「感性」を大事にしたいな、と思ってます。
研ぎ澄まし磨けるのも感性なら、
鈍く麻痺させてしまえるのも感性だと思います。
そして人は、良くも悪くもいろんなことに
慣れていってしまうものですね。
例えば・・・
毎日台所でお皿を洗うたびに、洗剤の匂いを”くさい”と感じる人
は少ないのではないでしょうか?
慣れてしまうと気にならなくなります。
もし、洗剤を使わずにお皿を洗ってる人、あるいは、
自然由来のものを 使って洗ってる人が
市販の食器洗い洗剤を使ったときには”くさい”と
感じるのではないでしょうか?
「アロマ」とか「フローラル」とかいい香りをうたってたとしても
”人工的なキツイ匂い”に感じてしまうと思います。
”からだに悪そう”な感じがすると思います。
”からだに悪そう”な感じのするものは、
”地球にも悪そう”な感じがします。
シンクの排水口から流れていく油や洗剤の泡を見ながら
生活廃水で汚れていく川が目に浮かんだりしてきます。
3,4年前、道頓堀川を浄化するためのプロジェクトか何かで
池蝶貝という貝をたくさん沈めて真珠の養殖を始めていたそう
ですね。 先ごろ引き上げたところ、
いびつながらも真珠が出来ていて、 いろんな汚いものを
取り込んでくれる池蝶貝の性質の成果で
汚染度を表す段階が6のうち3にまで改善したそうです。
すごいですね。
”池蝶貝”はとても役に立つ素晴らしい仕事をしてくれたわけです。
けれどもそのニュースを聞いたとき
その『原因』を忘れてはいけないな、と思いました。
好きに汚しておいて、何か救世主の出番を待つ前に
日々大切に思う気持ちや行為・・・そのことの方が
大事なのではないでしょうか?
私はエコロジストでもナチュラリストでもありませんし、
えらそうなことを言えるような心がけが立派な人でもありません。
水質汚染は一つの例えです。
「いいものはいい」という考え方があります。
人は効果の上がるものに惹かれます。
それが便利なものならなおさらです。
”目に見えるもの”に重きをおいてしまう面もあるでしょう。
ただ、その前にあるもの・・・
「おおもとはどうなのか?」「土台はどうなのか?」
「”そもそも”とはなんなのか?」
そういうことを忘れたくない気がするのです。
そういう感性を持っていたいな、と思います。