奄美 海風blog

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第17回奄美を描く美術展を見に行った 逆光のモモタマナとビロウ樹

2018年10月31日 | 田中一村

 


季節外れ桜の観察 湯湾岳(ソメイヨシノ) 宇検村運動公園 油井岳(八重桜 ソメイヨシノ)きのう

2018年10月30日 | 桜の観察

↑ 宇検村運動公園

↑湯湾岳公園駐車場上

 

以上駐車場上

↑ 下の公園入口の大木は、半分ほど葉が残っている。

 

 

--------狂い咲きの詳しいメカニズムや原因については、まだわからいこともある、という。

9月の連続台風などの影響で全国で季節外れの開花のが、かつてないほど多数報告されているという。
奄美市名瀬の赤崎公園の並木ではほぼ毎年季節外れの開花を観察している。
その本数はいつもの年より多い。まだ幼木で、電波塔のあるような高地にあって環境が厳しいからだろうか。


 
木の芽には
葉になり後に枝となる葉芽(ようが はめ)と、
花になり後に実となる花芽(かが はなめ)の2種類がある。
     葉芽=発達して葉や茎になる芽。花芽より小形でふくらみ方が少ない。
     花芽=木は成長して葉芽をつけると、やがて生殖のため、葉腋(枝と葉柄の付け根)から花芽を出す(花芽分化

桜は春に咲いた花が落ちて実がなって、夏にまたできる花芽は、
通常は葉から送られる花芽の成長を抑える植物ホルモンによって、休眠状態を維持し、冬に一定期間低温を感知することによって休眠から覚める(休眠打破)。その後の気温上昇と共に花芽は成長し、春先に開花に至るのだが、葉が台風の風や塩害などで、夏のうちに落ちてしまうとその抑制機能がきかなくなって季節外れの開花になる。また冬に暖かすぎても春先の開花が遅れる。

 


去年の記事 動画台風22号奄美市名瀬12:15分/ところで台風22号の名前サオラ(Saola)が話題に サオラー

2018年10月28日 | 日記・エッセイ・コラム
 
動画台風22号奄美市名瀬12:15分/ところで台風22号の名前サオラ(Saola)が話題に サオラー
けっこう雨、風ともに強い台風だけど気象庁台風情報のページには、大きさと強さの表示がないのは名瀬だろうか?https://t.co/K7VmICZNcZ— 奄美海風荘......
 

                                     ↑続きを読む

サオラーとはベトナムで発見されたとうウシ科の草食動物の名前。

アムラーやシノラーとなど、何々のファンという意味の~ラーで当時ネット上でレスリングの吉田沙保里選手と関連づけたネタが多数出回っていた、ということを一年過ぎた今頃知った。

気象庁 台風の番号の付け方と命名の方法

 

 


10/21日 西郷どん 第39回『父、西郷隆盛』平均視聴率は12.3%。前回「傷だらけの維新」から2.1 P. up

2018年10月23日 | 歴史 民俗

5分で分かる「西郷どん」第39回『父、西郷隆盛』

10/21日「西郷(せご)どん」第39回「父、西郷隆盛」平均視聴率は12.3%。前回「傷だらけの維新」から2.1 P. up
 
「兄さあは、いくさの鬼になってしもうた」と嘆いてばかりいた従道は、フランス帰りになっていた。 
前回戊辰戦争から時代は一気に明治37年の京都市へ飛んだ。
 
西田敏行が演じる菊次郎は、43歳になっていて、京都市長に就任し、助役のインタビューに「父、西郷隆盛」の思い出を語る。原作本の冒頭はここから始まったのだった。
 
その2年前の明治35年(1902)母愛加那はもう帰らぬ人になっていた。1837年生 (65) (台湾で龍郷からの電報をうける)
 
