あまねのにっきずぶろぐ

1981年生42歳引き篭り独身女物書き
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

ベルギー映画「息子のまなざし」もっとも憎む存在の哀しみと孤独

2016-12-11 23:31:08 | 映画
ひさびさにグッと熱くなる映画を観た。
原題「le fils(息子)」というベルギーの2002年の映画です。


監督・製作・脚本は「ロゼッタ」のジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ兄弟。
出演は「天使の肌」のオリヴィエ・グルメ、新鋭のモルガン・マリンヌほか。
2002年カンヌ国際映画祭主演男優賞、エキュメニック賞特別賞、同年ファジル国際映画祭グランプリ、主演男優賞、同年ベルギー・アカデミー最優秀作品賞、監督賞、主演男優賞受賞。



ストーリー
オリヴィエ(オリヴィエ・グルメ)は職業訓練所で大工仕事を教えている。
ある日、そこにフランシス(モルガン・マリンヌ)という少年が入所してくる。
彼は大工のクラスを希望したが、オリヴィエは手一杯だからと断り、フランシスは溶接のクラスに回される。
しかしオリヴィエは人に気づかれぬよう、フランシスを追う。




なんといっても私が感動したのはこの二人のこの演技です。
二人とも、この表情だけで2時間以上の無声映画さえ見せるくらいの才能があります。
フランシス少年の表情からこの少年がいったいどんな生い立ちでどれほどの孤独を背負い、どんな想いを抱えて生きているのかが観る者は気になってしょうがなくなるわけですが、その前にオリヴィエという主人公のおっさんが気になって、フランシス少年のことが一番気になって仕方がないのはこのオリヴィエというおっさんであることを知ります。





決して、このおっさんが可愛い少年に恋をしてしまう・・・という話ではありません。
先が気になりますが危ない早とちりをしてはいけません。









フランシス少年は距離を見ただけで測ることが得意なオリヴィエ先生に自分の足元から先生の足元までの距離を当ててみてと言います。
フランシスは父親を知らない子なのです。そして母親からも見捨てられ、天涯孤独な境遇にいます。
彼はいつも、オリヴィエ先生といるときとても緊張しています。
それはオリヴィエ先生も非常に緊張しているのですが、フランシスの場合は、何かオリヴィエ先生と父親像を重ね、父親に嫌われることを極度に恐れているというような緊張感を常に持っているように思えてきます。
ぼくと先生の距離は、どれくらいだろうか?それを当ててみて欲しいと先生に言うフランシスはまるで、自分と先生の距離がどんなものであるかを先生には知ってもらいたいという、自分の存在を知ってもらいたいという心理が隠れているように見えてきます。



一つ目のネタバレになりますが、この16歳のフランシス少年は過去に幼い子供を殺害してしまい、少年院に入っていました。
ここでもう、あっ、そういうことか?と気づかれると思いますが、そういうことなのです。
何故オリヴィエという男がまるでストーカー並みに彼を監視しようとしているのか。









ここはフランシス少年のアパートの部屋です。
このオリヴィエというおっさんは黙って彼のアパートの鍵を開けて勝手に入っては彼のベッドに横になったりなんかしてしまうのです。
すごく、いいシーンです。
憎いはずの相手の部屋に入り、カーテンの隙間から見える外の景色がどんなものかをオリヴィエは覗きます。
フランシスがいったいどんなことを想い、感じながら生きているのか。
いったいこの殺風景な部屋はなんなのか。
引っ越してきたばかりといったって、16歳の少年が住むアパートといえば、もっとくだらん物やエロ本などがごちゃごちゃとしているものじゃないのか?
なんだかここってちょっとシュールな感じじゃないか?まるでマグリットの絵画じゃないか、ベルギーだからって、ははは、は、はは、は、って何を俺は笑ってるんだ?と自分で言ってる風な感じにどこか精神が不安定な様子が垣間見えるオリヴィエです。
いったい彼は・・・何を想ってこの窓から外を眺めているのだろう・・・。
オリヴィエはフランシス少年のことを知りたくて知りたくて仕方がないのです。

何故、彼が自分の息子を殺すまでに至ったか?
彼の中にどのような闇があるのか。
それを知ることができないことがオリヴィエにとって苦しくてたまらないことなのです。

ベッド脇のエンドテーブル代わりにしている椅子の上には、睡眠薬が置かれています。
たった16歳の子供が睡眠薬に頼らねば夜も眠れないほどの不安の中に生きていることをオリヴィエは知ります。












オリヴィエがフランシスに木工を教えているところです。
これはたぶんみんなが持っている自分だけの大事な道具箱をフランシスにも作らせているところです。
オリヴィエのフランシスを見る眼差しは、どこか父親が息子を心配そうに見るような眼差しにも感じられます。
オリヴィエは、子供に教えることが好きな人なのです。
つまり、子供が好きな人なのです。
どれほどの複雑な感情がオリヴィエの中に渦巻いているだろうか?
観る者は緊張を一瞬たりともほぐせない時間を共にします。








