五、「教会とわたしたち」(411) 5.近代から現代へ(宗教改革とその後)
はじめに、近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その51)
33.ローマ市の陥落によっても矯正され得なかったローマ人の悪徳について
あなたがたは何と狂っていることだろうか。わたしたちの聞知するごとく、東方人があなたがたの破滅を嘆き、
遠い世界の偉大な町々が公の喪に服しているというのに、あなたがた自身は劇場を捜し歩き、そこに入り浸
り、それを満たし、以前にまさって法外な行ないを続けているというのは、過ちというよりは全くの気違い沙汰と
言わなければならない。これはこころの疾病、廉直さと(前回はここまで) 美徳の覆滅である。スキピオ(前18
5頃~前129年、前146年、カルタゴを破壊、元老院、大祭司、30.参照)が劇場建設を禁じたとき、彼が恐れ
ていたのはこれであった。なぜならば、彼はあなたがたが反映の結果として、容易に堕落するだろうことを見抜
いていたのである。それゆえに、彼は敵の脅威が全くあなたがたから取り除かれることを望まなかったのであ
る。
スキピオは、市民の志気・道徳が崩れ去っているのに、市の城壁が堅固なのは慶賀すべきことではないと
考えた。しかし、あなたがたの場合には、先見の明のある人物の警告の声よりも、不信の悪魔の誘惑の声の
方が強かった。ここからして、あなたがたが自分の行った悪の責任を回避しようとし、いまの苦難をキリスト教
の責任にしようとしている。繁栄と安全の時代に、あなたがたは国家の平安ではなく、逸楽・放縦の機会を求め
た。今や繁栄が失われても、あなたがたは~(つづく)(「神の国」出村彰訳)