東北アルパインスキー日誌 ブログ

東北南部の山での山スキー、山歩き、山釣りなどと共に、田舎暮らしなどの話を交えながら綴っています。

朝日連峰 障子ヶ岳東面の記憶 1974.07

2016年08月19日 | 沢登り

       

すっかり遠い記憶に残る山行記録に一つですが、1974年7月の投稿記事を拾ってみました。いまとなっては田舎者の何か恥ずかしいような記事ですが、その当時の「岩と雪42号」に掲載された東北では珍しい記録かもしれません。

42年前の話なのでその当時は20歳の若造で、入って間もない社会人山岳会の使いぱっしりのど素人で、学生で暇だけを持て余した身としては何か面白そうな話に思えました。当時は翌年のヒマラヤ遠征を控え、地味な地域研究という訳でもなく極地法のトレーニングと思ってやっていた。

リーダー格の人物は1973年2月黒伏山の中央ルンゼの冬季単独初登攀者の相沢氏で、持ち前の強いクライミング志向こだわり、下部の沢筋には全く興味がなく東面のスラブ帯のみに目標が絞られていた。自分も弟子のような身分だったのでただ追いていった。

重いキスリングにバカでかい圧力釜を括り付けて荷揚げし、障子ヶ池にテントを張って1週間を過ごした。フィックスロープを張って下降路として取り付点にたどり着き、花崗岩の快適なスラブ群を自由気ままに登っていた。

食事はボウフラがわきそうな池の水でコメを炊き、昼は弁当にふりかけのみという貧民暮らしも今となっては良い思い出。酒も余りなくてよくやっていられたものだと思う。

その当時はドタ靴(ビブラム底の革靴)が当たり前で、今のクライミングシューズ感覚と比べればルートは低いグレードだが、誰の手つかずの岩肌に痕跡を残せたのは今となっては贅沢な環境で、自己満足の世界を味わえたのもい今思えば貴重な思い出。

今でも首都圏で人気の御神楽のスラブ群と違ってアプローチが悪く全く無名な存在で、登山の価値観も様変わりしてクライミングの対象になりえなかったのは残念だが、沢登りの世界として考えるとその対象は総合技でお勧めです。

南俣沢出合から大井沢川を遡行して障子ヶ岳東面の取付き点に達し、フリクションを効かせてスラブを登り切って日帰りで帰着するコースは結構な手ごたえ有りで楽しめます。途中、1か所左岸の高巻きが面倒ですが、足並みのそろったメンバーでルーファイさえ間違えなければ快適に行けると思います。

大井沢川~障子ヶ岳東面スラブ 2007.09.30

http://alpaineski.sakura.ne.jp/syoujigatake2007.09.html

 

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沢屋天国宮城と沢屋王国山形 2014.10.16

2014年10月15日 | 沢登り
最近ご無沙汰している沢登りなのだが、今シーズン久しぶりに二口の小松原沢を訪れた。42年前地下度足袋の出で立ちで最初に訪れたのがこの沢だが、何度訪れても良い沢だと実感する。

二口特有の美しい岩床と滑滝が連続した後、適度なゴルジュの先にはお手頃な滝が出てきて楽しく、上流部にかけては狭いが40m程の3~4段ほどの大滝が登場して緊張感もあり、最後は美しいブナ林の源頭を詰めて稜線に至る。日帰りコースの短い沢だが沢登りの要素が凝縮され、比較的手軽で快適に沢登りを楽しめるお勧めのコースだ。

仙台に住んでいると余り気が付かないのだが、沢屋にとって全國的にも恵まれたポジションにいると実感する。一時首都圏の山岳会に在籍していた事もあるがが、夜行日帰りをしようと思えば2:00頃現地に到着し、3時間の仮眠をとって早朝の出発で遡行を始め、夕方に登山を終了すると自宅への帰着は12:00PM以降という有り様。

それと比べ、仙台を起点にすれば二口・船形・蔵王・栗駒・虎毛・神室は殆どが日帰り又は夜行日帰りの遡行が可能で、初心者~中級・神室などの上級レベルの沢と選べるエリアが広く、それぞれの山域の特徴が異なる沢の世界が広がる。

山屋の世界に飛び込んだ40年ほど前の仙台では社会人山岳会の山行の主体は沢登りと冬山で、入会すると二口に連れて行れて沢デビューを果たすのが定石で、それぞれ会の志向により対象となる山域は異なってくる。特に沢専の会ではないが沢のスペシャリストが多数存在し、わずかに残された開拓的な志向を持ちながら精力的に活動していた。ただ、アルパイン志向の強かった自分のように沢登りに名を借りた宴会遡行の愛好者も多かった。

