
隠居: 何をするんだ?
鰻屋: え、ええ、今、蒲焼こしらえるんですよ
隠居: そのうなぎ、どうするんだ?
鰻屋: 今、割くんですよ
隠居: 割くゥ? かわいそうなことすンじゃない! えゝ? 
お前さん、じゃ何かい、鰻の命を取ろうというのかい?
鰻屋: いやァ命をとろうなんてつもりはねえんですがね、注文だから・・・・・
隠居: いや、いけんません。そういうかわいそうなことしちゃいけませんよ。あたしの目の黒いうちは、そのうなぎは殺させません
鰻屋: おや、ヘンな人が来たよ、おい。しょうがねえなァ、どうも・・・・・。え、客の注文の蒲焼ですよ
隠居: 蒲焼にしてもいいから殺しちゃァいけない
鰻屋: そうはいかないですよ
隠居: そんなことをすることはないよ。もしお前さんがだね、え、大きな台の上のっけられて、えゝ?
そういうふうに割かれるような場合だったら、どうする?
鰻屋: あたしゃそんな悪い事ァしないよ
隠居: うなぎだって、何ィ、悪い事をした? え、そんなことをしないで、そのうなぎを前の川に逃してやンなさい。うなぎァ喜ぶから・・・・・
鰻屋: うちゃァつぶれちゃう、そんなことしたら・・・・・
隠居: うん、逃せないかい?
鰻屋: 商売ですからね
隠居: 商売といわれりゃしようがねえ、え、じゃァ、あたしが買って逃してやろう。ええ、そんならいいだろう
鰻屋: ええ、そんなら、ようがすとも
隠居: いくらだ?
鰻屋: え、二円ですよ
隠居: ええ、お待ち。なァ、かわいそうなことばかりしてやがる。ホラ、ザルへ入れろ! ほんとうにかわいそうなことをしやがって・・・・・。
 (うなぎに) な、お前もあんなヤツにつかまるから、こんな目に遭うんだぞ、え? あたしが逃してやるから、あんなやつにつかまっちゃいけないよ。どうだ、うれしいだろう? うれしいのになぜ、ほっぺたをふくらまして、そういうふうにしている。あんなもんにつかまっちゃいけないぞ!
  *前のかわにボチャーンとほうりこんで、
隠居: ああ、いい功徳をした――
  *てんで、家ィかえる。
  あくる日、そこを通ろうと思うてえと、向こうは商売だから、また、うなぎを割こうとしている。
隠居: これ、これ、これ・・・・・
鰻屋: また来たぜ、あの人が・・・・・。昨日はすみません
隠居: また、うなぎを割くのか、おまえ・・・・・
鰻屋: え、蒲焼をね、お客の注文なんで
隠居: いくらだ?
鰻屋: ええ、これ、二円で・・・・・
隠居: 昨日よか少し小さいね
鰻屋: え、ここンとこ不漁(シケ)ですからね
隠居: 値段のことなんかいっちゃいられないから・・・・・。サ、ザルへ入れろ。しようがねえナ。うなぎばかり殺しやがって・・・・・。
 あんなヤツにつかまるんじゃないぞ
  ってんで、前の川へボチャーンとほうりこんで、
隠居: ああ、いい功徳をした
  ってんでナ。
  あくる日、そこを通ろうと思うと、こんだ、スッポンの首を切って血をとろうってんです。
隠居: どうするんだ、それを?
鰻屋: ええ、今、このね、首を切って血をとうるんだい
隠居: 血をとる? そんな血を・・・・・お前の血をとれ、かわいそうなことをしやがって・・・・・ええ? スッポンは何も知らんで首をのばしてらァ。・・・・・いくらだ?
鰻屋: ええ、これ、八円ですよ
隠居: 八円?おアシのことをいっちゃいられませんよ。サ、ザルへ入れな。かわいそうに。え、な、あんなヤツにつかまるんじゃねえぞ
  てンで、前の川へボチャーンとほうりこむ。
  うなぎは二円で、スッポンは八円で、毎日のように助けてると、うなぎ屋のほうで喜んじゃって、向こうから隠居が来ると、なんかしらそこへ出しておくと、買ってにがしてくれる。
  あの隠居で月にいくらもうかるてえなァ、うなぎ屋のほうのそろばんに入っちゃってますナ、うん。
  仲間の者はもう、うらやんじゃって、
仲間: おう、おめえ良い隠居をつかまえたなァ、おい。あの隠居つきで、おめえの店買おうじゃねえか
  なんてのが出て来るんですから、しようがないですナ。
  それがパッタリと来なくかっちゃった。
鰻屋: どうしたんだろうねえ、あのおじいさんは?
