シャープ & ふらっと

半音上がって半音下がる。 それが楽しい、美しい。
思ったこと、感じたことはナチュラルに。  writer カノン

私が見たものは・・

2007-08-15 21:44:15 | 懐しい話
私の不思議体験・後編は、
あとからゾクッときた話である。

これはたしか、中学生くらいの時の話なので、
かなり確信を持っている。


ある夏の夜、
この時も私は、高熱を出して寝込んでいた。

ふと、部屋の窓の外に何かいる気配を感じて
私は目が覚めた。
すると、いきなり窓がパリン!と割れて、
何かが部屋の中に飛び込んできた。

鳥か何かかと思ったが、
その程度で割れるほどの窓ではない。
私は半分ボーッとした気分で、
窓を見たのだが・・

割れていない。
でもたしかに割れて、何か入ってきたのだ。
泥棒かと思ったが、
人の気配はまったくない。


いや、足元に何か立っている。
やっぱり泥棒か・・と思ったが、
やけに小さな姿である。
暗い中で、目を凝らしてみると・・。

それは、
真っ赤な服を着た小人だった。
それこそ、童話に出てくるような姿通りで、
真っ赤なとんがり帽子をかぶっていた。

ただ、顔は見えない。
大声をあげようと思ったが、声が出ない。
やがて小人は、
私の周りをぐるぐる回り始めた。

最初はゆっくりと、そのうちだんだん早く、
そして気がつくと、
小人は3~4体に増えていた。
それらが私の周りを素早く回り続ける。

やがて、
再びパリン!と窓の割れる音がして、
小人たちは出て行った。

金縛りのようになっていた私だったが、
そこでやっと体が動き、窓を見る。

割れていなかった。


その体験を私は、
半分夢だと思っていた。
そして、小人が登場する夢なんて、
なかなか見れないぞ、と納得していた。

ただ、
とても不気味な夢ではあった。


それから何年か経ち、
オカルトに詳しい友達と出会った。
彼にこの話をすると、
信じがたい答えが返ってきた。

『おまえ、良かったな。死ななくて。』

どういうことかと思ったら、

『小人というのは、童話ではメルヘンだけど、
実は、あの世から来た物・・、つまり死の使いだ。
小人に連れ去られる夢を見るというのは、
すなわち、死の世界に連れて行かれるという事だ。』


つまりは、死神らしい。
臨終間際の人が、小人に手を引っ張られ、
あの世につれて行かれるのだそうだ。
生き返った人がよく言う、「お花畑を見た」のと同じように、
小人は、死の世界からのお迎えなのだそうだ。

『さらに言うなら、赤い服は血の色。
かなり危険な小人に遭遇したな』
とも言われた。


ただ私はあの時、
高熱を出していたものの、死に直面する程ではなかったし、
死神と言われても・・というのが正直なところだ。
でも、あの小人はたしかに不気味だった。
「くるみ割り人形」で、
クララが夢の中で、人形の世界に入って小人と出会った、
というのとワケが違う。

あの頃、私ももし不摂生や病気持ちだったら、
警告として受け入れる事もできるだろう。
でも、いたって健康な中学生だったし、
今でも、なぜ死の使いが来たのか、不明である。


その後、一度も小人とは出会っていない。
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幽体離脱

2007-08-14 23:30:00 | 懐しい話
このブログでは、
オカルト系の、怖い話は記事にしないことにしている。
しかし、お盆のこの時期、
昔経験した、不思議な体験を書こうと思う。

前編は、「幽体離脱」・・・


小学生の頃、
高熱が出て、寝込んでいた時の話である。

夜中、ふと目が覚めた私。
そのまますっと起き上がって、時計を見る。
11時30分。
そのまま部屋の真ん中に立つ。
足元に、寝ている私自身がいる。

私は、私自身の周りをぐるぐる歩き始めた。
そして、部屋を出て、
他の部屋へと向かう。

居間で、父親がテレビを見ている。
スポーツニュースだった。
ある、プロ野球投手のインタビューの映像だ。
私は、父の隣でそれを見る。

しばらくして、
店の電気がついていたので、店をのぞく。
当時(も今も)、私の家は自営業で、店舗がある。

中で、母が仕事をしていた。
ずいぶん遅い時間だったが、
何かの書類の整理をしていた。
隣で私は、それを見ている。

やがて、部屋に戻る。
時計を見ると、12時ちょっと前だった。
そのまま、再び眠りに入る。


翌日、少し熱が引いた。
私は、昨夜のことを両親に聞いた。
まず父に、
プロ野球ニュースを見ていたかどうか、
それに、某投手が出ていなかったかどうか。

父は驚いた。
見ていたと言う。その投手も出ていた。
「起きて見ていたのか?」
そんなはずはない。
テレビは当時一台だけ。しかも、父の隣にいたのだから。

次に、母に聞く。
やはり、12時頃まで店にいて書類整理をしていたらしい。
翌朝一番で来るお客さんがいて、
その注文書を確認していたと言うのだ。

母も言う。
「起きて店にいたの?」

二人とも、私がいたことは知らなかった。
というか、私はそこにいなかったのだ。
両親は、「夢を見ていたのだろう」と言うが、
その時たまたま出ていた選手、
その時偶然店にいた母のことを、
どうして知る由があるのか。