その後沢屋人口は次第に少なると共に山岳会が衰退期に入り、登山学校的な役割を果たす使命が失われてしまい、連続した世代交代が断ち切られてしまった。特に、飯豊・朝日などの上級レベルあるいはエキスパートを目指す空気が失われ、層が薄くなって全体的なレベルは当然下がってゆく結果となる。

時代の変化と共に登山の形態も変化・多様化し、フリークライミングが大きな潮流となった事以外に、自転車・カヌーなどもクロスオーバーする世界となった。かつての沢屋といえば、汚い・きつい・危険という山屋3Kの代名詞で、身なりは薄汚れて貧乏臭く酒好きでうるさいというのが通り相場で、そのくせ内心プライドは高くひねくれ者も多かった。

しかし、最近の事情はえらく異なり、最先端の装備とファッショナブルなファッションで身を固め、沢の中がまるで明るくなったかの様な変遷を遂げ、少しづつでも沢を目指し方が増えて来たのは嬉しい気もする。

この中から飯豊・朝日の困難な沢を目指す方も再び現れるのか興味深く、せっかく身近に存在する沢王国の山形の恵まれた環境に目を向けて頂きたいと思う。深い雪渓に埋め尽くされた深いV字谷は急峻なスラブと難儀な草付きの突破が必須で、短い沢でも楽して突破させてもらえる沢は少い。また、秋まで残る不安定な雪渓は遡行をより困難なものとし、時としては果てしない高巻きを強いられる技術・体力・経験がモノを言う世界だ。

あまりグレードの高い沢はやっていないので言えた身分ではないが、自分ももっと早くこの魅力に気がついていれば別の山屋人生を送っていたかも知れない。



神室連峰 大横川左俣


朝日連峰 角楢下ノ沢


朝日連峰 高松沢


朝日連峰 障子ヶ岳スラブ


焼石連峰 尿前本流


船形連峰 佐々木沢


神室連峰 大横川 左俣


朝日連峰 祝瓶山 ヌルミ沢


朝日連峰 出合川 中俣沢


飯豊連峰 頼母木川 上の小俣沢


朝日連峰 入りソウカ沢


朝日連峰 入りトウヌシ沢沢


朝日連峰 野川 五貫沢


神室連峰 根の先沢


二口 小松原沢


栗子山塊 滑谷沢右俣 
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北アルプス 称名川 「称名滝」 単独で完登の記録 2010/10/14~15 

2011年07月03日 | 沢登り
大西さんのブログより

もう7カ月以上も前の記録ですが、大変興味深いクライミング(沢登りとは趣が違う)を拝見してご紹介とします。

最近の書店の雑誌コーナーをの覗いて山と渓谷や岳人を探すとがっかりしてしまう。「山と広告」と言われ続けた山と渓谷はまだしも、長年のお付き合いの有る「岳人」が見当たらない。

専門雑誌を揃える仙台の丸善さんあたりなら別だが、通い慣れたtutayaさんなどはどこを探しても岳人誌は見当たらない。

「岩と雪」が休刊?してから久しいが、山屋界最後の牙城と勝手に思い込んでいた岳人誌は、今や某アウトドアショップで迷惑覚悟で立ち読みするしかなくなった。大変さびしい思いがします。

毎月購読すれば応援団の一員とも言えるでしょうが、恥ずかしながらたまに買う程度ではあまり大きな事も言えません。でも、記録の投稿では散々お世話になっていました。

今や書店にはファッション系の「山ガール」関連誌が平積みとなり、山専の店には20~30歳台の女性客が激増し、店の商品構成も中高年から「山ガール」へのあからさまなシフトが露骨に思える。そのせいで、山靴担当の店員さんなどは目が活き活きしているように見えましたが・・・。

話は横道にそれてしまいましたが、今回は北アルプス 称名川 「称名滝」単独完登の記録です。

25年位前の「岩と雪」だったら真っ先にグラビアで登場しただろうが、すっかり雑誌媒体から見放された様な記録がこれです。

以前に飯豊連峰の梅花皮滝を単独で完登された方の記録ですが、日本では最難関とも思える称名滝の単独登攀記録は、極限を極めたと思える価値の高いクライミングです。

今や沢登り人口は最盛期に比べると激減し、日本独自の価値ある文化が衰退するのはさびしい限りですが、その一方でこの様なハイレベルの沢屋さんが存在する事は明るいニュースでもあります。

我々のような凡人にとっては異次元の世界ですが、閉塞状況が満ち溢れた登山界では稀有な存在と思います。

画像はクライマーでなければ撮れない迫力があって実に美しく、本文も秀逸で何時もダラダラと駄文を書く癖のある自分とはえらく違います。

ただ、ちょっと今後が気になります。


北アルプス 称名川 「称名滝」
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飯豊連峰 滝沢完登 (梅花皮滝) これは単なる沢登りに思えませんが・・・・。

2010年12月09日 | 沢登り
世の中にはすごい人がいるらしいが、こんな方がいるとは驚きました。

沢屋さんの世界に片足だけつっこんでいる様な自分ですが、おかげさまですこしは
沢屋の生態は理解できるつもりです。

その生態とは?

