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『パウロ 『愛と赦しの物語』Paul, Apostle of Christ)、2018年アメリカ

2025年04月28日 | 映画

『パウロ 愛と赦しの物語』Paul, Apostle of Christ)、2018年のアメリカ合衆国の伝記映画。

『パウロ 愛と赦しの物語』──わかりにくいけれど、日本人の心にもそっと響く映画

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映画『パウロ 愛と赦しの物語』を、二度目に観た。
けれど、それでもやっぱり、すぐにはわかりづらいな……と正直思った。一度目の印象はだいぶ薄らいでいた。

パウロは、もともとは熱心なユダヤ教徒で、イエスの信徒たちを迫害していた人物だ。
そんな彼が、あるとき突然、回心してイエスを信じる者へと変わる。

「ダマスコ途上の回心」と呼ばれるこの劇的な出来事は、カラヴァッジョの『聖パウロの回心』(1601年)などにも描かれているし、聖書にも登場する。
天からの光に包まれ、地に倒れるパウロ。
そのとき、イエスの声が響く──「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか?」

ところが、この映画では、その劇的なシーンは直接は描かれない。
ほんの少しの回想とセリフで、そっと触れられるだけだ。


派手な展開はない。でも、静かな深さがある。

奇跡や派手なドラマ、あるいは歴史の勉強、を期待していると、ちょっと拍子抜けするかもしれない。

描かれるのは、老いて牢獄に囚われたパウロの晩年だ。
もはや自由もない、力もない。
それでも、彼の内面には、確かに揺るぎないものが宿っている。

若き医師ルカ、そしてローマ人看守マウリティウスとの静かな対話を通して、
「敵に復讐すべきか、それとも赦すべきか」という、重く深い問いが浮かび上がる。

史実であるローマ大火(西暦64年)と、それに続く皇帝ネロのキリスト教徒迫害を背景にしているが、
聖書本文にはネロの名は出てくるわけではない。
映画は、史実と聖書をうまく織り交ぜながら、静かなドラマとして描かれている。

でも、この映画に込められたテーマは、
実は私たち日本人の心にも、そっと寄り添ってくるものだと思う。

1. 「弱さの中にこそ力がある」
牢獄に閉じ込められ、老い、無力になったパウロ。
でも、その弱さの中にこそ、強い信仰の光が宿っている。

これは、日本人が大切にしてきた「滅びの美学」にも通じる。
平家物語』にうたわれる、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」というあの感覚。

さらに、「枯木も山のにぎわい」ということわざも思い出される。
力を失っても、そこに存在するだけで、意味があるのだ。

2. 「死を超えて生きる」
パウロは言う。
「生きるとはキリスト、死ぬことは益である」

彼にとって、生きることも死ぬことも、すべてイエスへの信仰に繋がっている。

開始1時間19分頃、囚人がルカに「わたしはあなたを知っている」というあたりから、この映画の核心部だと思う。

この生き方は、どこか日本の「武士道」とも重なる。
「武士は食わねど高楊枝」、
あるいは「死して屍拾う者なし」という、命を懸けた覚悟。

普通は「命あっての物種」と言うけれど、
パウロはむしろ「命を捨ててこそ本当に生きる」と考えているのだ。

3. 「赦す」という超越的な力
そして、この映画の一番大きなテーマは「赦し」だと思う。

敵を憎まず、復讐せず、赦すこと。
これは、キリスト教独特の教えだけれど、
日本にも「怨みに報ゆるに徳を以てす」(『論語』)という言葉があるし、
「水に流す」という慣用句もある。

争いや恨みを、乗り越えていく知恵。
そこには、静かで深い共感がある。

これらは、遠い昔のローマ帝国の話でありながら、
日本人の中にも、静かに息づいているものだろう。

 


ヤンバルセンニンソウ

2025年04月25日 | 植物

 

Wikipedia★センニンソウ(仙人草、学名:Clematis terniflora DC.)は、

キンポウゲ科センニンソウ属に分類されるつる性の半低木。

属名(Clematis)は「若枝」を意味し、種小名(terniflora)は「3枚葉の」を意味する。

和名は痩果に付く綿毛を仙人の髭に見たてたことに由来する。別名が「ウマクワズ(馬食わず)」、有毒植物で馬や牛が絶対に口にしないことを意味する

茎や葉の汁は皮膚炎の原因となる。

★ヤンバルセンニンソウ C. meyeniana Walp.:屋久島から琉球列島、葉は三出複葉だが関節はない。Wikipedia

 


