17月18日
パイユ発 6時
標高 3785m
コボルツェ着 15時5分 (9時間5分)
気温 18〜28度
快晴
pm 84
朝食を済ませるとキッチンテントが即畳まれてすぐ出発で、バルトロ川の右岸を1時間15分程歩いて行くと氷河の先端に到着する。この先は広大な氷河上のモレーン歩きとなり、20〜50mのアップダウンがこの先延々と続いて果てしない旅が続く。
暫くするとパイユピークの次にトランゴ山群とカテドラル山群が姿を表し、その後ブロードピークの西面の全貌が現れる。
一時、k2の山頂も見えたが雪煙の上がった山頂は強風の様で、昨日、セヴンサミット隊が首までの猛ラッセルの末シェルパ5名が登頂した様だが、後に続いたヨーロッパ混成隊を含めた第2次アタック隊はどうなったのか。
相変わらずロバの隊列が往来してうるさい位だが、ロバの中には途中の渡渉に失敗して溺れそうになったりで、ロバ使いのオッサンも意外と楽では無い。因みにこ迄の3日間でロバの行き倒れが3頭あった。
モレーンの中だと午前中気温が25℃位まで下がって歩きやすいが、午後の陽ざしの強さは何ともならず体に堪える。
7月19日
コボルツェ〜ウルドカス
気温 12〜42℃
曇り 午後から快晴
コポルツェ発 6時10分
標高 3994m
ウルドカス着 10時5分(3時間55分)
標高 4240m
pm 87
本日は4時間の行程で標高4240mのウルドカスを目指す楽勝の日で、朝は涼しく体調も良く歩きも快調。しかし、余りにも多いロバの糞と蠅の多さには閉口物で、乾燥した粉塵となって肺に吸い込まれているのは間違いない。特に、パキスタン陸軍の燃料(中国・インドの国境付近の冬季間駐留キャンプの燃料)輸送量は膨大だ。タンクは使い捨てなのかそこら中に空き缶が散乱しており、ガイドのベイグさんはバルトロの環境破壊の元凶はパキスタン陸軍だと言っていた。
後続メンバーの1人はガイドに荷物を担いでもらい、ようやくペースが上がって来たが今一つ本調子ではない。左岸に掛かる氷河を2ヶ所通過すると、小高い丘に緑が散在するウルドカスに到着する。
キャンプサイトから見える光景は実に素晴らしく、パイユピーク、ウリビアフォー、グレートトランゴやトランゴタワー、カテドラル山群が対座する。
残念ながら珍しく天候は下り気味の為薄曇りで、絵に書いた様な青空と白い雪や大岸壁のコントラスト有るショットを狙うのは難しい。しかし、テントサイトで気持ちよく過していると気温は急上昇し、午後2時頃の温度計は42度を指していた。
夕方になると10m離れたキッチンテント内の圧力釜が大爆発。一瞬、岩雪崩かとみんな狼狽えたが幸いテントは無人で怪我人無しで済んだ。
キャンプ地のパイユ対岸のリリゴピーク(Liligo Peak:5,600m)
パイユピーク (6610m) ナジールさんが登っている。ルートは左の斜面から。
パイユ付近から見るロブサンスパイヤー
いよいよバルトロ氷河の舌端が見えてくる。距離感と時間の感覚が麻痺する。
慣れないモレーン歩きは結構疲れる。
ポーター1人当たり15~25㎏の荷物。それ以外にポーターの食料・生活用具を担ぐポーターが必要。
ロバは60~80kg程。夥しい馬糞が残るので又の名を馬糞街道とも呼ばれている。
雪の載った右手はウリビアホー(Uli Biaho:6,417m)
コボルツェのキャンプサイトからみるカテドラル山群。
キッチンテント(黄色)と食堂(赤い屋根)
トランゴ山群が姿を現す。左奥がトランゴタワーの山頂。
雪の載った右手はウリビアホー(Uli Biaho:6,417m)
ウリビアホー(Uli Biaho:6,417m)
手前がグレートトランゴ 6237m その右奥がトランゴタワー 6239m
ウルドカスのキャンプサイト。
ウルドカスのキャンプサイト。ここで隣りのテントで圧力釜の大爆発事件があった。
1日の歩きが終わるとなぜかヌードル入りスープとスパゲッテイが出てくる。
疲れているし量も多くとても食べられないが、残りはスタッフへと流れてゆく。
チリソース入りのナポリタンのようなもの。美味かったが、1週間も食べ続けるときつい。
野菜は種類・量共に豊富だった。
鶏は次々に潰されて美味いチキンカレーとなる。
カリフラワーと鶏肉の炒め物。美味い。
デザートはマンゴー。パキスタンのマンゴーは結構いける。