日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

聖書研究

2017-05-12 14:04:29 | 大分中央ウィークリー

創世記24章34節である。「その人は語り始めた。『わたしはアブラハムの僕でございます。』~」と、開口一番の言葉である。先に、食事が並べられたとき、彼は、「用件をお話しするまでは、食事をいただくわけにはまいりません。」といった。一般的には失礼な話であった。しかし相手は、快く『お話しください』と受け入れた。親戚のよしみがあるといえばそうなのであるが、遠路を危険を冒してやって来た者の要望への敬意であろう。

 

開口一番、「わたしはアブラハムの僕でございます。」と、単なる自己紹介ではない。「アブラハム」の名には千鈞の重みがある。アブラハムがハランで神の召命を受けたとき、「あなたが祝福する人をわたしは祝福し」(創12・3)と。娘リベカの祖父の「ナホルの父テラを含めて、~他の神々を拝んでいた」(ヨシ24・1)ので、アブラハムの重みは異邦人の邪教の神々でない神、アブラハムに付与された真の神の祝福の力の偉大さである。

 

35節である。「主はわたしの主人を大層祝福され、羊や牛の群れ、金銀、男女の奴隷、らくだやろばなどをお与えになったので、主人は裕福になりました。」と。アブラハムの僕はリベカのことを一言も言わず、主人アブラハムのことを語り始めた。おそらく17章のアブラハムが99歳の時の神の祝福の言葉を思い出していたのであろう。17章6節、「わたしは、あなたをますます繁栄させ、諸国民の父とする。~」ということを。

 

「主はわたしの主人を大層祝福され、羊や牛の群れ、~」と語り始めた。旅の十頭の羊を思い出させながら、主人のアブラハムにあったままを語り始めました。聞き手の信頼を勝ち取る話法である。使徒言行録の2章、ペンテコステの時のペトロの説教も同じように「今は朝の9時ですから~酒によっているのではありません。」と語り始めた。その話法であった。


牧 会 通 信

2017-05-12 13:49:44 | 大分中央ウィークリー

 (原 光訳 2000年、沖積舎)

ダンテの「神曲 地獄」編 16歌(カッコ内は筆子、その13)

◯先達が命じるままに、わたしはそれをすつかり解き外し、結び目を作りぐるぐる巻きにして師に渡した。

  すると師は右の方を振向いて、崖縁からかなり遠く谷深くそれを投げ落とした。「師がこのやうに凝(ぎゅ)つと眼で追つてゐる、新奇な合図には、」とわたしは心の中で言つた、「新奇なものが答へる筈だ。」

  振舞いを見るばかりではなく、洞察力で深い考えまでも見破るものの近くでは、どんなに用心しなければならぬことか!(前回ここまで)

◯師は言つた、「わたしが待ちそなたが想像してるものがすぐ上って来て、そなたの眼に見られるだろう。」

  嘘の外観をした真実については、つねにできるだけ口を閉じてゐるべきだ、言へば罪もないのに恥しい思ひをさせられるから。

  だがここで黙つてはゐられぬ、読者よ、長く好意をもって読みつがれるやうにと願つてゐる、この喜曲(コメディア)にかけて断言する、

  (つづく)

◯本日、5月7日の日本聖書協会の、「聖書愛読こよみ」の主題は「一つとなるために」という。聖書はヨハネの

17章14~19である。その11節、「~聖なる父よ、わたしに与えてくださった御名によって彼らを守ってくださ

い。わたしたちのように彼らも一つとなるためです。」と。使徒たちのための祈りである。ご自分と十二使徒たち

との一体性を祈っておられる。イエスの十字架の死と復活、天に上げられたあと、この十二使徒に全てを託さ

れた。わたしたちが徹底的に聞いて信じて生きるためであった。トマスへの試みを残され「見ないで信じる信

仰」(ヨハ20・19)の試みの世界。わたしたちに、見ないで信じるか、信じないかと。

 

◯写真は、四月一六日、イースター墓地礼拝記念写真。上平家墓地の終消によって、故上平啓洲兄、故上平

ミサヲ姉、故上平寿子姉のご遺骨三体を、移転埋葬された。


プロテスタントとカトリック

2017-05-03 02:05:09 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(409)近代から現代へ(宗教改革とその後)

はじめに近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その49)

