新・東京日記 ~ママチャリで行くわヨ!~

子育ても一段落し、だいぶ落ち着いてきた日々の備忘録。

ああ、安比高原

2005-09-21 | Weblog

徹夜でどうにか例の原稿の第一稿を仕上げ、行ってきました、岩手県。(17~19日)昔、父が盛岡支局にいたことがあり、家族で1年半住んだのだね。私が小学校4年生のころですから、かれこれ24年くらい前。新聞社も本社はすごい働きようだけど、支局は案外のんびりしてるので、しょっちゅう旅行に行ったりして、岩手県は私たちにとって、それはそれは楽しい思い出がいっぱいの地なのだ。

盛岡はみちのくの小京都と言われているくらい風光明媚な城下町である。そして、岩手山を背景に川と緑がいっぱいで、宮沢賢治や石川啄木を生み出した土地なんですな。非常に豊かな文化と歴史があるところなんです。

 さて。ほとんど徹夜明けですから、意識は朦朧。子供らの世話は母に任せて超適当に荷造りしたはいいが、なんだか時間の流れにうまく乗れず、しかも土曜の朝ですぐに来るだろうと思ってたタクシーが全く来ず、結局タクシーに乗り込んだときには新幹線の出発20分前。7時56分発なのに、もう37分だつうの。東京駅まで行かなならんのに運転手さんにも出発時間を伝え、無言のプレッシャーをかけまくり。しかし、交通量は少ないのに、なに、あの信号。全然通らない。交通局よ、おめーは喧嘩売っとんのか~!!と叫びたくなるようなもどかしさ。しかし、どうにか八重洲口に到着。まだ8分あるから大丈夫。 大きく「新幹線改札口」って書いてあるし、と思ったら、これ、東海道山陽新幹線やないの!東北新幹線は遥か彼方。この時点でかなりあせり、全員走り出す。尋常でない殺気を察知したのか、普段なら「抱っこして」の「歩けないも~ん」のうだうだ言う娘っ子も、すごい形相のばあばに手をひかれ無言で走る走る!

東京駅構内を走りぬけ、エスカレーターでホームにたどり着いたのはなんと発車1分前。しかし、我々の指定席の車両はこれまた遥か彼方。必死でホームを走る息子、私、ばあば、そして娘っ子。。。。しかし、その瞬間に「プルルルルルル」と非情にも発車のベルが。。。。こりゃ最寄の車両にとりあえず乗らな~!先を走っている息子に「とりあえず乗って~!!そっから乗りなさいってば~!!!」と絶叫する私。私の叫び声に振り返る息子、しかし勢いあまってものすごい勢いで激しくすっ転んでしまった!お、お前は欽ちゃんか~!?くらいの見事なひっくりかえりようにホームの人々は目が点ですだ。何の因果か私は私で「アンタは昔っからぎりぎりまでもたもたしてるからこうなんでしょう!!!ほんっとに、昔っから言ってるでしょうっ!!!!」と公衆の面前でばあばに怒鳴られ、もうほとんどコント@新幹線ホームですわ

どうにか乗り込むと、とっくの昔に奥さんのトモちゃんと2歳児ゆうたと到着していた私の弟ケンタは「ねえちゃん、たのむよ、どきどきさせんなよ~」と顔面蒼白。妹ハナも前夜飲み会で午前様らしく、これまた目の下にすごいクマをつくってゾンビのように座っていた。3人がけの席をひっくりかえして、6人で向かいあってすわったのだが、それプラスゆうたとナナがいる上に、わしらきょうだい、みな顔が濃いもんで、車両の中でも妙に人口密度は高いわ、暑苦しいわ、異様な一角であった。

しかし、こんなネタが多すぎて、全部書いていたらもうどうしようもない。今日は、あとひとつにしておこう。

それは、安比高原での出来事。安比高原のリゾートホテルに宿をとってあったのだが、夜、スキー場のゲレンデで秋祭りの一環の花火大会があるという。そして、花火大会がの後は「イリュージョンをお楽しみください」とチラシに明記されている。花火のあとは、プリンセス・テンコー?いや、いくらなんでも、んなわけないだろうから、レーザーショーか~、ロマンチックでよろし。粋な演出やな。と私は独り勝手に思ってました。花火自体、本当の打ち上げ花火で、すっごくきれいだったの。終わると、そのままイリュージョンが始まると思っていたが、会場のみなさんはおもむろに立ち上がり、ある一定の方向にぞろぞろと歩いていく。これは流れに乗るしかない。ので、我々一行も皆さんに紛れて歩き始めた。イリュージョンはまた別会場なのか!?

