A.M.'s kitchen

ふと心に浮かんだことを、短く、軽く、たまに鋭く、書き残しておく場所です。

夜食夜話 (9) ニラ

2009-05-26 19:53:57 | 食生活
 ニラ料理で、一番の好みは、ニラ玉。簡単に考えると、「ニラ入り卵焼き」を思い浮かべるのだが、実際には幅が広そうだ。
 たとえば、焼かずに、親子(玉子)丼の原理で、出汁で煮るという手法もネット上で発見した。ニラと卵を別々に火を通すという方法は、昔、居酒屋でバイトをしている時に知った。
 私がもっぱらやる方法は、胡麻油少量で、先にニラを8割り程度炒める。次に溶き卵をまあるく片面焼いて、その柔らかい表面にニラを偏りなく広げたら、全体を裏返して焼く。最後に、しょう油、砂糖、おろし生姜などが主体の合わせ調味料を、なべ肌から注ぎ込んで香ばしさを出して完成となる。表面は卵焼きだかが、崩す(あるいは切る)と、中からニラが出るような感じだ。
 もっとも、面倒な時は、油なしでニラを炒めて溶き卵の中に入れてしまう。そこからは、スクランブルエッグ状にするもよし、オムレツ状にするもよし。選択は、その時々の状況で、寸前に決めている。ニラが均等に分散せず、一部で固まっていると、オムレツ状は断念することが多い。
 いずれにせよ、味付けについては、いつも同じだ。変えようにも、いいアイデアが思い付かない。ソースやケチャップ味もぴんと来ないし、カレー味も気味が悪い。中華風の餡かけならまだよさそうだが、「それならカニ玉だろう!」と思ってしまって触手が伸びない。

 ニラはナムルのように、さっと茹でて、おひたしで食べるのも旨い。私は、豚肉や、あまり野菜と一緒にざっと茹であげ、ポン酢(系)ダレで食べる際にも、ニラは必須の素材である。この場合、調味料の中に胡麻油は欠かせない。すごぶる相性がいいと思う。

 この他、年に数回、「レバニラ」が、やたら食べたくなる。これは、学生時代に、近所の食堂で腹いっぱいご飯をほおばって食べた記憶が、そうさせているようだ。もっとも、今では、レバニラも暦としたビールの友である。というか、腹いっぱい白いご飯が食べたい、という欲求が今はほとんどないだけだ。

 ニラ料理で、まだ私が食しておらず、しかも強烈に興味を惹かれているのは「モツ鍋」だ。こればかりは自分で作るワケにはいかないので、よい機会を見つけて食べに出かけたいと思っている。問題は店選びと、同伴者だ。

夜食夜話 (8) 鶏-ささ身

2009-05-22 16:12:27 | 食生活
 大昔は、病気の時の食べ物だった。酒を呑むようになると、熱湯で表面にさっと熱を通して、山葵しょう油で食べる、いわゆる「鶏わさ」にすることが増えた。後に、湯を沸かす手間を省くために、フライパンで焼くようになった。表面がぼそぼそして、スパッと切らないと仕上がりが汚くなるので、切ってから火を通す方法も使った。ただし、その場合、まともに冷水につけて冷やすと、旨味を逃がすリスクがある。
 味も、単に山葵しょう油というのでは、芸がないと思うようになった。
 たとえば、白髪ネギを乗せて、胡麻油の効いた中華風のドレッシングをかける、あるいは野菜を組み合わせて、和風や中華風のサラダにする(洋風のサラダには、合わない気がする)など、今では山葵しょう油からは遠ざかっている。

 野菜は、キュウリや水菜、トマト、ネギ、ワカメなどといったものが合うと思う(もちろん、それ以外にもあるだろうが)。
 中でも、私とって『欠かせない』のはキュウリだ。薄く切って皿に敷き、鶏を上に乗せる。食べる時は、一緒にとって口にほうり込む。