元奥さんに事を話してしまったオリヴィエ。元奥さんの精神も危なくなってしまいます。
彼の精神状態は、もういっぱいいっぱいのところでようやく正常さを装おうと必死なようです。








本当に憎たらしいだけなら、フランシスが腹をすかしているかもしれないと心配し、「何か食うか?」などとは訊かないでしょう。
まぁ、満腹させてから殺す、という変態的なサディストならわかりませんが。
「何か食うか?」というのはとても親が息子によくいう台詞のように私は思うのです。
そんな彼を追いかけるフランシス。まるで父と息子の後ろ姿のようです。













このシーンはとっても難しい二人の心理状況が見えます。
まず、オリヴィエはたった一切れのアップルパイを注文するのです。
すると、フランシスが、「僕も」と言います。
そのとき、オリヴィエは3枚目からの写真の顔で「え、どうゆこと?どゆこと?ど、どゆこと?」という顔を順々にしていきます。
店主はもう一切れのアップルパイを出します。
店主が支払いは二人分一緒かと訊くと、オリヴィエは「別々に」と言うのです。
するとここで、写真はありませんが、今度はフランシスが「あれ・・・」という残念そうな顔をします。
つまり、フランシスはオリヴィエは自分の分もきっと払ってくれるだろうと予想していたわけです。
しかしオリヴィエは「何か食うか?」と彼に自分から訊いてる訳ですから、当然支払いは自分で彼の分を払うつもりでいたのは勿論でしょう。
でも自分は今は特に腹が減ってないので何も頼まず、フランシスの分だけを注文した。
なのにそこにフランシスが「僕も」と言って、自分の分を注文したって事は、オリヴィエからしたら「ああ、こいつは俺に払ってもらうのが嫌なんだな、自分で払いたがってるのか」と思ったので、支払いは一緒かと訊かれたら「別々に」と応えて別にしたわけです。
ところが、フランシスの複雑な心理はオリヴィエが推察したことと違いました。
私が思うに、フランシスは、アップルパイをたぶん一人でもくもくと食べるのがいやで、オリヴィエ先生と一緒に食べたかったのではないかと。
フランシスはいつも一人で狭いアパートで食べたりしているのでしょう。一人で食べることが苦痛になっていたのかもしれない?
それから、先生をフランシスは慕う気持ちが出てきて、同じ食べ物を先生と一緒に食べたかったのかもしれない。
だから先生がたった一切れだけアップルパイを注文したときに、一人で食べるのは嫌だと無意識にも感じ、とっさに「僕も(先生と一緒に食べるためにもう一切れ注文したい)」と言ったのではないか?
でもオリヴィエ先生はそこまで推し量ることがとてもできず、この子は何か変な遠慮をしているのか、それとも俺のことを嫌い俺に借りを微々たる量でも作るのを嫌がってるのか?と思い勘定を別々にしてしまった。
そのあと、フランシスは寂しげに自分の分の40フランを自分で払います。














フランシスはオリヴィエに「後見人になってください」と言います。
どんな理由があってでしょうか。
私はここで、ひょっとするとフランシスは、自分が過去に殺してしまった子供は実は先生の子供なんじゃないかと、薄々気づいてき始めているのではないかと感じました。
フランシスはとても敏感で繊細で頭の良い子だと思いました。
それは媚や悪意のような単純な感情ではなく彼なりに必死に先生に赦しを請おうとしているように感じたのです。
それは意識下にもまだないフランシスの感情かもしれない。
彼のどうにか先生に認めてもらいたい、自分を受け入れてもらいたいというような心理が自然と彼がオリヴィエ先生を「後見人」にしたいと選んだ理由ではないだろうか。











フランシスはオリヴィエ先生にテーブルサッカーゲームを一緒にしようと誘い、先生のほうの得点が始めから入ったままになっていたのを見てか、先生に向かって「得点をゼロに」と言います。
そしてフランシスの大得意なサッカーゲームで先生に勝ち続け得点を手にしていきます。

私はこのシーンがものすごい深みのあるシーンだと思いました。
先生に始めから得点が入っている状態というのは、フランシスが先生に対してハンデを背負っている、つまり過去の業(カルマ)によって先生に「借りがある」状態であることを表しているように思ったのです。
でもそれをフランシスは「(先生の)得点をゼロにしてほしい(自分の罪を赦してほしい、自分を受け入れて欲しい、借りた分をまっさらにした状態から、これから自分と始めて欲しい)」と頼んだのです。

それはフランシスの先生に対する「僕を愛して欲しい」という想い以外には、何もないようなものなんじゃないかと感じたのでした。