ピアノと海と花との生活 Ⅱ

~創造する芸術~

音楽家のお墓  Vol.15  プロコフィエフ

2008-02-19 | 音楽

           

         

       セルゲイ・セルゲイヴィチ・プロコフィエフ(1891~1953)は

       ロシアのウクライナ南部に生まれ、モスクワで亡くなった

       ロシアを代表する作曲家です。

      やっぱり早熟!天才作曲家

       他の天才作曲家と同様、プロコフィエフも早熟!5歳で初めて

       曲を作り、次々とワルツ・マーチ・オペラまで書いていきます。

       8歳の誕生日にモスクワで見たオペラに興奮し、1年以上もか

       けてオペラを作曲。そのあと13歳から、ぺテルブルグとモスクワで

       10年間学び、この天才少年は鋭いリズムの極めて独創的な作品

       を次々発表していきます。

      世間は大混乱!

       ピアノ協奏曲第1番を第2番は、まだ彼が音楽院の時代に書かれた

       ものですが、1番の初演の時は、聴衆は完全に2分し、半分は喝采

       し感動し、半分は罵声と悪口をあびせ、新聞には「狂人のしわざ」と

       のったほど!2番の初演も大変な騒ぎになり、「この未来派の作曲

       家め!くたばれ!」という声と、「何という新鮮さ!素質と独創性!」

       という奇妙な状況になったとか。彼の斬新な響きに対する聴衆の

       おもしろい反応ですね。

         

                     19歳のプロコフィエフ

       ロメオとジュリエット 

        ロンドンでモダンバレエに初めて出会った彼は次々にバレエ音楽、

      オペラにも力をそそぎます。バレエ音楽はオペラよりも成功し、現在

      歴史に残るバレエ曲は7曲、中でも『ロメオとジュリエット』は20世紀の

      バレエ史に大きい変化をもたらしました。 

      筋肉マンだった? 

        プロコフィエフの作品は、きわめて多量、かつ広範囲にわたっていて

      20世紀の作曲家の中では、群をぬいています。26歳のとき突然、アメ

      リカに亡命しますが、ニューヨークに渡った彼は、’鋼鉄の指をもつピ

      アニスト’として各地で活躍します。アメリカの新聞には「鋼鉄の指、

      鋼鉄の手首、鋼鉄の2頭筋と3頭筋」と評され、エレベーターで黒人

      エレベーター係が、彼をボクサーだと思って、尊敬の念を込めて、腕

      にさわった!というエピソードもあるほど。

          

                    晩年のプロコフィエフ

         戦争と死 

          31歳の時、アメリカを離れ、また祖国ロシアにもどりますが、

        そののち、時代は第2次世界大戦に突入。プロコフィエフは

        疎開先でピアノソナタ「戦争ソナタ」を書き上げます。

        彼は驚きべき規則正しさで仕事をし、’1日たりとも作曲しない

        日は想像できなかった’というほど勤勉な毎日だったそうです。

        最後まで曲を書き上げた、この偉大な作曲家は、スターリンと

        同じ日1953年3月5日、62歳でその命を閉じました。

        全世界がそのニュースで埋まり、プロコフィエフの訃報は数日間

        報道されなかったそうです。

 

       お気軽に聴くプロコフィエフ

           子供のための音楽物語『ピーターと狼』楽しいお話はプロコの作品!

           これは、イギリスBBCが制作したもので、随分前にTVでやってたものを

           録画して、生徒さんや娘も小さいときから見てましたけど・・・

           前のと微妙に解説?のお人形が変わってる!(ダイアナさんの髪型とか)

           あとあのKDDのCMソングよく流れてましたね!あれが『ロメオとジュリエット』

           に中の「モンタギュー家とキャピュレット家」という曲。

           のだめちゃんのシュトレーゼマン、ミルヒーのテーマソングですね(笑)

                        両方YOU TUBEで見れます

 ★  ホームページ piano Yoshiko Official Site←はこちらからです!   


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
わかりました! (あっきー)
2008-02-19 19:49:18
こんばんは
プロコイフェル?だれ?というお粗末な私ですが、『ロメオとジュリエット』でわかりました印象に残る曲ですね。ミルヒーの顔が浮かんでくる。キョーレツイメージです
海外の新聞の表現はおもしろいですね。当時それだけ反響が大きかったということなのでしょうね。
それにしても、作曲家の人生にも戦争の影響は免れないのだなぁとつくづく思います。yoshikoさんのブログで芸術家の一生を辿るにつけ、歴史の勉強は大事だなぁと感じます。作曲家の人生を知り、曲を改めて聴く。画家の人生を知り、絵画を楽しむ。少しずつですがとても楽しいです

筋肉マンのところ、笑ってしまいました。yoshikoさんも鍛えていらっしゃるので。
失礼いたしました
返信する
あっきーさんへ (yoshiko)
2008-02-19 22:07:21
こちらにもコメントありがとう!
KDDのCMも強烈だったけど、あれをドラマに使って、ベト7を小学生がわかるまでメジャーにした’のだめ’は偉大だ!
過去の音楽史の中で、新しい動きがあると、それに聴衆は反応するので、そこがおもしろいですよね。プロコの音は斬新で並外れたエネルギーに満ちていたので、尚いっそうスキャンダラスだったのでしょうね。
この間まで、生徒さんのプロコの「戦争ソナタ」みてたので、エキサイティングでしたが、私、大好きなのです!’鋼鉄の2頭筋、3頭筋’なんて、ほれぼれ
’小説より奇なり’っていうけど、画家や音楽家の人生は、本当におもしろくて、どんどん調べてしまいます。
プロコフィエフは本当にオーケストレーションが上手いと思う。ロシアに帰った後は、以前の貴族のロシアと違い、新生ソ連の政府要人にもわかる音楽が、求められたらしいのですが、それに見事に応えて、彼は成功したのですね。
YOU TUBE 楽しんでね
返信する