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ピアノと海と花との生活 Ⅱ

~創造する芸術~

新・ショパン考 4  ショパンの手紙 1

2010-04-06 | 音楽

 

                              

                      ショパンの初恋の女性、コンスタンチア・グラドコフスカ。

          19歳になったショパンにその年齢にふさわしく恋人ができた。

          ~これはぼくにとっておそらく不幸なことだろうが、ぼくにはすでに理想の

           女性があるのだ。まだ直接話したことはないが、6か月も前からぼくは心

           の中で彼女へつかえてきた。彼女への想い  その夢にかられてぼくの協奏曲

           のアダージョが書かれたのだ。今朝はまた、彼女への霊感から小さなワルツを

           作曲した。それを君に送る・・・このことは君以外だれもしらないのだ~

          これはワルシャワ時代の親友ティトゥスに書いた手紙。

          このショパンの理想へのあこがれを託した「ピアノ協奏曲 へ短調」の第2楽章

          ラルゲット、「ワルツ 変ニ長調」はショパンの初恋の名残である。

          下の写真は、ショパン 3月号に載っていた美しいノアンのサンドの部屋。                      

        

           ショパンが祖国ポーランドをあとにして、パリへ向かうあいだ、

         1831年9月8日、ワルシャワがロシアに陥落の知らせを受けてシュトゥットガルト

         で書いた手記。

         ~ぼくはここではなんの役にも立たない。しかも空しく手をこまねいているだけなのだ。

          ぼくは時々 うなったり、苦悶したり、絶望をピアノにたたきつけたりするだけだ。

          神よ!この時代の人間どもを、一人残らず地の中にのみこませたまえ!我々に

          援助の手をさしのべないフランスの上に、重い罰を与えたまえ!~

            乱れた筆致で書かれたショパンの慟哭の声。

                  

           ショパンがパリに出てから、ドイツの温泉地で懐かしい父母と再会し、

          パリへの帰途の途中ドレスデンにたちよった。

          ポーランドにいたころ親しく付き合っていたウォジンスキ伯一家を訪ね、

          その妹のマリアと恋におちてしまった。

          ショパンの人生の中で、このマリアへの想いが、唯一真実の恋だったといわれる。

                  

          別れの時、ショパンはマリアのために「ワルツ ロ短調」(別れのワルツ)を弾き

          マリアは一輪の薔薇をショパンにささげた。

          マリアから贈られた何通かの手紙と、その薔薇が一つの包みにおさめられ、

          ポーランド語で《わが悲しみ》と記してある。

          これだけでも芸術作品のよう。美しい!

         

          ショパンが初めてサンドに会った時は、印象がよくなかった。

          でも、ショパンの心が傾いて行った時に書かれたショパンの日記。

          ~三度あの人と会った。ピアノをひいている間、目の中まで深く見つめるのだ。

            私の目の中にあの人の目が、暗く不可思議な目が何を囁くのか。

            燃えた瞳が私を包んだ・・・私たちの周りの花。私の心は奪われてしまった。

            それからニ回会った・・・・彼女は私を愛している・・・オーローラ、何と美しい

            名か!~

           音楽がきこえてきそうな文章。情熱的。

           マリアとの関係がこわれて、サンドとの急速な展開があったころ。

             

           手紙は大切。現代のメールでは、本当の気持ちが伝えられない気がする。

           私は、美術館へ絵を見にいったら、気に入った絵のはがきを何枚も買ってくる。

           いただきもののお礼に、カードのお礼に、一言気持ちを送りたくて、

           はがきを書く。

           大切な人には手紙。季節にあった便せんとか探すのが大好き。

           アムステルダムの街角の文房具屋さんで見つけたレターセット、美しかった。

           シエナで買った日記帳、トスカーナの独特の紙の表紙。

           少しずつ書いてるので、15年以上も使っている。

           ショパンの手紙、もう少し、書きたいので次回また。

           それに加えて、今度は大好きなシューマンのことも書きたいし、

           女性遍歴を並べたら1冊の本でも足りないリスト、意外な死因のシューベルト、

           殺人までおかしたパガニーニ・・・とかきたいことが次々あります

           少しずつかいていこう

 

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オーケストラアンサンブル金沢第278回定期公演

2010-03-24 | 音楽

                   

                            

                             2010年3月21日(日)

         石川県立音楽堂 
 
           1・ヘンデル 合奏協奏曲第12番ロ短調op.6-12
           2・タルティーニ トランペット協奏曲 ニ長調
           3・アウエルバッハ フラジャイル・ソリテュード:弦楽四重奏とオーケストラのための
           4・ハイドン トランペット協奏曲変ホ長調,Hob.Ⅶe-1
           5・グルダ チェロとブラス・オーケストラのための協奏曲
           《アンコール》 小曽根真さん、カンタさん、シメオ君3人の即興演奏

         私にとって夢のような2日間でした!
 
        この日のプログラム、ALLコンチェルトの盛りだくさんでサプライズの連続!
 
        ヘンデル、すごくいいバランスでOEKの弦の魅力でいっぱい!いい曲ですね。
 
        アウエルバッハさんの近作。すばらしい!大好き
 
        会場の方々はどうだったのでしょう?あの現代の響きは、耳が受け付けない方も
 
        多くいますけど、私はこれが1番好き。頭の中がアルファ波でいっぱいになり、
 
        それが体中炸裂するので、どうしていいか分からない状態になります(笑)
 
        弦と晃子先生のチェレスタ?それとも次の日、中村(金澤)さんが弾いてらした
 
        ジュ・ドゥ・タンブル?あの響きがたまらなくよくて、もうくらくらしてしまいました。
 
       
        
        この現代の響きは、時に不思議な現象を生み出します。
 
        大好きなメシアンが亡くなって、その追悼コンサートが、サントリーホールでありました。
 
        舞台はオルガン1台。メシアンのオルガン曲を1人の演奏者が延々と弾くコンサート。
 
        英国の女性のオルガニストでしたが、そのコスチュームが、すごい!全身銀のラメの
 
        つなぎのパンツスタイル(ピンクレディのUFOの衣装ですね)にアンテナのついた帽子!
 
        きゃーわたしにとっては大歓迎のスタイルで、始まったプログラム。
 
        いつものことながら、私の頭はアルファ波の嵐なのに、周りが変です。隣りの友人も
 
        なんかつらそう。そのうち1曲終わるごとに、客席から人が次々退場しだしたのです。
 
        ついには曲間にも!それでも演奏は延々続きます。中には口をおさえて出る人も。
 
        サントリーホールで実際にあった情景です。
 
        偉大なメシアンのあの音を!感覚がとらえられなかった方が多かったのでしょう。
 
        もっともっとこういうすばらしい音が、人々に受け入れられたらいいなあ。
 
              
 
        さて18歳の天才シメオ君です!このコンサートに合わせて発売のCD(写真は下)
 
        は予約して3日前に購入!上のデビューアルバムもずっときいてました。
 
        タルティーニ、いいですね!私も来年’悪魔のトリル’伴奏です。
 
        天才トランぺット奏者といえば、もう一人、セルゲイ・ナカリャコフ!彼が主演した
 
        映画『大河の一滴』は五木寛之原作の金沢が舞台の映画。
 
        初めてみたときはびっくり!設定もセルゲイ君がOEKのオーディションを受けるの
 
        ですね!実際彼のOEKとの共演はきけなかったけど、音すごいですね。
 
        レガート奏法とかものすごく勉強になる。彼のトランペットは’泣きのトランペット’
 
        そしてシメオ君は、バレンシアの太陽のような大空に澄み渡るトランペットでした!
 
