バーでのクリスマス・パーティーの翌日の朝だった。1本の電話がかかった。
スポーツ・クラブでの4本のレッスンを終えてのパーティーだったが、サンバのリズムに煽られて、全身汗だくになるほど踊り、さらに朝まで飲み明かして4、5時間経たあたりである。ダンスもパーティーそのものも大いに楽しんだ。しかし、このところ続いているストレスが尾を引いていたため、この時も2、3時間前当たりから目が覚めていて、毛布の中で悶々としていた。この日は保谷の別店舗へ、調査もかねてレッスンを受けに行く予定にしていたが、前夜のダンスで膝は限界を突破して激しい痛みを訴え続けていた。酔いも残っていた。さらに、精神的にも積極的に行動を起こす気力を失っていた。
電話は長年の友人からだった。1年以上は会っていない。しばしばメールの交換はあるが、電話口で話すのも一年ぶりくらいだろうか。数日前、彼女の父親が他界したとのメールを受け取っており、心ばかりのお悔やみを返信したばかりだった。この電話は、無事、通夜、葬儀を済ませた報告と、お悔やみへの返礼だった。しかし、布団の中からくぐもった声で応ずる私の様子を見透かしたかのように、『異変』は嗅ぎとられてしまった。見栄も強がりも通用しない相手だが、さらに私にはそれらを用いようと考える気力するなかった。そして、促されるままに、近況を語ることになった。葬儀などでの疲れもあったのだろう、当初は「報告とお礼を手短に…」といっていた彼女は、受話器の向こうで腰を落ち着けたようだ。
その時、玄関のチャイムが鳴った。電話中で、しかもベッドの中にいたこともあって放置しようかと考えたが、なかなか諦めてくれないようで、ドアに近づくと私の名前を呼んでいる。何ごとかと思って慌てて服装を整えて出てみると、近隣で何かとお世話をいただいて家族ぐるみで交友させていただいている方の夫人だった。しばらく顔を出していないので、心配されて届け物ついでに寄ったとのこと。電話中だからと、あいさつ程度で済ませたが、ありがたいことだと思った。こちらも、長いつきあいなので、寝ぼけた私の様子から、それ以上のものをくみ取られてしまった可能性は十分あったと思う。おそらく、数日を経ずに、『異変』への問いかけが、電話なりメールであるのは必至だ。
さて、電話に戻り友人との話を続けた。細かいやり取りは省くが、結局、話している内に、自分のストレスがどこから来ているか、次第に霧が晴れるように見えてきた。抽象的だが、要因は大きく3つあった。これらに対して、『積極的になりえていない自分』が自分を『好ましくないパターン』へと押しやっていることに気づかされたのである。
3つの要因とは、やるべきこと、やりたいこと、そして、それらを実現させるための必要条件である自身のコントロールである。
振り返ってみると、すべては、見事といってよいほど歯車がかみ合っていなかった。辛うじて保ってきた仕事とスタジオ・レッスンに明け暮れる生活も、そこから発展したところにある『やるべきこと』や『やりたいこと』を避けながら、その日その日をしのいでいたことを痛感した。その決心の鈍りをごまかすかのように、『今この瞬間』の楽しみに没頭する卑怯な自分も垣間見た。
だから、一つ一つ、必死に打ち込んでいるようで、しかも、何一つ満足が行かず、ストレスとしてじわじわと蓄積していたようだ。それが、ついに破裂した。
友人は、かつて自分もそうだったといった。それは、よく覚えている。端で見ていた私は、どうなってしまうのか心配でならず、毎日のように励ました時期があった。はるか10数年も前のことである。
一とおり励ましと叱咤の言葉を丁寧に語った後、友人が最後にひと言付け加えた。それらの言葉は、いずれも、当時、私が彼女に言ったことなのだそうだ。メモに書き留め、部屋にもはり出して、自分を励ましていたのだという。当時の私は、自分にできることは大してないが、とにかく何か言わねば目の前で壊れていきそうな一人の人間を目の当たりにして、懸命だっただけである。何を言ったのか、この時までまったく記憶になかった。
しかし、そう言われて改めて振り替えると、確かに記憶の底に埋もれていた言葉が少しずつ蘇った。
「だから、きっと大丈夫」と友人は断言した。ただし、「闇は深い、その先にもトンネルがあるかもしれない」と、脅かすようなことも付け加えられた。事実であり実感であるが故に、反論の余地もない。
私は、電話を済ませると、起き上がり、そして、「やるべきこと」に手をつけはじめて、同時に「やりたいこと」として棚の上に上げていたものを、「全部やろう」という決心に変えはじめた。食欲はなかった。でも、動くために、手近にあったものを胃に押し込んだ。吐く息に濃厚に臭いが漂っていたアルコールも、気が付くと雲散霧消していた。レッスンは夕方以降、ホームのレッスンに参加することに決めた。じっと座っていると、眠りに引き込まれそうだったが、深く寝つけないことも分かっていた。今の状況が、体調が、感情がどうあろうと、『前に進む』以外に、道がないことを胃が痛む思いで噛み締めた。以前にもそんな時期があったが、もはやそれがいつだったか思い出せない。思い出せたところで、当時の解決策が、今通用するとも思えない。振り返るよりは進むしかない。
昨日まで予定すらしていなかったレッスンでは、またも思いがけない出会いがあった。一人は元気の波長が合う人物、もう一人は、つい数日前、私があきらめかけていた「やりたいこと」を見抜き、勧めてくれた人物だった。ある分野では、私が相談できる相手が、まさにこの2人だった。
この時は、とくに深い話はせず、レッスンだけ終えて帰宅した。しかし、その2人の顔を見て短い会話を交わしただけで、今の私には十分な激励となった。
帰宅しても食欲は戻っていなかった。それでも、スタジオで動いた後のふらつく身体に、またもや無理やり食べ物を押し込んだ。本を読み、文章を書き、長丁場になりそうな葛藤と、必ずや来るであろう復活を念じ続けた。これ以上は耐えられそうもない、そう脅えていた苦痛は、まるで空想が現実化したかのように、さらに勢いを増して無音の部屋に充満した。逃げ場はどこにもなかった。
不思議だった。いつしか、よほどの体調不良以外では欠かしたことのないアルコールへの欲求は、地平の彼方へ去っていた。
一度、力尽きるように横になったが、わずか2時間ほどで覚醒した。不安と苦痛は、今にも胸を突き破って顔を覗かせそうだった。しかし、この時、なぜか「必ず耐えられる」という自信が、不思議にふつふつと湧きはじめていた。しばらくして、やっと安らかな眠りにつくことができた。随分、久しぶりのように思えるほどだった。
これも不思議なことだが、その日、私の励みとなった友人・知人の4人は、すべて女性だった。翌朝の紙面に見た「なにもかも、これからだ」という哲人の言葉は、くもの糸ほどでしかないであろう、今の命綱を、少しばかり頼りがいのあるものに見せてくれるには十分だった。