A.M.'s kitchen

ふと心に浮かんだことを、短く、軽く、たまに鋭く、書き残しておく場所です。

2007年のしめくくり

2007-12-28 21:46:59 | 食生活

本日は私の会社の仕事収め。いつものように、社内の会議室で宴が催される。
そして、いつもは、どこ果てるまでなく飲み続けるのだが、ここの常連の読者の方にはおわかりのように、私はすでに『飲む意欲』を消失した状態にある。やむなく、一番無難そうなワインを注いで、それをミネラルウォーターで10倍近く薄めたものを、ウーロン茶と交互にちびりちびりとやっていたが、当然のごとく一向にうまくない。しかし、それでいて、なんだか酔いが回ってきそうな妙な気分になってきて、とうとうご覧のような状態で残してしまい、ついには熱いコーヒーをいれて全部流し去ったところだ。
写真では、コップになみなみと注がれているように見えるが、実際のワインの量は深さにして1センチ程度である。

料理は、取り寄せたすしの他、料理の得意な社員が腕によりをかけた魚料理を中心とした皿が並べられた。しかし、やはり、ここの常連の読者にはおわかりだろうだ、私の身体に必要なのは、すしでも魚でもない。ひたすら肉である。

さて、宴はなおも、酒好きが残って続行しているが、もはやその輪の中にいる必然性のない私は、雨模様が一段と増している中で、水浸しにならない内に帰宅の途に着こうと思う。

そして、次回掲載予定は、来年1月7日以降となる。果てして、急変した私の状況は、どのように発展しているだろうか。あるいは、膠着状態に陥って苦悶のうめき声を上げ続けているのか。当の本人にも全く予測がつかない。


聞きたい声、見たい顔がある。しかし、安易にそこへ走ってはいけない。しかし…。

2007/12/26 のメニュー

2007-12-27 12:38:25 | 食生活
どうせなら…

わかめと豆腐のさらだ

「食欲がなければ、豆腐」でたんぱく質を補うしかないという状況。昨日、豆腐を単体で食べたことから、「多少は変化がないと」いうことで、重い腰を上げて豆腐をカットし、カットわかめを水で戻し、大葉しそと柚子の皮を刻み…となってこの一皿。ゴマドレッシングを少しアレンジしてかけた。半分、流し込むつもりで食べはじめたのだが、意外に美味しく感じられて助かった。


強制たんぱく質注入食

昨日、買ってはみたものの、そのまま食べてゲンナリしたウィンナーを、↑を作るついでとばかりに塩胡椒で炒めてみた。どうせなら、もっとたんぱく質を、ということで豆も加える。さらに、どうせなら、冷蔵庫で朽ち果てるままに放置される運命にさらされかけているサラダ菜を引っ張り出し、塩、胡椒、グレープシード・オイル、そしてマヨネーズを添えた。まるでやる気なしの状態にしては、よく頑張って2皿も揃えたものである。ただ、それだけでは、余りに『食事』らしくないので、レーズン・ロールを2個口にした。味覚的にはよかったが、胃が重くなってしまい、やめとおけばよかったと反省。やはり、夜の炭水化物は魔物だ。



今年最後の宴

2007-12-26 10:47:59 | 食生活
トンネル生活2日目。

夜のスタジオ・レッスンから帰宅したのは23:00過ぎ。いつもなら、汗になったウェア類を洗濯かごにほうり込んで、シューズに消臭剤を吹きかけてシューズ・キーバーを差し込むと、大急ぎで夕食の支度をするか、あるいは飲みに出かけるところである。
しかし、事態は一変した。飲みに出かける心境どころか、アルコールを身体に入れたい欲求をほとんど失っている状態では、料理を作ろうとする意欲すら湧いてこない。当然といえばそうだが、「そこまで…」と我ながら驚き落胆した。
しかし、何かを食べないと、破壊された筋肉細胞の再生ははかれないし、その他必要な栄養素の補給はできない。とくに、たんぱく質を欠かすわけにはいかない。結局、前夜同様、またもや、簡単で、何も調理しなくてもすむものを口に押し込むことにした。ただ、豆腐だけは、やや食べていて美味しさを感じたが、アルコールの友として地位を失ってしまうと、実に素っ気ない物体と化してしまったことか。最後に冷たいお茶と、熱いコーヒーを飲み、寝つけない夜の予定を算段しているとへ、1通のメールが入った。
この時間に入るメールは、まず酒の誘いであることは間違いない。頭はまず、どうやって"断るか"に働きはじめた。携帯を操作しながらも、ほぼ相手に予想はついていたので、断る文句も即座に思い付いた。