山屋さんの様なロマンチストは少なく、ひどく現実的で実社会を引きずりながらエネルギーを蓄え、盲目的に自己実現の為の苦労はいとわない。

宴会は必要不可欠で、山と酒の天秤棒は常に吊り合っている。

何時も身なりは汚く(ドロまみれ)時間的にはルーズで、夜遅く山小屋にたどり着いてひんしゅくを買う。おまけに密かに宴会を始める。

山の中では常にエネルギーを放出しているが、実生活の中身は余り良く分からない。

これは冗談半分、あるいは自分の事ですが、沢屋さんの世界というのは一種独特の世界で、その中で自己完結している雰囲気はありです。


そんな沢登りの業界?ですが、全く当てはまらない様な方がいるようです。

「SOROIST」

http://members3.jcom.home.ne.jp/soloist/record/kairagisawa.html

数ある記録の中で、2010/9/9~11 2泊3日で飯豊連峰の梅花皮沢(滝沢)を単独で遡行し、おそらく飯豊連峰でも最後まで未踏を誇った滝沢の完登ではないかと思います。

梅花皮滝はかつてわらじの仲間パーティーが初登したとされており、その後、会津山岳会パーティなどが後に続いたといわれています。

しかし、梅花皮滝に続く滝沢の上部を完登したパーティーはないようで、鋭く切れ込んだゴルジュに阻まれ、大きな滝が行く手を阻んで侵入者を拒んでいたようです。

大きな理由は雪渓が遅くまで残っていることにあり、今年の酷暑の年はまさに雪渓が少なく、千載一遇のチャンスだったのかも知れません。

この方は大西良治さんと言う方ですが、かつてはアルパインクライミング・山スキーなども経由し、今ではボルダリングと沢登りに落ち着いた様です。

極限的な単独の沢登りと思いますが、今年の10月14~15日にはあの称名滝を登っているようで、記録の発表が楽しみです。また、記録と画像も秀逸です。

飯豊連峰の沢は一度かじっただけで余り言えませんが、ギャラリーとしては実に興味深い記録です。


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二口 翆雲荘事件 (36年前の懲りない面々) 東北 沢登り

2010年08月26日 | 沢登り
                  
                     こんな静寂な世界には不似合いの面々。

先日、36年ぶりに訪れた二口の小松原沢だが、翆雲荘を通過しなかったのは残念だった。この木造平屋の古い建物は、かつてブナ林が伐採されていた頃の営林署の小屋で、今でも登山者には解放されている。当時は小屋近くまで車の乗り入れが可能で、山屋連中の宴会場としても利用価値が高かった。

当時所属していた山岳会は仙台では珍しい個人山行主体の会だが、2か月に1回の定例山行と11月の富士山雪訓が数少ない会の行事で、目的の大半が宴会にある事は常識だった。当然酒が入れはボルテージは上がる一方で、一升ビンが何本か空になる朝方まで騒いでいるメンツが必ずいた。

ここで悲惨なめにあったのはたまたま一緒になってしまった登山者で、その雰囲気には文句の一つも言えず眠ったふりをするしかないのだ。言わばまったく座敷牢状態で、その牢名主は大体我々が務めていた。何時から小屋の消灯時間が決まったか知らないが、その当時は声のでかいやつがこの世を制していた。

そこで登場するのがS氏&T氏で、当初は陽気に騒いでいるだけだったが、自分が酔いつぶれて寝込んだ後の深夜、突然の物音に目が覚めてしまった。「コノヤロー!」「テメー!」という大声と、顔面にヒットするパンチの音。途中で何発かの蹴りが入った模様で、「表に出ろ!」とどこかの三流ヤクザ映画のセリフが実にチープだった。

片方のT氏は80kg位はある巨漢で、一人で乗用車を持ち上げて移動したのを見た者がいる。手の平はまるでグローブの様な大きさで、まともにパンチを食らったらただでは済まないだろう。