女房: どうしたんだろって、もう来ないよ。ええ? 最初(ハナ)はね、おまえさんネ、え、大きなうなぎ二円で売ってたから、向こうだって助けいいよ。だんだんだんだん、小さくなっちゃってサ、こないだァどじょう一匹二円で売ったじゃないかよ。ほかァ歩いてうんだヨ
鰻屋: あのおじいさんが来てっとなあ、小遣いに不自由しねんだ・・・・・。
あッ、来たじゃねえか、おいッ!
女房: あァ、来たね、少しやせたね
鰻屋: わずらってたんだヨ。ああいうなァ、いつ参っちゃうかわからねえから、こういうときにフンだくっておくということにしなきゃ、しようがねえ、おい、ちょいと、うなぎ出しな
女房: うなぎないよ。買い出しにいかないから・・・・・
鰻屋: しようがねえな。じゃ、どじょうでいいや
女房: どじょう? 朝おつけの実にしちゃったよ
鰻屋: ええ、何か生きてるもんでなきゃ、しようかねえじゃねえかよ・・・・・。あの金魚・・・・・
女房: 金魚、死んじゃったんだよ
鰻屋: しようがねえやな、もう来ちゃうよ、間に合わねえ、ネズミつかめえろ
女房: つかまりゃしないよ、ネズミなんぞ
鰻屋: だってもう、来るゥ・・・・・。しようがねえ、うん、じゃ、もう、赤ンぼ・・・・・
女房: 赤ン坊、どうするんだよ?
鰻屋: いいんだよ、ちょいとのあいだだ
     てんで、ひどい奴があるもんで、赤ン坊をハダカにして、割き台の上へのっけて、きりで刺そうとする。
隠居: おいおいおいおい、おい、どうするんだ?
鰻屋: ヘイ、いらっしゃい
隠居: いらっしゃいじゃねえ、その赤ちゃん、どうするんだ?
鰻屋: ええ、今、これを蒲焼にする・・・・・
隠居: ばかやろう! なんてことしやがる! え、いくらだ、それは?
鰻屋: ええ、こりゃ、百円ですよ
隠居: 百円? 金のこといっちゃいられない。さあ、こっちへ渡しな、かわいそうに。鬼か蛇だぞ、てめえな・・・・・。
なあ、火の付いたように泣いてるじゃないか・・・・・。
  おお、よしよしよし、あんなヤツにつかまるんじゃないぞ
てンで、前の川に、ボチャーン――。



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三年目

2007年03月04日 | 落語
 えェ、人間というものは、よくくやしいとか、うらめしいというようなとき、この “気がのこる” なンてえことをいいますが、本当にそうじゃァないかなんて思うことが、よくあるもので・・・・・。
 ここに、仲のいいご夫婦がございます。
 親子は一世、夫婦は二世、主従は三世で、間男はよせ・・・・・というくらいで、ご縁があって夫婦ンなる。
お二人が揃って健康なときはよろしうございますが、どちらかが病人となると、こいつは気が落着きません。
 只今と違って、むかしの医者というものは、病気なんてよくわからない。「だろう」 ぐらいで、くすりを置いていくンですな。
 これじゃァ、なおるもんだって治りゃァしない。だんだんと、具合がわるくなってくる。
亭主: あァ、痩せたねえ、おまえは・・・・・。えゝ、どうしようもないもんだねえ、だけどもネ、おまえの病気てえなァ、気のもんだよ。気で治るんだよ。先生もそいってたよ。だからネ、くよくよしないで、このくすりでも飲んで、早くよくなっておくれよ、ネ
女房: あたしのはネ、もう、くすり飲んだって、治りゃしませんよ
亭主: そんなバカなことってあるかい。え、このごろはネ、よくなって来たって、みんなそういってるじゃないか。
そんな気病みしないで、どんどんよくなることを考えなきゃァ、ダメだよ
女房: いいえ、治りません。あなたは、そんなことおっしゃっていますが、もうお医者さまを取っ替えたのは、6人目じゃァありませんか。6人のお医者さんが、みんな首をかしげてしまっているのを、あたしゃァよく知っているんです。
  おとといも、いまの先生が、あたしの様子を診てから、あなたを屏風のかげへ呼んだじゃァありませんか。何を話してるのかと、あたしゃァ這い出して聞いたらば、え、“ご新造さんは、長いことはないから、まァ、遺言があるならば、よそねがらきいといたほうがいい” って・・・・・あたしゃ、聞いていましたヨ