なんだか、闇の中を人々がぞろぞろ同じ方向に歩いていく図はとってもシュール。なんか、SF映画みたい。それにしても、イリュージョン・ショーは一体どこ?

しばらくして目に入ってきたのは、真っ青なライトに彩られた光のアーチ。そう、丸の内のルミナリオ(だっけ?)のような。そして、そのアーチを潜り抜けると、なんとクマちゃんやら、トナカイやら、馬車やら、はたまた新幹線まで、無数のライトでかたどられた光の造型の数々。まるで、クリスマス前のアメリカの住宅街のよう。

 

 

 

で、でも、これってイリュージョンというより、もしかして、もしかして、

 

イルミネーションちゃいますのん!!??

 

 

おなかがよじれるかと思うくらい大うけしたっす、ありがとう、安比高原!!

これ以降も笑える事件連発なんですけど、全部書いてたらきりないのでとりあえず今日はこれにて。


とほほ

2005-09-15 | Weblog

まだ、死んでます。例の報告書。
嗚呼。。。。
コーヒー飲みまくり。甘いもの食べまくり。
BGMはベートーベンの交響曲第五番と、ラフマニノフのピアノコンチェルト第二番の二曲のみ。どういう精神状態にあるかわかるでしょう?

終わったら、
ヘア・サロンに行く (しばらく行ってね~よ~)
ネイルサロンに行く (しばらく行ってね~よ~)
携帯買い換える (カメラが壊れちまった)
運転の練習する (マイカーも欲しい)
ヨガとピラティス再開する (えいこ嬢よ、待っててくれ)
家中大掃除する (ホントです、掃除きらいだけど)
温泉に行く (でも今週末は岩手は安比高原にいきますけど)
「ぴあ」買って、秋の文化活動の計画練る (相棒募集中)
ハワイ旅行の手配する (もう遅くねえか?)

って、こんなにやりたいことあるのに、来週も外回りの仕事の予定がつまってますけど。。。

カンボジアの研修生ももうすぐ来日しますけど~!!。。。。(爆)


再会

2005-09-09 | Weblog
霞ヶ関の某省庁まで出向き、なつかしの方との再会ランチ。1997年から2000年にかけて、NYの国連日本政府代表部に出向されていた方で、国連邦人職員の人事(というか、邦人職員の数を増やすための政策的ロビー活動から、職員の駆け込み寺的役割まで何でもこなされていた)を担当していたYさん。背がひょろっと高くて、ひげをたくわえていて、でも本当に目が優しくて、NYの路上、30M先からでもYさんは後光が射しているかのようにいい人オーラを全開されていた。私も何かっちゃ「Yさ~ん、かくかくしかじかで困ってしまってわんわんわわん」と、本当~に世話になったものである。

当時、ここにもよく登場するフラメンコやGoateeをはじめ、同年代(20代半ばから後半)の若手職員はすごく仲良くて、よくつるんだいたものだ。なにかっちゃ、飲み会、新年会、忘年会等々、アホな企画が目白押しだった。そして、その全員がそれぞれ、Yさんにいろいろな面でお世話になっており、Yさんにだけは足を向けてねられないとみんな心の中で思っていた(はず)。国連の中にもたくさんの日本人がいますけど、ここまで慕われ、尊敬されてる人も少なかったことだろう。そこで、Yさんが日本に帰国されることになったとき、誰からともなく「盛大に送別会をやろう!Surpriseで!」という案が出てきて、我々は実際に実行にうつしたの。有志がどんどん増え、ほとんど文化祭の準備のノリに近かったな。係とか決めちゃって。