菊次郎の話は明治2年のころから始まるが、それは菊次郎が龍郷から9歳で鹿児島西郷本家に引き取られる年である。
 
東京へ戻らねばならない西郷に養母となった糸は、もうしばらく菊次郎のそばにいてくれと頼む。寝床でそれを聞いていた菊次郎は迷う父上に
 
「東京へ行ってくりんしょれ(下さい)、父上・・自分のことより民が大事、そうでごわしたなぁ、父上、俺いもいつか父上のようになりたか、民のために働きとうございもす」
 
健気な菊次郎9歳は、涙をさそうが、菊次郎の言葉は、島の母愛加那の教えでもあった。
立派に育った菊次郎を見つめる西郷の顔は、度量の大きな糸と、立派に育てた愛加那への感謝の顔に見える。(愛加那を愛人、妾、などといったイメージでみてはいけない。大島随一の名家龍一族の娘なのだ・・)
 
ドラマはここでつづくになるのだが、その前に西郷の三弟・従道について。
 
従道は菊次郎が鹿児島に来た明治2年(1869年)、山縣有朋と共に渡欧し軍制を調査。
翌年に帰国、兵部権大丞(ひょうぶごんのだいじょう)に任じられる。警察制度の確立にも尽した。
 
従道の兄さあに対するフランス土産の会話
 
「フランスにはpoliceちゅうもんがあっての」
「ポリス?」
膝をのりだし、にじるよる兄さあに、
「街の治安を守るサムライじゃ」
「ほう」
「俺いは日本の治安を守るポリスを創りたかっち思うちょおぅ」
「そいはよかぁ、そいができればサムライたちに新しか仕事を与えるこっができる」
互いに一献かたむける。(征韓論のことが頭をよぎるが、ここで多くは語るまい)
 
「兄さあ、俺いと一緒に東京へ来てくいもはんか」
。。。
「俺いは戊辰のいくさで大勢を死なせてしもた。政をする資格はなか」
。。。
「俺いもいくさは見たくなか、それにはやっぱり、戦わずして勝てるほどの強か軍がいる。政府直属の軍じゃ、そいを兄さあに創ってもらいたか。あいだけの犠牲を払ったんじゃ、あん者んたちの命を無駄にせんでくいやんせ」
と言って兄さあを連れ戻しにきたのだった。
 
