新・東京日記 ~ママチャリで行くわヨ!~

子育ても一段落し、だいぶ落ち着いてきた日々の備忘録。

ザルツブルクからの帰りの飛行機にて

2008-09-17 | Weblog

1週間滞在したレオポルツク宮殿に別れを告げ、チロリアン航空のプロペラ機に乗り込んで、ただいまウィーンに向かって飛行中である。せっかくの低空飛行なのに曇っていて景色が見渡せず、とても残念。

あっという間の1週間だったけど、濃密な毎日だったなぁ。昨日の午後3時、ワークショップの全行程が終わると、M教授とMさん(NGOでイラクに5年もいたのだって)と3人でタクシーをよび、旧市街に繰り出す。毎日朝から晩までインテンシブなスケジュールで、お店があいているような時間帯にはまったくもって外出できなかったので、とりあえず、お土産を買いにいかないといけない!ということで、旧市街の商店街からスタート。お二人はのんびりとそぞろ歩きをされているが、私だけ眼がランラン、鼻息は荒く、アドレナリンが出まくっているのがよくわかる。娘っ子に5つ、小さいおみやげを買う約束をしており、それを守らなかったらボコボコにされてしまう!!!という恐怖心に煽られて(←嘘)大股歩きで物色する。可愛らしい子供用品店を見つけ、チロリアンの女の子の抱き人形とエーデルワイスの刺繍が施されたニット、ポシェット、プラス甥っこと姪っ子のお土産を調達。これで、かなり心に余裕が。。。。。

路地裏の広場の青空マーケットで売られている色とりどりの果物や野菜やお花の写真を撮ったり、美味しそうなドライフルーツや、ザルツブルクという名前の由来にもなっている「塩」を買ったり、サウンド・オブ・ミュージックでマリア先生と子供たちが楽しそうにドレミの歌を歌いながらスキップしてくる「モーツァルト橋」にてマリア先生のポーズで記念撮影(←来年の年賀状の写真に決定)をしたり、ミラベル宮殿という「美しい眺め」という意味の、庭園の素晴らしい宮殿に足を延ばしたり、とひとしきり観光して、それから陶磁器なんかも買いこんで、タクシーでまた宮殿に戻る。

午後7時。最後の夜のお楽しみプログラムが始まった。まずは、サウンド・オブ・ミュージックにも出てくる庭園のテラスにて、カクテルタイム。みんな、それまでとは打って変わってドレス・アップして大集合。私はシャンペンをいただき、参加者の中でもとってもお洒落でクールでカッコいい女性たちとまずは乾杯。彼女たちは、それぞれ、セルビア、グルジア、そしてレバノン出身。つまり、全員が何らかの形で今の生活や人生で紛争を経験している。和平交渉のプロセス、DDR(Demobilization, Disarmament, Reintegration:除隊、武装解除、社会への帰還)、その後の平和構築、っていう今回のテーマについても、自分の人生や家族、知り合いの中で文脈づけでとらえているのだから、リアル感が違うんだろうなぁ、とつくづく思う。今回は、全体討論の中で、圧倒的にアングロ・サクソン系が大きな「声」を持っており、結構強引に話を進めたり結論付けたりするので、オブザーバーに徹していた人たちも結構いた。が、要所要所で彼女たちは鋭い発言をしていた。たとえば、国際的な、もしくは、国内でも超エリート層の比較的「声」を持つ人たちではなくて、どうやって草の根の女性たちの声を拾っていくのか、どうやってコミュニティ・レベルで復興が持続的に続き、強い市民社会を作っていくのか、っていう点。とかく場の議論が「国連のシニア・レベルのポジション(紛争国への事務総長代理ポストとか、USGとか)や、国連のPKOなどのミッションに、シニア・レベルの女性ジェンダー・アドバイザーを投入するか」とか、そんな方向に引っ張られがちなときに、この人たちはガツンと発言していた。あと、アメリカの警察機構は州単位なので、アメリカ合衆国として警察官を治安維持要員として派遣できないから民間業者を使っているんだ、ということになっており、今回のセミナーには、テキサスに拠点がある某大手民間警備会社の女性が来ていた。彼女自身はすごく一生懸命このテーマを学ぼうとしていて、自分たちのような民間会社が何をしたらよいか教えてくれ、みたいな感じだったが、セルビア人の女性から「民間会社は、そもそも一体誰にaccountableなのか、どういうlegitimacyを確立できるのか」っていう重要な問題提起がされた。無視されてたけど。。。。。そんなで、DDRについても、ガバナンスの構築と開発への移行についても、アジェンダにはなっていたのに、深い議論が無かったのは残念であった。まぁ、ちょっとアジェンダが包括的過ぎた、というのもあるだろうが。

