新・東京日記 ~ママチャリで行くわヨ!~

子育ても一段落し、だいぶ落ち着いてきた日々の備忘録。

It's Show Time!~学びの原点~

2011-01-05 | 子育て

大家族で集まると、実家だろうが、旅行先だろうが、必ず娘と甥っ子が「ショー」をやってくれる。仕込みと練習のために、二人でず~~~っと部屋にこもっていてくれてるので、大人も楽ちん。最近の主な流れは、「ショーの予告アナウンスメント(時間と場所の告知)」→「チケット配布(くじ引きなどのお楽しみ券付きの場合も)」→「会場への誘導(いつもバアバは特別席)」→「パフォーマンス」→「カーテンコール」→「握手タイム(ディナーショーのように観客一人一人と握手してくれる笑)」→「観客の感想コメント(マイクを持って周ってくる)」→「退場」。

このショーが、当然ながら毎回バージョンアップしていくのである。私の記憶では、一番最初の「ショー」は、娘4歳、甥っ子3歳の時。確か、ハワイで「ルアウショー」を観た後に、それらしきものを再現したのだったと思う。ショーの内容もだけど、観客が拍手喝さいする会場の熱気のようなものにガツンとやられたようだ。それを覚えている範囲で再現したところ、大人たちから拍手喝さいを浴びて、どうやら味をしめたらしい。

アンパンマンに入れ込んでいる時期は、二人が色違いで持っている枕のカバーを外し、それを被って「梅ちゃん」「抹茶ちゃん」になりきっていきなり登場。会場を仰天、沸かせたものだ(笑)幼稚園に入ると、お遊戯会の演目や段取りが再現されるようになり、字が書けるようになるとプログラムやチケットを用意し始めた。小学校に上がると大道具や舞台装置に凝りだした上、劇もオリジナル・ストーリーで展開。最近では、弟夫婦が甥っこに買ってやった「マイクセット」(拍手音、ライティング、ドラム音も完備)を駆使して、司会進行にも余念が無い。

今年の夏休み、二人を連れて「サウンド・オブ・ミュージック」のミュージカルを観に行ったのだが、その直後の「ショー」では、しっかりとカーテン・コールを取り入れて、襖が何度も開いたり閉ったり、二人は拍手を浴び続けた。。。(笑)

そして、今年のクリスマスとお正月も毎晩「ショー」が。昨年は味噌っかすだったまなちゃん(3歳)も、しっかり固定メンバーとなり、立派に歌ったり、踊ったり、お辞儀したり、観客と握手したり。。。。さらに、12月のリトル・アンバサダーのホリデー・パーティで私が司会進行する様を見た甥っ子は、「あーちゃん、司会やって!!」と。プログラムと、どの音楽をどのタイミングでかけるかの指示書を渡され、リハーサルまで敢行(汗) クリスマスは「プレゼント、届くかな?」という劇が中心。お正月は、「嵐」の歌にオリジナルの振付けをしたダンスと歌がメインの出し物であった。

一体どこまで進化するのだろうか。。。。子どもたちは、それぞれが学校その他で見聞きしたこと、学んだことをフル活用し、二人でオリジナルバージョンを創り出す。それを大人たちに披露し、拍手喝さいを浴びる。その繰り返し。単純な事なんだけど、この積み重ねが二人にとって(そしてまなちゃんも)大切な学びのプロセスであり、チャレンジ精神の基盤になっているのかもしれない。

娘はチアダンスやら、スピーチ大会やら、司会やら、いろんな舞台に立つ機会があるのだけど、本当に度胸が据わっている。甥っ子も、リトル・アンバサダーのホリデーパーティで司会をする私、登壇してスピーチをする娘を見て、「あーちゃん、来年はぼくもマイク持ってお話したい」と小声で耳打ちしてきた。弟夫婦の話では、学校では結構引っ込み思案との事だったが、どっこい、チャレンジ精神に溢れているではないか!家の中で育んだ「自信」と「自尊心」は、外の世界に踏み出す原動力になるんだろうな。

娘、甥っこ、姪っこによる「ショー」を今年も楽しみにするとともに、家庭の外でも子どもたちがチャレンジできる場、それを大人が応援できる場を創っていきたいな~と思う。

 

 


正岡子規いろはカルタ:お正月の遊び

2011-01-04 | 家族

謹賀新年。

我が家は、毎年恒例で鎌倉の実家に長逗留。弟家族(夫婦+小1男子+3歳女児)や妹夫婦も入れ替わり立ち替わり泊ったり、食事に来たりで賑やかな毎日であった。

子どもたちの正月遊びの定番といえば、「カルタ」。娘と甥っ子が小学生にあがるあたりから、皆でカルタ遊びができるようになった。ので、昨年数十年ぶりに引っ張り出したのが「正岡子規のいろはカルタ」。今は亡き祖母が、故郷の松山で買ってきてくれたもので、我が家の冬休みの定番。私と妹と弟が、まだ娯楽の少なかった子ども時代に何度も何度も遊んだカルタである。

