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東北アルパインスキー日誌 ブログ

東北南部の山での山スキー、山歩き、山釣りなどと共に、田舎暮らしなどの話を交えながら綴っています。

バルトロ氷河トレッキング 2019年 7月  No5 コンコルディア〜ブロードピークBC~k2BC〜コンコルディア

2019年10月30日 | ヒマラヤ

 7月22日

コンコルディア 休養日
4691m
気温 0〜15℃
天候 晴天
pm 84

今日の休養日は晴天に恵まれて素晴らしい撮影日和。目の前東側は頭上にそびえ立つブロードピーク、G4の巨峰群とこれを凌駕する抜きんでた高さのk2、南東方面には白く輝くようなバルトロカンリが鎮座する。バルトロ氷河が究極のトレッキングと言われる理由はここに有り、世界屈指のヒマラヤ山岳景観と言っても誰の異論はあるまい。しかも、6日間は連続した晴天続きで、こんなに恵まれた我々の様なトレッカーも数は少なだろう。
大枚をはたいてやってきたバルトロ氷河だが、殆どが曇りや曇天だったりしてk2の姿を見る事もなく、体調不良でスタートして4日目でギブアップなど言う不運な人も珍しくない。
コンコルディアでは気温も低くモレーン下が氷の為か、あの鬱陶しい砂塵から開放されて空気も奇麗だ。
寝たり食ったりの繰り返しで、やる事と言えば同じ写真の時間を替えたり露出を替えて何枚も同じアングルで画像に収める事だけ。
しかし、3人共PMの数値は何れも平均値を超えており、この先高度障害で悩む事は無さそうなのは幸い。
とにかくこの3つの巨峰を目の前にすると、外界の雑念から完全に離脱した別の世界に入った様に思える。

7月23日
コンコルディア〜ブロードピークBC
7時15分 コンコルディア発
14時3分 ブロードピークBC着(6時間45分) 
5000m
気温 0〜28℃
天候 晴天
pm 78

朝は意外と気温0℃までましか下がらず、今日の行程は少し余裕の為7時15分出発となった。力のあるメンバーで有れば1日でK2BC入も可能だろうが、我々の調子は押して知るべしで安全策を取ってブロードピークBC入1泊となった。
他の中国グループや日本人を交えた国際グループはゴンドラ越えを決めた様だが、それぞれ30〜50代位の元気な連中で我々とは力の差は明らか。
昨日、断腸の思いでゴンドラゴロラ越えを断念したものの、まだ内心はまだ断ち切れない思いだった。
今日のコースはモレーン上をK2を目指して歩くが、距離と時間の感覚が狂っているので中々着かない。
不覚にも休憩時に途中で自分のメガネをモレーン上に置き忘れてしまい、30分位戻って探したが徒労に終わった。スペアのメガネは持参すべきだった。
辿り着いたブロードピークBCは小高い場所に有り、右岸にはブロードピーク西面のブロック雪崩が飛び込んでくる来そうな、迫力満点のテントサイトで撮影にも良いポイントだった。
夕食後にべイグさんに計画を変更を要求し、K2滞在は取り止めて明日はここからk2日帰り往復とした。

7月24日
ブロードピークBC〜k2BC往復
ブロードピークBC発 7時10分
メモリアル
k2BC着 11時30分
5135m
ブロードピークBC着 15時 7時間50分
気温 0〜15℃
天候 晴れ
pm 85

ブロードピークBCは風も余り吹かず、朝の気温も0℃で過ごしやすかった。体調も次第に高所に慣れて来たのか、朝食のお粥とオムレツ、パンケーキが今までなく進んだ。
ただ、ランチで出て来るビスケットやチーズは結構いけるが、硬くて何ともならない乾燥フルーツは勘弁してもらいたい。特別にフライドポテトをボイルしただけのポテトをオーダーした。
k2BCに向かうトレッキングパーティーは流石に少なく、K2アタックを諦めた登山隊のハイポーターやポーターが降りて来る。
K2BCへのコースをブロードピーク西壁の真下を進んで行くと、氷河の先の正面の岩壁帯の下にメモリアルポイントが有る。急な坂を30m程上がると今までk2やブロードピークで亡くなった多くのアルピニストのレリーフで埋め尽くされていた。
その中には、昨年の7月22日に亡くなった北日本海外登山研究隊の故渡辺隊員のレリーフも有り、メンバー3人で手を合わせて頂きました。合掌。
ここからK2BCまでは30分くらいの距離で、着いてみると2隊のテント群が有って、一つはあのセブンサミット隊、もう一つはヨーロッパの混成隊の模様。本日、セブンサミット隊は5人のシェルパがボトルネックから先をラッセルし、首まであるという急峻な雪壁を攻略し、5名が登頂してフィックスを張った模様。
BCにはセブンサミットオーナーのダワ氏がいて、明日は19名のアッタッカーが山頂を目指す予定の模様。
このネパール人オーナーのダワ氏は体格の良いまだ40代後半位の人だが、k2公募登山隊は今回が14回目で、ヘリを2機所有する羽振りの良い人物らしい。今回は総勢38名という規模なので儲けの方も相当なのだろう。まあ、貧乏人には無縁の人です。