「戦わずして勝てるほどの強か軍がいる」ち、この時点で非武装中立などありえないと・・。
 
帰京の説得は大久保の意をくんでのことだった。
 
従道は西南戦争では西郷軍にはつかず、菊次郎が17歳で従軍し、右足膝下から切断の重傷を負ったときに救うなど菊次郎の支えになっている。
=======
西郷菊次郎 略年譜(昔読んだ本を参考に書いたこのブログ記事のコピーです)
西郷 菊次郎(1861年(万延2年) - 1928年(昭和3年)
文久元年 万延2年(1861) 西郷隆盛と愛加那の長子として奄美大島 龍郷(たつごう)で生まれる。
西郷は35歳 愛加那25
西郷隆盛、藩主の島津斉彬(なりあきら)の急死で失脚し、奄美大島に流される。
安政六年 1859 から文久二年 1862(3年2ヶ月)龍郷潜居
半年後西郷再び遠島 徳之島に到着
3日後 愛加那 菊草(のち菊子)を産む
愛加那 徳之島の西郷を訪ねる
西郷沖ノ永良部島での遠島生活に入る
元治元年 1864 赦免 鹿児島に戻る
このとき、愛加那28歳 菊次郎4歳 菊草3歳
以来、愛加那は遂に西郷と再会することはなかった。
慶応元年(1865) 隆盛、糸子(鹿児島藩士岩山八郎太の次女)と結婚
明治2年 (1869) 鹿児島西郷本家に引き取られる。
菊草(菊子)は明治9年(1876)に同じく西郷本家に引き取られる。14歳
菊草は大山巌(いわお)の弟誠之助と結婚。経済的にめぐまれず苦労は絶えなかった。
子供4人 
明治38(1905)年 子供二人とともに京都の菊次郎のもとへ移り住む
菊草は龍郷で離れ離れになった母愛加那と、再び会うことはかなわなかった。
明治5年 (1872) 13歳でアメリカ留学
明治7年 (1874) 政府の財政難で帰国
明治10年 (1877) 17歳で 西南戦争に従軍し、右足膝下から切断の重傷を負う
東京では父隆盛の三弟で明治政府の重鎮 西郷従道(つぐみち)の世話になる。
明治13年 (1880)11年ぶり、龍郷で母と再会 なつかしい故郷の山々を見渡す。
明治18年 (1885)外務省書記生 アメリカ公使館勤務
明治20年 (1887)アメリカ留学 右足治療のため帰国
明治26年(1893)久子と結婚 十人の子宝に恵まれる
明治28年 (1895)台湾総督府参事官心得
日清戦争で日本が台湾を得たのは明治28年(1895)
明治28年 鹿児島から台湾への途次 名瀬で母と15年ぶり再会(当時の島司は笹森儀助(のち青森市長)菊次郎が生まれた龍郷の龍家本家跡近くに、笹森儀助島司 顕彰の碑がある。 県道81号 島のブルース歌碑の向かい側にある。
明治29年 (1896)台北県支庁長
明治30年(1897)台湾 宜蘭(ぎらん)庁長に就任(県知事に相当 4年半)
明治35年(1902)母 愛加那死去 1837年生 (65) (台湾で龍郷からの電報をうける)
明治37年(1904)京都市長に就任 1911年辞職
明治42年 (1908) 妹 菊子死去 1862生(46)
明治45年(1911~1920)島津家鉱業館長
昭和3年(1928)11/27 菊次郎 鹿児島で没 68歳
 
==========
放送のあった21日、台湾北東部・宜蘭(ぎらん)県蘇澳(そおう)
で特急列車が脱線し、少なくとも18人が死亡し、160人以上が負傷したというニュースがあった。。
 
菊次郎は
1895年(明治28年)- 台湾台北県基隆宜蘭支庁長に就任
1897年(明治30年)- 台湾宜蘭県宜蘭庁長官に就任
1904年(明治37年)10月12日 - 2代目京都市長に就任
wikipedia

季節外れの河津桜と蘇鐵の残照図 奄美市名瀬赤崎公園 #田中一村

2018年10月22日 | 夕焼け

9月の連続台風などの影響で全国で季節外れの開花のが、かつてないほど多数報告されているという。
この並木ではほぼ毎年季節外れの開花を観察している。
その本数はいつもの年より多い。まだ幼木で、電波塔のあるような高地にあって環境が厳しいからだろうか。
 
木の芽には
葉になり後に枝となる葉芽(ようが はめ)と、
花になり後に実となる花芽(かが はなめ)の2種類がある。
     葉芽=発達して葉や茎になる芽。花芽より小形でふくらみ方が少ない。
     花芽=木は成長して葉芽をつけると、やがて生殖のため、葉腋(枝と葉柄の付け根)から花芽を出す(花芽分化)
桜は春に咲いた花が落ちて実がなって、夏にまたできる花芽は、
通常は葉から送られる花芽の成長を抑える植物ホルモンによって、休眠状態を維持し、冬に一定期間低温を感知することによって休眠から覚める(休眠打破)。その後の気温上昇と共に花芽は成長し、春先に開花に至るのだが、葉が台風の風や塩害などで、夏のうちに落ちてしまうとその抑制機能がきかなくなって季節外れの開花になる。また冬に暖かすぎても春先の開花が遅れる。
 

 