高熱が出たときや、臨終の間際になると、
「幽体離脱」が起きることを知ったのは、
それからずっと後である。

あの時の私は、
幽体離脱だったのだろうか。
だとしたら、とても貴重な経験である。
いまでも、怖いという思いはない。
とにかく、不思議な体験をしたと思う。



しかしこの何年後かに、
さらに不思議な現象を経験することになる。
これは本当に、
「怖い」体験だった・・。


明日の後編へ。
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5月3日という日

2007-05-03 17:30:40 | 懐しい話
今日は5月3日。
ゴールデンウイーク、後半に突入した。

どんな休日の並び方になっても、
確実に、5月3日からは3連休になる。
そして、今年は日曜がくっついて4連休。
今日は、どこも「当然ながら」大混雑である。

私も毎年、5月3日はどこかに出かけている。
20年前は、中仙道の奈良井宿を旅した。
前日までの雨が上がり、
鬱蒼とした信州の山々に、宿場町は静かに包まれていた。

「木曽路はすべて山の中にある」
島崎藤村 『夜明け前』 の一節そのものだった。
タイムスリップしたような、宿場の旅籠や看板。
そして、宿場の末端からは、中仙道は峠道になる。


数年前、東京の会合で、
木曽福島町の商工会関係の方とお会いした。
「奈良井宿も変わってしまったでしょうね」と私が聞くと、
「いえいえ、全然変わってないです」と答えが返ってきた。

ちょっと嬉しかった。
地元の方々の努力が、歴史を守っているのだろう。
「冬の奈良井にもぜひ来て下さい」
そう言われてから、なかなか行く機会がない。


10年前の5月3日は、
碓氷峠を越えて、日本海へと旅した。
この年の秋、長野新幹線が開業、
信越本線は廃止となる。

私の乗った「あさま1号」が、新井(新潟県)に着いた時だ。
改札口で、思わず身を乗り出して手を振った老人。
その「おじいちゃん」目がけて、
あさまから降りた男の子がふたり、走って飛びついた。
連休の里帰りだろう。
ほほえましい光景だった。

今は、「あさま」といっても、新幹線だ。
新井に行くには、必ず乗り換えなければならない。
あのおじいちゃんと、二人の男の子はどうしているだろうか。
今日で、あの日から10年になる。


そして今日・・。
私の二人の子供は、妻の実家へ。
「おじいちゃん」の家に遊びに行くのだが、
単に、親の目を離れてTVゲームをしたいだけらしい。

そして私は、家でこの記事を書いている。
どこへも出なかった5月3日は、記憶にない。

それぞれの休日。それぞれの思い出・・・。
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桜の下の思い出

2007-04-02 17:32:25 | 懐しい話
東京は桜が満開である。
昨日の日曜日は、汗ばむほどの陽気になり、
近所の公園の桜並木でも、大勢の花見客で賑わった。

その様子を見て、ふと思い出した・・・


18年前。
私は当時、合唱団のサークルに入っていた。
まだ、入団して半年ほどだったのだが、
春の声を聞く頃の話である。


その団では毎年、花見をするのだが、
皆、とにかく場所取りをいやがって、
いつも同じ人に任せている、という話を聞いた。
その人も、もう降りたいらしい。

私は迷わず手を上げた。
「場所取り、やります。最高の場所を取ってきます!」


東京・井の頭公園。
全国でもお花見のメッカである。
私は、ブルーシート三枚を抱えて、
始発の電車に乗って、井の頭へ向かった。

すでに、あちこちに敷物が敷かれていたが、
私は、大きな桜の木の真下を確保して、
三枚を目いっぱいに広げて、
大の字になって、仲間を待った。


当時、私は独身である。
同じく、独身の仲間が、男女問わず、
まだ開始前の、早い時間から集まってきてくれた。

「まあ、一杯やってようよ」と酒を持ってきてくれた男性。
「はい、差し入れ」といって、暖かい甘酒を作ってくれた女性。
聞くと、毎年始まる前から、そんなに集まることはないという。
私が快く手を挙げてくれたから・・らしい。

嬉しかった。
しばらく、独身の仲間と「プレ花見」。
やがて、団長さんや年配の人たちがやってきて、
花見は盛大に開かれた。

「今までで、一番いい場所だったよ」 「最高だったよ」
感謝の言葉を戴き、恐縮しきりだった私。
でも、花見そのものより、
独身仲間といたプレ時間が、かけがえのないものとなった。