7月25日
ブロードピークBC〜コンコルディア
ブロードピークBC発 7時17分
コンコルディア着 12時8分
気温 0〜24℃
天候 晴れ〜曇り
pm 87

今日はブロードピークBCからコンコルディアに戻るだけだが、下りのやたらと広い氷河は中々着かない。10時頃から溶け始めた氷河を歩くと楽だが、途中にはボブスレーコースの様な急速な水路があり、慣れたはずのガイドもたまに道を失う。
ついうっかり落ちると真っ暗なトンネルに吸い込まれ、溺死する前に心臓麻痺でサヨナラと言う感じだ。
コンコルディアには昼に着いてしまったので急遽協議を行い、自分一人が別行動でゴンドゴロラ峠を越え、残り2人はアスコーレに引き返すとの案で合意を見て早速準備に取り掛かったが、その2時間後にナジールEXマネジャーのスルタンカーン氏から衛星電話が入り、明日の午後から天候が悪くなり、峠越えの日の27日は雪となる予報。雪崩の恐れが有るとポーターも集まらず、コースも地元レスキューによってクローズになるので諦めざるを得ない。
昨日出発したグループはラッキーとだったが、このコースの成否はは天候のタイミングとグループの足並みに掛かっている訳で、好条件が揃わないと峠越えは難しい様だ。
その後2隊のk2隊は、セブンサミット&ヨーロッパ混成隊が22名(内サポート5名)が登頂したが、滑落で行方不明が1名と凍傷を負ってヘリでスカルドにピックアップが1名。昨年は悪天候で登頂者ゼロだったが、今年は22名とエベレストには遥かに及ばないものの、K2も商業登山が当たり前になった様で少し残念。なお、この公募隊の場合K2の登頂にはお一人様 800万は下らないだろう。

 コンコルディアすぐ側の6256m峰。

 コンコルディアで凧揚げ。2年前、カンチェンジェンガのBCでも上げている。

 左がブロードピークの南峰(8051m) 右はガッシャブルム4峰(7952m)

 BCから近いブロードピークは氷河から標高差3360mの巨峰。

 左からブロードピーク北峰(8006m) 中央峰(8035m) 南峰(8053m)

 ノーマルルートの西壁上部は左の雪壁から南峰に立つ。

 エンジェルピーク(6858m)とK2(8611m)

 

 左のスカイラインは早稲田大学隊(大谷氏)がナジールさんと初登攀した南西陵。

 今シーズンは8隊が挑んで7隊がボトルネック上部の急峻な雪壁を攻略できず敗退。最後に残ったセブンサミットのシェルパ5人が突破して登頂してフィックスロープを張った。

 ノーマルルートとはいえ下部の南東陵は傾斜がきつく困難

 ガイドのベイグさん。3週間後、日本のA社のアテンドで再びバルトロに入るそうな。

 氷河上にどんと座っている6379m峰。

 意外とコンコルディアから先のK2ベースキャンプを目指す人はなく静かで良い。

 ブロードピークBC手前。西壁の直下のキャンプサイトなので迫力がある。

 前衛峰に守られた白く美しいチョゴリザ 花嫁の峰(7668m)がようやく姿を現す。

 ブロードピークの西壁。バナナリッジと呼ばれる中央のルートから右の南峰に登頂する。

 コンコルディアまでの混雑から解放された静かなブロードピーク。

 上部のセラックが崩壊したら我々のキャンプサイトまで飛んできそうな臨場感がある。 

 無名峰 6379m

 チョゴリザ(7,665 m)。ヘルマンブールが単独で初登頂したが、下山時に雪庇を踏み抜いて消息を絶った。。

 チョゴリザ(7,665 m)。カラコロムの山とは思えないような穏やかな山容。

 ブロードピークの中央峰(左)と南峰(右)。

 南峰へのルートは右に巻いて登るらしい。

 K2と言えばこの構図。2年前山頂から単独でスキー滑降した人は正気とは思えない。

 コンコルディアまではもう少し。

 スキルブルム (7350m) 広島三郎隊長の隊が初登頂後にBCで雪崩に会い7名が亡くなった。雪崩は予想外に対岸のエンジェルピークから襲ってきた。

 

 K2基部に小さく見える所がBC。

 K2BC付近から見るスキャンカンリ(7357m)。学習院大学隊が初登。

 1995年7月20日 - 戸高雅史、北村俊之、服部徹の3人がアルパインスタイルで北峰~中央峰~主峰の縦走に成功。

 ブロードピークはガッシャブルム1峰 2峰に次いで登頂者が多い。

 いったい何人のレリーフが有るのか?

 2018年7月22日 北日本登山研究会隊で登頂後滑落して亡くなった故渡辺康二郎さんに合掌。

 

 最後まで粘ってボトルネックをとっぱしてK2に登頂したセブンサミット隊BCのテント。

 総勢38名のセブンサミット隊。

 中央の人物がセブンサミットのネパール人オーナーのダワ氏。

 キッチンボーイは実によく働く。働かないと将来のコックにはなれない。

 我々のコックのジャンさん。今回は我々の希望ですべて現地食で通したが、すし・天ぷら・蕎麦・うどん・すき焼き他何でも作れる。

 コンコルディアまで付き合ってくれたポーター達とガイド2人。

 天を突くような白く美しいエンジェルピーク 6858m

 

動画 ③ ブロードピークベースキャンプ

動画 ④ K2ベースキャンプでの凧揚げ

 

No 4 7月20~21日 ウルドカス~コンコルディア ⇔ No6  コンコルディア〜アスコーレ


バルトロ氷河トレッキング&フンザ 2019.07.09~08.14

バルトロ氷河トレッキング 2019年 7月~8月 No1 イスラマバード~アスコーレ

バルトロ氷河トレッキング No2 アスコーレ〜パイユ

バルトロ氷河トレッキング No.3 7月18日 パイユ〜コボルツェ

バルトロ氷河トレッキング No 4 7月20~21日 ウルドカス~コンコルディア

バルトロ氷河トレッキング No5 コンコルディア〜ブロードピークBC~k2BC〜コンコルディア

バルトロ氷河トレッキング  No6  コンコルディア〜アスコーレ

バルトロ氷河トレッキング No7 アスコーレ〜スカルド~カリマバード

フンザの旅 No8 カリマバード滞在の3日間

フンザの旅 No.9 カリマバード〜ナガール村~アッタバード湖~ボリレイク~パスー

フンザの旅 No 10 パスー〜クンジュラブ峠~ボリレイク~ギルギット~イスラマバード~羽田

No11 バルトロ氷河TR 備忘録

 