               
 
        音が明るい!すばらしい的確なテクニック!
 
        音色はやわらかで、スペインの空を全部もってきてくれたような演奏。
 
        目の前のシメオ君、CDジャケットより、また大人になって、はにかんだ表情に皆
 
        釘付け!井上さんおっしゃてましたけど、OEKきてくださーい
 
                         
       
        さて、スペシャルです!おもちゃ箱の定期もそうだったけど、この日も
 
        井上さんの爆発企画!音楽堂の天井にミラーボールがまわって、昔の
 
        ディスコ会場みたいになり、カンタさんのチェロがエレキになった
 
        最近だけでもピアソラ、ショパンと、まあ今までもカンタさんの演奏はずっときいていて、
 
        でも話題のグルダはきけなかったので、2日前にも事務所でおしゃべりしたし、
 
        たのしみにしていたら・・・カンタさん!ロックだ!きゃーうますぎ!1番前でのりのり!
 
        実は私は、学生時代、ほとんどロックしかきいてなくて、もちろん気に入ったクラシックの
 
        コンサートは行ったけど、イギリスのロックバンドとかそういうコンサートばかりいっていた。
          
        今はジムでヒップホップ踊ってるのに(笑)ディスコ全盛のときは、アウトドアが好きで
 
        行かなかった。スティングが1番好き東京ドームも行ったなあ。
  
        でも、このロック好き、私だけじゃないですよ。
 
        今、金沢でバリバリ活躍なさっているピアニストの方で、こういう方多いです。
        念のため・・・笑
 
        こういう企画を定期でやってくださって、ホントにうれしい!
 
        会員の皆さんも皆、強烈に感じたと思います。なんて素敵なコンセプト!
 
             
        
        サプライズはまだあったのです!アンコール!客席から何と!小曽根真さん
 
        が歩いてこられて、ジャンプして舞台にあがり、カンタさんとシメオ君と即響演奏!
 
        昨日と今日、東京と名古屋で出演のはずの小曽根さん!ショスタコのテーマですよね?
 
        超かっこいい即響で、3人の演奏が目の前で繰り広げられ、もう卒倒しそうでした・・・
 
        小曽根さんのラプソディーのOEK共演、前回はきけなくて、TⅤ放送を録画して
 
        何度みたことでしょう!ラプソディーは、2台ピアノとコンチェルトとソロの原版のいいとこ
 
        ろを取り出して、それにヴァイオリンパートをつけて少しアレンジして、
 
        トロイさんとも、あと藤井夫妻ともよく弾きました。
 
        ラ・フォル・ジュルネの即興演奏も、いい席getしましたので楽しみにしております・・・
 
        いい席といえば・・・
 
        昨年は、席がシャッフルだったので、今年は絶対!並ぶぞと友人と9時にいったら、
 
        すでに20人も並んでいて、結局12時ちょっと前までかかりました。
 
        ものすごい数のチケット!それもいい席!ということで大満足です。
 
        それでも新潟はいけないし、お料理と演奏の会の日は大阪。
 
        いいです、これだけ公演きければうれしいです。
 
 
        ということで、あまりの盛りだくさんの内容に、うれしすぎて書ききれず・・・
 
        でも興奮のコンサートは次の日にもあったのです。
 
       
 
 

金沢21世紀美術館コンサート

2010-03-24 | 音楽

        

           

          2010年3月22日(祝)

         金沢21世紀美術館 交流ゾーン
 
         1・ブリテン 「オヴィディウスによる6つの変容」より第1曲”パン”
         2・ジルヴェストリーニ 「6つの絵」より第4曲
         3・ドラティ 5つの小品より 第4曲 ”ゆりかご” 
         4・金澤攝 「光の踊り」 (新曲)
           

         OEKのHPで、このコンサートを知ってから、もう楽しみで楽しみで・・・

       定期のUPで書きましたが、学生時代はほとんどロックをきいていた私。

       それでヤマハにはいってから、現代曲を聴き始めて、それで、金沢の鬼才!

       金澤攝さんの追っかけをしていたのでした!

       名古屋のルンデで、サン・サーンスの作品をきいて、ピアノを縦横無尽に駆け巡る

       中村さん(当時は中村攝さん)の指に仰天!本当に腰が抜けてしまって、立てなく

       なったのでした(笑)

       その当時、コンサート後の談笑の中で、「長命の作曲家の作品はすばらしい」という

       話題で大いに盛り上がったのですが、

       すみません!短命のアルベニスの作品を弾くことを、生涯のテーマにして、

       今は毎日、もっと短命だったショパンを弾いてます(笑)

       コンサート前に20年ぶりくらいに少しお話しましたが、予想通り、全く記憶になかった

       ご様子でした(笑)

        

       コンサートは、ナビゲーターの井上さんが、パン(牧神)の衣装で登場でした!

       OEK HP より

          牧神の事をお話している井上さんは、牧神そのもので、

       光の中で、ガラス越しに外の緑の芝生と風と光がいっしょになって、

       本当に不思議な空間でした。

       オーボエの加納律子さんの音もすばらしくて、ルノワールの絵と空間が一体に

       なり、魂だけ浮遊しているみたいだった。

      

       金澤さんの新曲、よかったです!

      ご自身で演奏されるジュ・ドゥ・タンブル、本当にいい音ですね。

      2曲目は、井上さんが「レばっかりだったねー」とおっしゃってました。いい曲。

      久しぶりに金澤さんの音を聴けて、

      あの空間で、夢のような時間を過ごしました。

      この21世紀美術館コンサート、大好きで、昨年も井上さんナビのカンタさん、トロイさん

      出演の部を、娘と聴きに行きましたが、確か毛皮のコートを着ていたような?

      この日は、兼六園の下の通りも、桜がもうちらほら咲いていて、

      ぽかぽか春の風が吹いていて、

      久しぶりの兼六園の足元。

      本当にきらきらしたどきどきした時間でした。

      今度は、佐藤しのぶさんの定期、この日は大学の総会の帰りだ。

      その次は、大学の大好きな先輩が出演する登竜門コンサート・・・

      それまでまたがんばろう   

   

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新・ショパン考 3  ショパンの映画

2010-03-02 | 音楽

   

          

            ’ショパンの映画’というと何を思い浮かべますか?