まあ、そんな話はさておき、そういうことで、お楽しみはシャンペンから始まった。しばし、写真を撮ったり盛り上がっていたところ、中のサロンに集まってください、との声。そう、サロンで、私たちのためにピアノのコンサートが開かれるんです。シャンペングラスを片手にソファに腰を掛け、モーツァルトのソナタ、ブラームスの夜想曲、ショパンのノクターンを。。。この宮殿の主は、モーツァルト親子のパトロンでもあった。モーツァルトもまさにここでピアノの演奏を披露したのかもしれないと思うと、コンサート・ホールで聴くのとはまた別の感動をひしひしと感じるのであった。今みたいに、インターネットもマス・メディアも無い時代は、まさに音楽、絵画、彫刻が人々にとってのコミュニケーション・ツールであり、エンターテイメントであったわけで。宮殿中に飾られている立派な肖像画の数々や、ハプスブルク家のシェーンブルン宮殿(たぶん)での宮中行事かなにかの銅版画、おじさんが村の人たちに紙芝居を見せている様子、村の結婚式の様子を描いた風俗画や、キリスト教をモチーフにした宗教画に取り囲まれていると、これらの芸術品がただ単に過去の遺産、鑑賞の対象としてそこにあるのではなく、すごくいきいきと、あるメッセージを持ってこちらに語りかけてくるような気さえしてくるのであった。やっぱり美術館とは違うわな。

アンコールを経て、ミニ・コンサートは終了。そのあと、今度は大広間に移動する。いつも夕飯をいただいている場所だったが、今日は一段と明かりが落ち、キャンドル・ライトの中でのディナーである。大きな肖像画が対で飾られており、その周りにも彫刻やレリーフがたくさん飾られているのだが、キャンドル・ライトだけになると、それらがふわ~っと浮かび上がってなんとも幻想的。。。。いつもはビュッフェだったが、今日はコース料理であった。シャンペンから赤ワインにうつり、超良い気分で同じテーブルの人たちと人生論をぶっていたところ、このセミナーの運営ディレクターの女性から、「ファカルティ(先生たち)ひとりひとりにtoast(乾杯)したいのだけど、M教授の番になったら、私たちセミナー参加者を代表してちょっと感謝の気持ちを表すスピーチしてくれないかしら」といきなりふられた。もう酔っぱらってるのに~。。。。つか、今頃言うな~。。。。もち、今回私がこんな経験をできたのもM教授のおかげだし、もち、とっても尊敬している先生だから、やりますけれども(涙)

食事もデザートの段になり、誰かが、グラスをスプーンでチンチンチン、と鳴らす。「注目~!」の合図だ。まず最初にアイルランド人の参加者が立ち上がり、引退した元英国大使で、国連に精通しているCさんに、感謝の辞を述べる。それを受けて、Cさんもスピーチ。うまいなあ、笑いとほろりを混ぜてスピーチするのがさ。そして、今度は私の隣の人が、チンチンチン、とやる。私が今度は立ち上がり、M教授にスピーチ。国連にいると、結構こういうことがよくある。ちょっと気の利いた事を言わないといけない。笑いもとらなきゃいけないし、ちゃんとまじめにメッセージも伝えないといけない。。。。さすがにこの大広間のキャンドル・ディナーの雰囲気には圧倒されたが、私もこういうのは嫌いではない(笑)ので、すっかりその気になってみました。。。。その後のM先生の返答は、さすがお見事、だった。私もいつかああいう域に達することができるのでしょうか?