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バルトロ氷河トレッキング 2019年 7月  No 4 ウルドカス~コンコルディア

2019年10月26日 | ヒマラヤ

 7月20日

ウルドカス〜ゴレⅡ
ウルドカス発 6時5分
標高 4240m
ゴレ着 14時5分(8時間)
気温 12〜20度
天気 快晴
pm 87

本日も朝からの晴天が続き、氷河上のトレッキングは余り大きなアップダウンも無く、特に朝は気温12℃とやや寒さを感じる位で心地よい。
処々氷が剥き出しで溶けた奇麗な水が流れているが、必ず馬糞まみれなのでつい飲んだらご想像の通り。
やがて、左岸方面の頭上にマッシャブルム峰の山頂が日差しに輝く様に姿を表し、一気にバルトロ氷河の巨大なスケール感を感じさせられる。
東方向に前進して行くとガッシャブルム4峰、ガッシャブルム2峰とブロードピークの頭が姿を表し、ようやくバルトロ氷河の核心部に近づいた様だ。
ただ、意外と鬱陶しいのはアーミー(パキスタン陸軍)のヘリの往来の多さで、カラコロムのはずが日本の山にいる様で我々トレッカーにとっては邪魔な感じ。
ゴレⅡに着いてみるとまたヘリが飛んで来て、日本のS社の体調不良の日本人トレッカー1名をピックアップしていった。アスコーレでも同じパーティーのお客さんが同じく戻っており、公募のパーティは意外と体調不良やトラブルが多いようだ。
今季はブロードピーク、G1、G2には大量の登頂者があった様だが、K2を目指したパーティはボトルネック上部にはこの冬に降った多量の雪が残っていて殆どの隊は諦めて降りてきた。また、毎年のようにK2に挑んでいる単独の日本人はABCで断念した様です。

7月21日
ゴレ2〜コンコルディア
ゴレⅡ発 6時
標高 4423m
コンコルディア着 13時50分(7時間50分)
標高 4691m
気温 ー5〜17℃
天候 晴天
pm 87 

ゴレⅡのキャンプサイトの朝はマイナ5℃で、地面の水は氷っていて灼熱の地から冬の世界へ突然突入する。冬山用のウェアーへ切り替えるのだが、昼前になると厳しい日差しが指してきて調子が狂ってしまう。
ただ、気温は上がっても氷河の中は涼しく、比較的アップダウンも少なく、道も踏みならされて歩きやすい。
出発して1時間も歩くと壮大でピラミダルなマッシャブルムの北東面が姿を現すと、周りを圧倒する迫力と秀麗な山容に目を奪われる。未だに初登頂以来バリエーションルートで数パーティーしか山頂に立っていないが、その秀麗さに似合わず困難でかつデンジャラスな山だ。
3人ともパルキシオメーターの数値は平均以上で、心配された高度順化はクリアーされた様だ。
次第にガッシャブルム4峰の西壁が近づき、ブロードピークの西面も近づいてその巨大さと迫力に圧倒される。
コンコルディアに到着してみると、先行したポーターがk2、ブロードピーク、ガッシャブルム4峰に囲まれたベストポイントを確保してくれ、明日の休養日には最高の撮影場所を確保してくれて感謝。
ランチタイム後にガイドのベイグさんと今後の予定を検討した結果、当初の計画を大幅に修正して目標をk2ベースキャンプ一本に絞ることで合意。
残念ながら我々のペースではゴンドゴロラ峠超えとG1,G2ベースキャンプ行きは困難でと判断し、余裕を持ってk2ベースキャンプステイに目標変更となった。
なお、ゴンドゴロラ峠までの急斜面には多量の積雪がある様で、殆どのパーティーは諦めてアスコーレへ戻って行った。

7月22日
コンコルディア 休養日
気温 0〜15℃
天候 晴天
pm 87

 

 ガッシャブルム4峰が姿を現したが、右側にガッシャブルム2峰の山頂が見える。

 ゴレⅡキャンプサイト付近からマッシャブルム峰方面を振り返る。

 左のムスターグタワーに至る氷河を通過して暫く歩くとようやくコンコルディアに至る。

 人気集中のバルトロ氷河トレッキングは年間200パーディを超えると言われている。

 1977年の日本山岳会隊(重広恒夫隊長)によるルートは、この北稜から北西壁を経由して登頂。13回もの雪崩に遭遇して奇跡の登頂と言われた。

 上部の北西壁も困難かつ危険なルート。

 ヒマラヤひだが美しいマッシャブルムの支稜。

 カテドラル山群。山野井さんも正面から登ったらしい。

 ゴレⅡの対岸にそそり立つbiarchedl Pks 6810m 北面。

 マッシャブルムはどこから見ても美しさと気品がある。

 ゴレⅡから先のコンコルディアがようやく視野に入る。

 biarchedl Pks 6810m 北面。 

 日本人トレッカー1名が高所順応の不調によりヘリでスカルドへ。

 広大なコンコルディアには多くのトレッカーがやって来る

 余り心地が良いので1枚。

 ガッシャブルム4峰の山頂には何時も雲が掛かっている。

 ガッシャブルム4峰西壁。右の後ろに見えるのがガッシャブルム2峰 8035m)

 ガッシャブルムグループの無名峰。

 氷河の奥に位置するムスターグタワー 7350m。

 怪峰と言われる特異な山容に目を奪われる。

 1956年にイギリス隊のジョン・ハートッグ、ジョン・ハーリンらにより西面の北西稜から初登頂。ネパールヒマラヤの怪峰がジャヌーならカラコラムの怪峰はこれ。異様な形状で屹立し多くのクライマーの憧れとなった。

 ゴレⅡからコンコルディアを目指す。

 