一方のS氏はというと、細身の体でチョップや回し蹴りが素早く、結構見栄えのするいい勝負だった。決して人柄は悪くはないのだが、何かと人にけしかけて挑発する癖があり、過去にも定例山行で同じ様な対局があったらしい。

ここで災難を被ったのは地元大学のワンゲル部の皆さんで、その勢いに圧倒されてかシュラフから出られない状態で、只々無言の状態で実にお気の毒だった。結局、場外乱闘の結果はドローとなり、ぶち抜かれた板戸がそのすさまじさを物語っていた。

翌朝は二人とも顔に青タンを作って腫れ上がっていたが、何事もなかった様な雰囲気で朝飯を済ませ、特におめでたいS氏は殆ど記憶が無い様だった。結局、沢の中でもどしながらも小松原沢を登り切って南沢を下降し、何時もの様に仙台に帰って行った。

※なお、お断りしておきますが、私たちは決して極左・極右の暴力集団ではなく、この点を除けば善良な市民です。 しかしこの二人、33年も経った後のOB忘年会で、まったく同じ事を繰り返すのでした。

ここで被害に会われた皆様方には深くお詫び申し上げます。今頃遅いですが・・・。


※二口  小松原沢左俣(小松倉沢)2010.08.22




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沢屋と釣り師との関係  東北 沢登り

2008年08月16日 | 沢登り
夏になると山から遠ざかってしまい、何処かストレスの発散場所も無い鬱陶しい日々が続く。毎年の事なのですっかり諦めてはいるが、今頃になると気になるのが飯豊・朝日連峰などの遡行情報で、今年の天候・雪渓の状態ではどんな成果が上がったのか?何処の沢にどのパーティーが入ったのか?このエリアを狙いそうな沢専の会のサイトを覗くのが小さな楽しみでもある。

ところで、前から少し気になっていたのが「釣り師」と「沢屋」の関係で、この呼び方にどういう意味が有るのか興味があった。「釣り師」と似た言葉に「釣り屋」という言い方をする場合も有るが、「釣り師」自身は一般的に自分を「釣り屋」とは呼ばない様だ。
また、逆に「沢屋」(沢登り愛好者)と呼ぶが、「沢師」と言う言葉は無く、殆どの人は自身を「沢屋」と呼んでおり、十羽一絡げで「山屋」と自称している人もいる。

この「釣り師」には何か尊大な意味が有りそうに思えるが、同じフィールドで遊んでいる「沢屋」からすれば少し違和感を感じるのは私だけか?おそらく「沢屋」「山屋」とは謙遜を込めた自称であり、例えば山登りをする人が自身を「登山家」とは言わない様な意味合いがある。「登山家」となれば小西政継・山田昇・ラインハルト・メスナーのような伝説の人物、または著名なプロ登山家をイメージする様に、我々「山屋」レベルとは隔絶の感がある。少なくても自分の周りには「登山家」などと称される人々は皆無だ。つまり、「おれは山屋だ、文句あっか?」で良いのである。

私は思うのだが、同じフィールドで遊ぶ者として釣りをする人々は「釣り屋」または「釣り人」と呼んだ方が良く似合う。その目的・価値観は違っていても同じ渓を活動の舞台とする者であり、同じ様に社会的な貢献度の低い(殆ど皆無だが)趣味の世界で生きる人々である。

また、この「釣り屋」という呼び方にはまた別の意味がある。この「釣り屋」という言葉を使うのは「沢屋」の方で、釣りをする人々に対する多少侮蔑的なニュアンスが含まれているからだ。
「あいつらは沢をゴミだらけにして後始末をしない」、「あいつらは岩魚を乱獲し、モノを取る事しか眼中に無い」。この2つが昔からの最大の対立点であり、「沢屋」から見ると全ての釣りをする人々にそれを当てはめてしまいがちである。
確かに日帰りで楽しめる様な人気の釣り場はゴミに溢れ、解禁当初には一番乗りで山奥のポイントにたどり着き、まだ深い雪に覆われた深い釜の中からサビてやせ細った岩魚を釣り上げ、毎年お土産と称してごっそり持ち帰る懲りない面々もいる様だ。
持ち帰って鮮度が落ちた岩魚を食べる位なら、スーパーで買ったカツオ、サンマの方が旨いし、元々少ない川虫・昆虫果ては蛇・ネズミ等の悪食の魚と、エビ、カニなどの豊富な餌で育った海の魚とでは雲泥の差がある。

