日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

聖書研究

2015-04-24 03:43:41 | 大分中央ウィークリー

創世記21章4節である。「神が命じられたとおり、八日目に、息子イサクに割礼を施した。」という。「神が命じられたとおり」というのは、17章10節にいう約束のことである。「わたしとの間で守るべき契約はこれである。すなわち、あなたたちの男子はすべて、割礼を受ける。」と。さらに12節には「いつの時代でも、~生まれてから八日目に」という。 

この「いつの時代でも、」というのは、これはイサクとその子孫のイスラエルが契約の民として聖別されたことをいうものであるが、それにとどまらず、神学的な意味が含まれる。八日目も儀式も除去され後々のキリストの十字架の贖罪と合わされる「洗礼」に通じるというか、洗礼を含むのである。 

5節である。「息子イサクが生まれたとき、アブラハムは百歳であった。」という。かつて、アブラハムに「男の子を与えよう」神が告げられたとき、「アブラハムはひれ伏した。しかし笑って、ひそかに言った。『百歳の男に子供が生まれるだろうか。九十歳のサラに子供が産めるだろうか。』」(17:17)。 

また、サラも同じように「笑った」。今度は三人の旅人が立ち寄ったときに、彼らの一人がアブラハムにいった。「~あなたの妻のサラに男の子が生まれているでしょう。」と。それを盗み聞きいた彼の妻サラが「ひそかに笑った」と。そのはずで、サラは「主人も年老いている」という(18:12)。それをここでは「百歳であった」のに「息子イサクが生まれた」とある。イスラエルの民の起源が、神の介入によってのみ可能であったとの主張である。


牧 会 通 信

2015-04-24 03:37:48 | 大分中央ウィークリー

(原 光訳 2000年、沖積舎)

ダンテの「神曲 地獄」編 第9歌(カッコ内は筆子、その11)

◯「おお、天から追放された、軽蔑すべきものどもよ、」と恐ろしい敷居の上で言ひ始めた、「なぜお前たちはそんなに傲慢にふるまうのだ?

  なぜ意図が決して切断されぬ、あの御心に楯突(たてつ)くのだ?そのためになんども苦痛が増大したのに。

  定めに角突きかかつてなんになる?お前たちのチェルペロ(神話・地獄門外に放逐された男)は、忘れもしまいが、まだそれで顎と餌(え)袋(喉のこと)が毛をむしられたままなのだ。」ここまで前回)

◯それから穢(けが)れた道を引返したが、わたしらには話しかけず、前にあるものと別のことにたいする配慮に、

  せきたてられてるもののやうに見えた。神聖な言葉のすぐ後なので安心して、わたしらは門の方へ歩みを進めた。

いかなる争ひもなく中に入つたが、このやうな城塞が閉込めてゐる状態を、見究めたくてたまらなかつたわたしは、(つづく) 

◯2015年4月19日は、今年の第十六主日。日聖協の「聖書愛読こよみ」は、歴代誌下30章13~22節、その21節「強力な楽器を鳴らして、主を讃美した。」と。「強力な楽器」の原語は「力の楽器」である。名君ヒゼキヤは、就任祝いに招待状で全国の住民をエルサレム神殿に集め、力の限り楽器を吹き鳴らさせ盛大に集まった民の信仰で神殿を清めた。 

◯写真は4月16日、開店した「JRおおいたシティ」駅ビルに入場する長蛇を見つめるキリシタン大友宗麟像(前11時ころ撮影)。


プロテスタントとカトリック

2015-04-17 01:28:44 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(307)

4.近代の教会の夜明け

―宗教改革―スコットランド

(この闘いを最後の戦いとして、後継者としてアバディーンから呼んで、エディンバラ教区の牧師として助けを受けていたジェームズ・ロウソンを彼の教会の後継者であることを公に表明した。1572年11月9日の聖日に、セント・ジャイルズ教会(教区教会)で就任式が行われた。ノックスはいつものようにトルブース教会で説教を語った後、セント・ジャイルズ教会まで足を運び、ロウソンの就任式で勧告を述べ、牧師としての義務を語り、会衆の牧師に対する義務を説いた。彼が語ったことは、会堂が広すぎたこともあり、音声弱く少数の人々の他にほとんど聞き取れないほどであり最後に神を讃美し祝祷で終わった。就任式後(ここまで前回)