ところが、相手は予想を反した。確かに、酒を飲む誘いだったが、夜遅くに酒の誘いをしてくるとはおよそ思えない、『飲めない』人間だった。しかも、あまり印象のよくない形で会ってから1週間近く立っていた。実は、「当面、飲めそうもないので、しばらく食事も誘えない」というメールを、その人物に送ろうと考えていた矢先でもあった。そのままメールで返してもよかったのだが、とりあえず直接電話してみた。そして、どうせなら直接話した方が早いと思い、相手のいる場所へと赴いた。場所は、いつものバーではない。
とりあえず、ビールのジョッキを手にして乾杯し、そして、簡単に事情を話し、「今夜は少しだけしか飲めない」と言った。相手は、驚く様子もなく、逆に「飲まない方がいい」とも、それまでの私の飲み方を見てきて「よくないと思っていた」、「飲み過ぎだ」とも言った。そして、私は、そう言った言葉を、穏やかな壮快感を覚えながら心に吸い込んでいた。
その反面、たった一日を挟んだだけのビールは、見事に不味く感じた。苦い。そして、からだの内側から立ち昇ってくるアルコールの熱気の感触にも以前のような安らぎを感じない。結局、2杯目は相手に合わせて梅酒のソーダ割に変えた。まるでジュースだが、その方が身体が歓迎した。しかし、「2杯目が早い」と叱られてしまった。
結局、さらに同じものをもう1杯のんだのだが、それは「絶対それで今日は終わり」と約束させられてのグラスだった。それでも、ゆっくりだが、確かな酔い心地に、いつしか全身が包み込まれているのを感じた。それで、十分だった。ひょっとして、私が感じていたのは、酒による『酔い』ではなかったのかもしれない。
「そもそも、酒はこの程度でいいのだと思う」、そう私は相手に語った。「当然」と返事が返ってきた。

約2時間の邂逅だったが、私には一晩飲み明かして語り合ったほどの充実感が残った。年内、余すところ数日となったが、私にとっては、数年来なかった心地好い忘年会となった。当面のアルコールとの決別のよい機会ともなった。そして、少しだが、暗やみに耐えることに対する、わずかに燻っていたためらいや恐れが、気持ちよくぬぐい去られた気がした。

帰宅した私は、誘ってくれた人物に感謝のメールを贈った後、かすかに乗っていた酔い心地を濃いめのコーヒーで追い遣ると、読みかけの本を開き、微弱ではあるがさらなる前進への意欲を強くしていた。

(写真は、あるクリスマス・パーティーで、幾人かの方から感謝のメモとともに贈られたハンドタオル)

暗やみの果てが、さらなる闇であっても…

2007-12-25 12:50:24 | よしなし事

バーでのクリスマス・パーティーの翌日の朝だった。1本の電話がかかった。
スポーツ・クラブでの4本のレッスンを終えてのパーティーだったが、サンバのリズムに煽られて、全身汗だくになるほど踊り、さらに朝まで飲み明かして4、5時間経たあたりである。ダンスもパーティーそのものも大いに楽しんだ。しかし、このところ続いているストレスが尾を引いていたため、この時も2、3時間前当たりから目が覚めていて、毛布の中で悶々としていた。この日は保谷の別店舗へ、調査もかねてレッスンを受けに行く予定にしていたが、前夜のダンスで膝は限界を突破して激しい痛みを訴え続けていた。酔いも残っていた。さらに、精神的にも積極的に行動を起こす気力を失っていた。