当日。会場は私の好きなイタリアン、Pescatoreの2階のパーティルーム。しょっちゅうこのレストランでは私主催の集いが開かれてたので、マネージャーともツーカーの仲になっており、「とにかく、Specialな人のための送別会だから!!」とごり押しして、メニューや値段でもかなり融通をきかせてもらった。この2階に、国連若手職員が大・大集合。みんな、わくわくして息を潜めて待っている。Yさんが入ってきた瞬間に、みんなで「Surprise!!!!」と絶叫することになっているのだ。Yさんには、私とフラメンコ(だったよね?)と3人での食事、と伝えておいたように思う。で、何も知らないYさんと待ち合わせ、Pescatoreへ。2階に通されるときに、Yさんも怪訝な顔をしていたが、階段を登ってる最中は私はもうドキドキしておかしくて、ぶったおれる寸前であった。はたして。Yさんがパーティールームに足を踏み入れた瞬間、「Surprise!!!!!!」の嵐。あのときのYさんの顔!!!確か、Goateeが写真係だったんだけど、その瞬間(まさにこんな顔)をカメラがばっちりとらえていて、あとからみんなで大爆笑したものである。(Goatee、あのときの写真、どっかにまだあるの??) ほんと、楽しいパーティーだった。あそこまでみんなが一致団結して盛大に開いた送別会は後にも先にもなかったと思う。しかも、「驚かせたい」っていう熱意がすごかったよね。ほんと、人事担当者のお手本のようなYさんであった。
で、とにかく、そのYさんと5年ぶりに再会。全然変わってない~!英国風パブに行き、Fish and Chipsをご馳走になった。Yさん、それはそれはたくさんの職員の世話をしてこられたと思うのだが、私たちがいつも脱帽するのは、私たち一人ひとりのケースについて、自分ですら忘れてることもすごくよく覚えていらっしゃるということ。しかも、今は国連の人事からは離れられたのに、今でも国連就職希望者や現職の職員にいろんなアドバイスや情報提供をされている。 いろんな話をしたが、公務員の削減や(民営化による)効率向上が今、ホットな話題だけど、所詮、公務員の仕事というのは採算のとれない、短期間の利益とは結びつかない性質のものですよね、という話になった。

これは開発にもいえると思う。開発ビジネスは巨大化、細分化、そして専門化している。他方、防衛費が増大するにつれ、開発へまわされる資金はShrinkしがち。だからこそ、効率性、短期間での結果主義が強調されるご時勢だ。もちろん無駄は省くべきだけど、しょせん、開発の究極のクライアントは「人間」。人間、そう計画的に効率よく物事をすすめられるわけではない。途上国の開発は、突発事項の連続で、本当に時間がかかる。しかも、経済成長だけではなく、一人ひとりの人間の生活を向上し、選択権を広げる、という「人間開発」を行おうと思ったら、それこそ一世代にわたる長期的視野がどうしても必要だ。

それが、それこそ単年度での結果中心主義においては、国連の開発機関のようにドナー国からの任意拠出金(額が決められている国連本体への分担金とは違い、いくら出すかはその国次第)にその資金を頼っているところでは、次の年、いくらお金をもらえるかはその年の「結果」にかかっている。そうすると、必然的ににゴールの初期設定自体がどんどん低くなり、長期的な視野をもったプログラム作りがしにくくなったりする。なんだかな~。草の根の支援だけならそれでもある程度は結果だせるけど、ジェンダーやガバナンスのように、社会制度やシステム自体を変革していくような支援については、どうしても時間がかかる。しかも、結果自体、見せにくい。けど、本当に効率よく、公平な開発を行おうとおもったら、そこらへんをしっかり押さえることが重要なのだ。(だって、過去30年以上、国際社会は莫大なお金を途上国の開発に費やしてきたんだよ。それなのに、アフリカでは貧困人口(特に女性)が増えてる、ってどういうことだと思う?)

それにしても、すべてにおいて効率性が優先される社会の行く末というのはどんな世界?私はそんな世界に住みたくない。