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『ゴッドドクター 徳田虎雄』 (小学館文庫)  – 2020/1/7(これはこのブログ2020年12月15日の記事の再掲です)

2024年07月12日 | 本と雑誌

NHKニュース
徳田虎雄元衆議院議員 死去 86歳「徳洲会」グループ創設者
2024年7月11日 9時02分 

これはこのブログ2020年12月15日の記事の再掲です)

2024 7/11日のNHKニュース 元衆議院議員で、全国各地で病院などを運営する医療法人「徳洲会」グループを創設した徳田虎雄氏が10日夜、入院先の神奈川県内の病院で亡くなりました。86歳でした。

ゴッドドクター 徳田虎雄 (小学館文庫)  – 2020/1/7

先週、名瀬の書店で見つけた。

徳田本はけっこう読んだし、もう,いいかな、とも思ったが、

ナゼ、今頃?とも思って、
表紙の徳田虎雄の写真の表情に惹かれて手に取った。


黒板に向かいマイクとチョークをもって数字を示しながら
聞き手に向かって鋭い視線を向けている。
鋭いといっても威圧的な目ではない。
こちらがつい見入ってしまうような情熱的な純粋な目。
(本書本文にもあった、理と情にも通じる写真かもしれない)

そのエネルギーに押されたように、写真はと題字の「ゴットドクター徳田虎雄」の
文字とともにやや傾き、天に押し出されそうに見える。

写真が少しだけセピア調めいて見えるが、それは錯覚だろうか。
徳田がめざした医療革命の理念は、
決して色あせてはいないぞ、という読後の感想につながる。

「毀誉褒貶の振幅が激しい」「清濁併せのむ」は、徳田虎雄
に対する評価によく当てはまる言葉だが、
本書でも「誉」「褒」「清」は積極的には描れない。
しかし、写真の目は、決して濁ってはいない。

本書は、著者が、自分なりの視点で描くドラマチックな構成になっている。(本書は2017年平凡社刊の『神になりたかった男 徳田虎雄 医療革命の軌跡を追う』に大幅加筆、改定して文庫としたもの)

医局支配の「白い巨塔」を飛び出した医師たちや、アメリカ帰りのエリート医師(京大在学中、学生運動にのめりこんだ徳洲会ナンバーツーは徳田と同郷(徳之島伊仙町)だ、そして次世代は全共闘の経験者、それにやくざも実名で登場する。

これらの人たちが、まったくの徒手空拳から、巨大な病院グループ病院を作りあげた男とともに、
抵抗勢力と闘いながら政界進出し、医療改革を推し進める紆余曲折を描く。、

これでおもしろくないはずがない。


それに非医師の「七人衆」と呼ばれた側近たちのドラマが連ねられる。その細かいエピソードも読みどころで、
むしろそれが怪物徳田虎雄の実像を浮かび上がらせる。

事実はドラマよりおもしろい。並みの取材だけの取材者目線では、描けないノンフィクションだと思う。

ネットの書評でも、「おもしろい」とのレビューが多い。

もひとつ写真のはなし。

本文中の挿入写真、1993年3月、石原慎太郎(左)が都知事選出馬を表明する前夜、ホテルで密会していた自由連連合代表(当時)の徳田虎雄。ホテルの廊下だろうか。スタイリッシュな、石原慎太郎と並んで歩く背広姿の徳田虎雄も負けてはいない存在感がある。この写真も傾いていて緊迫感が伝わる。人と時代を映しているようで印象的な写真だ。


徳田がかかげる医療改革の理念「生命だけは平等だ」は、わかったようで実は、わからないでいた。
その前に省略された「せめて」の意味を考えないと、よくはわからないのあった。

p409 じつは、多くの徳洲会関係者の証言で初めて明らかになったのだが、徳田は「生命だけは平等だ」の決め台詞を吐く前に「せめて」を添えていたという。「徳田は「世の中、生まれの違いは変えられん。頭の良し悪しも仕方ない。貧富の差はあるだろう。だが生命だけは平等だ」と・・・。p409

徳田の「せめて」の思いは、今も生きている。

関連年表2017年の項 

徳田王国が崩れさり、病院数71、年商は4600億円、職員3万3340人、に上る日本最大、世界屈指の(2019年3月病院グループを維持している。

そして、

南海日日新聞 2016年12月27日
 奄美群島と十島村を運航範囲とする奄美ドクターヘリの運航開始式が26日、奄美市名瀬佐大熊町のヘリ格納庫であった。三反園訓県知事をはじめ国、県の議員、奄美群島の市町村長、医療、消防関係者など約120人が出席。テープカットで27日からの導入を祝い、救急医療の発展に期待を込めた。

 

今では、県立大島病院屋上からドクターヘリが発着する。(2017年から)

ドクターヘリの運用開始により、それまでの沖縄から来る自衛隊ヘリに比べると、時間的にもマンパワーの上からも、奄美の離島間救急網(喜界島、徳之島、加計呂麻島、沖永良部、与論、吐噶喇列島)は大きな前進を見せている。


P304 時は止まっているようでも流れている。時代はいつも過渡期なのだ。p304

時代はあっという間に変わる。本書もそのとき再び増補改訂されるかも知れない。


amazon 内容(「BOOK」データベースより)
徳田虎雄が創設した「徳洲会」は、謎の多い、巨大な医療複合体である。一九七三年、大阪に徳田病院を開院して、わずか十数年で日本一、世界屈指の民間病院グループに成長した。かくも巨大な民間病院チェーンが、なぜ短期間に出来上がり、存在し続けているのか。医療の「善」と裏舞台での「悪」―両極端の顔を併せ持つ異端者、ALSを発症してからもなお経営を握り、旺盛な生命力を発揮する「病院王」と、彼のもとに集まった非医師の「七人衆」、「白い巨塔」から飛び出した医師たちの群像を描いた衝撃ノンフィクション!

今では徳田虎雄の名前を知らない若者も多いかもしれない。

wikipedia アメリカ占領時代の鹿児島県大島郡徳之島町出身(出生は兵庫県高砂市。
実弟が医療を受けられなかったことによる急病死をきっかけに医師を志し、阪大受験のため鹿児島県立徳之島高等学校から大阪に単身移り住み阪大合格を果たす。
実家の家計は苦しかったが父親が先祖伝来の農地を切り売りして仕送りをして学資を支えてくれた。

徳洲会事件wikipedia


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