電話は長年の友人からだった。1年以上は会っていない。しばしばメールの交換はあるが、電話口で話すのも一年ぶりくらいだろうか。数日前、彼女の父親が他界したとのメールを受け取っており、心ばかりのお悔やみを返信したばかりだった。この電話は、無事、通夜、葬儀を済ませた報告と、お悔やみへの返礼だった。しかし、布団の中からくぐもった声で応ずる私の様子を見透かしたかのように、『異変』は嗅ぎとられてしまった。見栄も強がりも通用しない相手だが、さらに私にはそれらを用いようと考える気力するなかった。そして、促されるままに、近況を語ることになった。葬儀などでの疲れもあったのだろう、当初は「報告とお礼を手短に…」といっていた彼女は、受話器の向こうで腰を落ち着けたようだ。

その時、玄関のチャイムが鳴った。電話中で、しかもベッドの中にいたこともあって放置しようかと考えたが、なかなか諦めてくれないようで、ドアに近づくと私の名前を呼んでいる。何ごとかと思って慌てて服装を整えて出てみると、近隣で何かとお世話をいただいて家族ぐるみで交友させていただいている方の夫人だった。しばらく顔を出していないので、心配されて届け物ついでに寄ったとのこと。電話中だからと、あいさつ程度で済ませたが、ありがたいことだと思った。こちらも、長いつきあいなので、寝ぼけた私の様子から、それ以上のものをくみ取られてしまった可能性は十分あったと思う。おそらく、数日を経ずに、『異変』への問いかけが、電話なりメールであるのは必至だ。

さて、電話に戻り友人との話を続けた。細かいやり取りは省くが、結局、話している内に、自分のストレスがどこから来ているか、次第に霧が晴れるように見えてきた。抽象的だが、要因は大きく3つあった。これらに対して、『積極的になりえていない自分』が自分を『好ましくないパターン』へと押しやっていることに気づかされたのである。
3つの要因とは、やるべきこと、やりたいこと、そして、それらを実現させるための必要条件である自身のコントロールである。
振り返ってみると、すべては、見事といってよいほど歯車がかみ合っていなかった。辛うじて保ってきた仕事とスタジオ・レッスンに明け暮れる生活も、そこから発展したところにある『やるべきこと』や『やりたいこと』を避けながら、その日その日をしのいでいたことを痛感した。その決心の鈍りをごまかすかのように、『今この瞬間』の楽しみに没頭する卑怯な自分も垣間見た。

だから、一つ一つ、必死に打ち込んでいるようで、しかも、何一つ満足が行かず、ストレスとしてじわじわと蓄積していたようだ。それが、ついに破裂した。

友人は、かつて自分もそうだったといった。それは、よく覚えている。端で見ていた私は、どうなってしまうのか心配でならず、毎日のように励ました時期があった。はるか10数年も前のことである。
一とおり励ましと叱咤の言葉を丁寧に語った後、友人が最後にひと言付け加えた。それらの言葉は、いずれも、当時、私が彼女に言ったことなのだそうだ。メモに書き留め、部屋にもはり出して、自分を励ましていたのだという。当時の私は、自分にできることは大してないが、とにかく何か言わねば目の前で壊れていきそうな一人の人間を目の当たりにして、懸命だっただけである。何を言ったのか、この時までまったく記憶になかった。
しかし、そう言われて改めて振り替えると、確かに記憶の底に埋もれていた言葉が少しずつ蘇った。

「だから、きっと大丈夫」と友人は断言した。ただし、「闇は深い、その先にもトンネルがあるかもしれない」と、脅かすようなことも付け加えられた。事実であり実感であるが故に、反論の余地もない。

私は、電話を済ませると、起き上がり、そして、「やるべきこと」に手をつけはじめて、同時に「やりたいこと」として棚の上に上げていたものを、「全部やろう」という決心に変えはじめた。食欲はなかった。でも、動くために、手近にあったものを胃に押し込んだ。吐く息に濃厚に臭いが漂っていたアルコールも、気が付くと雲散霧消していた。レッスンは夕方以降、ホームのレッスンに参加することに決めた。じっと座っていると、眠りに引き込まれそうだったが、深く寝つけないことも分かっていた。今の状況が、体調が、感情がどうあろうと、『前に進む』以外に、道がないことを胃が痛む思いで噛み締めた。以前にもそんな時期があったが、もはやそれがいつだったか思い出せない。思い出せたところで、当時の解決策が、今通用するとも思えない。振り返るよりは進むしかない。