 左からブロードピーク 8,047m ガッシャブルム4峰 7952m。

 コンコルディア付近の無名峰。

 東京大学が初登したバルトロカンリ1峰 7274m 。インドとの国境(実効支配地)に位置し,この両側に両国の軍隊のキャンプがあるらしい。

 バルトロカンリの右に位置するアイスドーム 7150m。

カミソリの刃のような鋭い稜線が天を衝く。

 ガッシャブルム4峰右側の6980mピーク。

 氷河からそそり立つブロードピークの山頂は高度差3360m。圧倒的な迫力と存在感。

 カラコロムの盟主K2はブロードピークさえも圧倒される巨大な独立峰で存在感がすごい。

 バルトロカンリ1峰は東京大学山岳部が1963年に初登頂。カラコロム山脈では珍しい白く穏やかな山容の山。

 ガッシャブルム4峰の西壁7952m。山野井さんは7000mまで到達するものの、悪天候により敗退。
1985年に挑んだククチカも西壁を完登するものの登頂に至らず撤退している。

 コンコルディアから見るブロードピーク(8051m)の南面。左の北峰 中央峰 南峰を縦走した日本人クライマーがいる。戸高雅史さん 1995年ブロードピーク峰縦走

 コンコルディアから見るニュークリスタルピーク(6252m)?

 

 今年はボトルネックから上部の斜面が首までのラッセルだったらしい。7隊が敗退して最後に残ったセブンサミット隊の5人のシェルパが突破して山頂に立った。
2年前に山頂からスキーで滑り降りた動画があったが、よくぞ単独で生還できたものだと驚いた。ドローンを使った動画も素晴らしかった。

 K2のノーマルルートとはいえ南東陵は急峻で厳しい。

 コンコルディアでは到着後1日の休養。

 
 
 
 

バルトロ氷河トレッキング 2019年 7月~8月 No1 イスラマバード~アスコーレ

バルトロ氷河トレッキング No2 アスコーレ〜パイユ

バルトロ氷河トレッキング No.3 7月18日 パイユ〜コボルツェ

バルトロ氷河トレッキング No 4 7月20~21日 ウルドカス~コンコルディア

バルトロ氷河トレッキング No5 コンコルディア〜ブロードピークBC~k2BC〜コンコルディア

バルトロ氷河トレッキング  No6 コンコルディア〜アスコーレ

バルトロ氷河トレッキング No7 アスコーレ〜スカルド~カリマバード

フンザの旅 No8 カリマバード滞在の3日間

フンザの旅 No.9 カリマバード〜ナガール村~アッタバード湖~ボリレイク~パスー

フンザの旅 No 10 パスー〜クンジュラブ峠~ボリレイク~ギルギット~イスラマバード~羽田

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バルトロ氷河トレッキング 2019年 7月 No.3 パイユ〜コボルツェ

2019年10月24日 | ヒマラヤ

17月18日

パイユ発 6時

標高 3785m
コボルツェ着 15時5分 (9時間5分)

気温 18〜28度
快晴
pm 84

朝食を済ませるとキッチンテントが即畳まれてすぐ出発で、バルトロ川の右岸を1時間15分程歩いて行くと氷河の先端に到着する。この先は広大な氷河上のモレーン歩きとなり、20〜50mのアップダウンがこの先延々と続いて果てしない旅が続く。
暫くするとパイユピークの次にトランゴ山群とカテドラル山群が姿を表し、その後ブロードピークの西面の全貌が現れる。
一時、k2の山頂も見えたが雪煙の上がった山頂は強風の様で、昨日、セヴンサミット隊が首までの猛ラッセルの末シェルパ5名が登頂した様だが、後に続いたヨーロッパ混成隊を含めた第2次アタック隊はどうなったのか。
相変わらずロバの隊列が往来してうるさい位だが、ロバの中には途中の渡渉に失敗して溺れそうになったりで、ロバ使いのオッサンも意外と楽では無い。因みにこ迄の3日間でロバの行き倒れが3頭あった。
モレーンの中だと午前中気温が25℃位まで下がって歩きやすいが、午後の陽ざしの強さは何ともならず体に堪える。

7月19日
コボルツェ〜ウルドカス

気温 12〜42℃
曇り 午後から快晴
コポルツェ発 6時10分
標高 3994m
ウルドカス着 10時5分(3時間55分)
標高 4240m 
pm  87

本日は4時間の行程で標高4240mのウルドカスを目指す楽勝の日で、朝は涼しく体調も良く歩きも快調。しかし、余りにも多いロバの糞と蠅の多さには閉口物で、乾燥した粉塵となって肺に吸い込まれているのは間違いない。特に、パキスタン陸軍の燃料(中国・インドの国境付近の冬季間駐留キャンプの燃料)輸送量は膨大だ。タンクは使い捨てなのかそこら中に空き缶が散乱しており、ガイドのベイグさんはバルトロの環境破壊の元凶はパキスタン陸軍だと言っていた。
後続メンバーの1人はガイドに荷物を担いでもらい、ようやくペースが上がって来たが今一つ本調子ではない。左岸に掛かる氷河を2ヶ所通過すると、小高い丘に緑が散在するウルドカスに到着する。
キャンプサイトから見える光景は実に素晴らしく、パイユピーク、ウリビアフォー、グレートトランゴやトランゴタワー、カテドラル山群が対座する。
残念ながら珍しく天候は下り気味の為薄曇りで、絵に書いた様な青空と白い雪や大岸壁のコントラスト有るショットを狙うのは難しい。しかし、テントサイトで気持ちよく過していると気温は急上昇し、午後2時頃の温度計は42度を指していた。
夕方になると10m離れたキッチンテント内の圧力釜が大爆発。一瞬、岩雪崩かとみんな狼狽えたが幸いテントは無人で怪我人無しで済んだ。