亭主: (怒って) なぜそんなことォきくんだい。え、それがいけないてンだよォ。あの先生が、そ言ったって、あの先生ばかりが医者じゃァない。まだいくらでもいるんだから、えゝ、またほかの先生に診てもらやァいい・・・・・。え、おまえは、わかンないねえ、なんでもいいから、治ることォ考えなきゃァいけないんだよ、ほんとうに
女房: でもサ、あたしゃ、もうこんなになっているんだから、生きていたってしようがないヨ。生きていれば、あなたに、いろいろと、手数をかけたりなんかしなくちゃならないから・・・・・あたしは、本当は、死んでしまいたいンだけど、あたしはネ、死ねないわけがあるんだヨ
亭主: え? どうして、死ねないわけがあるの? え、そりゃァ、人間は誰だって死ぬのはいやだよ。でも、死ねないわけって、一体何だい?
女房: はい、心残りがあるんです・・・・・
亭主: 心残り? どんな心残りがあるんだい? 言ってごらんよ
女房: 死んでいくあたしがネ、あなたに、そんなこというのも変ですから、まァ、やめましょう・・・・・
亭主: なんだい、やめるこたァねえじゃァないか、え。 そこが夫婦の間じゃァねえか。そりゃァな、人間は寿命だからねえ、“あゝ、おれは長生きしよう” と思ったって、いつ、どんなことがあるか知れやしない。
  はっきり言ってごらんよネ、きいてみて、“あゝ、そうか” と思やァ、別にあたしだって・・・・・。ね、そいってごらんよ
女房: ・・・・・それじゃァ、申しますが、あたしゃァあなたに、親切にしてもらって、こんなにうれしいことはありません。
あなたのような夫は、とてもありません。でネ、あたしが、目をつぶれば、あなたはきっと、二度添えをお持ちンなるでしょう。そうすれば、またあたしのように、親切に可愛がるかと思うと、それが心残りで、あたしはとても、死ねません・・・・・
亭主: おい、おい、おまえはネ、わずらってやきもち妬いちゃァいけませんぜ。え、何をいってンだよ、うん。
おまえにネ、もしものことがあったって、おれが二度添えなんぞ、もらうわけァないよ。おれはネ、生涯独身(ヒトリ)でいるよ
女房: いいえ、それはダメでございます。あなたが、いくらひとりでいるといっても、まだ年はお若いし、親御さんもあるんですから、どうしたって、すすめられて、おもらいになりますヨ
亭主: いや、持たない! おれはひとりでいるよ!
女房: いいえ、持ちますッ。あとで、きっと持つに違いありませんッ
亭主: あゝ、そうかい、そんなに、おまえは、おれをうたぐるのかいッ、うん。じゃァ、あたしゃァもたないがねえ、もしだヨ、親戚やなんかにすすめられて、義理に迫られて、あたしンとこへ、女房が来るってことになったらばだよ、どうせおまえは、気が残って死ぬんだからナ、婚礼の晩にでも、出て来たらいいじゃないか。
え、そうすりゃァ、相手の女だって、目ェまわすとか、なんとかなっちまう。え、こわいからって、あくる日ンなって帰っちゃうだろう。ね、また人が世話する。またもらう。婚礼の晩に、おまえが、また “うらめしィ”かなんかいって出てくれば、そうすりゃァおまえ、“あそこのナニは、センの女房の幽霊が出る” って評判になって、誰も世話のしてもなくなるだろう。そうすりゃァ、生涯おれはひとりでいるようになる・・・・・
女房: 出て来て、よろしうございますか・・・・・
亭主: あゝ、出ておいでよ。あたしゃァ、おまえに会いたいよ
女房: そうですか。それではきっとでます、あなたの婚礼の晩には、きっと出ますからねえ・・・・・
亭主: あゝ、出ておくれ、出ておくれ。約束しておこうよ。
(ふッと気がついて) けどネ、そんなことは、おまえが目ェ眠(ネブ)ったのちの話だよ。つまんないことを気にしないで、とにかく、早くよくなることを考えなくちゃいけないよ、いいかい、え、おい・・・・・。
  (びっくりして強く) おい、どうしたんだい、おまえッ! お菊ッ!