始まる前に、おにぎりやおかずを一通り、
持ってきてくれた女性がいた。
彼女は、それだけ置いて、私に「頑張ってね」と言い残し、
そのまま仕事へ向かった。
日勤の看護婦さん。 この日は、残念ながら仕事だった。
しかし、私が場所取りと聞いて、差し入れを持ってきてくれたらしい。

お菓子の袋で手を切った仲間(男性)がいた。
それを見て、すかさずバンドエイドを巻いてあげて、
しばらく手を握っていた女性がいた。
「え・・? この二人って・・」


その年の夏、ふたりは結婚した。
団員の、誰も気付かなかった。


そして・・、差し入れをした看護婦さんは、
私の、今の妻である。


18年前の、桜の木の下には、
いろいろなドラマがあった。
この時、「プレ花見」を楽しんだメンバーのうち、
三組が、その後夫婦となった。


とかく、暗いイメージのある「花見の場所取り」だが、
私には、桜のピンクと青いシートと、
真っ白なおにぎりの色が、
仲間の思い出とともに、鮮やかに記憶されている。
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蚊帳

2006-06-16 16:34:46 | 懐しい話
今日、蚊に刺されてしまった。
この夏、初めてだ。

蚊から、ふと「蚊帳」を連想した。
昔、山梨の親の実家に遊びに行くと、あった。
ひと部屋に一つ。
まだ幼稚園児だった私。それが何かはわからなかった。

「かや、といって蚊が入って来ないんだよ」
今は亡き祖母が教えてくれたのだが、
蚊よけ、といわれてもピンとこない。
とにかく、寝る時間になると、あっという間に張られていた。
というか、「吊られていた」という記憶だ。

だから、私は今でも張り方などわからないし、
蚊よけの効果があったかどうかも、定かでない。
その後、この実家も「ブタの蚊取り線香」を経て、
電子蚊取りマットに代わっていった。

この実家には、他にも「五右衛門風呂」があったり、
出始めたばかりの「電子卓上計算機」があったり、
ジュースの素、ツマミ調節のカラーTV、魔除札・・。
庭では、小さかったがブドウの栽培までしていた。
昭和40年代の、田舎そのものだった。

今、子供達が夏になると、妻の実家に遊びに行く。
あちらの実家は団地の二階だ。
子供達は、TVゲームをして過ごしている。
「新鮮な古いもの」は、見当たらない。
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回顧熟語(なつかしいこうこく)

2006-05-24 11:16:00 | 懐しい話
手元に、時刻表がある。
1972(昭和47)年10月号という古いものだ。

私は鉄道の旅が好きだが、
子供の頃から、この「時刻表」を見るのが大好きだった。
鉄道好きな少年なら、今も昔も
まず間違いなく使いこなせる「バイブル」。
実際に乗る、乗らないは別だ。

先日、わざわざ古本屋に行って、
この1972年の時刻表を手に入れた。
今では、2000円もする。
当時の、懐かしい電車や時刻を見たかったのももちろんだが、
もう一つ、気になるページがあったからだ。

裏表紙の、キリンビールの広告。
この当時、毎号のように載っていた広告だが、
そのシンプルで胸を打つ文と写真は、
時刻表の中身以上に、インパクトがあった。

  逃亡雑踏 とかいをぬけだして
  夕焼鈍行 きしゃははしる
  孤独三昧 みがるなひとりたび
  美味麒麟 いのちのせんたくだ

この文字と、フタが大きく3個並んだ写真。
古い電車の思い出とともに、
この広告もまた、私の中に残る。

最近、雑誌の内容とその広告に関連性のないものが多い。
旅行雑誌でも、音楽雑誌でも、スポーツの本でも、
掲載されている広告は、商品を大きくPRしたものばかり。
キリンビールも、残念ながら今は然りだが。

当時の、国鉄「ディスカバージャパン」とともに、
心に残る旅の名文だと、今も思う。
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10円はどこへ?

2006-03-20 10:33:33 | 懐しい話
「10円はどこへ?」
私が子供の頃読んだ、クイズの本にあったものだ。

ある店で、客が300円の品を買った。
しかし客が帰ったあと、店長は、その品が250円だったことに気づく。
そこで、店員に10円玉5枚を持たせ、「お客様にお返しして来なさい」

店員は客のあとを追ったが、途中で立ち止まる。(待てよ・・)

(お客様は本当の値段を知らないのだから、ちょろまかしてやろう)

店員は客に追いつく。
「お客様、先程の品は270円でした。30円お返しします」
「おお、ありがとう。270円だったんですか」

店員はポケットに、ちょろまかした20円をしまった。

・・あれ!? 品物が270円、店員の儲けが20円。
じゃあ、10円はどこへ行ってしまったのかな・・・?

まったく単純な答え。大人の今では、何の疑問もない問題だが、
これをなかなか理解出来なかった私。
昔から数学には弱い。でも、商人をやっている。
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