ディナーが終わり、今度は地下のバーへ。む、昔の座敷牢じゃないだろうね!?という雰囲気だが、牢ではなく、ワイン・セラーとかなんか冷蔵庫代わりに使っていたのかな?っていうようなスペースに、バーがあるの。で、そこにはちゃんとお酒やソフトドリンク、スナックが用意してあって、自分たちで勝手に楽しんでいい、という至れりつくせりの状況。ステレオもあるから、みんな、バーテンになってみたり、DJになってみたり。今日は最後だから、みんな踊るわ踊る、大盛り上がり。年齢層を反映し、シンディ・ローパーとか、やっぱ70’s 80’sなんだよねぇ。「次、アバいこうっ!!いえ~い!!」みたいな。その合間合間に今度はアフリカやらインドの音楽が入るから、もう支離滅裂。みんな、ワークショップも終わって顔は晴ればれ、とにかくイエ~イ!!!である。

ひとしきり盛り上がり、夜中になったので、仲良しになった数人と離れの館に千鳥足状態で戻る。夜のひんやりとした空気がとっても気持ち良い。誰からともなくサウンド・オブ・ミュージックのMy Favorite Things(JRの「そうだ、京都に行こう!」で使われている音楽)をハミングしはじめ、大合唱。。。。やっぱ、みんなこの映画が好きなんだよねぇ~。
別れを惜しんで、でも、「これからもがんばろうね!Let’s keep in touch!」と励ましあって、部屋に戻る。あ~、ちと飲みすぎた、喋り過ぎた、でも楽しかったなぁ~~~~。と大満足で最後の夜は終わりました。

で、今、ウィーンから東京に向かう飛行機の中。毎日インテンシブだし、ワークショップの議論の中ではフラストレーションを感じる場面もあったが、終わってみれば、本当に夢のような、楽しい1週間だった。。。。私は「開発」に従事しているから、「開発」に軸足を置いて、そのコンテクストで紛争や平和構築をとらえ、考えている。でも、今回集まった人たちは、「開発」視点の人たちだけでなく、和平交渉の政治的プロセスに国連や外交ルーツを通じてかかわった人たち(元国連のPKOのUSGとか、元スウェーデン大使/某国での国連事務総長特使、元英国国連大使etc)、人道支援の最前線で保護活動にあたっているひとたち、平和維持活動にかかわっている人たち(アメリカの空軍アカデミーの教授とか、民間の警備会社の人とか)などなど、いろんな視点からの議論であった。だから、まったくもってかみ合わない部分もあったし、セキュリティ・セクター・リフォームの話で、私がローカル・ガバナンスやlocal decentralizationのプロセスに関連付けて発言しても、最初はまったくぴんと来ない人たちもいたようであった。あまりにもテーマがでかすぎるので、「学び」やSubstanceの面では消化不良の感も多少はあるが、ネットワーキングという点では最高の場であった。全然違う畑の人と知り合うこともできたし、逆に、開発の世界でジェンダー・アドバイザーをしている人たちとは視点が同じだから、大いに話が盛り上がったし、あとは、まぁ、みんな身の上話でもおおいに盛り上がり、おばちゃんたちからは、「アンタ、まだ若いんだから、これからしっかりがんばらにゃ~!!」と背中をぼんぼんたたかれ、逆に、ちょっと年下の女性たちで、子供を持とうかどうしようか悩んでいる人たちには、「大丈夫、大丈夫、考えないで産じゃえば、どうにかなる、はっはっはっ~~~!」と超無責任なアドバイスをしたり。夜遅くまで、重厚なライブラリーで仕事のことや生き方を語ったり、solidarityを深める機会をたくさん持つことができました。