*こういうことをいうと、この女房のお菊というものは、大変安心したものか、それから間もなく、世を去ってしまいました。

*百カ日がすむ――。
伯父: おい、おまえ、いつまでもひとりっきりというわけにもいくまい。え、女房をもらわなきゃァダメだよ
亭主: いえ、あたしは、持ちません
伯父: どうして持たねえんだ。え。女房ももたないで、ここン家をどうするんだ?
亭主: そうするったって、あたしは、生涯独身で暮らします
伯父: バカなことォおいいでないよ。ひとりでいられるわけァない・・・・・
亭主: 伯父さんが、なンてったって、わたしは死んだお菊と約束して、ひとりと決めたんです。えェ、女房と名のつくものをもらったって、ダメなんですよ。婚礼の晩にネ、あのお菊が “ヒュー、ドロドロ” って出てきます。
 え、いやでしょう、そんなのが出て来たら・・・・・。来る者(モン)だって、かわいそうですよ。目もひとつもまわさなきゃァなんでえし・・・・・
伯父: バカだな、おめえは・・・・・。そういうこたァナ、え、ズーッと大昔の話だァな。え、頭にチョンマゲを結って、褌の下がりを顎ではさんでいた時分のこった。
 なにいってやがンでえ。え、死んでしまったもんが、どうして出られるんだ。からだなんぞなくなっちまったんだぜ。出られるわけァねえし、フラフラしちゃって、出られっこないだろ。そういうこたァ、みんな神経なんだ。
  いいから、おもらいッ、おもらいってんだ。え、実ァネ、ぜひおまえのところへ、いきたいという娘さんがあるんだよ。先方からそういう話が来てるんだから、おもらいよ、ねッ
*伯父さんに、こうすすめられては、断わり切れません。
亭主: そいじゃァ、婚礼の晩に出て来たって、あたしゃァしりませんよ。相手の娘に、気の毒な思いさしたって、知りませんよ
*てんでな、さて、いよいよ祝言の晩となりましたが、自分だって、あんまりいい心持ちはいたしません。
“今晩は出るんだなァ”
 と思うてえと、ただそればかりが気になります。
 その晩は、花嫁をさきに休ませて、自分ひとりで起きている。もう出てくるだろう、出てくるだろう・・・・・
そのうちに夜は更けてくるが、いつまで待っても、出て参りません。そのうちに、東が白んで、夜が明ける。
亭主: なんだい、出て来ないじゃァねえか。ちえッ、出る出る出るッて、あれほど約束しておきながら、出て来やしねえ。
 もっとも十万億土から来るんだから、道のりがずいぶんあたァね、うん。そうは出られねえやナ。
 それに、ゆうべは初日だからネ、きっと遅れちゃったんだよ。今夜は出るだろう、え、二日目だからナ・・・・・
*てんで、その晩も、出て来るだろうと思って待っていたが、これが出て来ない。夜が明けた。毎晩、毎晩、寝ないでいる。ひと月たっても出て来ない――。
亭主: ちえッ、バカにしやァがる。え、出て来ねえじゃねえか。こっちは、ほんとうに毎晩こうして寝ないでいるってえのに、すっかりだまされちゃった。こんなこたァ、もうバカバカしいから、もうおもうのはよそう。
それより、今の女房ォ大事にしてやるほうが、よっぽどいいわ
*てんで、すっかりそういう気になった。
  そうしているうちに、間もなく男の子が生まれた。一年たち、二年たち、三年たちました。ちょうど、お菊がなくなって、三年目でございます。
亭主: おい、今日はねえ、センの女房の寺参りにいくからなァ、え、おまえも一緒に来てくれ。うん、坊も連れて来な。
*お寺へ行って、一生懸命おがんでいる。腹ン中ではナ、
亭主: おまえのようなウソつきはないよ。え、婚礼の晩に出る出るって、とうとう出やしない、三年たって、出て来やしないじゃないか。地獄だか極楽だか知らねえが、え、そっちでいい男ができたんじゃねえのか。
おれのことが、いやンなったんだろう・・・・・
