終わりましたねえ。
終わった後、しばらく椅子から立ち上がれませんでした。あんなラストシーン、これまでの大河では観たことがない。
苦しみにのたうち回るのは、これまで犯した罪業の因果。しかし最後にには「姉上…」との言葉を残し、わずかに笑みを浮かべて死んでいく。
色々あったけど、最後にかける言葉はこれしかないよね。
【ご苦労様でした】
本当に誰も、悪い奴なんていなかった。みんなそれぞれに、「生きよう」としただけだったのだ。
私は子供のころからの歴史好きで、ずっと歴史というものを見てきたし、時代劇や歴史ドラマを見てきたけれど、
ここへきてようやく、歴史の「見方」というものが変わった気がする。
歴史とは「人間ドラマ」であり、人が生きてきた歩みが刻まれた、最高の「エンタテインメント」である。
わかっているつもりでした、でもまだ
ホントには、わかっていなかった気がする。
あの歴史上の人物が行ったことは「良いこと」か「悪い」ことか。
「良い奴」か「悪い奴」か。
そんなことに、こだわっている自分がいた。
でも、そういうことじゃないなあ、と
痛感しました。
「善悪」ではない、人というものの深い部分を知る。歴史というのはそういう最高の
「エンタテインメント」なんだということを、学ばせていただいた。
これはあくまで「ドラマ」であって、すべてが史実というわけではないけれど、歴史の一つの「捉え方」として、
とても勉強になったということです。
最高の「学び」は最高に楽しい「エンタテインメント」だね。
1年間、ありがとうございました。
鎌倉殿の13人の13人というのは、その13人だったのですね!
最後の最後に気づきました。
いえいえ薫る兄様は(申し上げるのも憚られますが)、歴史を大変深く御考察なさってこられてと存じます。
私こそドラマを史実と捉えるは、ただ善悪でしか人を判断しないはで、散々でございます…。
それでも歴史が人様のドラマ、エンターテイメントを拝見するのが大好きです。この度の三谷幸喜監督の大河も、堪能させて頂きました。それもこれもひとえに、薫る兄様の深い御考察があっての事でございます。
改めてお礼を申し上げます、ありがとうございました。
来年度もまたご縁がありましたら、どうぞ宜しくお願いいたします。
なんかね、あのラストには批判的な意見もあるらしい。それはわかるんだけど、政子としては、弟がずっと辛い想いをして悪行を重ねてきたことを見てきて、病床にあってもまだ悪行を重ねようとしていて、しかもそれは私利私欲ではない、鎌倉のためそしてなにより息子泰時のためなんですよ。政子としてはもう、これ以上弟に辛い苦しい想いはさせたくない。だからあれは、政子なりの「慈悲」だったのだと思う。善悪とかじゃないんだな。
こんなことは言いたくないけど、この点を読み取れない奴は、1年間なにを観てきたんだ?と言いたくなる。私の悪い癖だね(笑)
観ていて思ったのは、ガッキーが演じていた八重さんの存在の大きさね。義時の胸の中にはずっと八重さんがいたんだなあと、あの最期をみて感じたし、あと平盛綱っていたでしょ?川で溺れているところを八重さんに救われて、そのせいで八重さんは亡くなるんだけど、その助けられた子供はその後ずっと泰時の傍にあって側近として活躍するようになる。承久の変では矢を射られて死んだかと思っていたら助かっていたという彼です。その盛綱のセリフに「私は誰かに守られているのです」ってあったでしょ?あの誰かって八重さんなんですよ、きっと。
八重さんはきっと、義時や泰時や北条家のみんなの傍にずっといて、見守っていたんだなあと、そんなことを感じましたね。泣けてくるよね。
いやあ。「鎌倉殿の13人」については、語りたいことが山ほどあります。キリがないです(笑)