A.M.'s kitchen

ふと心に浮かんだことを、短く、軽く、たまに鋭く、書き残しておく場所です。

アニメ矛盾紀行 その4「食べ物を大切に」

2017-06-08 14:12:01 | よしなし事
 食事を不味く作る女子キャラは、実写のドラマでも、ごくたまに「お約束」のように出てきます。

 アニメでは、グルメ系でない作品にはよく出てきます。そういうキャラが存在すること自体は、何も問題ありません。男子キャラでも、たまに料理を「不味く」作る場面がありますが、圧倒的に女子キャラが多いのは、「料理は女がするもの」という古式ゆかしき思考傾向が、少なくとも作品の供給側に伝統として引き継がれ続けているのでしょう。

 でも、私は、それ自体は気にしません。キャラは色々あって当然ですし、それが作品の下支えになるのですから。

 ところが、問題は、その話題の「落としどころ」です。それは、「不味い」料理を他人に食べさせて、相手が苦しむ姿を描いて、作った本人が「(^^;;;;」状態で笑っている場面です。


 他人に食事を出すなら、「味見」くらいするでしょう。


 好みの差を越えた「砂糖と塩を間違える」レベルのものが、他人の口に入るというシチュエーションはムリがありすぎです。作った本人が味覚障害なら、「(^^;;;」は出ません。ということは、意図的にとんでも料理を作ったことになります。ギャグ場面として笑えるレベルには達していないので、その意図がどこにあるのか理解に苦しみます。

 ただ、製作者の立場で弁護するなら、「女子キャラ」を中心として、可愛く見せたいキャラをアピールする手段として、押せ押せのスケジュールの中で、つい飛びついてしまうテクニックとして、業界で確立した手法の一つなのだと思います。とおり一変の肩透かしギャグだとスルーする前に、アニメ愛好家の皆様には、是非、こうした製作者の都合や、業界に染み付いた慣行に思いを馳せていただければと思います。

 自ら料理をするという経験を持たない人物が、脚本に携わってしまったという不幸な偶然が、作品をわかりにくくする上での「合わせワザ」になっていることも、応援する立場として理解しておくポイントだと思います。

 ちなみに、主人公がレストランを経営していて、常に出す料理が不味い、という設定の作品があります。これは、単なる味覚に問題のある人物なので不自然ではありません。設定と表現力がしっかりしていれば、逆に作品の味わいを深くする要素にもなりえるのです。

 本当に、アニメ業界は、大変だと思います。頑張って、面白い作品をたくさん、世に送っていただきたいと、心よりエールを送ります。

アニメ矛盾紀行 その3「ターン制」

2017-06-08 13:20:08 | よしなし事
 コンピュータ・ゲームをよくやる方だと、よくご存知だと思います。「ターン・バトル」、「ターン制バトル」などとも言われたりします。

 簡単に言うと、ゲームの中で敵やモンスターと戦う際、両者入り乱れてではなく、相手と交互に攻撃や防御のコマンドを実行する方式のことです。つまり、相手が攻撃するターンでは、こちらは今の防御力を頼りに「何もできず」に攻撃を受け続けなければならないという決まりの戦い方です。

 中には、一定の確率で「避け」たり、「跳ね返して相手にダメージを与え」たり、即座に「反撃し」たりという機能もありますが、これらはあくまでオプションです。

 広く言えば、将棋やトランプも「ターン制」と言えなくもありません。相手がカードをめくっているときに、割り込んだりすることはできないし、飛車の駒が移動している途中で王駒が勝手に逃げ出すこともできません。

 さて、話をアニメに戻すと、作品の中のバトル・シーンでは、著名な作品から、粗製濫造のお手軽作品にいたるまで、完璧なターン制が大量に採用されています。むしろ、交互に入り乱れて戦うような作品を見つけることのほうが大変です。

