電動ろくろで陶芸をするとき、
まずは土の塊をどさっと打ち付けて、”土殺し”という作業をする。
土を上げたり下げたりしながら土の中心を出していく。
未熟な私にはこれが難しい。
ただやみくもに上げ下げしようとしても中心は出ない。
くっと自分を安定させ、締めるところに力は入れても肩の力は抜いて、
しなやかに微妙にはずしたりしながら土を動かす。
はずすけれども意識は中心にだけ集中する。
中心が出ればおのずと形は出来ていくが、
自分がぶれると、途端に形は歪み、またたく間にぐにゃぐにゃっと潰れてしまう。
形をひいている時も意識は軸に集中している。
自分の中心と土の中心を合わすかのように。
自分の軸って何やろ?
たまにそんなことを思うようにしている。
軸はぶれていないか・・・?
子供たちにも「自分の軸が通っていれば何をやってもいい」的なことを言ったりするが
抽象的な言い方だ。
私自身「これです」なんて言葉に出来るようなものはないし、
わかっているようでわかっていない。
ただ、自分がぶれているときは迷うことが多い気がする。
こうすればいいのか、ああすればいいのか、
こっちへ行けばいいのか、あっちへ行くのがいいのか、
厳しいのがいいのか、優しいのがいいのか、
とんがってるのがいいのか、丸い方がいいのか、
etc・・・
時代の流れ、自分を取り巻く環境や状況、人の気持ちも自分の気持ちも
時と共に変化していく。
自分の変化・・・
それが自分自身の”軸”にともなった変化ならそれは成長だと思うし、
受け入れたらいいと思う。
自分の”ぶれ”から生じている変化なら自分の中心を自分の目で見つめてみるのがいいと思う。
明日からころっと状況を変えることができなくても
その違いをわかってるだけで違うことが起こる気がする。
流されない。振り回されない。
軸がしっかりしていると感じる人は強いのにしなやかだ。
そして引力がある、、、気がする。
軸がしっかりしている環境(環境の元は人だと思うが)もまた
空気がいいし引力がある、、、気がする。
個性とも、インパクトとも違うもの・・・・
何だろね・・・?
なんだかんだややこしいことを言ってるワタシは、
どっかで 「腐ってもワタシ」って思ってるかなりのnarcissistだ。(爆)