新・東京日記 ~ママチャリで行くわヨ!~

子育ても一段落し、だいぶ落ち着いてきた日々の備忘録。

宮城への旅

2013-09-24 | 家族

三連休は、娘っ子と一緒に宮城県へ。日曜に南三陸で仕事が入っていたので、前泊は松島、後泊は南三陸の歌津で宮城を満喫してきました。

土曜の午前中、息子の大学の入学式に出席し、帰宅。

午後に娘っこと一緒に仙台へ。東北本線に乗り換え、松島駅で下車。駅近くの民宿に辿りつきました。

これまでの南三陸出張では、仙台に泊まるのが通例だったのだけど、三連泊だから&(後でわかったのだけど)サザンオールスターズのライブが日曜だったからか、仙台中のホテルというホテルは全て満室。松島に泊まることになったのでした。

一緒に出張したのは二人の女性、AさんとBさん。Aさんは東北支援のカウンターパートなので、ここ2年以上、ガッツリと一緒に仕事をしており、東北に2人で訪れるのも数十回目。彼女は5歳と3歳のお子さんがいるのだが、うちの娘っ子を同伴できるときには、二人のお子さんを連れてくることもある。娘っ子はやたら面倒見がよくて、子どものお世話や相手をするのが大好きなスーパーお姉ちゃんだ。新幹線に乗り込むと、直ぐにベビーシッターに早変わりして、私とAさんは心おきなく打ち合わせに励めるのである。

今回は、Aさんはパートナー(パパ)がお休みなので子どもたちとお留守番。

今回初めてご一緒するBさん(産婦人科医)は、8歳から2歳まで4人のお嬢さんのお母さん&お腹の中にも赤ちゃんが。ので、一家まとめて一緒に行くことに。パートナー(パパ)も仕事が終わってから夜遅くに松島の民宿に合流してくれました。翌日は、朝、少し松島を見物。

そして、貸し切りバスで南三陸へ。私たちが仕事の間は、うちの娘っ子、Bさんのところ4人のガールズ、そしてパパさんたちは、近くのミニ動物園へ。娘っ子もチビちゃんたちを抱っこしたり、膝の上で本を読み聞かせたり、スーパーお姉ちゃんぶりを発揮した模様。パパさんから「助かりました―」と嬉しいお言葉。

地元の女性たち・ママたちも、東京から来た産婦人科の先生(経歴もグローバル)が、実は自分達と同じように日々、子どもの世話とか送り迎えとかご飯作りとかに走り回ったり、夜は寝かしつけるうちに一緒に寝落ちしちゃってたり、ということがわかるととても親近感を持ってくれる。仕事の終了時間にガールズたちがわらわらと、「ママァ~~~~」と駆け込んできて、Bさんに抱きつく様を見て、皆、目を細め、子どもたちに話しかけ、そこからまた会話が始まる。そうやって女性の繋がりが出来ていくのを見ると、なんだかじーーーんとするのである。

仕事終了後、バスで志津川の防災庁舎に寄り、手を合わせ、さんさん商店街でお買いもの。一番の目当ては、「ちばのり店」。このお店は、代々続く地元の海苔屋さん。60代の姉妹が営んでいる。店舗は防災庁舎のすぐ近くにあった。2011年3月11日に、店舗も海苔の加工をする工場も倉庫も自宅も、一切合財全て津波で流されてしまったという。ところがこの姉妹、直ぐに立ちあがり、店の再建に向けて動きだす。自分達で国の支援制度を調べあげ、その情報を持たない行政に発破をかけ、どうにか資金繰りに目途を立てて、現在再建中である。仮設店舗をさんさん商店街に、そして、工場は高台にプレハブを建てた。

今は、店はお姉さんが、工場は妹さんが切り盛りしている。7月に工場を訪ねた時、妹の公子さんからいろんなお話をうかがうことができた。

「身につけているものは、流されねェ。ってことなんですよ」

という言葉、一瞬、衣服や装飾品など物理的に身につけているものは流されないってことなのかと思った。実際、この姉妹は、その日に身につけていたもの以外、全て流されてしまったのだから。