今のこのタイミングで、こういう機会に恵まれたのは本当にありがたかった。ここしばらく、とにかく仕事と子育てとその他もろもろで忙しくて、立ち止まって考えることもなく、流れにそのまま流されて泳いできたが、もちろん、それで得ることもたくさんあるわけではあるが、私がなぜそもそもこんな仕事をしているのか、今後なににフォーカスしていきたいのか、そのためにはどうしたらよいのかを、私の人生の原点(笑)であるレオポルツク宮殿でよく考えられたのはこれはやっぱり神様のお導き!?であったのか??と思えるほどの経験でした。それから、改めてカズやナナにもこういう経験をたくさんして欲しいなぁ、と思った。世界中の人たちと出会い、刺激を受け、その中で自分の役割を考えて充実した人生を送ってほしいなぁ、と。

しかし、問題は。私の帰りを手ぐすねひいてまっている、娘っ子・息子との怒涛の日々である。なんとも優雅な宮殿での日々、いやあ、魔法がとけるのもあと数時間であったか。。。。。また朝っぱらから弁当つくって、ナナ姫を後ろにのっけてすいちゃんで登園して、そのあとオフィスで働きづめで、家に帰ってまたおさんどんってさ、本当にシンデレラみたいじゃん(笑)王子様はいらんが、宮殿に帰りた~~~~い!!(涙)


今度はザルツブルク

2008-09-10 | Weblog

NYの続きを書く暇もなく、今私はザルツブルクに来ている。ザルツブルク。そう、モーツァルトの里、映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台で有名なオーストリアの小都市である。

 そもそも、千葉県の片隅にいながら「外国」に強烈な憧れを抱くきっかけとなったのが、サウンド・オブ・ミュージック。「ああああ、こんなに美しいところがあるんだ、こんなに楽しげで美しい人々が外国にはいるんだ!!!私は、将来絶対に外国に行くう!!!」と、5歳の私を驚愕させたこの映画。そこから私の「外国に行きたい病」が始まり、その後は「大草原の小さな家」に影響を受け、さらにはトム・クルーズの「トップ・ガン」に悪影響を受け、アメリカのカリフォルニアにまず留学、と紆余曲折はあったが、結局、今のような国際協力の仕事に就くに至ったのは、まさにサウンド・オブ・ミュージックに端を発するのでは!?ということは、ザルツブルクは私の人生にとっての原点ではないか!?まぁ、ザルツブルクからしたら「はぁ?」という感じだろうが、とにかく、私にとってザルツブルクは特別な場所である。

 で、何しに来ているのかというと、「ザルツブルク・グローバル・セミナー」に、「フェロー」として参加しているのである。このセミナーは、年間通じてさまざまなグローバル課題をテーマにし、世界中から専門家、実務家を集めて行われている集中ワークショップである。9月7日の週のテーマは、Peace-making and Peace-building: Securing the Contributions of Women and Civil Society。つまり、紛争の和平交渉や平和構築に、どうやって女性と市民社会を参画させていくか、というのがテーマ。このセミナーに、Faculty(つまり先生方)として日本を代表して参加されるM教授が推薦してくださり、Fellow(つまり学ぶ人たち)としての参加資格と参加費用を得ることができたのだ。(今まさに、このワークショップ(超インテンシブ!)は進行中なので、結果については、またここで書くか、たぶん日本に帰って報告会が開かれるであろう。しかし、世界中から面白い、ものすごい沢山の経験と専門の人たちが来ている。。。。。)

 せっかくこんな機会を頂戴しながら、出発前は連日連夜ほぼ寝ないで仕事をする日々が続き、とにかく疲労困憊、十分な準備もできなかった。それプラス、1週間も留守をするので子どもたちの学校のことやら、歯医者に連れてくやら、子どもたちのケアもしなければならないし、ばあば用にブリーフィング・ノートを作らないといけないしで、荷造りしたのは出発の2時間前であった。。。