『逆説の日本史23』 明治揺籃編 琉球処分と廃仏毀釈の謎 単行本 – 2017/10/25

2018年10月20日 | 本と雑誌
逆説の日本史23: 明治揺籃編 琉球処分と廃仏毀釈の謎 単行本 – 2017/10/25
井沢 元彦 (著)
24巻はまだ検索できないようだので、これが今最新巻だろう。
昔、逆説の日本史は雑誌でときどき目にしていた。(『週刊ポスト』誌平成4年(1992年)1月1日号から連載)
ネットの普及で、今のほうが賛同者が多いのではないだろうか。
 
ことしはドラマ西郷どんということで『英傑の日本史』 西郷隆盛・維新編 (角川文庫) 文庫 – 2017/8/25 を正月に読了したのが、改めて全巻読破へのきっかけだった。『英傑の日本史』 西郷隆盛・維新編 (角川文庫) 文庫 – 2017/8/25
 
『英傑の日本史』 西郷隆盛・維新編 (角川文庫) 』はこのシリーズの総まとめみたいなものだったかも知れない。
本シリーズ15巻 「近世改革編」で田沼の経済改革を止めた松平定信はバカ殿。という件は、奄美の歴史にも多大の影響があっり「蘭癖大名」といわれた薩摩藩8代藩主島津重豪と田沼意次とは親交が深かったと言われるだけに、ここでは、「朱子学の毒」とともに井沢節がさえわたった。
 
第1巻 単行本1993年10月刊行 小学館  からやく25年。
22巻と23巻は、取り寄せて読んだ。
 
日本の歴史を創るのは①「言霊、和、怨霊、穢れ」への無意識の信仰に基づく非論理的な日本人の行動と分析し、②史料絶対主義を排し、その書かれた、③書かれなかった背景をも深く考察すべきこと、④「時代で常識とされていたことは記録されなかった」こと及び⑤通史的考察の重要性を強調し、シリーズ全体を貫くテーマとしている。wikipedia
 
どの巻にも①「言霊、和、怨霊、穢れ」②「史料絶対主義を排し」は、著者もいうように、くどいほど繰り返し出てくる。がまんして読んでいると、やがてそれは興味と記憶の接着剤の役割を果たした。
①の中で穢れ(より正確には穢れ忌避思想)がいちばんわかりやすいだろうか。
②「史料絶対主義を排し」、その書かれた、③「書かれなかった背景をも深く考察すべきこと」の強調には少し強引さも感じるが、ま、ある意味本シリーズの屋台骨の一翼となっているのかも知れない。
史料資料が圧倒的に少ない島の歴史を考えると重要性がよく理解できる。
①~④の繰り返しとくどさは、壁壁することもあったが⑤「通史的考察の重要性」が理解でき、全巻読破の意欲も持続できた、気がする。
④「時代で常識とされていたことは記録されなかった」は、自分の過去のブログをよんでも、
時々意味不明なことがあり肝心な部分が抜け落ちていることの気がつくこともあって、意外と重要だ。
①から⑤にはないが、たびたび登場する「朱子学の毒」は、現在をもえぐる重要なワードだ。
====
明治維新150 年を考える ーー「本と新聞の大学」講義録』
バランスを取ろうと、この本を読んでいる。
共通する点もあるものだ。

奄美でも季節外れの桜(オオシマザクラ)

2018年10月19日 | うんちく・小ネタ

↑ 奄美市名瀬赤崎公園 オオシマザクラ百本並木
 
9月の連続台風などの影響で全国で季節外れの開花のが、かつてないほど多数報告されているという。
この並木ではほぼ毎年季節外れの開花を観察している。
その本数はいつもの年より多い。まだ幼木で、電波塔のあるような高地にあって環境が厳しいからだろうか。
 