昨日まで予定すらしていなかったレッスンでは、またも思いがけない出会いがあった。一人は元気の波長が合う人物、もう一人は、つい数日前、私があきらめかけていた「やりたいこと」を見抜き、勧めてくれた人物だった。ある分野では、私が相談できる相手が、まさにこの2人だった。
この時は、とくに深い話はせず、レッスンだけ終えて帰宅した。しかし、その2人の顔を見て短い会話を交わしただけで、今の私には十分な激励となった。

帰宅しても食欲は戻っていなかった。それでも、スタジオで動いた後のふらつく身体に、またもや無理やり食べ物を押し込んだ。本を読み、文章を書き、長丁場になりそうな葛藤と、必ずや来るであろう復活を念じ続けた。これ以上は耐えられそうもない、そう脅えていた苦痛は、まるで空想が現実化したかのように、さらに勢いを増して無音の部屋に充満した。逃げ場はどこにもなかった。

不思議だった。いつしか、よほどの体調不良以外では欠かしたことのないアルコールへの欲求は、地平の彼方へ去っていた。
一度、力尽きるように横になったが、わずか2時間ほどで覚醒した。不安と苦痛は、今にも胸を突き破って顔を覗かせそうだった。しかし、この時、なぜか「必ず耐えられる」という自信が、不思議にふつふつと湧きはじめていた。しばらくして、やっと安らかな眠りにつくことができた。随分、久しぶりのように思えるほどだった。

これも不思議なことだが、その日、私の励みとなった友人・知人の4人は、すべて女性だった。翌朝の紙面に見た「なにもかも、これからだ」という哲人の言葉は、くもの糸ほどでしかないであろう、今の命綱を、少しばかり頼りがいのあるものに見せてくれるには十分だった。


2007/12/22 のメニュー

2007-12-25 11:38:37 | 食生活
なかなか手が切れない…

今日焼いた野菜

長ねぎ、ニラ、小松菜。小松菜は前回の成功を受けて用意。ニラは「多分、ダメだろう…」気分で、冷蔵庫の掃除をかねてチャレンジ。結果として、ニラは成功だっただけでなく、小松菜の存在をかき消さんばかりの勢いがあった。ニンニクの芽で、ガッカリさせられていたので、『ニオいのあるもの』に全般にあらぬ疑いをかけていたようだ。


トマト&オニオン

塩で辛みを抜いたスライスたまねぎを乗せ、フレンチ・ドレッシングをかけた。トッピングに柚子。初めて作った時ほどの、感動はもはやない。熱いものの合いの手としては十分に約だった暮れたようだ。サラダ系に対して、最近力が入っていないことを反省した。かといって、頑張ってみようという意欲が減退しているのも事実。しかし、野菜を切らすワケにはいかないのも、事実。食べることは、ある意味試練でもある。


鶏胸肉

こちらも、前回の成功にかこつけて用意。実は、豚よりも、こちらの方が前半の出だしは美味しい。後半になると、脂のなさが物足りなさにつながり、量の多さが苦になってくる。しかし、そこを補ってくれるのが皮。ということで、胸肉を使う際は、『皮付き』でないと、話にならない。切り方にもよるのだが、火の通りが早いことも、『食べやすい』すなわち『おいしい』と感じさせる要因かもしれない


調理(食事)中の図

あまり区別はつかないが、焼き過ぎ防止に、次に食べる肉が小松菜の上で待機している。周囲に散在するのは、長時間放置して、焦げ目がついた方が味わいのある皮たち。空腹と疲労で、勢いよく食べて床についたのだが、この後、起こされて外へ飲みに行ったさい、ほとんど何も口にできなかった(喉まで鶏がつまっている気分)。それでも、かなり飲んでしまい、やや反省。満腹でも、熟睡できないのは問題である。



