東北アルパインスキー日誌 ブログ

東北南部の山での山スキー、山歩き、山釣りなどと共に、田舎暮らしなどの話を交えながら綴っています。

月山8合目~月山~姥ヶ岳 2024.10.06

2024年10月07日 | 山歩き
西川町町民登山にお呼びがかかって急遽参加。紅葉は山頂の北側がピークに差し掛かっていて、オモワシ原の池塘群が美しい色彩で印象的だった。ここは登山道が無く原始の姿を保っているだろうが、月山の山スキーコースでは唯一取りこぼしてしまった。
月山山頂を超えて鍛冶小屋下に差し掛かると紅葉は鮮やかとなり、多くの登山者が行きかえって渋滞気味となる。
ガスの中に姥ヶ岳の紅葉は今からの様で、後2週間くらいは紅葉シーズンが続くだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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赤留橋~赤留川 (安達太良山系) 大滝までの往復 2024.09.23

2024年09月25日 | 沢登り
天候 曇り時々小雨
 
今季2回目の沢登りは天候不順で悩んでしまったが、最後に選んだのは安達太良山系の赤留川だった。入渓口は沼尻温泉から先に進んだ赤留橋の駐車場で、天候はまずまずで本日はお気楽気分でスタートした。
東京の3人パーティーが先行していったが、我々はメンバーの時間が限られている為稜線までは目指さず、大滝まで遡行して後は同じ沢を下降することになった。
単調なゴーロ歩きが終わると30m滝が登場し、チョックストーン滝を超えてさらに進むと今日のお目当ての連続した滑滝が現れる。滑滝は鉄分を含んでいる沢の為か赤い岩肌だが、フリクションを効かせて快適にクリアーすると、再びチョックストーン滝が現れ、その奥に25mの大滝が現れる。
昨日の雨で増水して迫力のある滝で見応えが有るが、右岸からの大高巻きを強いられそうで手が掛かりそうで我々はさっさと下降に移り、3回の懸垂を行って出発点の赤留川橋の駐車場に戻った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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2024 松嶋基地航空祭 2024.08.25

2024年08月26日 | その他
知人に誘われて初めての松嶋基地航空祭に行ってみた。残念ながら晴天ではなかったが、雨の予報が外れて目玉のブルーインパルス曲芸飛行は決行された。
勝手がわからない航空機の撮影は機体のスピードについて行けず、臨場感のあるアップの画像は取れずに終わった。
全国で航空ショーを渡り歩くセミプロの方々も多い様で、一体どれだけの金をつぎ込んだのかと思える人も少なくない様だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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焼石連峰 キッツ川中俣~支流下降 2024.08.18

2024年08月20日 | 沢登り
知人に誘われて焼石連峰 キッツ川中俣~支流下降の周回コースを歩いたが、下降コースの支流を甘く見過ぎて手間取ってしまった。
キッツ川は岩手の地元の沢屋さんが最近になってSNSに投稿して話題になっている沢です。駒ケ岳に入る登山道口から更に林道を進み、キッツ橋の駐車スペースに車を置いて本流に入る。最初は3.0~6m程度の小滝とミニゴルジュの中を進む。昨夜の雨で増水していて登りごたえが有り楽勝に登れて快適だが、10年ぶりの沢登りの自分はリズミカルな歩きには程遠く、フラフラしながら2人の後をただ付いて行った。
中俣の出会いから先は待ち望んだ滑滝が連続して気分も良く、スロースペースながら標高950m地点から周回コースの尾根筋に少し上がってから下り、最初に出てきた本流迄短かそうな右俣側の枝沢を選択して下降路とする。
しかし、知らない沢を下降するとロクな事は無く、途中に滝が8本程出てきて懸垂を3回強いられる。25mの滝は懸垂で下降してみたが手持ちのロープは届かず、結局登り返してから高巻いて時間を食ってしまった。最後の30mのS字状の滝はクライムダウンして本流に戻り、後は本流の釜に飛び込んで下ったが結局10時間半も掛かる始末だった。
まあ、終わってみると1日で沢登りとミニキャニオニングを楽しめたので良かったという事にしておきます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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宮城蔵王 大黒天のアサギマダラ 2024.08.04