           『戦場のピアニスト』では、ドイツ将校の前で、バラード1番を弾くシュピルマン、

           胸が締め付けられる場面でしたね。

           あの映画で、ピアノの吹き替えをしていたピアニストは、皆さん、ご存じですか?

           ポーランドのピアニスト、ヤーヌンシュ・オレイニチャク。

           彼が、ショパン役を演じているフランス映画がこれです。『La note bleue』

           《青い音》

           ショパンが、晩年過ごしたジョルジュ・サンドのノアンの館に繰り広げられた

           人間模様・・・もうそれは感嘆するしかない!

                 

          しかし、この最大の問題点は!邦題と日本での取り扱い方!

          この映画の邦題は何と『ソフィー・マルソーの愛人日記』となっており、

          成人映画として取り扱われ、表紙もこれ。

          実は、私は、何年か前にある芸術家の方からこの映画の事を教えてもらい、

          すぐAmazonで注文して観たところ、驚いてしまったのです。

          ソフィー・マルソーは、サンドの娘のソランジュ役で、ショパンの事は慕っていますが

          結局2人は結ばれることなく、事実に基づいた彫刻家のクレサンジュと結婚すること

          になる。

          まず驚くのが、ショパン役のヤーヌシュ・オレイニチャクの演技がすばらしい!

          もうショパンそのもの!顔も晩年の写真に本当によく似ています。そしてもちろん

          全編で、ショパンの数々の名曲をプレイエルで本人が弾いているのですが、

          ブラボーです!もうショパンがそこにいるようです。

          驚くことはまだまだあって、映画は最初に、私の大好きなツルゲーネフがノアンを訪れる

          ところから始まりますが、そのツルゲーネフの愛人のポーリーヌ役に、

          フォルクスオーパーでも大活躍のノエミ・ナーデルマン!

          彼女も全編にわたり、その美声をきかせています。

              

            確かに全体的に設定が芸術的なので、マニアックな映画になるのかも

           しれませんが、わたしは観れば観るほど、事実に基づいて創られていること   

           に感動します。

           ツルゲーネフがノアンを訪ずれるようになったのも、このころ。ドラクロアも息子

           のモーリスも、そのほかの登場人物も、忠実に描かれています。

           そうそう、サンドの飼っていた犬が、台所でワインを飲んでしまって、酔っぱらって

           それを見ながら、ショパンが「子犬のワルツ」を弾く場面もあります。

           出来た瞬間ではないですが、他の名曲はこうやって出来たのかなあという場面

           がたくさん出てきます。

           天才の織りなす世界ですから、かなりクレージーな部分もあるように思いますが、

           私は好きです。

           実際、毎日、ショパンの音をきいていた日常は、こんな感じだったと思う。

           なにしろ、オレイニチャクがうますぎる!

           私は『戦場のピアニスト』のサントラ盤ももっていますが、個人的にはCDできく彼の

           ショパンはあまり好きではありません。

           でも、この映画のノアン館のそれぞれの部屋においてあるエラールピアノを

           弾く彼は、本当のショパン!音もいいし、弾き方もこの映画の中ではすばらしい!

           最後の方で百面相も披露してるし、ふざけて床にすわったままピアノを弾く

           シーンもある!すごいなあ。

           サンドの寝室の青い部屋は、前回このブログでも、

           ご紹介しましたが、映画では、ソランジュにひかれていくショパンにサンドが

           爆発し、部屋を、大嫌いな真っ赤な壁紙に代えてしまう。サンドの書斎も忠実に

           再現していると思う。

           その真っ赤な寝室で、ピアノの鍵盤に、バーッと吐血しながらピアノを弾くショ

           パンの姿にはものすごいものがあります。

           晩年のショパンは、いつもこんな風だったと思う。

                     

          これは、ドラクロアが、リュクサンブール宮殿の図書室の天井を装飾する

          依頼を受け、ダンテを描くためにショパンの顔の特徴を利用したもの。

          1847年にドラクロアは、完成した絵を見せるためにショパンとサンドを案内した

          が、それが二人が一緒にいた最後だった。

          ドラクロアは終生、この絵を自分の部屋にかけていたそうだ。

          この絵をショパンにノアンの庭でショパンに見せる場面も映画に出てくる。

          ドラクロアとショパンとサンドは真の親友だったのだ。

                      

         これは、サンドの長男モーリスとサンドの作品。モーリスが菩提樹の木を削って

         人形を作り、サンドが衣装を作って仕上げた。これも映画全般にわたって登場し、

         最後は、不気味な人形劇の場面になっているが、実際、ノアンでは、この人形

         劇が、ノアンの芸術活動となり、広く人々に愛され、支持されたのである。

         映画の人形劇の最後に、登場人物のその後が語られているが、それもすべて

         事実。

         ソランジュは、婚約者がいながらショパンに惹かれ、2人でサンドから離れて、

         逃げたいとまで思うが、突然現れた彫刻家のクレサンジュと意気投合し、2人は

         結婚する。ショパンの晩年とサンドとの破局にも、この2人はおおいに関係している。

         また、映画では、サンドは非常に奔放で、あらゆる男性とキスをかわし、女性との

         関係まで描かれているが、これも事実である。

         この映画の中では、サンドはもう男装はしていない。その代わり、ソランジュが、

         ’昔のママの姿よ’と男装してショパンに迫る場面はある。

             

        この映画の中で、ショパンのセリフとして「バラードの中では必ず死が訪れた」

        という一言がある。私も同感。バラードを弾いているといつも強く感じる。

        サンドとの会話の中では、「最後の音まで、繊細に、かすかに・・・それが青の

        音よ」というのもある。美しい!

        こういう音を、私は長い時間をかけて探しているのだ。

        それにしても、この《La Note Bleue》も最後の方では(先の音へ)と訳してあって、

        フランス語はよくわかりませんが、これでいいのでしょうか?

        とにかく、この映画の邦題を、たとえば《愛と望郷の果て》とか《愛と旋律の日々》とか

        なんでもいいから変更して、ジャケットもアカデミックなものに変えて、

        せっかくのショパンの年だから変更してみてはいかがでしょうか?

        マニアックな不可思議な印象の映画ですが、そこにはショパンの実像に近い

        映像があります!

        最後の写真は、39歳で亡くなった1849年の翌年の10月17日、ドラクロアが会長になり

        パリのペール・ラシェーズ墓地に建てられたショパンのお墓。

        作者は、ソランジュの夫のクレサンジュ。ショパンの横顔の上に天使のうなだれた

        姿が彫られていてその手にしているのは、古代楽器のリラ。

        映画では、これまた奔放に描かれていたクレサンジュ、すばらしい仕事をしています。

        

 

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木村かをりと、オーケストラ・アンサンブル金沢による室内楽シリーズ

2010-02-21 | 音楽

 

                    

                    いよいよラ・フォル・ジュルネ金沢始まりました!