2007/12/21 のメニュー

2007-12-25 11:22:40 | 食生活
果てしなき戦い…

アボカド&カマンベール

大きく千切ったレタスの上に乗せただけ。アボカドの熟し具合は、やや物足りなかった(かなり、室温放置してみたのだが)。塩、白胡椒、バージン・オリーブ・オイル、ジェノバ・ソースで。無難な味だが、感動はそれほどない。「路線を大きく変えたい」という欲求が付きまとっている。


今日焼いた野菜

ターサイ、ぶなシメジ、長ねぎ。洗ってザクザク切って、ポンだから楽である。シメジから、意外に水分が多く出たのには驚いた。一度に大量に入れると、鍋が水没しそうだ。味は問題なし。ターサイは、本来、中華系の炒め物に使いたかった。が、次を補給しているから、次回はそうなると思われる(また、鉄板になる可能性も捨てきれない)。


今日の肉(豚)

またもや、脂のたっぷり入ったブロック肉を使用。鉄板焼には、こちらの方が適している。もちろん、ご覧の通り超厚めにカット、こうでなければ食べご堪えがない。ただし、バラ肉ほどではないが、おびただしい脂の量は、「このまま食べ続けているとアブない」という予感を強くさせる。食べきった余韻ので中で、そろそろ、鉄板焼とは手を切った方がよいのかと、ひっそり思ったりした。



2007/12/20 のメニュー

2007-12-21 14:30:13 | 食生活
飽きたからではない…

サーモン&リーフ・レタス

久しぶりにサーモンの登場。最近売場にないと思っていたら、場所が変わっていたらしい。本来はアボカドと組合せたかったのだが、買い置きしていたものがまだ熟しきっていなかったので、このようになった。小ねぎをトッピングして、ゴマドレッシングをベースにした味付けにした。マヨネースとおろしニンニクがポイント。写真を撮った後から、クリーム・チーズを乗せた。サラダというより、ゴマだれづけにしたサーモンのつけあわせ、という感じになったが、ちょっとした発見の味。他の魚にも応用できそうだ。


鶏と野菜の中華風

やっと鉄板を離れて、今回は鶏で中華。ターサイ、白菜、ニンニクの芽、長ねぎを使用。平凡に鶏ガラスープをベースに、醤油とオイスター・ソースでまとめる。当たり前のことだが、一気食いしていないので、後半は覚めた状態。熱々ばかりを食べていた昨今ということもあって、やや物足りなさを感じる。かといって、すぐまた鉄板焼生活に戻りたくないという、変な意地もあったりする。
湯豆腐でもやろうか…。



2007/12/19 のメニュー

2007-12-20 16:39:19 | 食生活
それでも続く…

リーフレタス&ベビーコーン

冷蔵庫にあったものを適当にならべただけ。塩、胡椒、オリーブ・オイル、フレンチ・ドレッシングで。とくに美味しいというわけではなかった、↓の熱い食べ物に対して口休めになるものが必要だったまでである。なにか、もう一つ、現状から大きく抜け出すきっかけになるものを作って食べたいが、多分、次回はアボカドである。なぜなら、すでに冷蔵庫に待機中だからである。


今日の肉…

と、未調理の肉を出してきたということは、そのとおり、今夜も鉄板焼。いい加減にしてもらいたい、と思うのは読者のみならず、自分自身もである(笑)。
今回は、シャブシャブ用の薄切りを用意したが、味が抜け落ちて繊維だけが残るような食べ方は『断じて』できないので、さっと炙るように表面に火を通して食べる、"焼きしゃぶ"式にした。タレは、ポン酢醤油系と、わさび醤油の2種類。
気分としては、とっくに飽きているのだが、どうやら『楽』さに心が負けているようだ。もちろん、味に不満はない。


本日の野菜

こちらも、あれこれ切る手間を惜しんでしまい、包丁いらずの野菜に絞り込んでしまった。いずれも、火の通りが早いので、温度調整を小まめにやらないと、すぐ焦げそうになるのが、唯一の弱点だった。もっとも、肉も薄いので、ひとしきり食べたら温度を落として、サラダに行き、落ち着いたら再び温度を上げて焼く、そんな流れの食事だった。