 たとえば、一方の側が、合体したり、ワザのウォーミング・アップをしたり、兵器の名称を声高に叫んでいたり、回想にふけっていたりすることが、「ターン」として認められ、相手側は攻撃を中断して待っていてくれるのです。これは、相手が人がいいわけではないのはもちろんです。かといって、命を懸けたような戦いで、「チャンスに攻撃しない」とか、「何もせずに攻撃を受け続ける」というのは、どうも不自然に見えて見苦しいです。

 でも、「ターン制バトル(現実ではありえませんが)」の作品なのだと理解すれば、それはルールなのですからスッキリ理解することができます。相手が攻撃を準備していたり、場合によっては攻撃するか逃げるか迷っている間は、じっと見守らなければならない決まりなのです。

 ただ、ターン制にも気になる点はいくつかあります。たとえば、主人公の側が時々ルールを破って、相手の攻撃中にカウンターで手を出してしまうことが高い確率である、というアンバランスです。相手側は、主人公が幼い頃まで遡って、長い回想にはまり込んでいても、紳士然と攻撃を控えてくれているのにです。しかも、恥らうこともなく、「スキありー」とばかりに自慢げな台詞まで付いてきたりします。これでは、どっちが悪だかわかりにくくなります。

 ターン制が乱用されているのは、製作者全員の罪、と断定するのは行きすぎです。あえて、問題があるとすれば、それは脚本です。でも、時間やスポンサーや熱狂的なファンをはじめとする様々な制約を考えると、非現実的だという非難を受けても「ターン制」をあえて選ばざるを得ない、やむを得ざる事情を考慮してあげるべきでしょう。せめて、雑誌やテレビ欄での表示や、作品解説の項目に「バトル:ターン制」という表記があると、私は大助かりです。時間の節約になるからです。

 ターン制バトル、果たしてこれからもアニメバトルの代名詞として君臨し続けるのでしょうか。

 本当に、アニメ業界は、大変だと思います。頑張って、面白い作品をたくさん、世に送っていただきたいと、心よりエールを送ります。

アニメ矛盾紀行 その2「水戸黄門の印籠」

2017-06-06 13:14:01 | よしなし事
 実写ヒーロー作品は、私は好きです。その中には、必ずといって「お約束」が存在します。たとえば、ヒーローに変身して、必殺技で敵を仕留めるプロセスが、毎回、似たり寄ったりであること。決して、悪いわけではなく、「きたきたー」という感じになります。

 こうした現象を、私は、大好きな時代劇になぞらえて、「水戸黄門の印籠」と呼びます。

 ところで、こうした「見せ場」として用意したのであろうと推測されるものの、今ひとつしっくりこない「お約束」が、アニメ作品の中に多く存在します。その例を挙げてみましょう。

・パニックに陥った少女キャラに「いやー」と叫ばせる。

・放映期間の中盤に、海水浴や温泉旅行があって、健全な性描写に迫る。

 これらを、私なりに製作者の立場で斟酌するなら、「やった方が売れる」という切羽詰った事情があるのではないでしょうか。ある意味、強迫観念に近いものになっていると心配になってしまいます。あるいは、こうした場面を、キツい作業の目標に置いて、現場を鼓舞するのかもしれません。

・「上から目線」を地で行く「ったく」という台詞を乱射する。

 これを私なりに斟酌すると、辛い制作現場の愚痴を作品に混めた、というより、視聴ターゲット層の置かれた社会的事情を配慮して、発散させているのでないかと思います。もっとも、昨今では、動画を含めたSNSへの投稿に、その役割は取って代わられていますが。

・電波を出すキャラが(とくに女子キャラに)襲い掛かってくる。しかも、突然、目の下にクマができていて、瞳の中に変な色の光が灯っている。

 これは、萌えキャラ系の作品でやると「意外性」で以前はウケていました。そこで、展開に詰まったとき使える必殺ワザになっているのでしょう。でも、そろそろ、賞味期限は切れているのではと心配です。