          ラ・フォル・ジュルネは1995年、フランスの港町ナントで誕生。アーティスティック

          ディレクターのルネ・マルタン氏が創出したのは、この世でもっとも驚きに満ちた

          クラシックの宝石箱!

          その勢いは、フランスから国外へ。2005年には東京、そして2008年には金沢に

          上陸!

          世界中から1,000人以上のアーティストが集い、朝から晩までコンサートを繰りひろげ、

          誰もが音楽を楽しめる音楽祭!お祭りです

          今年のLFJ金沢は、1810年台の4人の作曲家の特集!

          1809年に生まれたメンデルスゾーン・1810年のシューマン・ショパン、1811年のリストと

          と、ロマン主義時代の天才たちが駆け抜けた時代を追います。

                

          このラ・フォル・ジュルネで昨年のモーツアルトから、県内で演奏するピアニスト

          や学生・一般から応募しオーディションをしてピアノのコンサートをするという

          ’ピアノマラソン’が始まり、昨年は参加しなかったのですが、今年は生徒さんと

          2人でオーディションを受けたところ、2人とも合格し、生徒さんは3月27日、津幡で、

          私は5月2日のメインのコンサートに出演が決まったのです!

          これはまたⅠのブログで後日くわしく書きますね。

          さて、その石川県縦断コンサートの中でのスペシャルコンサート!

          ピアニスト木村かをりさんと、OEKのコンサートマスター、松井直先生とチェロの

          カンタさんによるショパンとラベルの演奏会。

        

                2010年2月17日(水)       

         石川県立音楽堂 邦楽ホール  ショパンの風 ~ ラヴェルの愛

             ショパン  ピアノ三重奏曲 ト短調 op.8

             ショパン  序奏と華麗なポロネーズ ハ長調  op.3

             ラヴェル  ヴァイオリンとピアノのためのソナタ

             ラヴェル  ピアノ三重奏曲

             〈アンコール) サティ Je te veux

         

                 

          ショパンは3人の熱演!松井先生とカンタさんの情熱的な音に、かをりさんの

          素晴らしいバランスのピアニズム。すばらしい!

          カンタさんとかをりさんの2曲目もよかったです。ポロネーズのリズムが、かをり

          さん、絶妙です。ホントに御上手な方です

          個人的に、ヴァイオリンソナタの中で、1番好きなラヴェルのソナタ。

          今から20年前のヤマハの講師時代、このラヴェルが好きで好きで、夕方の海には

          必ず持って行って1人できいていました。久しぶりにおききした松井先生のソロ、

          すばらしくて涙が出そうでした。1楽章の切ない旋律、大好きな2楽章、そして

          感動的な3楽章、どこも丁寧にラヴェルの音を作られていて、繊細な落ち着いた

          演奏。ヴァイオリンソナタのいろはから教えて下さった松井先生。また是非ソロの

          コンサートしてください!

          ピアノトリオもすばらしかった!3人のバランスも絶妙。

          非常に格調高い演奏会でした。

                  

          それにしても、木村かをりさん、いつものことながら、本当に左右のバランスの

          よい方です。あの大曲4曲連続のなかで、すべて曲を把握し、1曲1曲をすばらしく

          まとめていらっしゃって、さすがです!自分の音も、お二人の音もすべて完全にきいて

          いらして、バランスが完璧!本当にいい演奏でした。

          今から20年近く前に、松井先生の奥様の晃子先生と、ピアノデュオのリサイタルを

          させていただいたときに、ラフマニノフの組曲2番のレッスンを、木村さんにお願い

          したことがあったのです。

          そのとき、かをりさんは「ホントに私でいいの?」と控え目におっしゃって、

          1時間くらい、とてもやさしく丁寧に教えて下さいました。

          私は、もう夢心地・・・

                

          リサイタルも無事終わり、お礼のごあいさつに伺った、たしか金沢ニューグランド

         ホテルの ロビーで、まだすごくお元気だった岩城さんとかをりさん、晃子先生と4人で

         で楽しくお話しながら、やさしいいい時間が流れました。

         そのとき、私が、メシアンの大ファンだとお伝えしたら、そのリサイタルのちょうど1年前に

         亡くなったメシアンのお葬式のポートレートのコピーを、後日下さったのです!

         2枚のポートレートは私の宝物になり、額に飾って、20年間、私のレッスン室の

         守り神!として、私や生徒さんたちを見守って下さってます

         岩城さんの何冊かの著書も、私の愛読書で、その中にも、メシアンのご自宅を訪問

         された様子がつづられています。

         またオーストラリアで、メシアンの前で「トゥーランガリア」を指揮された様子も生き生きと

         描かれており、印象的です。

         昨年のOEKNの定期のスタートの時に、ロビーでかをりさんとお話ができて、

         ポートレートのこともおぼえていらして、20年ぶりの話題に、かをりさんもうれしそうな

         表情をされていました

         ラ・フォル・ジュルネのスタートに、本当にいいコンサートがきけて幸せでした

 

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オーケストラアンサンブル白山市定期公演

2010-02-15 | 音楽

      

                       

                   2010年2月14日(日)       

         松任文化会館

             ベートーヴェン エグモント序曲

                       交響曲第9番ニ短調「合唱付」

           年末に聖響さんの第9をきいたばっかりなのに!この日は、ずっと以前から

           大変お世話になっているアルトの串田先生と、4年前、神戸でモーツァルトの

           オペラのお仕事でご一緒したテノールの松岡さんがソロ、ということで、楽しみに

           していってきました。

           年末は、フィルハーモニーシリーズだったので、客席左側の1番前でしたが、

           今回は中央でききたかったので、補助席を設けての満席の会場でしたが、早め

           にいったので、前列2番目中央席できけました 

           この日もコントラバスが、客席から見て左側にドーンと並び、今野さんがチューニング

           していらっしゃって・・・

           韓国の方たちも加わって、チョロも数も増強?いつもの聖響さんの古典的配置で、

           弦が左側、トランペット、トロンボーンが右側、ホルンが左側という位置。

           「エグモント」いい演奏でした。

           聖響さんの第9は、著書にもあるとおり、本当に変わっていますが、

           年末にきいて、非常に面白いと思い、今回は中央できけて大正解でした。

           年末よりも、弦がさらに厚くなっており、特にチョロの響きがすごかった。

           カンタさんの音が、一層おおらかに響いています。

           木管もさらに引き締まった感じ。特によかったのがホルン。

           この日は、プレコンサートで、カンタさんと、韓国のヴァイオリンの方と、ヴィオラの

           方、あとスイス?のホルンの方4人でのホルンの4重奏で、カンタさんも初めての曲

           とおっしゃっていましたが、全部唇で音程を作るフレンチホルンを目の前で きけて

           大満足。

           第9でも、ホルンの方、大活躍で、3楽章は立って演奏され、きかせどころも

           バッチリ!いい音ですね。フレンチホルン!

           聖響さんの目指している第9の音にぴったりだったのでは?

