毎年、ここには多くの客さんが蕨取りに訪れる有料の蕨園で、規模では日本最大級なのかと思われ位広大な斜面だ。野焼きが行われた後に蕨が芽を出す訳だが、一度野焼きを見物してみたものだ。(残念だが一般の人は立入り禁止らしい)
長者ヶ原の桜は雪が残っていると印象的だが、今年はすっかり消えて今一つ物足りない感じがした。
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先日、朝日連峰の竜門小屋に一泊した際、入り口の靴が並んだ棚を見て嬉しくなった。その靴はナイロンアッパーではないスエードレザーを使用したザンバランのフジヤマで、自分を含めると4足が並んでいたのである。
この靴は自分でも30年近く履き続けている代物だが、途中ブランクはあったが今でも現役として活躍している最も古い山道具の一つ。一時はスパイク地下旅やトレランシューズに拘ったこ事もあったが、今は脚力の落ちた今の自分の足には良く馴染んで履き心地は良い。
実は、30年ほど昔になるがある登山用品輸入代理店(今は無い)の営業担当の時代が有り、この沓はミレーのザックと共に都内・関東一円の登山用品店への主力販売商品で、特に、今は閉店してしまったが鶴見のIBS〇〇スポーツは最大のお客さんだった。
しかし、多量に販売するには条件が有り、春・夏・秋の登山シーズンになると毎週の土・日は販売応援と称して店に駆り出され、朝 9:00~夜8:00まで店頭に立たされる立場で、店が終了して帰ろうとしたら店長に呼び出され売れた分は倉庫から補充して帰るという日々だった。家に帰るとPM11:00頃になり翌日も出社、つまり奴隷の様な暮らしが何年か続いていた。
今や皮革製の登山靴を作る国産メーカーも殆どなくなったが、フジヤマは40年ほど前、開発担当のEさん(元山学同志会員で冬のアイガー北壁の初登攀者)の手がけたイタリア製のベストセラー商品で、日本人の足の幅・甲の高さ・踝の左右の位置を徹底して追求し、防水性の高いスエードレザーと軽量なビブラムソール製の靴だった。
軽登山靴の元祖ともいえる代物でその後多くの国産メーカーも追従したが、今でも根強い人気を誇る定番商品として生き残っているのは嬉しい。靴の構造は軽量かつシンプルで特に大きな特徴もないが、重登山を別にすれば機能と耐久性を充分に満たす山道具で、これだけのロングセラー商品も珍しいのでは無いだろうか。
その後は内張りがゴアテックスのモデルも登場したが、結果的に皮革が薄くなって耐久性が低下し、型崩れも起きやすいので自分で使うことはなかった。シンプルイズベストという古い言葉がある通り、使い方にもよるが2回程度のソールの張替えも可能でこれからも大事に使う予定です。
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毎年、先手を打ってこの時期に忘年会を行っているが、このメンバーはかつて同じ山岳会の所属していた昔の面々。しかし、最年小でも40歳代後半、最年長は還暦をまたいだ元会長さんらで、アベレージは50歳台後半という構図。14名集まった中でまだ現役ぶっているのは2~3人だけ。その他は海釣りやシーカヤックなどと、まるで山屋暮らしの反動のように海の方へなびいて行く。特に仙台と言う土地柄だろうか、岩魚釣りでも凝りだしそうだがそうではない。流石にゴルフをやっている人は皆無だが、かつての一本杖スキーヤーが、今や中高年スキーヤーの王道を行っている。
しかしこのメンバーはその全てが現役を退くと、とっとと会を退会してきっぱり会との縁を切って行った。何処かの山岳会のように、山にも行かない古参会員が集会で高座に居座り、居心地の良い存在など言うことは皆無で、引退が即会の脱会を意味していた。つまり、会の運営は現役に委ねるのが筋で、年寄り連中があれこれとちょっかいを出すのはおかしい。会の活性化とその存続は、現役世代の情熱とその世代交代にかかっているからだった。少なくとも自分ではそう思っていた。元々個人山行主体の会であったが、こういった会は自由な雰囲気でまた個性的な雰囲気が漂い、自己満足度も高く楽しかった思い出しかない。幸い大きな事故やトラブルもなかったからだが・・・。
しかしこういう会には極めて個性的な人間が存在し、ある時にはとんでもない事件の張本人だったりする。酒が進むと予想された様な御乱心状態となり、昔からのなだめ役が登場してその場を沈める。毎回繰り返されるこの悪行三昧だが、なぜか今年は何時もと違っていた。会は大いに盛り上がったが、今年は主役が突然の不参加となり、夜半には殆どのメンバーが撃沈状態でおとなしく退散となった。流石に歳をとってきたと認めるしかないか?今回は監事としてはもっけの幸いと言う所だが、正直なところ物足りない一夜でもあった。しかし、この反動の来年が怖い。
鎌倉温泉 かまくらおんせん |
宮城県 蔵王町の秘湯、鎌倉温泉。源平時代、前九年の役で鎌倉権五郎景政という武士が傷を負い、療養中神女のすすめで温湯を発見し、それ以来鎌倉沢と呼ばれるようになりました。その後温泉は一時衰えていましたが、明治元年再び開湯したと伝えられている歴史ある温泉です。 |
●泉質 |
・・・強アルカリ泉、ラジウム鉱泉 |
●効能 |
・・・外傷、皮膚病、痔など |
※25年間お付き合いした水虫も完治したのもこのお湯のおかげ?