2024年08月04日 | その他山関連
毎年山形蔵王と宮城蔵王に渡って来るアサギマダラ。フジバカマはこの辺りならどこにでも咲いている花だが、何故か刈田岳の登山道の入り口で日陰のトンネル状の所に集まって来る。
人を余り恐れない様で近づいてもあまり逃げないフレンドリーな蝶です。
 
「渡りをするチョウ「アサギマダラ」とは山形県にある蔵王という山に来るチョウのことです。アサギマダラは渡りをするチョウとして有名です。
蔵王でマーキングされたチョウで、1番遠く飛んだ記録がわかっているもので、台湾まで行った記録(1680km)があるそうです。 台湾まで行くまでには海がありますが、アサギマダラは飛んでいくことができます。なぜかというとアサギマダラの羽には粉のような物があり、その粉のようなものが水をはじくのだそうです。そしてなんと、海面に止まって休むことができるのだそうです。そこでアサギマダラは各地で卵を産み、また蔵王にも渡ってくるのだそうです」
山形総合学習センターさんより
 
 
 
 
 
 
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宮城県 山元町のひまわり畑 2027.07.21

2024年07月22日 | その他
今日は山を歩く予定がひまわり見物になってしまった。
約7.6ヘクタールの農地に280万本のひまわりが咲き誇り、さわやかな潮風に揺られながら、見渡す限り1面のヒマワリを見る頃が出来ます。「やまもとひまわり祭り」は7/19(金)~28(日)の間開催され、今日は9分咲ほどで見事な景観だった。
≪ひまわり祭りの経緯≫
⇒ヒマワリ畑は、震災で甚大な被害を受けた沿岸部一帯を、ほ場整備により農地として復旧した土地であり、元々、宅地や道路など、畑ではない様々な土地が混在していたため、農作物を育てる「地力」を増強する必要がありました。
そこで、地力増強のための景観にも優れた緑肥(肥料)として作付けしたのがヒマワリであり、営農計画に沿って毎年作付けする畑を決定するため、場所が変わっています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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宮城蔵王 馬の背の散歩 2024.07.14

2024年07月14日 | 山歩き
午後からの天候がぱっとしない雰囲気なのでリハビリということにして馬の背~熊野岳を歩いてみた。コマクサ狙いだったが今季は雨が少ないのか既に終了で壊滅状態だった。
帰り路に期待していたのだが、フジバカマの開花は例年より遅い様で、アサギマダラの姿はなく期待外れの1日だった。(ストック画像を載せておきます)
帰りは暇つぶしでみちのく湖畔公園の睡蓮を見に行ったが、まだ早いのか開花は僅かで今日は終了。
AKATSUKA グリーン通信vol.257  2020.9月号より
フジバカマの仲間にはアサギマダラという蝶のオスが好んで訪れます。
まだよく解明されていないようですが、フジバカマに含まれる物質〝ピロリジジンアルカロイド〟の摂取が性フェロモンの分泌に必要だからと言われています。
アサギマダラは旅をする蝶としても知られ、台湾や東南アジアなどから日本へやってきます。中には2500㎞もの長旅をして日本に飛来したものもいるようです。
特に近年、この蝶の飛来ルートを全国的に調査研究する活動が盛んになり、フジバカマ類が日本各地で植栽され注目を浴びています。中でも日本各地に多く自生するヒヨドリバナは、丈夫で花期も8~10月と長いためよく植栽されるようです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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朝日連峰山開き 古寺鉱泉~大朝日岳~鳥原山~古寺鉱泉 2024.06.15~16

2024年06月18日 | 山歩き
毎年、鳥原山の「霊山朝日嶽神社」で開催されている朝日連峰の山開きに初めて参加。地元の各山岳会はもちろん西川町長を始めとした関係者多数が参加し、山の安全を祈願しての厳かつ賑やかに開催された。
西川山岳会では宴会担当4名が大朝日小屋泊し、他に鳥原小屋迫と日帰り組が参加して結構なメンツが勢ぞろいという雰囲気だった。
期待したヒメサユリ街道はまだ寂しい雰囲気だが、あと3~5日すると熊越から銀玉水までの間は見事な開花となるだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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イエティの噂話 1975年10月 アンナプルナサウス登山隊のお土産話。

