化石の日記Ver.2

ミーハーのたわごと。
普通の話はVER2.5へ↓
http://anmonite.blog.shinobi.jp/

「上原多香子 トルコ ベリーダンスの心にふれる」

2010-01-03 00:29:51 | 読んだ本とか
先ほどまで、NHKでやってましたが

おもろかったーーー

録画しとくんだったーーー

と思ったらDVDが出るようです。
http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%8A%E5%8E%9F%E5%A4%9A%E9%A6%99%E5%AD%90-%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%B3-%E3%83%99%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%BF%83%E3%81%AB%E3%81%B5%E3%82%8C%E3%82%8B-DVD/dp/B00317C4BC


タイトルのごとく、SPEEDの上原多香子が

イスタンブールでベリーダンスを習う、という内容


ダンスの場面もふんだんにありますが

モスクもちょこっと写るし、普通の人が行く市場とか、

ミュージシャンがいる大衆食堂みたいなトコとか、

結婚式でプチお祭りみたいになったりとか、

観光旅行ではなかなかお目にかかれない

トルコが垣間見れるのが貴重です


ダンスを教えたセマ・ユルドゥズの踊りが素晴らしい。

動きと音楽がぴったり合っている…

というか、自分がその音楽を「どのように感じたか」

ということが「踊り」で表現できる人なのです。

なので、心のおもむくままに、というか、自然な感じがする


上原多香子も、最初はセマが踊る「形」を一生懸命真似ていたのですが

(それができるのも本当に凄いこと。

 私はベリーダンスの体験レッスンに行きましたが、
  
 形を真似るなんてとても…基本動作すら満足にできませんでした。

 やはり子どものころから踊っていただけあって、カンが良すぎ!

 なんて羨望のまなざしで見てしまいました


トルコの人が、日常的に音楽やダンスに

慣れ親しんでいるのを見て。

「形」ではなく、楽しいとか悲しいといった

「心」を表現することが大切だと気づきます


私は写真を撮ってますが、一番難しいというか

撮れる枚数がごくごくわずかなのが、

かっこいいとか、凄いとか、気迫といった「感情」が写っているもの


また、格闘技を撮っていて、

自分が「面白い」とか「かっこいい」と思った試合は

いい感じに写っているのですが


そうでない写真はそれなりに


長年やってますが、これは本当に怖いことで

そのときの自分の気分が全部写ってしまうんですよね。。。



なので、いい写真を撮るには、面白い試合にめぐり合うというか

面白く思う心が肝心なのかもしれません。


そういうことを再確認しました



番組内では、「トルコはイスラム教徒が多い国なのに

なぜ、ベリーダンスのような露出の高い踊りが普及したのか」

という疑問に対し、


ベリーダンスは、ロマの人たちが踊りだし、それが

スルタンの宮殿の中や、庶民の間では結婚式などで

楽しまれるようになったから。

ということが語られてました


そして、上原多香子にダンスを教えたセマも

ロマで、出身地であるスルクレに足をはこび

少年達が本当に、ごくごく自然な感じで楽器を手にして

軽くアドリブで演奏、なんて場面も


12/31の日記に書いた、「ジプシー・ミュージックの真実」では

主にヨーロッパ(バルカン半島)のロマについて描かれているのですが、

ロマは「国民」として扱われてなく

普通の人が足をはこばないようなところに

ひっそりと集落があったりするような国もあるとか


ロマはどこの国でも「アウトサイダー」的な位置づけて、

トルコでも、軍事政権があった1980年代には

イスラムの教えに反するとして、

ベリーダンスが禁止されたこともあったとか


そういう「アウトサイダー」の人たちが作った音楽や踊りが

トルコの伝統文化として、観光の目玉になっているのが

なんか、すごく面白いと思ってしまいました

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。