五、「教会とわたしたち」(437)
5.近代から現代へ(宗教改革とその後)はじめに、近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その77)
最終篇に入ります。第二十二篇 神の国の永遠の浄福に
7.この世がキリストを信じるに至ったのは、人間的な説得の結果ではなく、神の力の結果である。
8 .この世をキリストの信仰へと獲得するためになしとげられ、世界が信ずるに至った今でもなされている
奇跡について。
少女が立っていた階段を下りて、殉教者の廟の前に行き祈っていたようである。彼女の手が手すりに触れるやいなや、彼女も倒れて眠っているようになり、起き上がったときには完全に癒されていた。いったい何が起こったのか、この喜びの叫びは何を意味するのか尋ねていると、会衆は彼女とともにわたしのいた教会へもどって来た。連れてこられた彼女は全く健やかになっていた。
そのとき、(前回はここまで)いつ終わるとも見えないような感嘆の声と泣声とが入り混った叫び声が起こった。彼女はたった先刻震えながらも立っていたその場所に連れて行かれた。彼女がその兄とあまりにも違うのを悲しんだ人々は、いまや兄妹が全く同じであるのを見て喜んだ。神が人々の願いを聞き入れられたのは、彼女のために人々が祈り始めたそのときであったことを、彼らは思い出した。人々が口々に叫ぶ声はわたしの耳を聾(ろう)せんばかりであった。彼らの歓喜をかき立てたのが、殉教者のステファヌスがそのために血を流したキリストへの信仰でなければ何であったろう。(つづく)(「神の国」出村彰訳)