昨日の腕の可動域の続きです・・・
上がると若い、って表現してしまうと、ついつい無理して上げようとしてしまうのですが、
これは、人それぞれ、無理されませんように。
私のしているセラピーの考え方は、無理をしないこと、
体は、気持ち良く動かしてあげる、ということです。
痛みを感じるときは、それは体からの合図、その方向には動かさない方がいいということです。
痛みを我慢して動かそうとすると、余計に痛みが大きくなったり、具合の良くない部分がさらに良くない方へ進みます。
まずは、痛みを取ることからです。痛みが取れると自然と可動域が広がります。
その痛みを取る方法として取り入れているのが、操体法です。
最近、よく聞くようになってきました。
この考え方が広まってくると、楽に痛みから解放されるということが、当たり前になってくるのではないかと思います。
今日も友人と話していて、
前にも少し書きましたが、痛みから解放されることを怖がっている人が多いということ。
痛みが取れると楽になるはずなのに、
でもその痛みに縋る。
痛みが取れて楽になる、痛みが続いてることで何かプラスになること、
この2つを比べたときにどうでしょう。
楽になって、前に進む、
もっと違う何か見えてくるかもしれませんよ。
上がると若い、って表現してしまうと、ついつい無理して上げようとしてしまうのですが、
これは、人それぞれ、無理されませんように。
私のしているセラピーの考え方は、無理をしないこと、
体は、気持ち良く動かしてあげる、ということです。
痛みを感じるときは、それは体からの合図、その方向には動かさない方がいいということです。
痛みを我慢して動かそうとすると、余計に痛みが大きくなったり、具合の良くない部分がさらに良くない方へ進みます。
まずは、痛みを取ることからです。痛みが取れると自然と可動域が広がります。
その痛みを取る方法として取り入れているのが、操体法です。
最近、よく聞くようになってきました。
この考え方が広まってくると、楽に痛みから解放されるということが、当たり前になってくるのではないかと思います。
今日も友人と話していて、
前にも少し書きましたが、痛みから解放されることを怖がっている人が多いということ。
痛みが取れると楽になるはずなのに、
でもその痛みに縋る。
痛みが取れて楽になる、痛みが続いてることで何かプラスになること、
この2つを比べたときにどうでしょう。
楽になって、前に進む、
もっと違う何か見えてくるかもしれませんよ。
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