木の芽には
葉になり後に枝となる葉芽(ようが はめ)と、
花になり後に実となる花芽(かが はなめ)の2種類がある。
     葉芽=発達して葉や茎になる芽。花芽より小形でふくらみ方が少ない。
     花芽=木は成長して葉芽をつけると、やがて生殖のため、葉腋(枝と葉柄の付け根)から花芽を出す(花芽分化)
桜は春に咲いた花が落ちて実がなって、夏にまたできる花芽は、
通常は葉から送られる花芽の成長を抑える植物ホルモンによって、休眠状態を維持し、冬に一定期間低温を感知することによって休眠から覚める(休眠打破)。その後の気温上昇と共に花芽は成長し、春先に開花に至るのだが、葉が台風の風や塩害などで、夏のうちに落ちてしまうとその抑制機能がきかなくなって季節外れの開花になる。また冬に暖かすぎても春先の開花が遅れる。


ニラ(韮)ネギ属(ヒガンバナ科 ユリ科 ネギ科)

2018年10月18日 | 植物

ニラ(韮)ネギ属(ヒガンバナ科 ユリ科 ネギ科)

英名 Oriental garlic、Chinese chives

白 6弁 球状 で画像検索した。(花弁が6枚あるように見えるが、実際は3枚で他の3枚は苞。

狭山市の住宅街の表通りの道端に咲いていた。島では見たことがない。

多数の白い小花からなる半球形の散形花序が、島でよく見る浜ボッスに似ている。

↓ 左隣のピンクの花は島でもおなじみのユウゲショウ。

ニラは島料理の油ぞうめんの材料にもなる。

ユウゲショウ(夕化粧) 島でも朝から咲いている。

ススキも島のものとは、なんとなく違う。島の似た形のハチジョウススキは、花も葉もつやがあり、もっとテカっている。

 


バラまつりの薔薇

2018年10月17日 | 日記・エッセイ・コラム

埼玉県狭山市の大きな都市公園である智光山公園(ちこうざんこうえん)

休日にバラまつりがあって行ってみた。完璧に美しい薔薇はなかなか見つからない。

公園内の出店から串団子の香ばしい醤油のやけるにおい。
一本100円なり。

↑ こちらは、島に秋の訪れをつげるフヨウ。ハイビスカスの仲間のアオイ科。

きのう奄美大島本茶峠にて撮影。


去年の記事 動画 琉球エキスプレス 2(阪神航路)の名瀬港での荷役作業を初めて見た。

2018年10月16日 | まち歩き
 
動画 琉球エキスプレス 2(阪神航路)の名瀬港での荷役作業を初めて見た。
琉球エキスプレス 2 お目見え奄美大島名瀬港へ営業運航初入港ペンキの匂いも新しい、さきほど14日22時すぎ写す。ソクホー pic.twitter.com/Tvtk7hY9e......
 

動画は相変わらず、カメラーワークが雑だが、再生回数は伸びた。視聴回数 835 回

桟橋の半分ほどは、現在も拡幅工事中で使えない。手狭感があったが、この日はめったにない見物の人の姿が数人あった。

けっこうすごい工事だとは思うがは完成はいつになるのだろうか。


『西郷どん』第37回「江戸無血開城」の平均視聴率は9.9%

2018年10月14日 | 歴史 民俗
2週間ぶりとなった、7日放送の『西郷どん』第37回「江戸無血開城」の平均視聴率は9.9%と初の一桁台になったらしい。
第37回「江戸無血開城」は9月30日の台風24号関連ニュースの影響で放送日時が変更となった。
今日予定の特番第3弾「西郷どんスペシャル(3)」は10月月20日午後5時15分に決まったと、5日NHKが発表している。
「江戸無血開城」はドラマのクライマックスと見られていたにもかかわらず、最低視聴率に終わった要因は、話しが小むつかしく感じられたのか、それとも2週間ぶりの放送が響いたのか?
次回の特番で間があき、しらけてしまってさらなる低迷も予想される。過去2回の特番も視聴率は振るわなかった。
西郷どんではなく、西郷隆盛の重々しいイメージも少し必要なのではないのか。
次回特番のタイトルは「西郷と大久保 明治に挑んだそれぞれの道」。
そのあとはドラマはいよいよ最終章の明治編に入る。