新・東京日記 ~ママチャリで行くわヨ!~

子育ても一段落し、だいぶ落ち着いてきた日々の備忘録。

女性と開発

2005-07-01 | Weblog
昨日(木曜日)は、午後横浜の武蔵工業大学で講義。情報環境科というとこで、まぁ、ハイテクな機材がそろってました。結構大きな講堂だったのだけど、200人くらいいたかな。環境やエネルギー問題と貧困女性のかかわりを中心に話をした。ほんと、この業界にいると思うけど、開発をセクター別にわけすぎ。貧困、環境、エネルギー、HIV/AIDS、インフラ、貿易等々、様々な「専門分野」といわれるものに細分化されるわけだが、私たちの仕事のボトムラインは貧困状態にある一人ひとりの人間が人生における選択肢を広げられるよう支援することである。アフリカでもアジアでも、農村地帯の女性の一日の生活を追ってみれば、これらの細分化されたセクター別の問題が見事に全部入ってくる。すべて、かれらの生活と深く関わっていているのだが、そのつながりの部分を切り離してセクター別に見てしまうから、結局トータルなサポートができずに貧困女性の数はますます増えていくのではないか。

環境・エネルギーで言えば、アフリカの農村地帯などでは、電気はないので天然資源にエネルギー源を頼っている。朝4時に起きて、焚き木あつめ、水汲み、農作業、そして換気状態の悪い室内での料理。一酸化炭素中毒で毎年160万人の女性が命を落としている。農作業もほとんど女性が担っているが、それを市場に出して現金収入を得る部分は男性の役割とされているので、女性は現金収入を得ることができない。

また、貿易の自由化が進むと、民営化が始まる。水が民営化されると、それまでただで水を汲んでいたWater Pointが私企業のものになり、立ち入り禁止になる。するとさらに遠いところまで水を汲みにいかなければならない。お母さんにはそんな時間がない。すると、女の子が学校を辞めて水汲みしにいく。ところが、そこにいたる道路(インフラ)の状態が悪ければ途中でレイプされるというケースもおこってくる。学校も途中でやめてしまい、知識も持ち合わせないので、一酸化炭素中毒で命を落とす。女性たちは家事に精一杯で、なかなか現金収入を得ることができず、知識を向上させることもできない。(教育、という意味だけでなく、衛生、育児、保健、識字等生活に必要な最低限の知識)、また政治参加する時間も力もないので、彼らにダイレクトに影響を及ぼすような社会福祉や社会開発政策について発言権をもたない。だから、貿易の自由化で関税撤廃で税収が減少すれば、まず社会福祉予算が削られる。一番影響を受ける女性たちが発言権を持たない上に、削っても結局女性が肩代わりする、という構造があるからである。

社会には二種類の仕事がある。Productive WorkとReproductive Workである。前者は、生産性のある、いわゆる収入を伴う仕事、後者は、次世代の再生産、つまり家庭で子供を生み、育て、そして家族を支えていく、といく仕事である。後者には現金収入は発生しない。つまり無償だ。そして、この無償労働の80%を担っているのが女性である。社会が持続していくにあたり、次世代の育成というのは国家にとって非常に重要なのに、そこには経済的な価値が派生しない。したがって、マクロ経済政策等の政策策定過程や、国家の予算編成において、家庭人としての女性の国家への貢献が「0」とされてしまうのである。それどころか、最近はどこの国も防衛費を増やしているから、とりあえず社会福祉は民営化して、きってしまおう、という傾向がある。しかも、きったって、ちゃんと女性が肩代わりしてくれるんだから。こうして女性はさらに過重労働を強いられて、女の子も教育半ばで学校を辞めさせられ、悪循環が続いていくのである。

すごい乱暴な説明ですが、貧困削減しようと思ったら、今の開発のありかたのパラダイム、思考、そしてフォーカスを変える必要があると思う。ほんと、こればかりはユニバーサルなんですけど、どこの国でも、余分なお金を持つと、女性はたいてい子供の教育や、家庭内のことにお金をつかう。つまり、次世代、コミュニティと波及する。ところが。これも単なる「傾向」ですけど、男性にお金を持たせると、酒、ギャンブル、女に使っちゃう、というのもこれまた事実。本当に貧困削減したかったら、女性に特化した支援をすれば、かなり変わると思うんだけどな。