A.M.'s kitchen

ふと心に浮かんだことを、短く、軽く、たまに鋭く、書き残しておく場所です。

夜食夜話 (4) レンコン

2009-04-28 11:23:21 | 食生活
 レンコンは「穴」も味の内。あれが、ギッシリ詰まっていると、きっとアゴが疲れることだろう。なら、「いっそのこと、すり下ろしてしまえ!」という手もあるが、面倒だし、結局は、鶏のひき肉なんかと練り合わせて「揚げ物」にするのだから、余計に手間がかかる。
 子供の頃、レンコンといえば、酢の物か煮物の具としてでしか食卓に登らなかったので、あまり好みではなかった。とくに、酢の物自体が嫌いだったので、あの「真っ白で薄っぺらな穴ぼこ野郎」が、憎々し気に見えたものだ。
 このレンコンが、炒め物の具として、肉との相性がいいことに気づいたのは、ごく最近のことだ。それも、テレビの料理番組を通じて知った。やってみると、火が通りやすいことに気づいた。時には、割高だが、切って水煮にしたものを利用することもある。手間が激減するので、便利だ。
 今、密かに思っているのは、薄くスライスしたものをさっと茹でてから冷やして、「生野菜」的に肉をはさんで食べること。なかなか面白そうな気がする。あとは、縦に割って、中央の穴ぼ周辺をごっそり削ぎとって、そこに手を加えて調味したひき肉を詰めて、フライパンで焼いてしまう、という野蛮な調理法。削ぎとった穴たちは、細かく刻んでひき肉に練り込んでしまうので、ムダにはしない。すこし、甘辛目の和風の味付けが欲しくなるところだが、そこはグッと堪えて、スパイスを効かせ、コンソメベースの洋風にまとめてみるのもいいかもしれない。これも、「穴」の効用といったところだろうか。
 ちなみに、九州名物の「カラシ蓮根」。決して嫌いではないが、1つ食べたら、半年くらいは「カラシ蓮根食べた」気分が持続するので、私の所要量は、年間約2枚である。

夜食夜話 (3) 新たまねぎ

2009-04-16 17:28:12 | 食生活
 簡単に火が通ってしまって「締まりがない」という印象くらいしかなかったが、最近「薬味」として便利に使うことを覚えた。
 薬味程度の量であれば、水にさらすなどして『辛味』を抜く必要がない。大量に入れ過ぎると、玉ねぎ臭さが勝ってしまって「薬味」としては出しゃばりすぎて、主役の存在が霞む。そこが、ねぎとは違う。
 万能ねぎや、小ねぎ系を薬味にした場合、どうしても料理は「和」、無理して「中華」にしか使えない。これが、新たま(ねぎ)だと、「洋」に合う。
 新たま(ねぎ)は、十分に干した物ではないので、周囲が柔らかい。なので、皮はあつめに、ごっそり剥くようになる。やや、もったいない気もするが、その分、安く手に入る。完全に火を通しきってしまうと、普通の玉ねぎと変わらなくなってしまう悲しい存在。かといって、ごろごろした角切りにして、中途半端に火を通すと、さすがに辛い。
 若さとは、「扱いにくさ」の異名なのかもしれない。人も玉ねぎも。

夜食夜話 (2) まぐろ

2009-04-15 09:56:22 | 食生活
 まぐろは、「好み」というより「無難」という選択肢で食べる。中トロなどの高級部位は買わない。もっぱら、赤身だ。赤身も、それだけで決して不味くはないのだが、ほとんどの場合、写真のように「ズケ」にしてしまう。大したこともせずに短時間でできてしまうので、あえて作り方は書かないが、味の決めては「甘味」である。
 話は少し離れるが、魚に甘味、といえば、いわゆる煮魚が真っ先に浮かんでくる。この煮魚、子供のころは、食べづらいし、口に入った骨を手でとったりすると、手が生臭くなるので嫌いだった。今では好物だし、出されれば食べるが、なぜかあまり「作ろう」と思わない。理由はあまり浮かんでこない。きっと「肉」の方が、食指が動くからだと思う。刺身なら、肉料理と並んでいても問題ないが、煮魚だと「かぶってしまう」感がある。また、酒の肴ととらえた場合、ビールより日本酒、という印象がある。ビール党の私には、やや遠い存在である。
 こうして書いてみて思ったのだが、ストックの肉が消費された暁には、「煮魚」に挑んでみたい気がする。もちろん、まぐろは使わないと思う。
 いや、使ってみると面白いかもしれない。何しろ、骨がないので食べやすいだろうし。
 問題は、刺身用の素材に、火を入れる度胸が私にあるかどうかだ。

夜食夜話 (1) いんげん

2009-04-10 19:49:55 | 食生活
 大げさなタイトルだが、要するに、作った料理の写真を掲載して、何がしかの文章を書こうというだけのことだ。
 夕食(といっても、深夜がほとんどだが)を作ることを再開し、そのつど写真だけは撮ってある。しかし、以前のように、いちいち「○○食べて△◇だった」のような記事を書くのも"いかがなものか"と思っているうちに、ストックだけがたまってしまった。
 放置していてもよいのだが、最近、ここの更新も儘ならないでいるので、短い話を書く際の、挿絵的に使ってみようというわけである。

 と、長い前置きになったが、写真は、鶏の手羽もとをソテーして、その焼き脂をつかってインゲンを痛めたものを乗せた一皿。

 などという解説が、今後とも続くとは限らないが、珍しいものについては書くかもしれない。

 さて、「いんげん」というタイトルを付けた。そこで私が語るのは、「なぜか、いんげんだけは冷凍物を使う」ということだ。理由は、いんげんは、一度にたくさん食べないから、というより、あまり好んで食べないので、添え物として少量あればよいからで、そんな時は日持ちのする冷凍物が便利なのだ。
 これが、スナップえんどうや、さやえんどうだと、絶対に生に限る(スナップえんどうの冷凍物はみたことがないが…)。なぜなら、これらは「バリバリ」としか食感を重視したい食材だからだ。