きのうの大浜 広角 

2025年04月23日 | 写真

360度静止画の解像度は72M
アスペクト比は、1:1、9:16、16:9、4:3、3:4、2.35:1
解像度は7200万画素

水平線に沿っていい感じの長い雲。少し赤みがかった雲と、うっすらと青空ものぞく。

モモタマナの別名は「コバテイシ」「シマボウ」「クワディーサー」

今は黄緑色の新芽が一斉に出ています。


​映画『日本誕生』東宝:​1959年(昭和34)

2025年04月17日 | 映画

​『日本誕生』東宝の1000本製作記念作品​
公開年:​1959年(昭和34)

上映時間:​約182分

幻想的で象徴的な天地開闢や国生み(伊弉諾・伊弉冉のエピソード)
天照大神の天岩戸の逸話など神話パートと

父・景行天皇の命により、熊襲建を策略で討ち、それを終えるとすぐに東国征伐を命じられる、英雄譚パートの二つの構造からなる。
よくできた構成だと思う。

日本版『十戒』や『天地創造』と評されるほどのスケールを持つと評されるだけあって大昔の日本が立派に見える。

超一流のスターの学芸会みたいとの評価もあるが、三船敏郎の口調やスーパーマンのような手のしぐさなど、それでよいと思う。なにせ誰も見たことのかい話なので。

天手力男命(あめのたぢからおのかみ)役の 朝汐太郎も話題になった。朝潮太郎 (3代) - 昭和時代の第46代横綱(徳之島出身 兵庫県生まれ)
天照大神(原節子)の岩戸隠れの場面で岩戸の脇に控えて、アマテラスが岩戸から顔をのぞかせた時、岩戸を引き開けたとされる力持ちの男である。「引きずり出した」のではなく、「引き開けて」(この写真はネットオークションにある)出てきてもらったかんじ。

1:14:23秒ごろ朝潮太郎が差し出した左手に原節子が右手を添えて歩く姿が神々しい。
こうしてみると朝潮太郎は力士として理想的な体形をしている。

神話パート(天地開闢や国生み)日本の神話的な起源から始まり、天照大神の天岩戸の逸話など、神代のエピソードへ。
父・景行天皇の命により、熊襲建を策略で討ち、それを終えるとすぐに東国征伐を命じられると英雄譚パート(ヤマトタケル)からなる。

神話に興味のない人には、わかりにくい展開との評もあるが、『日本誕生』は、日本映画史における重要な作品の一つであり、日本神話や古代日本の歴史に興味がある方には特におすすめの作品です。”とAIが薦めた。


以下は映画のテーマではないと思うのですが。


神武天皇とヤマトタケルの事蹟は似ていて混乱することもある。
しかし、調べると違うところや、真逆なところあってなかなかおもしろい。
使命、試練、遠征、神の加護、策略だまし討ちなど。
天孫降臨して、国を治めるために東征し「初代天皇」になる神武天皇と
天皇の命により遠征して国を平定するヤマトタケル(悪神に敗れ、伊勢で病死し天皇にはなっていない)


海に向かって咲く★海辺のテッポウユリ

2025年04月15日 | 日記・エッセイ・コラム

岩肌の高い位置ののり面保護ネットの隙間から手の届く位置まで咲いています。

海に向かって咲く★海辺のテッポウユリ(奄美市朝仁(あさに)ユリ科の植物で、一村画にある☆ダチュラはナス科★テッポウユリは夏(4から6月)に咲く純白の花 ☆ダチュラは別名チョウセンアサガオ、インドや南北アメリカ原産白、紫、黄色などの花を咲かせます。 根、つぼみ、種に強い毒があり・・・


コデマリ と ヒメヒオウギ

2025年04月11日 | 映画

ウィキメディア  ↑ コデマリ

コデマリ(小手毬、学名:Spiraea cantoniensis)とは、バラ科シモツケ属の落葉低木。別名、スズカケ[1]。中国名は麻葉繡球。中国(中南部)原産で、日本では帰化植物。庭や庭園に植えられる。

 

ヒメヒオウギ

 

 


映画『真珠の耳飾りの少女』『真珠の耳飾りの少女』(原題Girl with a Pearl Earring)2003年のイギリス・ルクセンブルク合作のドラマ映画。

2025年04月10日 | 映画

ヨハネス・フェルメールの代表作「真珠の耳飾りの少女」のモデルは、一説によると召使の少女グリエット(映画ではグリート)だったと言われいる。
映画はまるでフェルメールの絵が動いているような、映像美と美術的な再現性で高く評価され、17世紀オランダ社会の雰囲気を直に見ている。あの先輩使用人のおばさんが窓辺で牛乳を注げばそのままフェルメールの「牛乳を注ぐ女」になりそうだし、窓辺の机には、「天文学者」や「地質学者」があらわれそうだ。