 キャンプ地のパイユ対岸のリリゴピーク(Liligo Peak:5,600m)

 パイユピーク (6610m) ナジールさんが登っている。ルートは左の斜面から。

 パイユ付近から見るロブサンスパイヤー

 いよいよバルトロ氷河の舌端が見えてくる。距離感と時間の感覚が麻痺する。

 慣れないモレーン歩きは結構疲れる。

 ポーター1人当たり15~25㎏の荷物。それ以外にポーターの食料・生活用具を担ぐポーターが必要。

 ロバは60~80kg程。夥しい馬糞が残るので又の名を馬糞街道とも呼ばれている。

 雪の載った右手はウリビアホー(Uli Biaho:6,417m)

 コボルツェのキャンプサイトからみるカテドラル山群。

 キッチンテント(黄色)と食堂(赤い屋根)

 トランゴ山群が姿を現す。左奥がトランゴタワーの山頂。

 雪の載った右手はウリビアホー(Uli Biaho:6,417m)

 ウリビアホー(Uli Biaho:6,417m)

 手前がグレートトランゴ 6237m その右奥がトランゴタワー 6239m

 

 ウルドカスのキャンプサイト。

 ウルドカスのキャンプサイト。ここで隣りのテントで圧力釜の大爆発事件があった。

 1日の歩きが終わるとなぜかヌードル入りスープとスパゲッテイが出てくる。
疲れているし量も多くとても食べられないが、残りはスタッフへと流れてゆく。

 チリソース入りのナポリタンのようなもの。美味かったが、1週間も食べ続けるときつい。

 野菜は種類・量共に豊富だった。

 鶏は次々に潰されて美味いチキンカレーとなる。

 カリフラワーと鶏肉の炒め物。美味い。

 デザートはマンゴー。パキスタンのマンゴーは結構いける

No2 アスコーレ〜パイユ  No 4 7月20~21日 ウルドカス~コンコルディア


バルトロ氷河トレッキング&フンザ 2019.07.09~08.14

バルトロ氷河トレッキング 2019年 7月~8月 No1 イスラマバード~アスコーレ

バルトロ氷河トレッキング No2 アスコーレ〜パイユ

バルトロ氷河トレッキング No.3 7月18日 パイユ〜コボルツェ

バルトロ氷河トレッキング No 4 7月20~21日 ウルドカス~コンコルディア

バルトロ氷河トレッキング No5 コンコルディア〜ブロードピークBC~k2BC〜コンコルディア

バルトロ氷河トレッキング  No6 コンコルディア〜アスコーレ

バルトロ氷河トレッキング No7 アスコーレ〜スカルド~カリマバード

フンザの旅 No8 カリマバード滞在の3日間

フンザの旅 No.9 カリマバード〜ナガール村~アッタバード湖~ボリレイク~パスー

フンザの旅 No 10 パスー〜クンジュラブ峠~ボリレイク~ギルギット~イスラマバード~羽田

No11 バルトロ氷河TR 備忘録


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バルトロ氷河トレッキング 2019年 7月 No2 アスコーレ〜パイユ

2019年10月22日 | ヒマラヤ

7月15日 

アスコーレ〜ジョラ

6時15分 アスコーレ発
8時 アーミーチェックポスト
11時20分 コロフォン着 ランチタイム
15時 ジョラ着 (8時間45分)
気温 25~38℃

ガイド   ベイグさん
サブガイド ザヒさん
コック長  ジャンさん
キッチンボーイ
ポーター 25人程度
ロバ   1頭
ロバ使い 1人

トレッキングの初日はアスコーレを出発して1時間半後につり橋を渡り、アーミー(パキスタン陸軍)のチェックポスト書類にサインして先に進む。天候は晴天続きで広大な川の右岸はでかい岸壁帯が続き、朝は日差しも弱いので歩きやすく快適なスタートとなる。
コースは平坦で広く歩きやすいが、バルトロはロバによる輸送がメインの為またの名を「馬糞ロード」とも言われ、砂と岩と馬糞を踏みながらの旅が延々と続く。
しかし、10時頃を過ぎると気温は上昇して38度になり、乾燥と砂塵に慣れない我々にとってはダメージで、他2人のメンバーのスピードが落ちてきて小休止の繰り返し。
最後は吊橋を渡ってから右に大きく戻るようにして進んで行くとジョラに辿り着く。初日は高い気温と体が慣れないせいか疲れた。

7月16日
ジョラ〜パイユ

6時15分 ジョラ発
9時15分 洞窟着
11時35分 モンジュン着 ランチタイム
18時12分 パイユ着 (約 12時間)
気温   25~38℃
快晴

ジョラは常に風が吹いて砂埃っぽい場所で、うがいや鼻かみがしたくなるがそのうち慣れるだろう。1時間程歩くとバルトロ川の右岸となり、広大な谷底の周りは氷河を頂いた5〜6000m位の無名峰が迫ってくる。
バルトロ街道の処々にはローズピンクのバラ科の花が咲き誇り、無機質で殺風景な光景の中で心が休まる。
モンジュンでランチタイムを取り、朝食時に作っておいたトースト(オムレツ&ジャム)をぱくついてお腹を満たすが余り進まない。渡されたビスケットとナッツには手が出ない。
午後からさらに日差しが強くなって38度に上昇し、次第にペースダウンして休みが多くなる。日中の行動時には水2リッター位は必要。
途中でブロードピークBCから降ってきたハイポーターに会うと、昨年のK2北日本登山隊の時のサッミターで、今回はブロードピークに登頂した模様。
街道を歩いているとひっきりなしにポーターやロバと行き違うのだが、その途中には息絶えたロバ2頭や骨になった物など珍しくは無い。
昨日もそうだが8時間も歩いているとペースは更に落ちて、予定10時間の予定が12時間かかってようやくパイユに到着。
特に、後続2人のペースは次第に落ちてゆき、熱射病寸前の状態でようやくキャンプサイトに到着した。60歳代後半になると思いの外ハードな歩きだった。

