(原 光訳 2000年、沖積舎)
ダンテの「神曲 地獄」編 第16歌(カッコ内は筆子、その12)
◯千人も収容できるだろう、あのサン・ベネデッド・デル・アルベ(アペニン山脈のフォルリ付近にある
僧院の名)の上で、轟然と一気に落下するやうに、
嶮しい崖をあの血色の水が落下して轟(とどろ)いていた、すぐにも鼓膜が破れてしまひさうなほどに。
わたしは一本の紐を身に巻きつけてゐたが、かつてこれで彩られた毛皮の豹を捕へるつもりだつた。(前回ここまで)
◯先達が命じるままに、わたしはそれをすつかり解き外し、結び目を作りぐるぐる巻きにして師に渡した。
すると師は右の方を振向いて、崖縁からかなり遠く谷深くそれを投げ落とした。「師がこのやうに凝(ぎゅ)つと
眼で追つてゐる、新奇な合図には、」とわたしは心の中で言つた、「新奇なものが答へる筈だ。」
振舞いを見るばかりではなく、洞察力で深い考えまでも見破るものの近くでは、どんなに用心しなければならぬことか!(つづく)
◯本日、4月30日の日本聖書協会の、「聖書愛読こよみ」の主題は「この世あって」という。
聖書はフィリピの1章20~26節である。その24節、「だが他方では、肉にとどまる方が、
あなたがたためにもっと必要です。」そして25節、「こう確信していますから、あなたがたの
信仰を深めて喜びをもたらすように、いつもあなたがた一同と共にいることになるでしょう。」
といっている。ローマで身に迫る殉教の死を遂げることを選ばない。むしろ、世にあって信仰
の闘いを選んだ。一人でも多く「信仰を深めて喜びをもたらす」ことに、パウロは急いだ。
◯写真は、四月一七日、九州中会常置委員会のメンバー。右から。枝松博展委員。富樫史朗書記。
澤正幸議長。平山晴記委員(福岡筑紫野教会長老)、手前の空席は筆子、南茂。祈りを乞う。