                         第9は、学生時代、その頃は毎年、わが国立音大の声楽科のメンバーが

           年末の第9N響公演に必ず共演で、私たち教育科は、学内オケ一緒にやって

           いて、

           私はソプラノだったので、合唱をした経験からも大好きなのです。

                         この日は合唱は白山市第九特別合唱団の皆さんで、知り合いもいたし、

           頑張ってましたね。

                 

           この本は、聖響さんがベートーヴェンにかける想いを、交響曲1曲ずつ、

           非常に詳しく書いてある本で、特に当時の演奏スタイルにこだわる聖響さんの

           ものすごいこだわりが、全編にわたり書かれており、非常に興味深い本です。

           これは随分前に購入し、昨年6月に6番、7番の定期の時と、年末第9の時、

           両方とも、本にサインしていただきましたが、

              1回目→本を見られて、完全にうしろにひかれたご様子

              2回目→「出た~本や~」「2回目や~」という完璧関西弁アクセント

                   で、盛り上がってくださり、うれしい限りでございました

           今回も持参しましたが、会場が違って、サイン会もなし。仕方ないですね。

           県立音楽堂と違って、この舞台は、完全にDED状態の音で、しかもノン・

           ノン・ビブラート奏法で、ますますかっちりした音でしたが、OEKの演奏も

           年末より引き締まっており、すごくいい演奏でした。

           同じ交響曲を、違う場所できくのもすごくよいですね。

           聖響さん、ラ・フォル・ジュルネも楽しみにしてお待ちしております

           さて、アルトの串田淑子先生は、ヤマハの講師時代から随分お世話になっていて、

           もう大好きな先生。リサイタルもお互い行き来しており、随分前ですが、

           東京で皇太子様のおききになったコンサート、モーツアルトの「魔笛」に

           ご出演の時も、上京してきいていたのでした。

           よかったです、この日も。コンサート後、パーティーの前にお茶もご一緒できて、

           いろいろお話できてうれしかったです

              

           さて、テノールの松岡重親さんですが、2006年に神戸でモーツァルトの

          オペラ「バスティアンとバスティエンヌ」で共演して以来でした。

          これはベルギーに住む友人、ソプラノの正木さんからの依頼で、彼女の演出、

          脚色で実現した公演だったのですが、コンサート形式の出演、12年ぶりで、

          しかも1回の公演が3時間近く、ピアノの私だけ出ずっぱりの2回公演という超

          ハードな本番だったのでした。

                         

     

          メンバーは、関西二期会の方々に元宝塚の方お2人も加わって、メヌエットなどの踊り

          や、パフォーマンスもふんだんの大変華やかな舞台でした。

          その時以来の再会で、パーティーの前にお話も出来、またこれからの展開も

          ありそうで、本当にこういうとき、音楽をしていてよかったなあと思います。

          今週は、この日を先頭に、4回も演奏会があります!

          1日ピアノをずっと弾けて、夜はコンサート、という1番うれしいスケジュール

          来週はOEKの定期もあり、12月同様、いつも金沢駅前にでかけるという日々です   

          ね(笑)

 

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新・ショパン考 2  ジョルジュ・サンド ②

2010-02-13 | 音楽

 

             

        そもそも、サンドが男装を始めたのはいつからなのだろうか。

       サンドの最初の男装は、この著書によると、4歳の時になっている。当時、一家は、

       父モーリスのスペイン戦線で、かつて「従軍」の経験のある母とともに、一緒にマド

       リードの戦地の前線で生活していた。そのころ、子供服というものは全くなく、当時は

       少女でさえ、胸を大きくあけ、コルセットで胴をしめつけ、ハイヒールをはいていた。

       将軍への謁見のとき、母ソフィがサンドにナポレオン軍の華やかな軍服を着せて、

       将軍の前に立たせた。当時の男の子に抱く母親のあこがれの感情からだったらしい。

                        

      1810年から20年にかけて流行した第一帝政時代の女性のモード、エンパイア・

      スタイルは、革命期の簡素でゆるやかなシュミーズ・ドレスから徐々に装飾性が加わり、

      スカートは高いウエストから裾にかけてほっそりとひろがっていた。跳んだりはねたり、

      何かをとびこえるなんて出来ない。

      そして、フランス革命後19世紀の半ばになると、足首まで届く長いスカートは、たっぷり

      とフレアーがはいり、袖はふくらみ、つば広の帽子をかぶる。

      サンドは乗馬がすごく好きだった。夫と不仲になっているときも、乗馬が彼女を救って

      くれた。

                        

      自立を求めて、2人の子供と生活を始めたサンドは、ロマン主義の波が高まり、

      音楽・文学・美術・演劇の文化的息吹が熱くみなぎり、民衆の自由主義が 目覚めた

       パリの真っ只中にいた。しかし、物価は高く、生活費も少なく、そこで、ソフィに相談した

      結果、衣料費を安くするために男装を勧められるのである。

      サンドの男装は、こうした背景で生まれたのだ!

      1番上の絵が、当時男装したサンドだが、パリの音楽会、演劇、カフェ、などあらゆるサロン

      に男装し、歩き回り、あらゆるものを吸収しようとした。

      そして作家として頭角を現すと、彼女の周りには、キラ星のごとく才能を持った天才達

      があふれるように集まってくるのだ。

                

     作家ジュール・サンドー、バルザック、詩人アルフレッド・ド・ミュッセ(彼はまた重要な存在)、

     作家スタンダール、詩人ハイネ、画家ドラクロア、音楽家リスト、ベルリオーズ、

     まだまだ女優、弁護士、哲学家、政治家、ありとあらゆる才能が、彼女の元に集まった。

       そしてショパンも彼女の人生において、非常に大きな存在になるのだ。

     ショパンが初めてサンドに会った時、ショパンはサンドの印象が悪く「本当に女なのか」

     といったらしい。

     でも2人の仲は、パリのサロンの間でも周知の事実となり、2人の子供とともに、

     ショパンとサンドは、ショパンの結核の療養のため、スペインのマヨルカ島へ渡り、

     そしてそこで数々の名曲が生まれるのである。

     有名なエピソードは、一家が住居としていた僧院から、サンドと子どもたちが買い物に出かけ、

     そのあと大雨が降り、随分遅くなって3人が帰宅すると、ショパンは泣きながら、雨のしずく

     を見て、名曲「雨だれ」を作曲していたという実話。

     実際、マロルカ島でも、フランスのノアンでも、サンドは実に献身的にショパンに尽くしていた。

     病状が悪化したので、マヨルカを離れ、ノアンの館で生活を経て、そのあと別離し、ショパン

     は生きる気力もなくなり、 39歳の短い生涯を終えるのだ。

     (写真はショパンが他界する数ヶ月前に撮影)

     結局、サンドは30歳前から40代にさしかかる10年以上を、ミュッセとショパンという稀有

     な才能に恵まれた男性を愛し、彼女自身も極限まで傷ついた。

                                            

                                   上の写真はサンドのノアンの’青の寝室’