7月17日 パイユ滞在(規則による休養日) 3600m
6時30分起床
気温 23〜38℃
天候 快晴
pm  85、5(パルキシオメーター数値)

トレッキングの規則により今日はパイユで1日の滞在。この先は氷河の上を歩く旅となるので、日陰で風よけになる様な樹木は無い為貴重な存在。大きな樹木が有って日差しを遮り、豊富な水に恵まれてシャワー用の洗面台も有って過ごしやすい。
砂埃だらけになった衣類を洗濯し、全身を綺麗にすると体調もリフレッシュして回復する様で、コックの作ったナポリタンとヤギのレバー炒めがやけに旨く感じる。このヤギはアスコーレからご同行頂いた2匹で、皆さん美味しく胃袋の中に収めさせて頂いた。おまけにに元気な鶏1羽も例外なくメンバーとスタッフの胃袋へ。
テントサイトからはグレートトランゴやカテドラル山群がよく見えて、コンコルディアから降りてくるTRパーティーが降りてきて賑わう。どのパーティーもゴンドラゴロラ峠の通過は天候不良で断念している様だが、先週多量に降った雪が残っている事と下降時の落石が原因。
毎年、各国のトレッキングパーティーの数は違う様だが、今年は中国人が多く次いでヨーロッパ各国という状況で昨年結構いたらしい韓国人は皆無だった。

 

 アスコーレを早朝に出発。

 しばらく車道歩きが続く。

 朝は涼しく快適なのだが・・・。

 6000mクラスの山が現れ始める。

 階段を登らされるロバ。60~80kgの荷物。

 工事中の吊橋を渡る。向こうの3人は現地ゼネコン?の作業員。

 ちょうどバラの花が満開。

 ヤギはバラのトゲのまま花も食べる。

今がちょうど見ごろ。

 ガイドのザヒーさんは花が大好きでポーズ。

 アスコーレ~ジョラまでの初日が熱くて辛かった。

 ヒスパー氷河の入り口。水もきれいで大変気分が良い。

対岸に1日目のキャンプサイトのジョラが対岸近く見えるが中々着かない。

吊り橋を渡ると右に大きくUターンして戻るようにしてジョラに向かうが疲れる。

1日目のジョラにはもう僅か。

ジョラのキャンプ地は風が強く埃っぽい。

ジョラを出発してパイユを目指す。

 ランチタイムの後灼熱地帯を歩いてパイユを目指す。

昼頃から気温が上昇して40℃位のなる事もある。

金満中国人は金さえ有れば・・・。

 ドラゴンド山群・カテドラル山群が見えだす。

バルトロ氷河の玄関口ではパイユ峰(6610m)がお出迎え。

 2日目の歩きを終了してパイユに到着。

トイレも完備されている。

木陰に陣取って快適な2日間を過ごす。

パイユ出発前の朝食はナン・トーストにオムレツやコーンフレークなど。

ヤギ1頭は3000ルピー(¥30.000)と高価な食材。韓国・中国人は犬(200ルピー程度)がお好き。

 

 

 

動画 ジョラ~パイユの濁流

No1 イスラマバード~アスコーレ ⇔ No.3 7月18日 パイユ〜コボルツェ


バルトロ氷河トレッキング&フンザ 2019.07.09~08.14

バルトロ氷河トレッキング 2019年 7月~8月 No1 イスラマバード~アスコーレ

バルトロ氷河トレッキング No2 アスコーレ〜パイユ

バルトロ氷河トレッキング No.3 7月18日 パイユ〜コボルツェ

バルトロ氷河トレッキング No 4 7月20~21日 ウルドカス~コンコルディア

バルトロ氷河トレッキング No5 コンコルディア〜ブロードピークBC~k2BC〜コンコルディア

バルトロ氷河トレッキング  No6 コンコルディア〜アスコーレ

バルトロ氷河トレッキング No7 アスコーレ〜スカルド~カリマバード

フンザの旅 No8 カリマバード滞在の3日間

フンザの旅 No.9 カリマバード〜ナガール村~アッタバード湖~ボリレイク~パスー

フンザの旅 No 10 パスー〜クンジュラブ峠~ボリレイク~ギルギット~イスラマバード~羽田

No11 バルトロ氷河TR 備忘録


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バルトロ氷河トレッキング 2019年 7月 No1 イスラマバード~アスコーレ

2019年10月16日 | ヒマラヤ

バルトロ氷河トレッキング&フンザ 

No1 イスラマバード~アスコーレ (トッレキング出発地の最終)

7月12日 11時25分 イスラマバード空港発 スカルド行き
12時35分 スカルド着
Hotel Hilview 宿泊

天候 晴れ

天候に恵まれて予定より30分遅れで空港を離陸すると飛行機は北に向かい、途中ナンガパルバットの北側を通過してから東に向かいスカルドを目指す。
天候も良く機内からは西面のディアミール壁と、ラキオトピークから山頂に至る長い稜線が目に飛び込んできて、北京からイスラマバードの便で素晴らしいヒマラヤの光景を堪能できた事に続いて見られたのは実に幸運。飛行機が飛ばずこれが陸路で2日間(約20時間)の悪路走破だったら悲劇で、これが地獄と天国の境界線とも言える。
ナジールEXPの手配したホテルは大きな川の段丘の上に位置し、実に風光明媚なポイントで食事も美味しくて素晴らしい。

13日 スカルド滞在 
11時 ブリーフィング (トレッキングPM持参で規則などの説明を受ける)

