あまねのにっきずぶろぐ

1981年生42歳引き篭り独身女物書き
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

神の掟

2018-12-18 00:46:30 | 随筆(小説)

人類が、これまで行った"彼ら"に対する殺戮、暴虐について知ったなら、「何の罪もない人が」という言葉を使うことがどれほど愚かで皮肉めいているかを知るだろう。

「何の罪もない」のに、人が苦しめられて死んでゆくのではない。
「罪がある」からこそ、人は苦しんで悲しみの底に死んでゆく。
つまりみずからの"罪"を知る者ほど、苦しめられ、殺される。

人類はホロコーストを、ずっとずっと今も続けている。
"彼ら"に対して。
彼らは人類が罪の内に苦しんで死にゆく為の生贄である。

"彼ら"が誰か、きみがまだわからないなら、きみはぼくがこれまでずっとずっと訴え続けてきたことの何をもわかっていない。
ぼくの最も苦しいものをきみは何もわかっていない。

人類が地獄を経験するのは必然性によってであり、偶然性によってではない。

ぼくがきみをシャワー室へ誘うとき、きみが訝らないなら、きみはぼくが神の掟に生かされているに過ぎない一人の存在でしかないことのなにをもわかっていない。
ぼくがきみをシャワー室へ誘うとき、ぼくはきみを"食べ物"としか見てはいない。
きみが"彼ら"に対していつも行っていることと同じだ。
"彼ら"はきみの食べ物となる為、殺される前にシャワーを浴びると騙されて処刑場へと誘われる。
ぼくはかつてそこにいた。
彼らをシャワー室へ誘導するとき、彼らを"人"として見てはいなかった。
食べ物となる者は食べる者の血肉となり、残りは排泄物となる。
ぼくの眼にも、彼らはそのように映っていた。
人間の食べ物となる彼らは、裸で並ばされ手にちいさなちいさな石鹸を渡される。
真冬の夜にも、何時間と、彼らは此所に並ばされる。
明日の朝、きみは人間の食べ物となるため殺される。
本当のことを言えばきっと逃げたくなるだろう。
だから彼らは本当のことは教えられない。
死の瞬間、彼らは覚ることしかできない。
自分は『罪人』であったという事実を。
忘れないで戴きたい。
彼らはぼくらと同じ"罪人"であるということを。
彼らはまさしく"人"であった。
その証拠に、熱い真っ赤な血が、彼らにもぼくらにも流される。
ぼくは彼らを人としては見ていなかった。
彼らをシャワー室へと誘い、無機質で寒い室内に彼らを入れた後、扉に鍵をかけ、真っ暗な部屋の中、恐怖に悲鳴をあげる者もいる。
そして素早く、ぼくはその屋根に登り、丸い蓋を開けて一つの缶を、投げ入れすぐさま蓋を閉める。
地獄とは、地獄を味わう者にある。
地獄を味わわせ、その地獄を味わう者に。
彼らの断末魔を、彼らの残した壁の爪痕を、彼らの、最期にぼくに助けを請うように見た悲しい目の数々を、ぼくは六十七年後に見た。
四角い画面の向こうに。