しかし、自分では釣った岩魚を現場で食する事に抵抗感は無く、むしろ釣った岩魚を美味しくかつ無駄なく頂くという事に徹し、岩魚は現場で食する分だけの殺生に留める事にしている。こういったスタイルは今や山釣りを専門とする釣り人の殆ど共通のマナーであり、確固としたマナーと遊びのスタイルが確立した人々の共通の「啓蒙」に追うところが大きい。それは困難な遡行を終えてビバークサイトでようやく竿を出し、今夜の僅かな酒の肴を求める「沢屋」の気持ちも同類だろう。

ただ、「沢屋」には伝統的というか根底的な意識として、「沢屋」には同じフィールドで遊ぶ者として一つランクが上だという意識が透けて見える。魚止めの滝から先に興味の無い「釣り人」とは異なり、その先の困難な滝の直登やゴルジュの突破・高巻に最大の価値観を持つ点で、そういう意識を持つ理由にも道理がある。
しかし、元々釣りと沢登りでランクの上下などは有る筈も無く、比べる基準そのものが存在しない。
そういう意味で一部の釣り人を見て全ての釣り人を十派一絡げにし、未だに「釣り屋」と蔑称してしまう「沢屋」の意識も低いとも言える。釣りの解禁時頃だけ岩魚釣りを行い、鮎釣りからヘラぶな釣りなどがメインの日帰り「パートターマー渓流釣り師」等とは異なり、マナーに厳しい組織された山釣りグループも少なくない事も知るべきである。

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2007年 沢登りの顛末

2007年10月29日 | 沢登り

 今年度沢登りの総決算と言う程のものではないが、今シーズンは湯沢スラブでのつまずきから始まり、所用で2回のドタキャンを含めてあまり山に行けず、大きな成果の無い年だった。沢では山スキーのような未開拓コースは少なく、日帰りコースであまり人の訪れないような、未知の要素を追い求めようとしても難しい。 
 
 今年は登り損ねた朝日連峰、祝瓶山のカクナラ沢と、飯豊連峰の胎内川こそメインイベントのはずだった。しかし、後で聞いてみれば共に難儀な沢で、カクナラ沢ではゴルジュ内に凝縮された滝の連続に行く手を阻まれ、胎内川~本源沢では全て露出した滝壺の激流に翻弄されらしく、話を聞くと私などは正直な所「行かなくて良かった」と安堵している次第。今更5級の沢などを勢いで登れる程甘くはない。

 
      障子岳 中間リッジ~第2スラブ


           祝瓶山 コカクナラ沢

 しかし32年ぶり障子岳東面スラブを訪れる事が出来、思い出深い実にご機嫌な日々でもあった。障子岳東面スラブは最近は殆どトレースされていない様だが、10月の雪渓のない時期、大井沢川を遡行してからの完登となるとボリュームも有り、日帰り山行としては充実感に満ちている。もっとも、6月頃なら雪渓を詰めてもっと楽に取り付けるが、場合によっては中間リッジをブッシュを支点に取りながら懸垂で下り、スラブ群だけ快適に攀じるというのも良いかも知れない。50mロープなら6~7回位で取り付き点に達するだろう。

 また、記録が見られない祝瓶山南面のコカクナラ沢をトレースしたが、考えてみれば未知のコースの遡行程贅沢な沢登りもないと言える。祝瓶山の沢といえば南面の金目沢・西面の角楢下ノ沢がメジャーだが、ヌルミ沢・コカクナラ沢・カクナラ沢も決して負けてはいない。標高こそ低いが東面は山頂から鋭く切れ落ち、豪雪の朝日連峰を物語るような、深いゴルジュと磨かれた美しいスラブで構成されている。コースはピラミダルな山頂に突き上げる独特な雰囲気で、小粒だが朝日の沢の要素が凝縮されており、登攀系を好む沢屋さんには是非お勧めしたい沢だ。

 飯豊、朝日連峰の沢には首都圏から沢のエキスパートが訪れるが、残念ながら地元の沢屋さんを見かける事はまずない。自分たちのような中年沢屋も普通じゃないが、沢王国の山形県で沢登り人口が少ないのはやはり寂しい。

※カクナラ沢は10年前にわらじの会が遡行記録(西の沢)を発表しており、長井山岳会の方も2003年に遡行しているようです。    

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「朝日連峰水源の沢」

2006年10月19日 | 沢登り

先週、天童のアウトドア用品店「マウンテンゴリラさん」に立ち寄り、「朝日水源の沢」という1冊の本を買い求めた。この本の著者は日本を代表する沢屋さんの宗像兵一さんという方で、山岳雑誌「山と渓谷」や「岳人」の沢の記事によく登場する著名な方です。私は残念ながら面識が有りませんが、東京で沢登り専門の社会人山岳会「逍遥渓稜会」を立ち上げ、およそ30年に渡り朝日連峰の沢を極められた方です。現在は沢登り専門学校の「渓友塾」を経営されている様です。