 と、ここまで「ささ身は素晴らしい」というニュアンスで読める内容を書いてきた。確かに旨い食材なのだが、「肉として大量に食べられるか?」というと、やはり「前菜」、「軽いつまみ」という域を出ない気がする。

 同じように、半生で、野菜と合わせて食べるなら、今の私なら「胸肉」を使う。皮もついているし、半生にするのだから「パサつき」を気にする必要もない。大振りの切り身にもできるので『メイン』としての食べご堪えもある。

 というわけで、スーパーで特売の表示を見かけても、手を伸ばさすのは2、3回に一度あるかないかだ。ただし、キリリと冷やして食べる前菜として、これから夏に向かって登場回数は増えそうだ。

夜食夜話 (7) 小ねぎ

2009-05-21 20:23:14 | 食生活
 小ねぎ(あるいは万能ネギ)は、私の冷蔵庫に切らせるわけには行かない重要な食材である。
 以前は、もっぱら『薬味』としてしか使用しなかったが、最近では、しっかり食する対象となっている。
 薬味オンリーの時代は、一度に半分を細かく刻んで、タッパーに入れて冷蔵庫に保管して、少しずつ使うようにしていた。

 しかし、それでは、わずか1、2日しか使えないことがわかり、以降は「使う分」だけを先端から切って使うようにしている。

最近は、焼いた肉でまく『具』として利用することが多い。その際は、3~5センチほどの長さに切る。それを、一度に4~5本一緒に巻くのだが、長ネギのようなツンとした辛味がないので、ちょうどいい。口がさっぱりするので、肉も多く食べられる。

よく、焼き肉屋で、長ネギのみじん切りをどっさりトッピングした肉を見かけるが、私は自分流の方がいい。味もそうだが、みじん切りが乗った肉を焼いて食べる過程で、ネギの半分近くが落ちてしまって不合理だと思うのも、理由の1つである。どうせ長ネギを使うなら、白髪ネギにして、後から肉と合わせる(たとえば、北京ダックのように)方が、ずっといい。

小ねぎの「薬味」としての出番は、私の場合は、もっぱら「冷や奴」よりも「みそ汁」。いずれも、長ネギでは大味で辛味が強くて、逆に香りが物足りなくて相応しくないと思うからだ。もちろん、小ねぎを切らせている場合は仕方がない(別に、不味いわけではないので、問題はない)。

学生時代、インスタントラーメンが好き(というか、金がなくて、そればっか食っていた)だった友人がいた。彼は、究極(?)の食し方として、仕上がったラーメンに、どっさりと刻んだ小ねぎを乗せていた。私もしばらくは、その手法を採用していたが、今ではやめている。ラーメンのように、強烈な味のものに対しては、逆に長ネギの方が向いていると思う。というか、生ではなく、お湯をわかす段階で、大きく切ったものを投入して、火を通した方が好みだ。

さて、今夜は、牛肉の切り落としと、小ねぎを使った一品を作ろうかと思う。冷蔵庫で出番を待っている、水菜も仲間に加えよう。


夜食夜話 (6) 生ハム

2009-05-20 14:13:31 | 食生活
 生ハムを使うようになったきっかけは、酒の肴のネタに困った時に、スーパーマーケットで安売りしているのを見かけたことだ。だが、写真のように、サラダの具材にではない。いわゆる「生ハムメロン」のように、果物との組み合わせにである。メロンは高い。そこで感がついたのは、安い缶詰の果物に合わせるという試みだった。
 パイン缶、桃缶、洋なし缶と、さまざま試してみた。しかし、ついに何一つ定着するものはなかった。一度は「イケる」と思ったこともあったが、次の機会には甘さや香りが「合わない」気がしてしまう。缶詰ではないが、オレンジも試してみた。悪くはなかったが、オレンジを単体で食べた方がいい気がした。それに、酒に合わない。

