以前から気になっていたのですが
ももいろクローバーZ『仮想ディストピア』
2013年発表のアルバム『5th Demention』収録の曲、『仮想ディストピア』なんですが
コチラの歌詞
♪砂漠の底から 拾い上げたのは
昔誰かが 愛を誓ったリング♪
(作詞、只野菜摘)
実はこの歌詞に、よく似た歌があるんです。
石原裕次郎『錆びたナイフ』
♪砂山の砂を 指で掘ってたら
まっかに錆びた ジャックナイフが出てきたよ
どこのどいつが 埋めたか♪
(作詞、萩原四朗)
どちらの歌詞にも、砂の中から誰のものとも知れない「何か」が出てくる。
誰のものとも知れない「ソレ」は、おそらく元の持ち主にとって、思い出の品なのだろう。とても大切なものだったかもしれない。
そのようなものが、砂の中からでてくる。
なにかとても哀しく
切ないものを感じさせます。
私はこれを「パクリだ!」とか言って難癖をつけるつもりはまったくないし、そもそも只野さんが石原裕次郎の歌を知っていたのかどうかなんて知らないし、そんなことを気にしているわけではありません。
要は、砂の中から大切であったろう「モノ」が出てくるという。シチュエーションの見事さなんです。
石原裕次郎の歌には、このシチュエーションによってより強調された哀愁が漂い、聴く者の心に響く。良くできた歌詞です。
一方ももクロの歌には、哀愁が漂いつつもそれだけじゃないんですね。そのかつての持ち主の「想い」を感じつつ
それを受け継ぎ
未来を切り開いていこうとする希望が見えるような展開になっているわけです。
ここが見事だ、素晴らしい!
そう思うわけです。
和歌や俳句には
「本歌取」
というものがありますよね。
先人の作った歌や句を、自分なりにアレンジする。
オマージュ、あるいはリスペクトといったようなこと、だと思う。
たとえ只野さんが、石原裕次郎の歌を知っていたとしても、それが念頭にあったとしても
これほどまでに、オリジナルを発展させた見事な歌詞を作り上げたのだから、これはもはや
優れた「本歌取」
と、言うしかないでしょう。
エンタテインメントには、もはや完全オリジナルなものは存在しない。
そう私は考えます。
すべてのエンタテインメントは、先人たちが築き上げたものの
「本歌取」
優れた「本歌取」によって、エンタテインメントはさらに発展していく。
だからこの、只野さんが書いた歌詞は、優れた「本歌取」の典型であり、私は称賛を惜しまない。
なんだか、只野さんが『錆びたナイフ』の歌詞を知っていた前提で書いちゃってますけど、もちろんそれは私の勝手な憶測に過ぎず、只野さんは完全にご自身の感性でこの歌詞を書いたのかもしれません。
ただね、たとえ意識の表面には上がっていなかったとしても
潜在意識には、この『錆びたナイフ』があったんじゃないだろうか?
なんてことを勝手に想像しております。
これは非難ではありませんよ、むしろその逆。
私は大いに称賛しているのです。マジで。
どうかこの点、勘違いなきよう。
私は年代的に錆びたナイフの方がしっくりきますが、哀愁だけにとどまらず、前向きに先へ進んで行こうとしているももクロちゃん。さっすがだなぁ。👍