*なんてことォいっている。
  子供をほうぼう遊ばせて、わが家へもどってまいります。
  一杯のんで、グッスリと寝るつもtりが、その晩にかぎって、どうしても眠ることができない。ひょいと見るってえと、わきに女房が、子供ォ抱いて寝ている。
亭主: あーッ、なんだねえ、え、女も子供ができると、かわっちゃうねえ。子供の心配で、すっかり疲れて、死んだようになって、寝てやがる・・・・・。
 今日も、寺まいりに行って、そう思ったねえ。なァ、お菊だって、丈夫でいりゃァ、やっぱりこんな子供ができて、仲よくしていられるものをなァ・・・・・。死ぬもの貧乏てえことをいうけど、本当に可哀想なことォしたなァ・・・・・。ところで、もう、何刻(ナンドキ)なんだろうなァ・・・・・
*どこかで打ち出す八つ(午前2時) の鐘が、ボーンと鳴って、行灯のあかりがだんだん暗くなる。
途端に、障子ィ髪の毛が、サラサラサラッ・・・・・。
亭主: なんだい、いやだね。え、こんなことって、今までにないことなんだが・・・・・
*見ると、屏風の脇へ、髪をおどろにのばしたお菊が・・・・・。(と、両手を前にたらして)
女房: うらめしや・・・・・
亭主: うらめしいって、何がうらめしいんだよ。うらめしいのはン、え、裏でめしを喰うから、うらめしいてンだ。
なんだい、おめえみてえなウソつきはないよ。え、おめえはおれと、何と約束したんだい?
女房: 二度添えを、もらったら、出て来いというから、あたしゃァ、出てきたんですヨ。あなたは、女房を持たないといって、持ったじゃァ、ありませんかァ?
亭主: あァ、持ったよ。持ったけどなァ、おねえは、おれが二度添えを持ったら、その婚礼の晩に出て来るって、堅く約束したじゃァねえか。
 そいつを、今ンなって “いらめしい” って、ヘッ、なにォいやァがる。何がうらめしいンだ。約束をどうしたってんだよ、約束をッ。
おまえはネ、生きてるうちは、ずいぶんとモノわかりのいい人間だったが、死んだらネ、なんだよ。
そんなわけのわからねえ、ムク犬のけつにのみが入(ヘエ)ったようなことを言ったって、もうダメだよ。
気の利いた化け物なら、とっくに引っ込む時分だよ。
  あたしゃァね、あの当座というものは、おまえが、今日は出て来るか、あすは出て来るかと思うから、え、昼間寝て、夜起きて待ってたんだ。もうねむろうと思って、目がくっついてきても、夜の明けるまで、おめえの出て来るのを待ってたんだぜ。それが、一向に出て来ねえじゃァねえか、ふた月たっても、三月
たっても・・・・・。
  しようがねえからって、今の女房ォもらったんだ。婚礼の晩だって、出やしねえじゃないか。今ごろンなって、なにをグズグズいってンだい。冗談じゃァねえよ、ふんとにィ・・・・・
女房: そりゃァ、あなた、あんまりじゃァありませんか。あたしだって、あなたの婚礼の晩も・・・・・、それから赤さんがお出来ンなったのも、何だって知っています。出て来たいのは、そりゃァ山々ですけども、あたしゃァ出られないじゃァありませんか
亭主: 何で、出られないんだ?
女房: だって、あたしを棺に納めるときに、皆さんが、あたしを取り巻いて、みんなでカミソリを当てて、あたしの頭の毛を、すっかり剃ってしまったでしょう・・・・・
亭主: そうさナ・・・・・
女房: ごらんなさいナ、あたしゃァ坊さんにさせられたんですヨ。婚礼の晩には、おまえさん、坊さんの姿じゃでられないよ。
  だから、あたしはネ、自分で髪がのびるのを待って、出ようと思ってネ、ちょうど三年たって、これだけの髪になりました。坊さんが出たら、おまえさんに愛想をつかされやしないかと思うから、髪の伸びるまで、
待っていました
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