2007/12/18(深夜) の品々

2007-12-19 11:11:28 | 食生活

さて、せっかく用意した鉄板焼を、ほんの少し手をつけただけで食欲がないことに気づいて取り止めようとしていたところへ、1通のメール。
「飲み足りないが食べたくない」状態にはもってこいとばかりに、いつものラテン・バーへ。ここには載せていないが、開口一番に注文したのは、この店の自慢でもある「ソフト・クリーム」。立派な渦巻と、ピント先の立ったてっぺんを作り上げるのは、マダムでしかできないワザだが、この日はオフだったのでマスターに頼んだ。なかなかの力作だったが、美的センスはマダムには遠く及ばない(笑)。
さて、次に頼んだのは、メニューでは焼酎の「梅干し割」用の梅を、一品として出してもらった裏メニュー(と、大げさにいう程ではないが…)。連れがよく飲むのだが、味見をさせてもらったから、ほぼ毎回頼むようになっている。なかなかの高級品で、酸味や塩分よりも旨味を感じる逸品。この後、これをきっかけに"おにぎり談義"に花が咲いた。

こちらは、連れが頼んだサラダ、その名もアフロ・サラダ。理由は言うまでもないが、実は個人的には一度も頼んでいない。ガーリック・チップと熱々のオリーブ・オイルが味の決め手。お店には、申し訳ないが、個人的なレパートリーに加えさせてもらうことにした。ブロッコリーは、歯ごたえのある程度の状態であることがポイントのようだ。

結局、かなり"いい時間"までいたのだが、後半に生後1ヵ月の赤ん坊をつれた常連たちが入ってきた。すやすや眠る赤ん坊を、感動をもって眺めたりして、最後の記念撮影の場面。彼らの一人のもってきたカメラで撮ったことは覚えていたが、私のカメラの中に収まっていたのを知ったのはつい先ほど。まあ、そんな状態だった分けだ。ちなみに、連れは、カウンターのいすを並べてベッドにし、私の足を枕にし、私のベンチ・コートを毛布にしての、大爆酔(睡)の近海マグロ状態だった(爆)。

2007/12/17 のメニュー

2007-12-19 10:52:04 | 食生活
THEME…

アボカド・サラダ

こうして見て気づいたのだが、最近はトマトよりもアボカドの方が登場回数が多いのではないかと思う。何らかの不足栄養素をもっているからかもしれない。塩、白胡椒、ハラペーニョ、ジェノバ・ソース、バージン・オリーブ・オイルというシンプルな味付け。
実は、以下に載せる食材も含めて、食べはじめてすぐに食欲をなくして、翌日に繰り越すことになったのである。確かに、昼間の食事の量がやや多かったのは認めるが、夜にはいつもどおりレッスンを受けて汗を流している。考えられる原因としては、心理的なものだが、昼間は食欲をなくすような状態ではなかった。いずれにせよ、翌日は、気持ちよく、全部平らげた。


今回焼いた野菜

白菜と、玉ねぎ、それだけである。長く切った小ねぎは、薬味用。実は、リーフレタスも用意されており、肉を包む際に、このねぎを挟み込むために用意してある。やはり翌日に繰り越した野菜は、さらにピーマンが付け足された。
前回の小松菜に比べると、白菜は「酸っぱみ」がすこし抵抗感があるのが分かった。煮込んだ方が合う食材といえそうだ。


豚フィレ肉

本来はもっと鮮やかに色である。20センチを優にこえるデカぶつを、丸ごとカットしてみたら、とんでもない量になった。結局、初日は2、3切れ食べただけで終わったのだが、ロースなどに比べて脂を持たない分、焼く際には脂を敷いてやらないとテフロン加工とはいってもくっつきやすい。さらに、火の通りの見切りを間違うと、パサつくことも改めて分かった。この部位は、衣を着けるか、薄切りにしてさっと炙るだけで食べるかした方がよさそうだ。それでも、リーフレタスに巻いて、ゴマ・ドレッシングとマヨネーズなどを組合せたソースをつけて食べると、これはこれで最高。脂分をマヨネーズが補って、ちょうどよい感じになる。
もう1つ、柚子を絞り込んだ醤油も用意していたが、こちらは焼いた野菜たちに主に使われた。理由は、リーフレタスが多過ぎたためだ。