     ショパンとサンドの愛は、サンドがショパンを支える母性的な役割を果たすことが、

     前提で、それができなくなったとき、愛も破局を迎えるのである。

     芸術・文学の創造に自らをおいていたサンドの存在のもとで、貴族的でわがままな、現実

     の生活ではまるで子供のような2人の恋人、ミュッセとショパンは、張り詰めた愛の日々の

     中、多くのすぐれた作品をこの世に残していったのだ。

     私は、サンドという女性は、最も女らしい女だったと思う。彼女の愛の対象となった男性は

     すべて彼女より年下で、一流のデザイナー、献身的な看護婦、異色の作家というさまざまな

     顔を持った彼女が、母性的な愛で彼らを包んだのだ。

     ショパンとサンドが別れた時、2人の親友だった画家ドラクロアは激怒し、この冒頭のショパン

     の絵と、最後のこのサンドの絵は同じキャンパスに描かれていたのに、彼自身が2つに

     引き裂いてしまった。

                

     現在、この2つの絵は別々の美術館で保管されているわけだが、ショパンとサンドの

     運命を考える時、その時代と愛の激流の中、2人の炎のような人生が浮かび上がって

     くる。

           2人が別れ、ショパンが他界したのち、サンドはノアンでの演劇の上映など芸術的な

     生活をしながら、パリへコンサートや演劇など積極的に通い、革命の社会派運動に大きな

     役割を果たし、自らの作品も数多く発表し、72歳の生涯を閉じた。

 

     次回は、ショパンとサンドの住んだノアンの館がふんだんに描かれている映画をご紹介。

     これはショパンってこんな感じだったんだろうなあと思える貴重な映画です。

     お楽しみに

 

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新・ショパン考 1  ジョルジュ・サンド ①

2010-02-09 | 音楽

 

                          

                     今年は、ショパン生誕200年記念の年。金沢でもラ・フォル・ジュルネを前にして、

        非常に盛り上がっています。私も、5月に演奏できることになり、ますますショパンへの

        想いが強くなっている今日この頃・・・

        このショパンの年に、全く無計画に、思いつくまま、《新・ショパン考》として書いていこうと

        思います。

        第1回目は 『ジョルジュ・サンド』 ショパンの恋人、男装の女流作家ということは、

        知っていても、なかなかその生涯は知られていないのではないでしょうか。

               

           この本を手にとったのはもう何年前だろうか。随分前だったと思う。

        これは、嵐のような歴史の中で、まさに炎のごとく熱く生きた1人の女性、ジョ

        ルジュ・サンド(1804年~1876年)の伝記である。

        物語は、私の大好きなフランス革命時のフランスから始まる。バスティーユ襲撃から

        ヴェルサイユに女性が「パンを!小麦粉を!」と行進し、1793年1月20日、ルイ16世が、

        10月16日、マリー・アントワネットが、断頭台の露と消え、ジャコバン党の党員が台頭

        する革命のさなか、それぞれの人生を必死でいきていた2人の女性、それが、のちの

        ジョルジュ・サンドの祖母となる、貴族出身のマリ=オロール・ド・サクスと、母となる

        貧しい平民の出のアントワネット=ソフィ=ヴィクトワール・ドラボルドである。

               

         マリは、オーストリア継承戦争の軍人を父に持つ貴族の出身で、その誇りを

        高く持ち、どんなときにも身だしなみを整え、華やかに化粧をし、乱れた髪を家族

        の目にさらすことはなかった。一方、ソフィはパリの貧しい小鳥屋に生まれ、おしゃれ

        には気をくばったものの、結婚後も家庭の中では、飾らず、素顔のまま家事をこまごまと

        する女性だった。マリの息子、モーリスがそのようなソフィを愛したのは、彼女といる

        ことで心が休まったからである。     

          共通していたことは、マリは、オペラのプリマを演じるほど豊かな声の持ち主で、

        モーリスも仕事のほかに、オーケストラの一員としてヴァイオリンを弾いていて、

        名器として知られるクレモナ製を愛用し、のちにサンドがショパンの恋人として、

        彼の作曲の大きな力となったのは、このような家庭環境が大いに影響している。

        軍人のモーリスとソフィは、イタリア戦線のさなか知り合い、愛し合い、マリの反対を

        押し切って結婚した。そしてオロール(後のサンド これはペン・ネーム)が生まれる。

        しかし、父モーリスが落馬が原因で急死し、マリとソフィが同居するようになると、

        2人の確執が激しくなり、結局祖母のマリとオロールが、フランス中部のノアンの館に

        住み、ソフィはオロールをおいて、パリへ去ってしまった。       

                   

        多感な少女オロールは、両親のいない寂しさの中、祖母マリのあたたかい愛情に

       包まれて、大きく成長する。まず彼女はすさまじい読書家だった。幼少の頃から、

       哲学書、文学書を読みあさり、特筆すべきことは、19世紀の10年代から20年代にかけて

       男性と同等の教育を受けた女性がほとんど皆無だった時代、、ジョルジュ・サンドは、

       その教育を受けたまれな女性だったという点である。

       彼女はラテン語・フランス語・ギリシア語・土地管理法・数学・植物学・動物学・薬学・

       医学(解剖学)など、男性のエリート達が学ぶ教養を、少女時代に家庭教師によって

       身につけされていた!

                

       そして思春期にはいり、オロールは修道院にはいり、16歳で卒業する。彼女は恋も

       するのだが、大好きな祖母マリが他界し、18歳の秋、27歳の退役軍人のカジミルと

       結婚。パリとノアンでの生活を始める。しかし、妻としての夫に従う生活は、オロールに

       とって非常に苦痛になり、狩ばかりに熱中する夫との間の確執は強まり、彼女は

       長男モーリスと長女ソランジュを産み、二児の母になるのだが、苦悩の末、モーリスと

       は破局。

       2人の子供を連れてパリに移ったオロールは、以前から書いていた文学で、身を立てる

       ことを決意。作家ジュルジュ・サンドが誕生するのだ!