 まだまだありそうですが、この話題はここでお開きです。

 本当に、アニメ業界は、大変だと思います。頑張って、面白い作品をたくさん、世に送っていただきたいと、心よりエールを送ります。

アニメ矛盾紀行 その1「数人一役」

2017-06-06 12:39:32 | よしなし事
 アニメの登場人物を眺めていると、たまに、突如、人格が入れ替わることが目に付きます。
 決まって、主役です。男子がほとんどです。脇役は、出番が少なく、設定された性格をなぞるだけですむために、この奇妙な現象から無縁のようです。

 たとえば、普段は、はっきり言葉がしゃべられず、うなり声や、息を呑む音の台詞ばかりで、ほとんど自己主張のできない主人公が、事件に巻き込まれたり戦う場面になると、突如として、周囲も驚くほどの決断力を発揮し、しかもしゃべる内容も明瞭、理論も緻密、そんな「むりやり」な変身場面が、大量の作品の中に出てきます。

 たとえば、めそめそして泣きじゃくっている人物が、何の根拠もなく、突如、勇ましく立ち上がって行動を始め、それまでの迷いや泣き言を言っていたことが、「ナシ」になっている場面が、大量の作品の中にあります。

 こうした現象を、私は「一人二役」にちなんで「数人一役」と呼んでいます。つまり、性格が変わったのではなく、「違う人間に入れ替わった」という理解です。声や顔が同じなので、なかなか納得するのには苦しみますが。

 それでも、私なりに、製作者の事情を斟酌してあげるなら、こうなります。

・作品の時間が決められているので、結論に至るプロセスに人格がついていけなかった。

・プロットをなぞるためには、主人公の性格が一貫していては困る。

・自己主張できない人、弱気な人を、視聴のターゲットにしているので、応援のつもりだった。

・内容よりも、キャラデザインや声優ありきなので、余分なことに労力はかけていられない事情がある。

 本当に、アニメ業界は、大変だと思います。頑張って、面白い作品をたくさん、世に送っていただきたいと、心よりエールを送ります。

夜食夜話 (82) キャベツ

2010-10-05 11:10:24 | 食生活
 以前、よくキャベツを買っていたのは、それなりに使い道が多かったせいだ。

 もっとも簡単な食べ方としては、大振りに角切りして、単純に「味噌マヨ」をつけるだけ、というものだった。
 これは、キャベツ自体がしっかりしていた方がよいので、緑の外側よりも、黄色から白、そして芯に近い部分ほど、びったりの食べ方だ。


 頻度として多かったのが、「お好み焼き」。「炭水化物禁止令」を発動中の今はやっていないが、週末の食卓にはもってこいだった。簡単に作れるし、酒のつまみにもなるからだ。たった2、3枚でも、大量のキャベツを使うので、1玉を買っても、使い道に困ることはなかった。


 次が、焼きそば。絶対にキャベツは欠かせない。こちらは、芯よりも、青い葉の部分が合う。ただし、多すぎると、麺が食べにくくなるので、消費量は多くならない。

 最後が、単純に炒めものの具の1つにするやり方。これは、「遺憾ながら」、最後の手段的な扱いだった。


 ただし、あまり他の野菜を混ぜず、味にアクセントをつけることで、そこそこの一品になることもある。

 たとえば、豆板醤を使って、「辛く」する。バラ肉やソーセージといった、味のある肉類とあわせるだけで、立派な一皿になる。欲を出して、玉ねぎなどを加えてはいけない。あくまで「キャベツを美味く食べる」ことが主眼である。

 また、かるく表面を炙ったベーコンやパンチェッタを、ざく切りにしたキャベツに乗せてホイル焼きにする方法。塩気は肉からもらうが、普通の肉を使うなら、食べる段階で塩を振ってもいい。ホイル焼きにすると、肉汁やキャベツから出る水分がスープのように下にたまる。これを美味くいただくために、事前に顆粒のスープの素(固形なら砕いて使う)を、キャベツの中に仕込んでおく。


 何度か、ロール・キャベツを作ったこともある。意外に失敗する要素が少なく、美味くできてうれしかったが、「手間」がかかりすぎるので、今ではやらない。

 でも、優れた食べ方だと思う。考えた人は、天才だと思う。