すべて子規の俳句なのだが、30年近く経ても、「音」や「絵札」が印象に残っている句がたくさんあるのが面白い。

 たとえば、かの有名な「柿食へば 鐘がなるなり、法隆寺」や、

「漱石がきて 虚子がきて 大晦日」

「松山や 秋より高き 天守閣」「春や昔 15万石の 城下かな」

などは、語呂と情景がシンプルかつ力強いだけあり、3人ともしっかり覚えていて、いつも取り合い になった人気札。

 言葉の響きがユニークで、意味はよくわからないけど三人で暗唱していたのが

「とまらんとす 蜻蛉(とんぼ)に動く 芒(すすき)かな」

「炉塞いで 書(ふみ)読む夜の 地震かな」

「句を閲(けみ)す ラムプの下や 柿二つ」

今読むと、子規が切り取った情景がふっと脳裏に浮かぶ。

 絵札が人気だったのは、

「蓮華草 われも一度は こどもなり」

「のら猫や 思ふがままに 恋ひわたる」

「赤き薔薇 白き薔薇皆 さみだるる」。

 きょうだい3人対決をやってみた。やっぱり、それぞれ得意な句があり、ちゃんと記憶しているから面白い。


なるほど、そういう意味だったのか。。と感慨深い句もいくつかある。

たとえば、子規が死の直前に詠んだ「糸瓜(へちま)咲いて 痰のつまりし 仏かな」。これが絶筆。

「若鮎や 二手になりて のぼりけり」春に若鮎が力強く川を上っていく様を捉えた句だが、一説には、自分が秋山真之、夏目漱石ら同級生たちとは異なる道を歩んでいく姿を重ね合わせているとも言われている。

「いくたびも 雪の深さを 尋ねけり」病魔に襲われ、根岸の家で寝たきりになった子規。雪が降ると、妹の律に何度もこう問いかけたと言う。

「鶏頭の14,5本も ありぬべし」彼の視界に入る小宇宙である「庭」の様子。鶏頭の鮮やかな赤い花が目に浮かぶ。

祖母や両親に読み手になってもらい、カルタ遊びに興じた子どもの頃。祖母も父も亡くなり、その代わりに新しい家族、次の世代の子どもたちと一緒に同じカルタで遊んでいることにしみじみと時の流れを感じた。

そして、大人になって改めて接する正岡子規の俳句。写生的な俳句、子規の心情と世界観が凝縮された俳句の数々に驚嘆したのだった。(2月には、家族全員で松山に法事に行ったのだが、私は一人で「正岡子規資料館」に行った。お勧めです。その後、子どもたちも一緒に夏目漱石や虚子らと句会を開いていた愚陀佛庵にも行ったのだけど、そのあとしばらくして豪雨で流れてしまったとか。。。。) 

それが去年のお正月。

今年はなんと!!娘と甥っ子の合作、手作りカルタが登場!!これにはたまげた。読み札も絵札も手作り。

自分たちで考えた読み札がユニークで、正月早々、爆笑の連続。

写実シリーズ

「いなりずし おすしやさんで 食べてみた」「レモンがすっぱい もういやだ」

「焼き芋食べたら へが ぷっぷ」「手相みて あらら あららと こまったよ」

ちょっとポエティックシリーズ

 「のらねこさん どこみて走っているの? まちかどよ」

「ラジオを聞いて ああニュース」

ダジャレシリーズ

「日本は 海におちて ジャッパーン」「桃食べて うしが もーもーもー」

家族登場シリーズ

「かずくんは せが高すぎ こまっちゃう」「まどふき かずくん まどがかり」

「ルミネで買い物 ああ ばあば」

 

さらには提言!?まで(笑)「くさった 食べ物 捨てようよ」

 

 基本的には同じ遊びなのに、毎年毎年、子どもたちの遊び方は進化する。カルタを作ろうという発想もすごいし、ひとつひとつ読み札も絵もよく考えてるなぁ~と思う。さらには、三歳児のまなちゃんも一緒に遊べるように「必ずまなちゃんがとる札」を決めようという工夫の仕方。そして、とれたら皆で大喝采。その時のまなちゃんの満面の笑みにまた一むわけで。まなちゃんもカルタの楽しさをしっかり心に刻み、来年はまたとれる札が増えていくのだろう。

お正月の遊びって、毎年同じように思えて実は変化を遂げているんだなぁと思った。そしてそれは、そっくりそのまま家族の歴史だったりする。