       ここから、激動の時代に突入。あのキラ星のごとく、才能にあふれた天才達が、皆、

       彼女の元に集まり、サンドは数々の恋愛を経て、ショパンもまた彼女の魅力にとりつ

       かれ、数々の名曲が生まれ、大きく時代は動いていく。続きはまた次回。

             

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中丸三千繪ソプラノ・リサイタル

2010-01-29 | 音楽

     

             

              2010年1月24日(日)  17:00開演

         北國新聞赤羽ホール
 
           1・ ヘンデル     私を泣かせてください
           2・ ヘンデル     オン・ブラ・マイフ
           3・ カッチーニ     アヴェ・マリア
           4・ ドヴォルザーク  オペラ「ルサルカ」より 月に寄せる歌
           5・ 越谷達之介      初恋
           6・ 本居長世(三枝成彰編)  赤い靴
           7・ 山田耕筰(三枝成彰編)  宵待草
           8・ ヴェルデイ      オペラ「シチリア島の祈りの夕べ」より ありがとう愛する友よ
           9・ プッチーニ      オペラ「ジャンニスキッキ」より私のお父さん
                    休憩
          10・ モリコーネ        ニューシネマ パラダイス
          11・ ルイ・グリューミ  ラ・ヴィ・アン・ローズ
          12・ 中田喜直         歌をください
          13・ ヴェルディ    オペラ「椿姫」より さらば過ぎ去りし日々よ
          14・ プッチーニ    オペラ「トスカ」より 歌に生き恋に生き
          15・ ベッリーニ    オペラ「ノルマ」より 清らかな女神よ
    アンコール
             マスカーニ  アヴェ・マリア
             シャルパンティエ 「ルイーズ」 その日から
             ショパン 別れの曲   
 
            中丸三千繪さんは1960年生まれで27歳の時からイタリア・ミラノに居を移し、
 
          1990年3月、第4回マリア・カラス国際コンクールで優勝された方。
 
          私ももちろん、周りにファンが多く、この日は、マリアカラス・美空ひばり大ファン、
 
          そして、産まれる前からお腹の中で中丸さんの声をきいていたという私の生徒、
 
          娘の友達でもある女の子親子で、前列3番目中央といういい席できけたコンサート。
 
          ’ナマミチエさん!’とうるうるしている生徒ちゃんと並んできいた興奮の時間。
 
          この日はちょうどOEKの定期だったので、早い内にチケットは他の方にお譲りし
 
          ておきました。
 
          すぐそばで歌っていらっしゃる中丸さんは、意外に小柄。おしゃべりも交えての
 
          盛りだくさんのプログラムでした 
 
          何と中丸さんは生まれは茨城だけれども、金沢に親戚がいて、お墓も金沢に
 
          あり、お忙しい中、ときどき金沢にはいっらしゃるようで「Gパンで金沢をうろうろしてま
 
          す」とおっしゃっていました!
 
            
                    

             ごく初期のCDを好んできいていた私には、現在の中丸さんの声は、明らかに

           変わっていて、この日はピッチも少し低く感じましたが、その音楽性の深さに

           感動しました。

           ドヴォルザーク 「ルサンカ」 ブラヴァ!でした。

           日本の作品も非常に魅力的に歌われていて、すばらしかった。

           私が、数あるオペラアリアのなかで1番大好きなトスカ「歌に生き恋に生き」

           よく声が伸び、しびれます。本当に深く、そして自身の著書にもあるとおり、

           ブレスの長い方です。

           アンコールのシャルパンティエのルイーズは、マリアカラスコンクールの最終で

           歌われた曲。著書の内容と重なり、胸がいっぱいになり、涙、涙・・・

           最後のショパンの別れの曲は、イタリア語で歌われましたが、最後の心情を

           すべて結集した感情の限りを尽くされた歌い方で、もう涙で舞台が見えません

           でした・・・

                  

            演奏家の舞台というものは、その人の人生が全部現われるものだと、

           思いますが、この日の中丸さんは本当にまさにそのとおりの舞台でした。

           上の写真が1991年に出版された中丸さんの著書。

           この本は、当時実は、友人が「中丸さんのまっすぐなところがよしこがそっくり!」

           とプレゼントしてくれた本で、何度も何度も読み返した本です。

           コンクール前の緊張で頭痛や不眠に悩まされる様子や、周到すぎるほどに

           曲の準備をされて、コンクールに臨む様子が、鮮明に書かれていて、

           国際コンクールで優勝することとはこんなにすごいことなんだと、痛いほどに

           感じるすばらしい著書です。

            

             私はコンサートのチラシ・プログラム・前後の新聞記事・チケットを全部ファイルに整理し

          ているので、OEKの定期も全部保存してあり、その量はすさまじいのですが(笑)

          1993年11月の'サンデー毎日’の小宮さんとの対談と、その頃の確か朝日新聞の

          切抜きで中丸さんの記事もとってあったので、サイン会には、それを持って並んで

          いました。中丸さんの前に立ったら、なぜか突然しゃべりだしてしまって、

          「同年代です。ずっとピアノを弾き続けていましたけど、ようやく40過ぎてから、

          人前で引く機会がふえてきて・・・」というようなことを言い、本を見せたら、

          中丸さんはじーっと私の目を真っ直ぐに見られて、「お名前は何とおっしゃいますか?」

          と、きかれました。

                

               そして、著書の開いたところに「a cara Yoshiko」と私だけ漢字でサインを

             書いて下さいました。a cara...はイタリア語で '親愛なる’とか’愛する’という

             意味です。そして私が記事を見せると、非常に喜んでくださって、

             「私はいつも日本で取材を受けても、イタリアにトンボ帰りで、実際の記事に

             なったのを見たのは初めてです!」とおっしゃったので、

             「すぐにコピーしましょうか」と友達親子と4人で、近くのローソンに走りこみ(笑)

             記事をコピーしました。いつも朝4時ごろから、大量のコピーをして楽譜作りを

             している私なのに、なんだかこの時は、指がふるえてしまい、

             間違えて8枚もコピーしちゃったり

             また4人で走って会場に戻ると、ちょうどサイン会も終わったところで、

             中丸さんは、本当に喜んでくださり、「記念撮影をしましょう」と写した写真が

             これです。

                                       

                             友人の携帯の調節ができてなくて、私はコンサート会場に携帯をいつも

             持ち込まないので、なんだか背後霊のようになってしまった・・・

             このサンデー毎日の記事には、小宮のえっちゃんも非常に若いです

             が、「日本のテレビにに出ている女性キャスターの方は、どうしてみんな髪が

             短くて、やせているのか」とか「イタリアでは女性は男性に気にいられようと

             思っていない。皆、自信があり、男性が女性を褒め称える」みたいな事を、

             軽快にポンポンとお話なさっていて、それはそれは読んでいても痛快な

             対談です。

             コピーした紙をもっての写真撮影となりましたが、普段から物や人の波動に

             敏感な私は、中丸さんのお顔の真横にいましたが、本当に、腹が据わった人で、

             身体の中心がドーンとしていてぶれていない。真横にいても、ざわざわした波動が

             ’無’の状態で、改めてものすごい方だと思いました。

                

            コンサートの中で「もうすぐマリアカラスコンクールからちょうど20年になりますが、

           この20年はあッという言葉もないほど、短い時間で、数々の仕事をしてきて、

           多すぎて思い出せないことも多々ある。でも私は、過去のことはすぐに忘れて、

           常に進歩ということを考えて生きている。今年も皆さんにとってもいい年になり

           なりますように」と言われて、ああ、やっぱり私の人生哲学と一緒だとうれしくなり、

           「また金沢にいらして下さいね」といったら、真っ直ぐに私の目を見られて、

           「次回、是非!」とおっしゃいました。

           私は、30歳のときにヨーロッパに初めて勉強に行き、そのあと、結婚、出産と

           続いたので、娘がちゃんと物心つくまでは、演奏活動も、しないし、

           コンサートにも出かけない、と決めて、「40歳で演奏活動ができたらいい」と

           思っていたのが、もたもたして、結局42歳で演奏活動を再開した変わった経歴(笑)