本の内容は朝日連峰の沢登りの記録の集大成ですが、まず手に取ってみた時の分厚くて重い感触、そして開くとその記録数の膨大さと充実した記録、そして実に詳細な遡行図の数々に驚かされた。本は367ページに及ぶ内容で実に106本の記録が有り、豊富な写真と遡行記録には圧倒されてしまいました。今回は400部限定の自費出版という事ですが、構成も立派で流域の分類も解り易くて読み易く、全体的に実に丁寧な創りの本だと思います。頒布価格は¥3000となっていますが、この内容では某有名出版社なら8000位を付けてもおかしくはないと思います。店主に話を聞いてみたところ入荷した10部は私で完売してしまい、意外な事に沢登りをされる方以外のお客さんが多いとの事でした。

今まで朝日連峰沢登りの単行本での記録集はおそらく無く、白水社の日本登山大系の記録などを参考にしていた方も多いと思います。事実自分でもそうだったが、ただこの記録は下部本流筋の記録は無く、稜線から下降して上部の詰めの部分だけを登った記録で、本来の沢登りの記録とは言えないところが有る。しかも大雑把で正確さを欠いており、記載されていないゴルジュや滝なども出てくる。おそらくまだ雪渓の豊富な時期の遡行だったのではないだろうか?

朝日連峰、飯豊連邦は山域が実に広大で、沢登りの対象となる沢は膨大な数に及び、その主要な沢を踏破するだけでも、並外れた努力とモチベーションそして組織力が無ければ不可能だ。常に意欲的な新人を鍛え上げ、ハイレベルな遡行を実践し続ける事は、よほど多くの沢屋さんを魅了する実力と人望があったと思います。自分のようなアルパインクライミングからの転進組にはとても及ばない、スペシャリストとして沢に対する深い畏敬の念と誇りが感じられます。そういう意味では「朝日の沢の金字塔」または「朝日の沢のバイブル」といっても決して言い過ぎでは有りません。

それにしてもこれほど「記録の重要性」を感じるのも他に有りません。これほど詳細で正確な記録を残すとなると、大変な手間と膨大な時間を要します。出版まで6年余りの年月を掛けたそうですが納得です。
一般的に記録を残したりする事が不得手だったり、その発表のに抵抗感を感じる方も少なくない様です。しかし記録は単に自分自身の日記という意味だけではなく、読者に情報、感動、競争心を与え、何がしかの影響力を持つはずです。読む読まないは本人の勝手ですが、最近のネット社会では書く人より読む人の方が関心が高く、また読まれる機会も多いのではないかと思います。特にネットでの情報量の少ない東北の沢の記録はなおさらと思います。そういう意味でより多くの方の記録を期待したい。自分など遠く及びませんが、山屋としてこの様な記録の集大成を残す事は理想であり目標としたい所です。

ただ、個人的にはあまり記録が無くて人の入らない、期待と不安、そして意外性が支配する沢登りの世界が気に入っていますが・・・。


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沢屋天国の仙台

2006年09月08日 | 沢登り

毎年この時期すっかり山は遠ざかってしまい、月1回の沢登りだけは死守しょうとしたがこれも次第に危うくなって来た。今年の夏は雨が少なくて水量の少ない沢は迫力に欠けるが、むしろ朝日山系のエリアなら雪渓も落ち付いてきてむしろ登り易いかも知れない。

しかし最近の沢を歩いて思うのは他のパーティーに会う機会が少なくなった事だ。自分らで選んだ沢は比較的ポピュラーな沢で、ひどく困難な沢でもなくまたアプローチにも恵まれている方だが、沢の中で他のパーティーと出会う事は少ない。静寂を好む私としてはむしろ喜ばしいのだが、でも殆ど人気の無い沢も何か物足りない。原因はどうも沢屋サンの人口が以前と比べ少なくなった事と、情報不足の為か特定の沢のみしかトレースされない為だと思うのだが。

20~30年ほど前の山岳会では沢登りは必ず教育プログラムに有り、岩登り(アルパインクライミング)、冬山、山スキーが必須の科目だった。例えば仙台の山屋さんは春の鎌倉山での岩トレに始まり、夏の沢登り、秋は黒伏山、猿岩などのクライミング、冬は山スキーという様な年間スケジュールが常識。つまり沢登りは山岳会の活動の基盤をなす要素であって、逆に言えば会山行という名目の半強制的な山行スタイルだったし、またそれが当たり前と思っていた。つまり良くも悪くも会に入った限りは団体活動が当然で、勝手に好き嫌いを言える雰囲気では無かった。

