日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2016-03-30 22:54:58 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(355)

5.近代から現代へ(宗教改革とその後)

 ハンス・キュンク氏の著「キリスト教思想の形成者たち」などを参考にしながら聖書の使徒パウロから始まった歴史を辿ることにする。「パウロから始まった」といっても、その名のつく手紙という形で聖書に残され十三通は、宣教目的によって書かれたものであって、歴史的目的を持って書かれたものでない。しかし、わたしどものこの稿で採用されないが、ハンス・キュンク氏のその書き出しは、「最初のキリスト教著作家であり神学者であったユダヤ人パウロは、キリキヤ(今日のトルコ)の町タルソスの生まれである。」という書き方で始まる。まさに歴史書としての考察であり、聖書は、使徒言行録9章11節から採られた。聖書にはその種の時代考証的な部分がかなり含まれているので、適切な編集作業を伴わせるなら、そのまま初代教会の歴史書の価値を有するとするのが大方の研究者の評価である。さて、初代教会の(ここまで前回)

オリゲネスが生まれた紀元185年頃、キリスト教はローマ帝国においては、まだ、ごく小さな勢力に過ぎなかったと一般にいわれている。従って、当時のだれもが、その後たった約150年経って、すなわちキリスト教が、313年、ローマ帝国に公認される宗教になっていると予想する人いなかった。ローマ帝国のキリスト教迫害が激しく、その勝利者は帝国側であることを疑う者は、その2~3世紀の社会的.動向の中ではほとんどいなかった。さらには、前代未聞の驚愕的知らせが、帝国全土を駆け巡った大事件が起こった。(つづく)


聖書研究

2016-03-30 22:51:04 | 大分中央ウィークリー

創世記22章19節である。「アブラハムは若者のいるところへ戻り、ともにベエル・シェバへ向った。アブラハムはベエル・シェバに住んだ。」という。この「ベエル・シェバ」は、その土地の王であったアビメレクに、直接的にはアブラハムが妻サラを自分の妹として彼の側女に提供し、異国異教の土地ゲラルに進入したのであるが、アブラハムの神がそれを許さず、その真相を夢によってアビメレクに告げて、彼の心を翻させた。 

その背後の問題として、多分井戸の権利争いか、あるいは牧童どもの争いなど、不穏な関係が生起していたのであろう。その争いを避けるためにアビメレクが和解を申し出た(20・15)。この種の争いは繰り返して起こるのがこの地では日常的なことであり、その解決の結果、その契約の記念として地名を「ベエル・シェバ」(七つの井戸)と名付けられた(21・30)。やがてパレスチナの南端の町となる(代上21・2)。 

20節である。「これらのことの後で、アブラハムに知らせが届いた。『ミルカもまた、あなたの兄弟ナホルとの間に子供を産みました。~』」という。「知らせが届いた」というが、その「知らせ」がどこからなのかを不明である。恐らく、旅人か隊商から聞いたものであろう。「知らせ」は「ミルカも~子供を産みました。」であった。 

「ミルカもまた、」と。11章27~29節によると、「テラの系図はつぎのとおりである。テラにはアブラハム、ナホル、ハランが生まれた。ハランにはロトが生まれた。ハランは父のテラより先に、故郷カルデアのウルで死んだ。アブラムとナホルはそれぞれ妻をめとった。アブラハムの妻の名はサライ、ナホルの妻の名はミルカといった。ミルカはハランの娘である。」という。遠くカルデアの「知らせ」であった。


牧 会 通 信

2016-03-30 22:43:08 | 大分中央ウィークリー

ダンテの「神曲 地獄」編 第13歌(カッコ内は筆子、その4)   (原 光訳 2000年、沖積舎)

◯ずつとさうなのだ、だがよく見るがいい、わたしが話しただけでは信じてもらへまいものが見られるだらうから。」

 いたるところから悲痛な呻きが吐き出されるのが聞えたが、吐き出すものが見えないのでわたしはすつかりとまどつて立止まつた。

こんなにも多くの声は繁茂してゐる木木に隠されて、わたしらには見えぬものたちが発してゐるのだらうと、わたしが思つてゐると思つたからだらう、(ここまで前回)