  31.どのような邪悪な過程を経て、支配欲がローマ人民の間に生長したか。32.舞台劇の導入。

……あの恥ずべき見世物、放逸な虚栄心の現われである舞台は、初めは人々の邪悪さによってではなく、あ

なたがたの神の命令によって創始された。(前回はここまで)このような神々を礼拝するよりは、あのスキピオ

を神として祭る方がはるかに堪え易いであろう。いずれにしても、神々はその祭司ほどに有徳ではなかった。

かくも長い間にわたって誤謬に酔いしれていた精神が、もしも何かを真剣に考えることができるとすれば、わた

しの言うことを聞くが良い。神々がその栄誉をたたえるために舞台劇の上演を命じたのは、流行病を抑制する

ためであった。しかし祭司たちは精神の病の危険に鑑みて、その公演を禁止した。もしもあなたが肉体よりも

精神を大切に考えるだけの知恵を持ち合わせているならば、この二つのどちらを礼拝するか決定せよ。 

肉体的な患いが下火となったのは、これまでサーカス競技に慣れ親しんでいた戦い好きの人民が、今や柔弱

な舞台劇のヒステリの波に巻き込まれたからではない。狡猾な悪霊どもは肉体の疾病の終焉の間近いことを

予見し、はるかにもっと憂うべき病をはやらせている。それは肉体だけではなく人間のあらゆる行動の領域を

侵食するもので、悪霊どもは大いに喜んでいる。この病に取りつかれた全ての犠牲者のこころは盲目となり

、(つづく)(「神の国」出村彰訳)


聖書研究

2017-05-03 01:57:49 | 大分中央ウィークリー

創世記24章33節である。「やがて食事が前に並べられたが、その人は言った。『用件をお話しするまでは、食事をいただくわけにはまいりません。』『お話しください』とラバンが答えると、」といわれています。娘リベカが第一報を伝えてから、どれくらい時間がたっていたのであろうか。ただの客人ではないということがわかっていたので、十分に夕食の用意が整えられていたようである。

 

しかしこの客人の、その長い一ヶ月以上に渡る旅路には、果たさねばならない一つの使命があった。何の障害もなく目的地に到達した背後には、神の支えがあったことを思い出していたのであろうか。とくにリベカとの出会いの成り行きに、祈りがそのまま適えられる体験がそのことを教えていた。神は目に見えないけれども、生きて働く神であられると。それゆえ、食事の前に畏れをもって用件を話したいという。

 

34節である。「その人は語り始めた。『わたしはアブラハムの僕でございます。』~」と、開口一番の言葉である。先に、食事が並べられたとき、彼は、「用件をお話しするまでは、食事をいただくわけにはまいりません。」といった。一般的には失礼な話であった。しかし相手は、快く『お話しください』と受け入れた。親戚のよしみがあるといえばそうなのであるが、遠路を危険を冒してやって来た者の要望への敬意であろう。

 

開口一番、「わたしはアブラハムの僕でございます。」と、単なる自己紹介ではない。「アブラハム」の名には千鈞の重みがある。アブラハムがハランで神の召命を受けたとき、「あなたが祝福する人をわたしは祝福し」(創12・3)と。娘リベカの祖父の「ナホルの父テラを含めて、~他の神々を拝んでいた」(ヨシ24・1)ので、アブラハムの重みは異邦人の邪教の神々でない神、アブラハムに付与された真の神の祝福の力の偉大さである。


牧 会 通 信

2017-05-03 01:11:18 | 大分中央ウィークリー

(原 光訳 2000年、沖積舎)

ダンテの「神曲 地獄」編 16歌(カッコ内は筆子、その12)

◯千人も収容できるだろう、あのサン・ベネデッド・デル・アルベ(アペニン山脈のフォルリ付近にある

僧院の名)の上で、轟然と一気に落下するやうに、

  嶮しい崖をあの血色の水が落下して轟(とどろ)いていた、すぐにも鼓膜が破れてしまひさうなほどに。

わたしは一本の紐を身に巻きつけてゐたが、かつてこれで彩られた毛皮の豹を捕へるつもりだつた。(前回ここまで)

◯先達が命じるままに、わたしはそれをすつかり解き外し、結び目を作りぐるぐる巻きにして師に渡した。

 

すると師は右の方を振向いて、崖縁からかなり遠く谷深くそれを投げ落とした。「師がこのやうに凝(ぎゅ)つと

眼で追つてゐる、新奇な合図には、」とわたしは心の中で言つた、「新奇なものが答へる筈だ。」

 

振舞いを見るばかりではなく、洞察力で深い考えまでも見破るものの近くでは、どんなに用心しなければならぬことか!(つづく)

 

◯本日、4月30日の日本聖書協会の、「聖書愛読こよみ」の主題は「この世あって」という。

聖書はフィリピの1章20~26節である。その24節、「だが他方では、肉にとどまる方が、

あなたがたためにもっと必要です。」そして25節、「こう確信していますから、あなたがたの

信仰を深めて喜びをもたらすように、いつもあなたがた一同と共にいることになるでしょう。」

といっている。ローマで身に迫る殉教の死を遂げることを選ばない。むしろ、世にあって信仰

の闘いを選んだ。一人でも多く「信仰を深めて喜びをもたらす」ことに、パウロは急いだ。

 

◯写真は、四月一七日、九州中会常置委員会のメンバー。右から。枝松博展委員。富樫史朗書記。

澤正幸議長。平山晴記委員(福岡筑紫野教会長老)、手前の空席は筆子、南茂。祈りを乞う。