東北アルパインスキー日誌 ブログ

東北南部の山での山スキー、山歩き、山釣りなどと共に、田舎暮らしなどの話を交えながら綴っています。

南蔵王 硯石~不忘山 2022.05

2022年05月31日 | 山歩き
宮城蔵王の東面は山スキーで殆どのコースをトレースしたつもりだが、山歩きでは未だに空白の部分が有ってまだお楽しみが残っている。不忘山の山頂付近はお花見のお客さんで賑わい、初夏に近い陽気だったが残雪も残っていて良い光景に思えた。
硯石からのコースは初めてだったが登山道は快適で歩き易く風が心地よい1日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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村山葉山 岩野コース~葉山~畑 2022.05.18

2022年05月19日 | 山歩き
今日は誰一人会うことがない静かな山歩きだった。今年は残雪が多いため下降時には登山道が分かり憎く、視界不良時には注意を要する。
岩野コースは良く整備されていて歩き易く視界も良好で、葉山山頂付近は一部の刈払いがされている様で歩き易かった。
今年の積雪は異常だった模様でお気の毒な光景も有った。
 
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

東北地方には、葉山信仰と呼ばれる信仰がある。葉山は「羽山」「端山」とも書かれ、里から離れた「奥山」に対し、里に近い山という意味をもつ。葉山には農業の神が住むとされ、季節の折々に山に登り、五穀豊穣を祈った。村山葉山は特に、役小角が山を開いて以降は修験道の山となり、山麓に寺院宿坊が作られ、江戸時代初期までは羽黒山月山とともに出羽三山の一山に数えられていた。のちに出羽三山の一山となる湯殿山を奥山に見立て、その手前にある葉山という形である。葉山の神は、「葉山薬師権現」と呼ばれていた。

初期には、天台宗真言宗兼学の慈恩寺が葉山別当寺であり、この地を領していた大江氏最上氏の庇護を受けつつ葉山修験の中心となっていたが、天文年間に慈恩寺が葉山と関係を絶ち、三合山(十部一峠)を奥の院としてからは葉山の山岳修験は衰退し、いつしか出羽三山からも外れることとなった。

江戸時代には、寒河江市畑にあった天台宗大円院が葉山修験の中心となった。かつては12坊の壮大な伽藍を誇り、新庄藩の庇護を受け、新庄藩の祈祷所でもあった。葉山は、農業の神のみならず、最上川水運の守り神として、船頭からも尊敬されたという。

明治時代になると、葉山修験はますます衰亡し、1946年(昭和21年)大円院の敷地がGHQアメリカ陸軍大高根演習場の着弾地に指定されると、大円院への立ち入りが禁止され、寺院は取り壊されて葉山修験はほぼ消滅してしまった。なお、大円院は規模を大幅に縮小して1950年(昭和25年)に村山市岩野に移転し、寺院として現存している。また、もともと葉山で修験を行っていた坊が、慈恩寺の坊として寒河江市慈恩寺に現存する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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畑の山菜 山の恵み 2022.05.08

2022年05月09日 | 田舎の話
10年前位だったら実家の周りの山を歩き廻って山菜を取っていたが、今は自宅から150m離れた元畑で事足りてしまう。
コゴミ、タラの芽とコシアブラが終了して今はウド、わらび、アイコ、椎茸の時期で、この後に続くのがウコギ・ミズ・ふき。
30分ほどで親戚3軒の配るには十分過ぎる量で、これが山の恵みというやつか?
今日の仕事は畑の草刈りと庭の坪木囲いの解体で田舎は何かと忙しい。
 
ヘビスカナとフキに負けずにやがてワラビがのしてくる。
 
草刈は機械力で1時間の作業。
 
 
シイタケは春・秋の2回収穫。秋のシイタケの方が物は良い。
 
山から持ち帰ったら勝手にどんどん増えていった。
 
0分余りでこの量。本当は山の藪の中の黒いわらびが上級品。
 
 
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