杖にすがりながら、ゆっくりと会衆全員に付き添われながら、街道筋を宮殿に向って100メートルほど下ったところの左側にある、現在、「ノックスの家」と呼ばれて保存されている家に向った。この日以後、彼は二度と外出しなかったといわれている。この二日のちの11月11日、激しい咳に悩まされ、呼吸困難に陥り、側近の人々は医師を招くことを彼に勧め、彼はこれに同意して、「わたしは、神が間もなくわたしの生命を終わらせてくださることを知っています。」と静かに答えたという。その翌日、彼はその僕と従者たちに礼を尽くした後、彼らに「熱心に神を畏れて生活(つづく)


聖書研究

2015-04-17 01:26:43 | 大分中央ウィークリー

創世記21章3節である。「アブラハムは、サラが生んだ自分の子をイサクと名付け、~」という。これは17章15~19節を受けている。そのときアブラハムは九十九歳になっていた(17:1)のに、神は妻サラによって男の子を与えようといわれたので、彼はひそかに心の中で「百歳の男に子供が生まれるだろうか。九十歳のサラに子供が産めるだろうか。」と言って、笑ったのであった。 

そのとき、神がいわれるには、「いや、あなたの妻サラがあなたとの間に男の子を産む。その子をイサク(彼は笑う)と名付けなさい。わたしは彼と契約を立て、彼の子孫のために永遠の契約とする。」(17・19)と。神の契約による歴史は、今日のわたしたちの世界にまで及ぶ大変な歴史的出来事である。主の教会は、神の約束を受け神の約束によって進んでいるといえる。 

4節である。「神が命じられたとおり、八日目に、息子イサクに割礼を施した。」という。「神が命じられたとおり」というのは、17章10節にいう約束のことである。「わたしとの間で守るべき契約はこれである。すなわち、あなたたちの男子はすべて、割礼を受ける。」と。さらに12節には「いつの時代でも、~生まれてから八日目に」という。 

この「いつの時代でも、」というのは、これはイサクとその子孫のイスラエルが契約の民として性別されたことをいうものであるが、それにとどまらず、神学的な意味が含まれる。八日目も儀式も除去され後々のキリストの十字架の贖罪と合わされる「洗礼」に通じるというか、洗礼を含むのである。


牧 会 通 信

2015-04-17 01:07:53 | 大分中央ウィークリー

(原 光訳 2000年、沖積舎)

ダンテの「神曲 地獄」編 第9歌(カッコ内は筆子、その10)

◯その御方は左手をしばしば前へ振り動かして、濃い靄を顔から払ひのけ、その煩はしさだけで疲れてゐるように見えた。

それが天使だとわたしにはよく分り、師の方を振向くと、黙つてゐてお辞儀をするやうにと、師はわたしに合図した。

ああ、なんといふ蔑(さげす)みに満ちているやうに見えることか!天使は門に迫り、笏(しゃく)杖で打開いた、いかなる妨害もなく。ここまで前回)

◯「おお、天から追放された、軽蔑すべきものどもよ、」と恐ろしい敷居の上で言ひ始めた、「なぜお前たちはそんなに傲慢にふるまうのだ?

  なぜ意図が決して切断されぬ、あの御心に楯突くのだ?そのためになんども苦痛が増大したのに。

  定めに角突きかかつてなんになる?お前たちのチェルペロ(神話・地獄門外に放逐された男)は、忘れもしまいが、まだそれで顎と餌(え)袋(喉のこと)が毛をむしられたままなのだ。」(つづく) 

◯2015年4月12日は、今年の第十五主日。日聖協の聖書愛読こよみ」は、Ⅱテモ1章3~14節、その10節、「キリストは死を滅ぼし、福音を通して不滅の命を現してくださいました。」といいます。今日から不滅の命に生きようではありませんか。歴史的事実を残しながらすばらしい毎日です。

 ◯写真は、4月5日、イースター墓地礼拝です。五人でしたが、豊かの恵みの多い礼拝でした。