天候 晴れ

トレッキングのブリーフィングの為オフィスに顔を出した後、ポロの試合が有るというので見に行く事にする。試合は次第に白熱する様で、興奮した選手はスティックで相手を狙って大混戦。物珍しさもあるが結構面白い。
相方二人の内のKさんのメガネがイカれしまって眼鏡屋探しをするが、スカルド全体がストライキ中で店は閉まっており、ようやく探し出した眼鏡屋でフレームの交換がRs2500(¥2500)

14日 スカルド~アスコーレ
6時45分 ジープにてスカルド発

天候 晴れ

朝食を済ませるとすぐ出発してアスコーレを目指し、ダソーでランチを取ってさらに先を目指す。
ユーチューブでよく出て来る悪路はここからで、雨で流された路肩やえぐれた箇所は辛いアップダウンが続き、断崖のスレスレの路肩を越えて行く度にストレスは全開。
力のあるランクルの40や70もいまだに現役で(40年以上前の代物)、極悪路ならではの走りは力強くドライバーの腕も光っている。

12時43分 アスコーレ到着 

アスコーレからは全てテント泊となり、快適なテント場ではダイニングテントに椅子とテーブルが付いた贅沢な環境で、今までのネパールやインドでのビンボー遠征登山隊と比べれば天と地位の違いがある。
何しろ、1975年のインドヒマラヤのトリスル1峰(7210m)に西面から登頂したが、資金不足で雇ったのはコック1名のみでBC以上ではハイポーターも雇えず、帰路のキャラバンでの食料が底をついてしまい、ポーターの食料に頼って下山した記憶が有る。

アスコーレに着いて見ると日本のS社のトレッキングパーティー10名位がコンコルディアから戻っていて、天候は良かったがその前に降った雪が残っていて、G1ベース行きはキャンセルになった模様。メンバーの中の一人は日射病と食欲不振で体調を崩し、トッレキング開始4日目でギブアップしてスカルドに戻った様です。

 

ガナシーの物見遊山様サイトより

 

イスラマバードからスカルドへご一緒。

 ナンガパルバットのディアミール壁(右側)。
 
左側のラキオトピークヘ続く山稜。
 
 エアバスでスカルドに到着。
 
 45年ぶりに訪れたスカルドの町は昔の面影がない。
 
 メガネフレームを修理しにメガネ屋へ。
 
 ポロの試合はエスカレートして格闘技の様相。
 
 
 ホテルからインダス川を見る。
 
 各国の登山隊がお世話になる人気のホテル。
 
 外は35℃位でも室内は扇風機のみで快適。
 
 屋上でくつろぐと時間を忘れる。
 
 午後になるとインダス川の対岸は砂嵐がやって来る。
 
 ランクル2台に分乗してアスコーレを目指し出発。
 
スカルド~アランドゥまで 45年前には金欠でこの道で4日間の歩きを強いられた。
 
 ランクルは40と70が今でも現役。
 
 パキスタンの山岳部ではトヨタのランクル以外の車は見かけない。
 
 途中のレストランでランチタイム。
 
 アスコーレが近くなると緊張感が高まる。
 
 路肩側の席の下は深い谷底。
 
 揺れる吊り橋でも平常走行。
 
 アスコーレに到着してキャンプ生活が始まる。
 
 木陰でくつろげるアスコーレのキャンプサイト。
 
 
 カラコロムはトレッキングの初日から6000mクラスの山が登場する。
 
 

バルトロ氷河トレッキング&フンザ 2019.07.09~08.14

バルトロ氷河トレッキング 2019年 7月~8月 No1 イスラマバード~アスコーレ

バルトロ氷河トレッキング No2 アスコーレ〜パイユ

バルトロ氷河トレッキング No.3 7月18日 パイユ〜コボルツェ

バルトロ氷河トレッキング No 4 7月20~21日 ウルドカス~コンコルディア

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バルトロ氷河トレッキング  No6 コンコルディア〜アスコーレ

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バルトロ氷河トレッキング&フンザ 2019.07.09~08.14

2019年10月15日 | ヒマラヤ

今回のバルトロ氷河&フンザの旅は終了し35日間ぶりの8月14日仙台に帰着したが、我々にとっては予想以上のハードなコースだった為予定通りとは行かず、ゴンドゴロラ峠越えとG1、G2ベースキャンプ入りは叶わず、威勢が良い割には結局トーンダウンしてしまった。
しかし、コンコルディア~K2ベースキャンプまでは辿り着き、その間は殆ど晴天の連続で8000mの巨峰群の姿を嫌と謂う程堪能出来た素晴らしい旅でも有った。
元々無理な計画とは内心思っていたが、16日間の砂漠地帯歩きと氷河モレーン上のテント生活は結構疲れるもので、特に真夏の時期を選択した場合は熱射病、下痢、食欲不振、高所順応の失敗など、65歳代後半の我々にとっては途中で脱落する要素は結構あった。
特に、トレッキングがスタートするアスコーレからコボルツェへの往復計6日間は日中35~42℃の灼熱乾燥砂漠地帯で、10~12時間の歩きは予想外のダメージでメンバーの足並みは乱れた。9月頃なら涼しいだろうがコンコルディア方面は雪になりやすく、ゴンドゴロラ峠越えはクローズになっているだろう。
また、慣れない氷河上のモレーン歩きは20~50m程のアップ&ダウンが無限に続き、距離と時間の感覚が麻痺してしまって疲れが溜まる。
しかし、コンコルディアに着く頃には体も慣れ、周りの巨峰群を連日見ているとエネルギーが湧いてきて、食欲も出て最適なタイミングで楽しめたのは収穫だった。
特に、写真撮りには最高の環境と天候のタイミングで、同じ画像なのに何枚も撮り続けても飽きない毎日で、写真好きの人の気持ちが初めて良く解った。
下手な写真でも数の中には当たりも有るだろうという下心で、山では初めて有り余る時間を使ってカメラをいじった。
結局、3週間のトレッキング中の雨は1日半位で、3日間位の曇りは有ったが殆どが晴天という毎日で、現地ガイドも余りないという最高の天候となりました。
ただ残念なのは、最後にパーティーを分けてゴンドゴロラ峠を一人で越えるつもりで準備していた所、2時間後にナジールEXPから衛星電話が入り、2日目からの天候悪化の予報が出て急遽中止に追い込まれてしまった事。(実際その通り)
峠越えは積雪・気温(下りの落石)の状況と天候のタイミング、そしてメンバーの足並みが揃わないと難しい様で、他のヨーロッパや中国のグループの大半もコンコルディアから引き返して行った。
結論から言うと、今でも山は現役で足腰の鍛えられた人は別だが、普通の65歳後半位の人にはある程度覚悟が必要です。実際、やたらと多い中国人やヨーロッパの連中は20~50歳台が多く、人の事は言えないが60歳を超えるトレッキング客は日本人が殆どという感じでした。
なお、我々の行動時間は全体的に長かったので、標準タイムは表示時間より10~20%程度短いと思います。