 まあ、そんなで本当に辿り着けるのかと思ったが、フランクフルトからプロペラ機に乗継ぎ、小一時間。ひえぇ~、アルプスの山並みに、美しい緑の中にパステル調の色とりどりのおうちが点在し、湖水が日の光できらきらと輝く絵本の挿絵のような景色が見えてきた!頭の中は当然「ドレミの歌」がファンファーレのように鳴り響く!夢にまでみたザルツブルク。。。。

 小さな空港に文字通り降り立ってみれば、なんとものどかで、空気はCrisp。さっそくタクシーに乗って、グローバル・セミナーの会場へ。山の上に聳え立つザルツブルクのランドマーク、ホーエンザルツブルク城(というか城砦)がかなたに見えてきたと思ったら、タクシーは、装飾の施された鉄の門をくぐりぬけ、湖に面した建物のわきに止まった。そう、そこが、セミナーの会場なのである。名前は、レオポルツクローン宮殿。ザルツブルクの大司教兼領主によって、1736年に建てられたお城。数年をかけて建築した後、その領主は自分の甥っこにこの館を遺した。この甥っ子(Countだから、伯爵かな?)が、芸術に造詣が深く、ラファエロ、ティッツィアーノ、デューラー、ルーベンスらの絵画をたくさん集めたそうな。しかも、かのモーツァルト親子の最初のパトロンでもあったのだと。


 そして、時を経て、1918年。宮殿は、演出家でザルブルク音楽祭の創始者のひとりでもあるマックス・ラインハルトの手に渡る。その時にはこの宮殿は荒れており、多くの絵画も売り払われていたらしいが、この人が、数年かけて、大々的に修復してさらに改築したのだと。ところが、ユダヤ系であったため、このお城はオーストリアに侵攻してきたナチスに没収され、家族はアメリカに亡命。しばらくは、ナチスの夏の保養所に使われていたらしい。戦争が終わってから、ラインハルト家に返還されたが、その4年前に、ラインハルト氏はニューヨークで亡くなっていた。最後まで、レオポルツクローン宮殿に帰りたい、と言っていたらしい。遺された奥さんが、1947年に、ハーバード大学の大学院生たちに夏の間、セミナーをするための場所としてこのお城を貸したのが、このザルツブルク・グローバル・セミナーの始まりとなったのだって。戦争でぼろぼろになったヨーロッパの国々の学生と、アメリカの学生を交流させ、理解を深め、二度と戦争が起こらないようにすること、それが当初の目的だったそうな。それが発展し、財団ができて、今日にいたるのですと。これまでに440ものセッションが開催され、世界中から延べ22,000人が参加したとのこと。

 で、このお城なんですけど、サウンド・オブ・ミュージックでは、フォン・トラップ大佐のおうちなんです。舞踏会が行われる大広間も、裏のテラスから眺めるお花いっぱいのお庭と、マリアと子供たちがボート遊びをしていて落っこちてしまう池も。。。。この館でロケをしたかったそうなのだけど、まさにこのグローバル・セミナーが開催中だったので許可はおりず、すぐ外にレプリカを作って撮影したんだって!
 お城の中は、メトロポリタン美術館なんかに展示してある「貴族の館」なんだけど、もちろん柵などなく、大広間に置いてあるソファに腰掛けていいし、重厚なライブラリーに陳列してある本を手に取り、絵画と彫刻に囲まれて、本を読んでもよい。読書にふけり、ふと顔をあげると、小窓のそとには木立の向こうに湖とアルプスの山並みが、食事も毎回大広間で芸術品に囲まれて、という信じられない夢のようなセッティングなのです。Facultyの方々は、お城の本館のサロンつきの素晴らしい眺めのお部屋に滞在されているのだが、私たちFellowは、離れの館。私の部屋は、な、なんとちょっと屋根裏部屋ぽっくて、小窓のそとにはアルプスが見えるの。聞こえてくる音は、中庭の噴水の水が流れる音、小鳥の鳴き声、そして、旧市街の大聖堂から聞こえてくる鐘の音。。。。。ああ、気分はアルプスの少女!