◯それで師は言つた、「どれでもこれらの大木の一つの小枝を折り取るならば、そなたの考へもすつかり切落されるだらう。」

それでわたしが手を少し前へ差出して、大きな茨から小枝を摘取ると、その幹が叫んだ、「なぜわたしを折るのだ?」

それから吹き出る血でどす黒くなつたが、またかう言ひ出した、「なぜわたしを裂くのだ?まつたく憐みの心がないのか?(つづく)           

 

◯2016年3月27日は第十三主日、イースター。日聖協「聖書愛読こよみ」は「復活の福音」という主題である。マタイ28章1~10節、その6節、「あの方は、ここにはおられない。かねていわれていた通り、復活なさったのだ。さあ、遺体のおいてあった場所を見なさい。」と。二人の婦人が天使の指示するままに墓の中を見た。イエスのご遺体がないことを目撃した。その心が二つ、「婦人たちは「恐れながらも大いに喜び」と。あなたならどうか。

 

◯写真は、3月21~22日、第64回九州中会が福岡筑紫野教会で開催さ第二日目に建議案「九州中会教師退職謝恩金制度設立に関する件の説明をする福祉委員、秦博記兄(当教会長老)。協議の結果、継続審議となった。


プロテスタントとカトリック

2016-03-23 23:55:13 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(354)   

 4.近代の教会の夜明け  ―宗教改革とその後―近代から現代へ

  いま、宗教改革に至る歴史を終了する。しかしこの後、現代までの歴史は、来年2017年にはルターのヴィッテンベルク城教会の扉に九五ヶ条の提題が掲げられ宗教改革の大旋風(1517年)が巻き起こされて五百周年を迎える。その歴史を覚えながら、われわれはこの稿において近代から現代へと進む。スイス・ツヴィングリの時代のカトリックの信仰を固守した、いわゆる森林五州の一つ、ルツェルン州古都ルツェルン近郊のスールシーでカトリック信仰をもつ両親の元に1928年に生まれたハンス・キュンク氏の著「キリスト教思想の形成者たち」などを参考にしながら聖書の使徒パウロから始まった歴史を辿ることにする。(ここまで前回)

「パウロから始まった」といっても、その名のつく手紙という形で聖書に残され十三通は、宣教目的によって書かれたものであって、歴史的目的を持って書かれたものでない。しかし、わたしどものこの稿で採用されないが、ハンス・キュンク氏のその書き出しは、「最初のキリスト教著作家であり神学者であったユダヤ人パウロは、キリキヤ(今日のトルコ)の町タルソスの生まれである。」という書き方で始まる。まさに歴史書としての考察であり、聖書は、使徒言行録9章11節から採られた。聖書にはその種の時代考証的な部分がかなり含まれているので、適切な編集作業を伴わせるなら、そのまま初代教会の歴史書の価値を有するとするのが大方の研究者の評価である。さて、初代教会の(つづく)


聖書研究

2016-03-23 23:53:13 | 大分中央ウィークリー

創世記22章18節である。「地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」という。前節の神の恩寵としての祝福部分の拡大である。これと同じ思想は、族長物語ではこの後26章4節のイサクに見られる。「わたしはあなたの子孫を天の星のように増やし、これらの土地をすべてあなたの子孫に与える。地上の諸国民はすべてあなたの子孫によって祝福を得る。」という具合に受け継がれていくのである(出32・13、イザ45・13「すべての膝はかがみ」)。 

「主の山に備えあり」の祝福は14節で物語としては終わるのであるが、その継続性がここに確認される。伝統的に、このようにして、神の民の受け継がれていくというか、神によってこの約束が守られ、そのつど更新されて実行されていくのである。 

19節である。「アブラハムは若者のいるところへ戻り、ともにベエル・シェバへ向った。アブラハムはベエル・シェバに住んだ。」という。この「ベエル・シェバ」は、その土地の王であったアビメレクに、直接的にはアブラハムが妻サラを自分の妹として彼の側女に提供し、異国異教の土地ゲラルに進入したのであるが、アブラハムの神がそれを許さず、その真相を夢によってアビメレクに告げて、彼の心を翻させた。 

その背後の問題として、多分井戸の権利争いか、あるいは牧童どもの争いなど、不穏な関係が生起していたのであろう。その争いを避けるためにアビメレクが和解を申し出た(20・15)。この種の争いは繰り返して起こるのがこの地では日常的なことであり、その解決の結果、その契約の記念として地名を「ベエル・シェバ」(七つの井戸)と名付けられた(21・30)。やがてパレスチナの南端の町となる(代上21・2)。