ザシキワラシは主に岩手県に伝承される話で、秋田県や青森県などの近隣には伝わっていないようです。
ザシキワラシが居る家は繁栄し、去ると没落する。家の盛衰を説明する一つの装置として、ザシキワラシが設定されていた面も否定できないと思う。
ザシキワラシの”正体”については様々な説があり、またその姿も一定してはいません。絣の着物を着た女の子の姿で語られることが一般的ですが、男の子という話もあり、武将の姿をしていると伝えるところもあるようで、要するに見る人によって姿が変わるということでしょうか。
昔の村落共同体では、飢饉が長く続くと、生まれたばかりの赤子を間引きすることもあったようです。
間引きされた赤子は、お墓には埋葬されず、家の土間や台所などに埋められたといいます。
その間引きされた子供たちの魂が、家の中を彷徨う。それがザシキワラシだ、
なんて伝承もあるようです。
家の神様、幸運をもたらすなんて面ばかりじゃない。ザシキワラシ伝承には、村落共同体の闇の側面も反映されている、ともいえるのではないでしょうか。
そんな事どもを考えると、ね
ザシキワラシに会って、幸運を貰おうだとか、そんな”欲望”を持ってザシキワラシに会いにいくとか、そういうのって
なんか違うような気がする。
パワースポット巡りと同じだよ、きっと
ロクなことには
ならないね。
幸不幸は自分自身が作り出すもの。なにかに頼って幸福になろうだとか
そういうの
よくないよ。
【仏神を敬い仏神を頼まず】この宮本武蔵の言葉を胸に
人生を歩んでいきましょうね。
見えるものにはもちろん、見えないものに対しても、謙虚さをもって接し、敬意と慈しみの想いを忘れずに、決して
私的欲望をを持って接しないように。ホント
ロクなことには
ならないですよ。
絶対。