 今年の夏もいろいろ読書をしたが、その中で、ヨーロッパ(特にドイツ近辺)中世史の研究者阿部 謹也著「ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界」「中世を旅する人びと-ヨーロッパ庶民生活点描」とか、「ハプスブルク家の女性たち」「名画で読み解くハプスブルク家12の物語」なんてのも読んでいたので、さらに気分は盛り上がる。お城の中には、宗教画、肖像画、鎧などがたくさんあるのだが、廊下には、中世の村人たちや町の人たちの様子や風俗を描いた銅版画や素描がたくさんあり、それらにもおおいに興味をひかれる。
 お城の中だけでも、そして周りの湖だけでも散策のしがいがあるが、朝から晩までセミナーに缶詰めで、旧市街に行くチャンスがなかなかない。ので、昨日の夕方、セミナーが終わってから、自転車を借りて旧市街まで行ってみた。山に聳え立つ城塞を見ながら、ふもとに広がる草原の中の道を走る。もち、頭の中は、またもや「ドレミの歌」である。道が不確かなので、信号待ちの地元のサイクリストに教えてもらい、どうにかたどりつく。聖堂を中心に、大きな広場が広がっており、そのまわりに大司教の宮殿や、商店街が広がる、中世の街のつくりである(←たぶん)。自転車をとめ、歩き回ってみた。ヨーロッパの街って、本当に石造りなのね。午後7時を告げる鐘が鳴り響く。すごい音です。この音、あたりまえだけど中世から変わらないのであろう、と思うとまた感動。

あわよくば、子どもたちのお土産も買いたいと思っていたが、お店は全部しまっていた。メインストリートを歩いてみる。石造りで、すご~くせまくて、その道の先には教会がそびえたっているのが見える。その中に、モーツァルトの生まれた家が。。。。みんながばしばし写真撮っているから何かとは思ったが、1階のテナントがアイスクリーム屋さんなので、しばし通りすぎたところ、地図を見てびっくり。それこそがモーツァルトの生家なのであった。しかし、しつこいようだが、1階はアイスクリーム屋さん。まあ、中では、かの有名なザルツブルク名物、モーツァルト饅頭、もといモーツァルト・チョコを売ってはいたが。。。。


 日が落ちて、だんだんと薄暗くなってくる。また、石造りの小道と広場を交互にてくてく歩き、自転車をとりにいった。ちゃんと帰れるかどうか、道を覚えているか、不安だったが、どうにかこうにか見覚えのある通りにでて、そこからまた草原の道を風を切って進む。また、ドレミの歌(笑)今度は大声で歌ってみる。はるかかなたに、アルプスの山が影絵のようにシルエットになって浮かび上がり、半月が昇ってきた。池の水鳥が鳴く声と、水がはねる音、虫の声だけが響く木立の道をひたすら自転車で走る。まさに、Tranquility。別世界である。。。。こんなところにしばらく滞在して、たくさん本を読んで、音楽を聴いて、ワインを飲んで、思索にふけりたいものである。。。。。

 無事にお城に戻り、また大広間で食事をし、お酒が入ってるからみんなで身の上話なんぞもし(しかし、毎回そうだが、本当にこういう女性たちの人生のすごさには脱帽する。特にアフリカのおばさんたちのすごいこと!こども10人いながら国会議員、とか)、そのあと、地下のバーで、アフリカやらアジアの音楽にあわせてダンスしているおじさん・おばさん(笑)を冷やかしにいった。しかし、みんなタフだわ。

 というような日々を送っています。