したがって仙台での沢屋人口は多くて裾野も広く、あちこちの沢で他のパーティーと遭遇して賑わっていた。また今のよう極端に人気の集中する沢もなく、各自の技量とメンバーの編成により幅広いエリアに活動の場が有り、また地域研究などでクリエイティブな活動を行う山岳会もあった。

でも最近は時代の変遷と共に様変わりし、フリークライミングあるいはインドアクライミングなどの選択肢が増え、沢屋サンは次第に少数派へと転落していった。特にフリークライミング志向の強い人のには、滑る岩、泥まみれで不安定草付き、鬱陶しい薮との格闘は嫌われ、最初から相手にされない雰囲気がある。それに伴って次第に高齢化が進み、一時は沢登り=中高年の世界というイメージさえあった。

まして沢登りはフリークライミング等と違い、気軽にスクールに入って始める事も難しく、また受け入れてくれるところも少ないので取っ付き難い。いまさら山岳会の門を叩くのも億劫だしまた山岳会も弱体化している。かつての沢屋サンは私と同世代位の方も多いと思いますが、現役を退いた後は後継者が育たず、世代間のギャップが開いたのだと言う気もします。勿論今でも活発な活動をしている全国区の有名な某山岳会も有るが、会報は出ている様だが残念ながらネットに流れていない。

残念なのは沢の持つ素晴らしさと感動を紹介する機会が少なく、特に若い方の興味を引くきっかけが無いのは残念です。特に東北に限っては山歩き系のサイトは多くなって来たが、沢情報を発信するサイトはまだ少ない。仙台などでは沢を登っている方は少なくないと思いますが、その割にはブログを初め記録を見ることは稀。自分でも沢山行が少ないのであまり言えた事ではないが、殆ど自己満足のつまらぬ記録でも何らかの参考になればとればとも思う。

考えてみればここ仙台は沢屋、釣師にとっては実に恵まれた環境だ。早朝に自宅を出発すれば日帰りには十分間に合う。蔵王、二口、栗駒、虎毛、神室、船形などの手頃な沢を初め、本格的な朝日、飯豊は高速を使わず2~4時間の距離。高速を使って北に足を伸ばせば焼石、和賀、白神なども苦にならないようだ。地元にいると以外に気が付かないがここは沢屋天国で、かつて宇都宮にいた時は時には仙台が羨ましいと良く言われた。

最近の東北の沢は地元勢が影を潜め、首都圏からの沢屋サンが一部の有名な沢に押しかけ、雑誌情報などには特に敏感になっているらしい。マイナーな沢を好む地道な会も有るようですが、有名な沢以外にもまだまだ素晴らしい沢が多く、もうちょっと情報を集めて頂きたいとも思う。そういう意味では元気な地元沢屋サンからの、情報発信力の優れたネットの活用を期待したいものです。

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今年の沢の様子

2006年09月01日 | 沢登り
今年の沢シーズン残すところ1ヶ月少々になり、あっという間に終盤戦となってきた。パートターマー沢屋の分際ではあまり語ることは出来ませんが、昨シーズンの大雪の影響が残った為か、何時に無く標高の低い地点から雪渓が出てくる。聞くところによれば飯豊、朝日の沢は沢屋、釣師共に敬遠され、入渓したパーティーは激減したとか。

また、沢の中にはまだ新しいブナの倒木が行く手を遮り、美しい沢の雰囲気が台無しになっている所も多い。膨大な量の雪がブナの木をなぎ倒し、本谷まで押し出した光景が想像できる。全体的に沢が荒れている様で、これが回復するのは2~年かかるのでしょうか?それと後半は猛暑の為か水量が少なく、先日の根ノ先沢でも何時になく迫力に欠ける印象を持った。

それとなんとなく岩が滑っている事が多い様で、これもこの夏の暑さの影響なのでしょうか?魚が釣れないのもその性?(強引なこじつけ)何でもかんでも異常気象の性にして気を紛らわしております。





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岳人8月号 沢登り特集

2006年07月26日 | 沢登り

最近の山渓と岳人を見比べてみると、岳人編集部の奮闘に軍配が上がる。最近になって岳人の編集長が替わったようだが、これだけでこんなにも読み応えが違ってくるものかと感心してしまう。山渓に対して岳人の発行部数がどれだけかは知らないが、毎月ワンパターン記事の山渓に対し、毎回ジャンルを替え、また違った視点から編集されている岳人は内容が濃い。