ところが、公子さんが意味していたのは、

「教育とか、技術とか、知識とか、気概とか、そういうことです」

と。芸は身を助くではないけれど、一度身に付けたものは、地震が来ようが津波が来ようが、生きている限り流されないということ。それを実感したのだと言う。

「若い人は、英語とパソコン」

と断言された時には意外性に思わず噴き出してしまった。南三陸には世界中からたくさんの人たちが駆け付けてくれて、手伝ってくれ、勇気づけてくれた。もっともっとお礼を言いたいし、伝えたい事がたくさんあるのに、言葉の壁があって伝えられない。その時に「英語さえできれば!」と心から思ったのだそう。また、安否確認や情報収集に、インターネットがものすごく役に立ったというのだ。事業再建にも。沿岸部では携帯は皆持っているけど、パソコンの保有率は低く、インターネットや基本的なソフトを使いこなす人は少ないと発災直後から聞いていた。実際、それが雇用・起業促進の大きなハードルにはなっていたので、雇用・起業支援の前段として、各地でIT講座を開催したりした。公子さんも、パソコンやインターネットを活用するスキルは、非常に大きな力になり、これからの必須条件だと身に沁みて思ったとのこと。だから、「若い人は、英語とパソコン」。本当に説得力があります。

さらに、

「やっぱり、思いやりのある人、人の痛みがわかる人は最後まで倒れなかったね」とも。

威勢よく、わーわー大声で仕切ったりしていた人ほど、避難所生活が長引くにつれ、早々に体調を崩していったという。反対に、人のことを気にかけ、人の手助けをしていた人の方があの生活を乗り切れたと・・・。

公子さんに、「やはり、海苔は南三陸が一番ですか?」と聞くと、

「いや、有明海だね」

と。これも思わず噴き出してしまった。海苔の出来は毎年、気候や潮の流れによって、各所で違うらしい。南三陸の海苔が一番良いときもあるけれど、安定して質が高いのは有明海のものなんだと。その年の海苔の出来を吟味し、一番美味しい産地からとりよせ、加工して販売しているのである。

この時にお土産に頂いた海苔&、さんさん商店街の店舗で自分で買った海苔を東京に持って帰った所、あまりの美味しさにのけぞった・・・・。

娘っ子は、小さい頃から海苔好きで、つい最近までもスナックというとクッキーとかチョコレートではなく、「海苔」を持ち歩いていたほどの海苔マニア。一口食べて、「これはすごいね!」と悶絶状態・・・。家族・友人に配ったら、皆さんから大絶賛・・・。

娘っ子はとにかく味噌汁と海苔とご飯が好きなので、朝ご飯は毎朝、ちばのり店の海苔。その中でも、通好みといわれる「すっぴん一番海苔」がお気にいり。以来、南三陸に行くたびに、私は大量に海苔を購入して帰る。ある時など、さんさん商店街に着いた所で娘っ子から、

「千葉海苔店で、海苔を買うのを忘れないでください」

というメールが入り、のけぞったことも・・・。

今回、やっと、娘っ子の念願叶い、ちばのり店へ。嬉しそうに買い物し、千葉お姉さんと話をし、写真をとり、大満足。

このあと、仙台に帰る一行を見送り、娘っ子と私は歌津のニュー柏崎荘へ。車で送ってもらう道すがら、津波に削り取られた道路やガードレール、ひっくり帰った堤防を目の当たりにして、娘っ子も私も思わず無口に・・・・。女将さんによると、付近には11もの民宿・旅館があったのだけど、8軒が津波で流されてしまったとのこと。目の前に広がるのは、静かで美しい南三陸の海。映像で見た津波がここら辺一体を襲う様が、現地にいるとどうしても想像できません。

宿では海旬コースをお願いし、海の幸に舌鼓。娘と二人で、生ビールとコーラで乾杯し、ワイワイとミニ女子会になりました。デザートには、絆ロールケーキ。旅館のパティシエのくりちゃん特製のモカ味のロールケーキ、激うまでした!売店で購入し、冷凍ロールケーキをクール宅急便で自宅に送りました。通信販売でも買えるそうです。

ほろ酔い加減で部屋に戻り、八重の桜をみるも、途中で爆睡。9時から気を取り直して、半沢直樹最終回!いやー、娘と二人で手に汗握りながら見ました。舞台劇みたいだね。そのあと、眠りにつきましたが、半沢直樹風のプロットの悪夢を見てうなされました・・・。最近、ドラマ見てうなされること多し(^^ゞ

翌日は、女将さんに高速バスのバス停まで送ってもらい、仙台に出て、牛タン定食を食べ、街を散歩し、美味しい珈琲を飲んだりお店を覗いたりして夜の新幹線で帰京しました。楽しかった!


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。