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歴史を歩む

2015-02-25 09:00:00 | アロハガス日記

皆さんこんにちは! 大宮の改善大臣:今井です。

1年ぶりの個人投稿となります。一眼レフカメラを片手に、世界を渡り歩いています。今回は、愛機とともに歩んできた日本の歴史を紹介したいと思います。

新潟県の春日山城跡に立つ、戦国武将:上杉謙信です。「越後の龍」とうたわれ、義の精神を貫きとおした、私の一番好きな戦国武将です。大河ドラマの原作:火坂雅志の小説「天地人」によれば、普段は物静かで温和な謙信は、戦場に出れば一変して、その身に火炎をまとい、生きながら毘沙門天と化す、と描かれています。その謙信は、次の信条を書き残しています。

運は天にあり 鎧は胸にあり 手柄は足にある。何時も掌中に入れて合戦すべし。傷つくことなし。

死なん戦えば生き、生きんと戦えば必ず死するものなり。

家を出ずるより、帰らじと思えばまた帰る。帰ると思えば、これまた帰らぬものなり。

不定とのみ思うに違わずといえど、武士たる道は不定と思うべからず。必ず一定と思うべし。

「死なんと戦えば生き、生きんと戦えば必ず死するものなり」 戦国の世のみならず、現代にも十分通じる教えですね。

続いて、静岡県浜松市の浜松城に立つ:徳川家康です。幾多の戦いを経て、戦国の覇者となった家康の遺訓です。

人の一生は重荷を負って遠き道をゆくがごとし。いそぐべからず。不自由を常と思えば不足なし

心に望おこらば、困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。

勝つ事ばかり知りて、負くることを知らざれば、害その身にいたる。

己を責めて人を責むるな。及ばざるは、過ぎたるよりまされり。

「勝つことばかり知りて、負くることを知らざれば、害その身にいたる」 敗れて勝ち上がった家康らしい教えです。

山口県の巌流島こと向島です。巌流島と言えば、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の舞台として広く知られています。秘伝:ツバメ返しを擁する佐々木小次郎と、剣豪:宮本武蔵が激突。刀を抜き、鞘を捨て「待ちかねたぞ武蔵!」と構える小次郎に対し、武蔵が「小次郎!敗れたり!!」と一括したやりとりが有名ですね。

日本の名城:会津鶴ヶ城です。きれいなお城ですね。さて、会津鶴ヶ城といえば…

ここは、飯盛山から見た鶴ヶ城です。慶応四年8月23日、会津戊辰戦争において、白虎隊士中二番隊は、戸ノ口ヶ原で官軍と激突。やがて敗走し、飯盛山に逃れます。その時、飯盛山から見た鶴ヶ城は、火中に包まれ、これを落城と判断した隊士20名は次々と自決。しかし、これが誤認であったという衝撃の事実は、皆さんも御存じのことと思います。

明治の世になってから、彼らに一人の青年が、その殉難忠節に対し弔歌を贈っています。

幾人の 涙は石に そそぐとも その名は世々に 朽しとぞ思う

飯盛山に訪れる観光客は、年間で約200万人とも言われています。150年近く経た今なお、その名は世世に朽ちず、本当にその通りですね。

その青年こそ、彼が主君と仰いだ:松平容保公です。彼が京都守護職時代、蛤御門の変で長州藩を撃退したとき、孝明天皇より賜りしご辰翰は、59年の生涯を閉じる臨終のときまで、肌身離さなかった、という話が残っています。本当に最後の最後まで、徳川宗家あっての会津・朝廷への忠義を貫いた、見事な一生ですね。

翻って現代、私の部屋に飾っているボロボロの色紙は、私がこの世に生を受けたその日に、10年前に他界した祖父:好治が読んだ歌です。福島県二本松市で、建具店を経営していた祖父は、戦時中、軍需工場で働いた際、空襲警報が鳴り響き、「アメリカの爆撃機がやってきて、ズガーン・ズガーンと爆弾落っことしていったんだよ。」小さいころ、そんな話をしてくれたのを覚えています。

愛する姪姫:みつきちゃんです。昨年6歳の誕生日にまたプレゼントを贈りました。子供の成長は本当に早いですね。

こんなに小さかった赤ちゃんが・・・(初登場:2009年6月 生後6カ月)が、あっと言う間に6歳になりました。というわけで・・・

今年の4月より小学生になります。贈ったランドセルをさっそく担いで意気揚々の姪姫。立派に成長してほしいですね。かくいう私も、先人たちの教えを胸に、立派な仕事を成し遂げたいと思います。

長々しくも、最後までお付き合い、ありがとうございました!

 

 

 

 

 


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