2024年06月13日 | 東日本大震災
最近すっかり影を潜めたヒマラヤのイエティの話題だが、30~40年前には様々な雪男探検隊がネパールを訪れ、一時はブームになって皆さんご記憶に有る方も多いと思います。
しかし、数多くの探索隊がネパールに入って調査を試みたもの、決定的な画像・足跡・物的な証拠品は発見されず、やがてその熱も冷めて行く事になった。
実は、自分が1975年10月にネパールのアンナプルナサウス登山隊に参加した際、実に奇妙な足跡の様なものに遭遇したことが有る。5200mのC2キャンプに滞在していた高橋隊員が早朝に発見したもので、足跡らしきものはルート上の狭くて両側とも切れ落ちた尾根を北側から南側に越えて下の氷河に駆け下ったように見えた。
夜間の降雪のために足跡は不鮮明な状態で、これがイエティと断定できる程のものではなかったが、今でも記憶に新しくまた思いで深い物となっている。
この論争は2003年の根深誠氏の「イエティのチベットヒグマ説」によりある程度の終息を見た感が有り、その後はあまり話題に上る事もなくなった。
またヒグマ説以外には、エサのない6000m位の標高迄登るのが不思議だが雪ヒョウ説も有る。但し、生息域は中央アジアやインドの高山地帯で、ネパールではマナン地方で僅かに見られるが、アンナプルナ山域での目撃情報はきわめて少ない様だ。
しかし、48年たった今となっても自分ではイエティ肯定派の立ち位置は変わらず、大きなロマンを抱えながら登山人生を終える事
を誇らしげにも感じています。
野生動物の生態に詳しい方のコメントを歓迎します。
 
 
C2で早朝に足跡を発見。
 
登ってきた北斜面の下は絶壁。
 
昨夜の風雪で不鮮明な足跡。
 
足跡
 
アンナプルナ氷河より急峻な北斜面を超えて尾根上に達したように見える。
 
トサカ尾根の北斜面から南斜面のガネッシュ氷河に下降したように見える。
 
ガネッシュ氷河の雪崩。
 
C2から先は鋭く切れ落ちたトサカ尾根。
 
足跡
 
不鮮明だが足跡の形に思える。
 
ユキヒョウの足跡 インドヒマラヤ?
 
ヒグマの足跡 足跡は左右に振れ、足の形も足跡の画像とは異なる。
 
熊の足跡。
 
 
「イエティの噂話」
 
 
 
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48年前の古いヒマラヤの記憶 1975年10月

2024年06月09日 | ヒマラヤ
19歳で社会人山岳会の門をたたきクライミングを初めて3年目、ネパールのアンナプルナサウス(7219m)の北峰の未踏ルートを目指した登山隊に参加したが、厳しいナイフリッジに歯が立たずあえなく敗退。
今思えば無謀な計画でとても我々が手に負えるルートではなかったが、この頃からヒマラヤ至上主義の世界に足を踏み入れてしまった。
当時はヒマラヤと仕事のどちらが大事かと言われると仕事を捨てて参加するのが常識だった。こんなヤクザ的な山屋の世界にいたが結局自分では物にならず、ヒマラヤ登山は中途半端な結果で終わってしまった。その後2隊が同じルートを目指したが成功していない。
(一部のスライドは同行したTさんより)
 
 
 
アンナプルナサウス (7219m) 北峰
背景はアンナプルナ1峰(8091 m) 南壁
この尾根の突破に2週間位を要した。
「トサカ尾根」と称するリッジを辿る。
固定ロープは有るが落ちると果たして止まるのか?
中央の1段目のバンド迄達して退却。
C2を眼下にルートは続く。バックはマチャプチャレ( 6,993 m)
アンナプルナ内院のファング(7616m)
北峰に至る急峻なアイスリッジを目指したが敗退。
C2付近にて足跡の様なものを発見。
平均年齢25年位のシェルパレスのビンボー登山隊。つまり、シェルパを雇う金がなかった。
 
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