 そうこうしているうちに、ついに生ハムを買うことすらしなくなった。

 ところで、生ハムは『生』というくらいだから、保存料が入っているとはいえ、日持ちはしない。とくに封を切ってからは、直ぐに色が変わってしまう。そうなると、もはや火を通さない限りは食べられない。そこで、フライパンでさっと炙ってみたりする。確かに香りも味も悪くはない。しかし、かなり塩気を強く感じる。それよりも、生ハムの「生ハムたる価値」が無くなったことで、わびしさすら感じてしまう。

 そんなわけで、私にとっては、あまり重要な食材となっていない。しかし、こうして改めて見直してみると、「まだ、何かできる余地」がありそうな気がしてきた。さしずめ思い立ったのは、『ハムエッグ』のハムを、生ハムでやってみたらどうなるだろうという、ひねくれたアイデアである。もう少しまじめに考えたのは、『生春まき』の皮に使ってみることだが、これは、どう考えても駄洒落にしか聞こえないかもしれない。

 そう考えると、実にやっかいな食い物である。だから、近々、腹いせに買ってやろうと思う。

夜食夜話 (5) アボカド

2009-05-14 13:23:21 | 食生活
 以前、ここで書いた記事のように、呼名が結構まちがっていることが多い果物である。私が、高円寺の街角の八百屋で見た札には「アボガード」としたためられていた。何だか、殺虫剤のような響きがした。
 随分以前から好きな食材だったが、扱いにくい(と思い込んでいた)ために、自分ではめったに使うことはなかった。一番の問題は、皮の内側のヌルヌル感。皮をむく際も、切りそろえる際も、手が滑って、包丁でケガをしそうだからである。包丁にくっつくし、まな板も汚れる。しかも、熟していると、ちょっとした圧力で崩れる。さらに、中の、種も厄介だ。比較的、柔らかいので、身と一緒に包丁で切れてしまう。強烈な渋みがあるので、口に入れてしまうと地獄だ。

 そんなアボカドが、扱いやすいものだと知ったのは、東高円寺の焼き鳥屋で、店主が目の前のさばく様子を見てからだ。

 まず、縦に包丁を入れ、種に当たったら、種の表面を包丁の刃がぐるっと撫でていくように、アボカドを回転させる。次に、包丁を外して、縦に切れ目の入った両側を、片手ずつでもってひねる。すると、パッカリと半分に割れる。そして、一方の半身から、ひょっこり半分顔をのぞかせている種に、包丁の手前の角を深めに突き立て、ぐるっとひねる。すると、ポコッと種は外れる。こうして、わずか10秒強で、半分に割った上に、種抜きまでが完了する。
 さて、ここで、ヌルヌルに注意しながら皮をむいて、包丁で形よく切る、という方法も考えられるが、焼き鳥屋の店主は違った。包丁は、種抜きが終わった時点で引退。次なる主役は、カレーライスを食べるのに使うような大きなスプーン。これで、皮の着いた半身から、身をすくい出していくのだ。ホームサイズのアイスクリームをすくい出すような感じだ。包丁で切ったような、角の立った切り身にはならないが、大きさのコントロールはしやすいし、手はまったく身に触れないので、手の圧力で身がくずれたりすることもない。ヌルヌルによる滑りも、完全に防げる。そして、皮のギリギリまでムダなく身をすくい出せる。
 あとは、アイスクリームをグラスに盛るように、皮裏の青い表面が上にくるように盛付けていくだけだ。トータルで5分とかからない作業である。

 スプーンですくうのだから、アボカド自体はある程度、しっかり熟している必要がある。では、熟していない『固い』身の場合は、どうすればよいか。一度、力任せにすくおうとしたが、スプーンが滑ってあやうくケガをしそうになった(刃物でないので助かった)。では、あきらめて包丁で剥けばよいかというとそうではない。熟していないアボカドは、まったく旨くない。野菜と思って火を通せばよさそうだが、そうやって旨い料理ができるとも思えない。
 結局、最善策は、熟すまで『放置』しておくことに限る。したがって、その日に食べるために購入する際は、熟しているものを選び出す眼力が必要となる。