           のママピアニストです。

           それで、ずっと以前にサインしていただいたり、コンサートをきかせていただいたり

           した方と現在、直接お話できるという機会が増えているのですが、

           本当にありがたいことだと思っています。

           中村紘子さんにいただいたサインは、今、ショパンを弾く会場に必ずもって行って、

           お守りにしています

           また私の大切な大切な宝物が増えました。

           また金沢でお会いするのを楽しみに、私も精進します。

 

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オーケストラアンサンブル金沢第274回定期公演 ニューイヤーコンサート2010

2010-01-10 | 音楽

 

              

            2010年1月7日(木)

         石川県立音楽堂 
 
       1・ショスタコーヴィチ ジャズ組曲第2番 より ダンス1
       2・シュトルツ プラター公園は花ざかり 
       3・ショスタコーヴィチ ジャズ組曲第2番 より リリック・ワルツ
       4・J.シュトラウス2世 「ヴェネチアの一夜」 より 心から挨拶を贈ろう  
       5・オッフェンバック ホフマンの舟歌
       6・ジーツィンスキー ウィーン、わが夢の街  
       7・J.S.バッハ 2つのヴァイオリンのための協奏曲
       8・J.シュトラウス2世 「ヴェネチアの一夜」より アンネンポルカ 
       9・J.シュトラウス2世 「こうもり」 より ぶどうが燃えたぎって(シャンパンの歌) 
      10・J.シュトラウス2世 無窮動
      11・レハール 「ほほえみの国」 より 私たちの心にだれかが恋を沈めたのか 
      12・スッペ 「美しいガラテア」序曲
      13・レハール 「ほほえみの国」 より 君はわが心のすべて 
      14・レハール 「ジュディッタ」より 私の唇にあなたは熱いキスをした 
      15・チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」より 第2楽章
      16・カールマン 「チャールダーシュの女王」より 踊りたい! 

アンコール 
      J.シュトラウス2世 美しく青きドナウ 
      レハール メリーウィドウワルツ
 
            本当に楽しいコンサートだった!幸せコンサート!
      
            井上さんの選曲、ニューイヤーなのに、ショスタコ、チャィコもはいって、
   
            ホントにいいプログラム!
 
            金沢で井上さんのショスタコきけて幸せでした
 
                           1曲目のダンス、テンポもいいし、音がのってました。田島さんのピアノも
 
            よかった。ワルツのとき、フランスのナントで、路上生活の人がサックスでこの
 
            メロディーを吹いていたという井上さんのエピソード。
 
            ホント演歌風で、表情が実におもしろい!
     
            チャイコフスキーも、OEKの編成で、どうするのかなあと思ってましたが、
    
            いい流れで、整然としていていい演奏でした。
 
            ’初めて振ります’とおっしゃったスッペ!よかったです以前の定期で
 
            下野さんがスッペオンパレードだったときも、よかったですけど、
 
            今回、ますますオケがしまって、バランスも最高によく、音がすばらしくなっていて
 
            いい音でした!感激です。
 
            今回は、冒頭から、井上さんの’あけましておめでとうございます!!’
 
            といううれしいご挨拶から始まって、指揮台にマイクが常に置かれていて、
 
            1曲1曲、井上さんのトークが炸裂!
 
            レニングラードのお話や、ワンちゃんのお話!盛りだくさんでもう楽しすぎ!
 
            私は、1番前の席で、げらげら大笑いしてしまいました。
 
            本当に楽しいコンサート!Happyな時間を、本当にありがとうございます。
 
            
 
             そして、メラニー・ホリデイさん
 
             私は実は、ホリデイさんが、フォルクスオーパーの’こうもり’の公演
 
             で日本に初来日された1979年、ピアノの先生に連れて行ってもらって、
 
             東京で舞台を観てきいていたのです。15歳でした。
 
             すでに大学生になっていた先輩のお姉さん達と合流し、初めて体験した世界一流
 
             のオペレッタ!そのすばらしさは、15歳の私に非常に衝撃的でした。
 
             公演のあと、先生が、廊下にいるとメラニーさんに会えるよと、楽屋の前で
 
             待っていたら、美しいメラニーさんが握手して下さり、泣きそうになりました。
 
                
             
 
             今回もいつものようにサインに会ならびましたが、メラニーさんは、1人1人に
 
             英語や日本語で話しかけられていて本当にサービス精神の旺盛な方。
 
             私の番になったので、「あなたがフォルクスオーパーで、初来日されたとき・・・」
 
             といいかけたら、もうすでにそのとき、お互いに両手を握っていて!
 
             「ナインティ~ン セヴンティ ナイン~!!」
 
            と2人同時に叫んでいました(笑)
 
              やった~メラニーさんとはもった~
 
             そのあと、廊下で握手した話、今日は1番目できけて最高だったとドワーッと
 
             話し、メラニーさんもいっぱい話してくれて、ホントに感激
 
             サイン会も最高に楽しかったです。
 
             
           
 
           以前、金沢駅全日空の1Fの喫茶のロビーで、家族でお茶を飲んでいたところに、
 
           すぐそばに岩城さんとメラニーさんがいらして、それは楽しそうにお話されて
 
           いたので、横からお話しするのも悪いので、そっと見てたこともありました。
 
           何回もOEKと共演されていますが、金沢できくのは初めて。
 
           今回のコンサートでは、お相手のズリンコ・ソチョさんとの息もピッタリで、
 
           フラメンコも踊って下さったし、2人のダンスや、途中シャンパンも飲んでらしたし、
 
           その演出が楽しくてうれしくて、目の前で繰り広げられる華やかな曲の連続に
 
           ただうっとり。大好きなベネチアの雰囲気もたっぷり。
 
           11月の中村紘子さんのときも、ちょうど17歳の時に輪島のホールの楽屋で
 
           お話してくださってサインをいただき、
 
           30年もたって、目の前で、またすごいオーラでの演奏をきき、
 
           今回も全く同じように、15歳の時に感激したメラニーさんが、
 
           ずっと世界の第一線で活躍され続けていて、やっぱり30年後の今、
 
           パワーを目の前で感じられる、
 
           私の10代の出来事と、両方ともリンクして、非常に不思議な瞬間でした。 
 
          
    この日はなんとお土産もあったのですよ ト音記号とOEKという文字が印してある、チョーか
 
     わいい! おいしいどら焼き茶房'太郎’さんから1500個プレゼント!ということで、帰り際、
  
      ロビーでカンタさんの奥様からいただき、ニコニコになって帰宅し、絶対写真を撮ろうと
 
     机の上に置いておいたら、娘に半分食べられていました(笑)それだけが、残念でしたけど
 
     (笑)ホントにHAPPYなニューイヤーコンサートでした!

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