この映画はフェルメールの名画の背景にあるフィクションが主眼。
グリートの美的センスを見抜いたフェルメールは彼女を弟子のように遇する ようになり、二人はやがて互いに気持ちを通わせる。
10人以上と言われる子を産んだ妻はグリートほどのセンスはない。こどもはグリートにいじわるをする。あの名画の背景にそんなことがあったなんて。
フェルメールとグリート、フェルメールの妻、この三人を中心とした息詰まるような心理サスペンス。官能的な暗喩。

もはや他の登場人物の深堀りは無理だし不要だろう。(とくに肉屋の息子ピーターとグリートの淡い恋愛感情についての淡泊な描写は、この映画の不評の原因にあげられてもいるのだが)

グリートの父はタイル工場で働いたが工場の爆発で失明し失職。
グリートはフェルメール家に奉公に行くことになる。父はグリートに「これは私が描いたタイルだ」といってその一片を渡す。涙ぐむグリート。「おまえを働きに出すなんて、食べ物には気をつけなさい」と言って送り出す母。この冒頭の数分にはこの物語のエッセンスが詰め込まれている。

フェルメールは結婚を機にプロテスタントからカトリックに改宗したとも言われており、
プロテスタントであるグリートの母親が「カトリックの祈りには近づかないように」と釘をさす。
17世紀のオランダでは、カトリックとプロテスタントの間に宗教的な緊張があり、一般にプロテスタントが経済的にも優位であったと考えられます。
フェルメールは生涯を通じて経済的に安定していたわけではなかった。​

これらのこともこの映画の、そしてフェルメールの生涯を見る上でとても重要な要素だ。

主演のスカーレット・ヨハンソンも次第に「真珠の耳飾りの少女」に似てくるのだが、絵の少女は日本人に近い感じがする。

AIによると少女が身に着けている青のターバンは、当時のオランダで流行していたオリエンタルな装いを反映しており、異国情緒を醸し出していて

この顔料は非常に高価で、通常は聖母マリアの衣服など、特別な場面でのみ使用されていた、という。

 

 

 

 


映画『侍タイムスリッパー』 日本 2024年公開

2025年04月06日 | 映画

アマプラ

『侍タイムスリッパー』
2024年に公開
安田淳一監督・脚本

​主演は山口馬木也
冨家ノリマサ、沙倉ゆう

低予算の自主制作映画ながら、
上映館数を増やすという異例のヒット
2025年の第48回日本アカデミー賞では最優秀作品賞を受賞

賞狙いの豪華キャストではなく見知っている役者はほとんどいない。
それはそれでさみしいのだが、それも見ることにした動機のひとつだ。

幕末から現在の映画村にタイムスリップ。時間差タイムスリップもあり、アイデアとしてはよく練られている。

主人公・会津藩士・高坂新左衛門(山口馬木也)が現代にタイムスリップした際、彼が幕末で対峙していた長州藩士・風見恭一郎(冨家ノリマサ)も既に現代にタイムスリップしていた。

 

以下妄想
関ヶ原の戦い後から戊辰戦争まで続いた長州と会津の対立。
タイムスリップした二人(3人?)は、現代の日本に絶望して密かに革命を・・・という展開。

実は、西郷隆盛の薫陶をうけた若き薩摩藩士もまた20年前に時間差スリップしていたのだった,,,w

ではなかった。
(二人は巧みに現代日本(の映画)に溶け込むのだった)


映画『ゴーギャン タヒチ、楽園への旅』(原題:Gauguin – Voyage de Tahiti、2017年 仏 伝記映画

2025年04月01日 | 映画

↑ ゴーギャンがタヒチに移住して、すぐにに入院した病室の窓に描いた絵がなんとなく田中一村の絵に似ていた(映画0:20:55秒ごろ)

『ゴーギャン タヒチ、楽園への旅』(原題:Gauguin – Voyage de Tahiti、2017年)

フランスの画家ポール・ゴーギャンのタヒチでの生活と創作活動を描いた伝記映画。

ゴーギャンと田中一村は「南の楽園へ旅立った画家」として比較されがちですが
しれば知るほど相違点が多い、と改めて気づいた。(ある意味当然なのだが)

一村とゴーギャンは実際には移住の動機も、生活態度も、画風も異なります。

フランスでゴーギャンは子供が5人もいて、タヒチではすぐに美しい女性と一緒に住んでいるし。

田中一村が奄美大島に移住した理由は「楽園」探しではなく、自然への没入、島のリアルな美しさを表現。

ゴーギャンが「象徴的な楽園を創り出した」のに対し、一村は「現実の自然を精緻に描いた」、

 

また最晩年の一村は、一切の世俗のしがらみから解放され、画家として充実した境地に達していたと考えられる。

画風も表現方法も似ているようで違うし、画家としての生き方も大いなる相違点があると思う。