A.M.'s kitchen

ふと心に浮かんだことを、短く、軽く、たまに鋭く、書き残しておく場所です。

夜食夜話 (82) キャベツ

2010-10-05 11:10:24 | 食生活
 以前、よくキャベツを買っていたのは、それなりに使い道が多かったせいだ。

 もっとも簡単な食べ方としては、大振りに角切りして、単純に「味噌マヨ」をつけるだけ、というものだった。
 これは、キャベツ自体がしっかりしていた方がよいので、緑の外側よりも、黄色から白、そして芯に近い部分ほど、びったりの食べ方だ。


 頻度として多かったのが、「お好み焼き」。「炭水化物禁止令」を発動中の今はやっていないが、週末の食卓にはもってこいだった。簡単に作れるし、酒のつまみにもなるからだ。たった2、3枚でも、大量のキャベツを使うので、1玉を買っても、使い道に困ることはなかった。


 次が、焼きそば。絶対にキャベツは欠かせない。こちらは、芯よりも、青い葉の部分が合う。ただし、多すぎると、麺が食べにくくなるので、消費量は多くならない。

 最後が、単純に炒めものの具の1つにするやり方。これは、「遺憾ながら」、最後の手段的な扱いだった。


 ただし、あまり他の野菜を混ぜず、味にアクセントをつけることで、そこそこの一品になることもある。

 たとえば、豆板醤を使って、「辛く」する。バラ肉やソーセージといった、味のある肉類とあわせるだけで、立派な一皿になる。欲を出して、玉ねぎなどを加えてはいけない。あくまで「キャベツを美味く食べる」ことが主眼である。

 また、かるく表面を炙ったベーコンやパンチェッタを、ざく切りにしたキャベツに乗せてホイル焼きにする方法。塩気は肉からもらうが、普通の肉を使うなら、食べる段階で塩を振ってもいい。ホイル焼きにすると、肉汁やキャベツから出る水分がスープのように下にたまる。これを美味くいただくために、事前に顆粒のスープの素(固形なら砕いて使う)を、キャベツの中に仕込んでおく。


 何度か、ロール・キャベツを作ったこともある。意外に失敗する要素が少なく、美味くできてうれしかったが、「手間」がかかりすぎるので、今ではやらない。

 でも、優れた食べ方だと思う。考えた人は、天才だと思う。

夜食夜話 (81) びんちょうまぐろ

2010-10-04 13:54:13 | 食生活
 この身がほろほろの魚との出会いは、横浜駅の地下にある回転寿司屋だった。「びんとろ」という名前で出ていたと思う。

 当時は、その名前すら知らなかった。値段も手ごろだったので、好奇心で手を伸ばした。あまり噛まなくても、舌の上でほぐれるような感触が新鮮で、しかも脂の旨味はしっかりした。それ以来、しばらくの間は、必ず1回に1皿は食べるようになった。

 だが、回転寿司から遠ざかるにつれ、(あまりスーパーでは見かけないこともあって)、この魚を食べる機会はすっかりなくなった。

 最近、たまに見かけるようになったが、やはり、すし屋で食べたような『脂のノリ』は期待できなかった。それも仕方ないと思いつつ、あまりに遠ざかっていると、つい手が伸びる。ただし、見た目はよくチェックする。色はもちろんのこと、血抜きが不十分で、身にポツポツと赤い斑点が残っていると絶対にアウト。

 このことは、他の魚でもいえる。小田原の魚屋で、本マグロの子供の「めじマグロ」を食べた際に、店主から教えてもらったことだ。この魚も、「血管」多く、しっかり血抜きをしないと、身に血の臭いが残るというのだ。それが、ポツポツとして現われるそうだ。

 それにしても、いくら脂があっても、びんちょうだけは刺身で食べても「ピン」と来ない。

 どうやら、寿司として食べることが私に刷り込まれてしまっているようだ。

 最近は、たまに回転寿司屋に行っても、びんちょうには手が伸びない。「季節の魚」を軽くつまんだ後は、いわしやさんまやアジといった、基本的な庶民の魚によく手が伸びる。基本の魚のほうが、鮮度のよさがくっきりわかるので、ヒットがあると嬉しくなって、リピートしてしまう。しかし、酢飯が「満腹中枢」を刺激するので、量は食べられない。「びんちょう君、また今度ね」となる。


 それにしても、肉中心の生活になった昨今、びんちょうはおろか、魚との距離は遠くなる一方である。