羽田空港〜イスラマバード

7月10日 13時55分 羽田空港発 中国国際航空

天候 晴れ

羽田空港で機内に預ける荷物のダッフルバッグのダイヤルキーが開かなくなったが、どうやら解錠時にダイアルセットの状況で回ってしまい、解除番号が解らなくなって困ったがそのまま羽田空港を定刻通りに出発。

17時15分 北京空港着 
18時45分 入国手続完了

空港に着いてフリーwifiを使ってみるが繋がらず、フェイスブックの投稿ができず困ってしまう。
空港は広すぎて解りにくく、入国手続のカウンターは狭いゲートで結構時間がかかる。特に、イスラマバードへの乗り継ぎカウンターは分かり難く、一番奥の狭い入り口から入ってパスポートのスキャンを行いゲートを潜り、窮屈な階段を下がって回り込むと手荷物検査カウンターが有った。
特にうるさいチェックが入りそうなリチウム電池は予め手荷物から分けておき、トレーに分けて載せて検査機のコンベアに送るとそのままパスして通過した。
ただ、手荷物検査の際誤ってタブレットをカウンターに置き忘れてしまったが、あわてて30分後取りに行ったら意外にもそこに置いてあって助かった。
乗り継ぎの為空港に22時間もソファーに寝転んで暇をつぶしたが、立派で余裕のある椅子に横になれば寝るのには意外に快適で、wifi設備と給水スタンド、トイレがすぐそばに揃ったポイントを占めればこちらのもので、下手にホテルなどに泊まるのと比べれば山屋には楽で快適で無料。
空港の施設の建物だけで長さ3キロはあると言う巨大な設備だが、人はスカスカで無駄に大きいと言う印象が残る施設で、如何にも中国様らしいと言えばその通り。

7月11日 15時37分 北京空港発

天候 晴れ

北京空港ではwifiの接続が悪くてメールが打てず、結局何もする事もなく食って寝るだけの暮らしだが、日頃の睡眠不足解消には役に立った。
飛行機に搭乗するとイスラマバードへの空路は西に向かってカシュガル方面に進み、その後進路を南の方にとってカラコロ厶山脈を越えて行く。
今回は好天に恵まれてカシュガル上空をしばらく過ぎると、機内左側からは最近日本人2人で新ルートが開かればかりのラカポシ南面(7780m)や、6〜7000mの無数の山並みが広がって目を楽しませてくれる。残念ながらK2の勇姿を俯瞰する事は出なかったが、これでも元は充分取れたので今回は満足としよう。

7月11日 17時10分 イスラマバード空港着
ホテル着。

天候 晴れ

空港に到着してみるとナジールEXのベイグさんが待っていて、荷物を積んでホテルへ直行してチェックイン。
バッグにつけていたダイヤルキーのNoが分からくなって困っていたが、鍵を壊してもらって一件落着。
翌日のスカルド便の為の各自荷物の重量調整を終え、免税店で購入したカナディアンドライを引っ掛けて寝たのは翌日の2時だった。

 

羽田空港から北京空港へ

中国国際航空の機内。

機内の食事は羽田発のため比較的まとも

北京空港に到着。

 やたらとでかい北京空港のシンボルとなる噴水広場。

 国内便と国際便を合わせると建物の長さは3.0kmという巨大な施設。

その割には閑散としてお客の姿は少ない。

 モバイル用の電源が完備している位置に陣取る。

 平らな椅子は横になるには好都合で意外と居心地は良い。

 イスラマバードへの乗り継ぎ時間は22時間。山屋にとっては快適な環境でホテルなど無用。

 北京からカシュガル方面に西に飛んでから南下するとカラコロム山脈が眼下に。

 6000mクラスの山だろうが山の名は不明。

 7000mクラスの秀峰が印象的。

 息を飲むような素晴らしい光景。

 イスラマバードのホテル。

No11 バルトロ氷河TR 備忘録 ⇔  No1 イスラマバード~アスコーレ


バルトロ氷河トレッキング 2019年 7月~8月 No1 イスラマバード~アスコーレ

バルトロ氷河トレッキング No2 アスコーレ〜パイユ

バルトロ氷河トレッキング No.3 7月18日 パイユ〜コボルツェ

バルトロ氷河トレッキング No 4 7月20~21日 ウルドカス~コンコルディア

バルトロ氷河トレッキング No5 コンコルディア〜ブロードピークBC~k2BC〜コンコルディア

バルトロ氷河トレッキング  No6 コンコルディア〜アスコーレ

バルトロ氷河トレッキング No7 アスコーレ〜スカルド~カリマバード

フンザの旅 No8 カリマバード滞在の3日間

フンザの旅 No.9 カリマバード〜ナガール村~アッタバード湖~ボリレイク~パスー

フンザの旅 No 10 パスー〜クンジュラブ峠~ボリレイク~ギルギット~イスラマバード~羽田

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