また、毎回同じような顔ぶれの執筆者とは異なり、知られざる影の実力者、殆ど情報が希薄な地方の山岳会、山屋さんの最新情報、記録など、意欲的な姿勢に共感を感じる。毎回1時間半の立ち読みで済ましている私は、あまり偉そうなことは言えませんが・・・。

その中で瀬畑雄三氏の特集が組まれていて興味深かった。山好きの方でこの方の名をご存知の方は少ないかも知れませんが、渓流釣り雑誌等には良く登場する方で、釣り関係者の間では特に著明で、いわば源流釣り関係者の間ではカリスマ的な人。この方は年齢66歳にしていまだ現役の釣り氏で、過去50年程に渡って全国の源流を歩き廻った、渓流釣り界の生き証人でもある。つまり当時山菜取りとかマタギしか入渓したことない沢、あるいは人跡未踏の源流などを、最初に歩いた沢歩きのパイオニアなのだ。

私はかつて宇都宮にいた時、地元の渓流釣りクラブに4年間在籍させてもらったが、瀬畑氏はこの会の創設者でも有った。幸いにして早出川で2回同行させて頂き、シーズンオフには茸取り&宴会で度々お会いしていた。この方今でも源流に入るとロープを引きながらトップで激流の釜に飛び込み、滝も先頭に立って乗り越えてゆく。テンカラ釣りでは古来の日光テンカラを今の様式に発展させ、卓越した釣りの技術はもちろんの事、経験から身に着けた奥深い渓、魚、山菜、茸の深い知識、実にシンプルで合理的な生活技術など、教わることは多岐に渡って素晴らしい。

例えば遡行スタイル。トレードマークの笠に修行僧のような様相、白いあご髭を蓄え、一目見てその人とわかる風貌。登攀用具のたぐいは殆ど持たず、腰には自転車のゴムチューブを巻き、足元は鮎釣り用の渓流足袋。懸垂下降は片手で操作できる独特の肩がらみ方式で、今時常識のATS、エイトカンそしてハンマー、ハーケンさえ持ち合わせていない。

生活スタイルといえば、コンロや燃料は一切持たず、飯盒を使って全て焚き木で済ませ、食料は小麦粉、生米、醤油、味噌、テンプラ油などの最小限度の調味料等のみ。つまり魚、山菜、茸などが全てのご馳走でありツマミでもある。

例えばビバークに着くと担いできたブルーシート(3.6m×5.4m)でコの字型の立派な家を作り、平らな石の上で釣竿を麺棒代わりに小麦粉でうどんを打ち、岩魚のガラで作った麺つゆで頂く。岩魚、山菜料理も多種多様なことは勿論、翌日は朝食で残ったご飯を酢飯にして持参し、昼は釣った岩魚で豪華な握り寿司を握って振舞う。ちなみに小麦粉1.0kgあれば一人で3~4日位過ごせると言う。実際ザックは驚くほど小さく、これは山行日数が長くなってもあまり大きさは変わらないそうだ。このスタイルはおそらく4~50年前と殆ど替わることは無く、渓の大自然を知り尽くした瀬畑氏でしかなしえない、独特の登山スタイルであり人生観そのものなのだろう。

この方は渓流釣り氏と思われそうだが、実は険相で知られる早出川、黒部の北俣川、または会津山塊など、開拓期には稜線まで詰めてとなりの沢を下り、また次の沢を上り詰めるというスタイルをとっていた。数多くの山越えルートを開拓し、今でも多くの釣り氏、沢屋が利用している。つまり釣り氏でありまた卓越した遡行者でもあった。今でも同行メンバー釣り氏が殆どだが、日本を代表する沢登りの権威の方とも広く面識が有り、沢屋関係者からも認知されている特異な方だ。

瀬畑氏の話を聞いているだけでその生き方に引き込まれて行き、素晴らしい別世界を共に旅している様だ。山登りでは辛いことも少なくないが、自分とは違った多くの人との出合が楽しいし素晴らしい。中には素晴らしい人格、人生観を持った方と出会うことが有り、自分の人生にも影響を受ける事もある。抜きん出た実力の方と出会うのは素晴らしいし、自分も少しだけでも近づきたいという気が起きてくる。

この方は初心者でも気軽に同行を共にする気さくな方で、日本全国には数多くの愛弟子が存在し、多くの人から尊敬され親しまれている。最近はすっかりご無沙汰しているが、頂いた自作の3本撚りのテンカララインは宝にして持っている。ただ、私のレベルでは6.0m(普通は3.6~4.5m)のラインで正確に飛ばす事など出来ず、息子さんから頂いた4.5mのラインを大切に使っている。

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