日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2017-11-21 18:32:56 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(437)

近代から現代へ(宗教改革とその後)はじめに近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その77)

  最終篇に入ります。第二十二篇 神の国の永遠の浄福に

  7.この世がキリストを信じるに至ったのは、人間的な説得の結果ではなく、神の力の結果である。

  8 .この世をキリストの信仰へと獲得するためになしとげられ、世界が信ずるに至った今でもなされている 

      奇跡について。

 少女が立っていた階段を下りて、殉教者の廟の前に行き祈っていたようである。彼女の手が手すりに触れるやいなや、彼女も倒れて眠っているようになり、起き上がったときには完全に癒されていた。いったい何が起こったのか、この喜びの叫びは何を意味するのか尋ねていると、会衆は彼女とともにわたしのいた教会へもどって来た。連れてこられた彼女は全く健やかになっていた。

  そのとき、(前回はここまで)いつ終わるとも見えないような感嘆の声と泣声とが入り混った叫び声が起こった。彼女はたった先刻震えながらも立っていたその場所に連れて行かれた。彼女がその兄とあまりにも違うのを悲しんだ人々は、いまや兄妹が全く同じであるのを見て喜んだ。神が人々の願いを聞き入れられたのは、彼女のために人々が祈り始めたそのときであったことを、彼らは思い出した。人々が口々に叫ぶ声はわたしの耳を聾(ろう)せんばかりであった。彼らの歓喜をかき立てたのが、殉教者のステファヌスがそのために血を流したキリストへの信仰でなければ何であったろう。(つづく)(「神の国」出村彰訳)


聖書研究

2017-11-21 18:27:12 | 大分中央ウィークリー

創世記24章62節である。「イサクはネゲブ地方に住んでいた。そのころ、ベエル・ラハイ・ロイから帰ったところであった。」という。「ネゲブ地方」は、ヘブロンの南方に横たわる放牧地帯(「山地」または「傾斜地・荒れ野」、ヨシュア10・40,12・8)であり、イサクがそこに住んでいた。「ベエル・ラハイ・ロイ」の呼び名はこの創世記では二度目である。16章14節にアブラハムのそばめエジプト人の女奴隷ハガルがヘブロンから約120キロ南方に逃れて来て、御使いに出会った場所にあった井戸の名前が「ベエル・ラハイ・ロイ」で、多分それが地名となったのであろう。「カデシュとベレドの間にある」とある。

 

「カデシュ」は地図では「カデシ・バルネア」という。「ヘブロン」から「ベエルシバ」を経て「カデシュ」と南のエジプトに向ってハガルの逃れる路が、この山地(あるいは傾斜地)に通じていたようである。今、イサクが何の目的で120キロも遠方から戻って来たのか不明であるが、リベカと出会うための神の配慮(御心)を現すのであろう。

 

63節である。「夕方暗くなるころ、野原を散策していた。目を上げて眺めるとらくだがやって来るのが見えた。」という。時は「夕方暗くなるころ」であるから、やって来るらくだと共なる旅人は目的地に近づいていることが分かる。「散策していた」のヘブライ語「ラースーアハ」はここにしかない言葉で、文語訳、「黙想する」、口語訳「歩いていた」口語訳に習って「散策」がよい。65節の「野原を歩いて(「ラーク」)いた」に調和するが、断定はできない。「黙想する」(シーアハ)は、「スーアハ」とヘブライ語文字が同形。

 

従ってそれを眺めるイサクには、ドキンと心にあたるものがあった。父アブラハムの命を受けてはるばる嫁探しに出かけたところの、父の僕の帰還であった。


牧 会 通 信

2017-11-21 18:19:54 | 大分中央ウィークリー

 (原 光訳 2000年、沖積舎、)

ダンテ(1265-1321)の「神曲 地獄」編 18歌(その10)

◯そこで惚(ほ)れた仕草と飾り立てた言葉で、島の女たちをみんな騙してた娘、イシフィレを騙(だま)し、

身重になるとそのまま棄てていつたのだが、その罪でこんな責苦を受けているのだ。それにメデアの復讐もなされてゐるのだ。」

(前回ここまで)

◯あれとともに行くのはそんな風に騙したものたちだが、最初の谷とその牙(きば)に捕へられてるものたちについての知識はこれで十分だ。」

  すでにわたしらは狭い路が第二の堤と交叉して、その堤が次のアーチの支壁をなしてゐるところにゐた。

そこでは次の袋に巣喰ふものどもが鼻息荒く呼吸して、掌(てのひら)でわが身を打つてゐるのが聞えた 、(つづく)

◯本日11月19日(日)の日本聖書協会の聖書本文は、ヨハネ6章1~14節で、その主題は「いのちのパン」である。その11節「さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。」という。このとき「欲しいだけ分け与えられた」という時の、そこに座っていた男たちだけの数は「およそ五千人であった」という。しかもその主イエスの手元にあったのは少年の一人が持っていた「大麦のパン五つと魚二匹」であった。その一つ一つを取って主イエスが祈って、人々に分け与えられた。すると、何んと人々は皆、満腹したと。皆さまはこれを聖書で読んでどう受けるかが問題である。どうしたらわたしの「いのちのパン」になるのか。

写真は、11月6日(月)午前8時から雨の日を除いて三日間、植木屋が入り延び放題に延びた高さ7メートルにもなっていた貝塚伊吹の樹木三本とヤシの木4本その他合計九本の剪定。


プロテスタントとカトリック

2017-11-14 16:47:28 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(436)     近代から現代へ(宗教改革とその後)

はじめに近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その76)

  最終篇に入ります。

第二十二篇 神の国の永遠の浄福に

  7.この世がキリストを信じるに至ったのは、人間的な説得の結果ではなく、神の力の結果である。

  8.この世をキリストの信仰へと獲得するためになしとげられ、世界が信ずるに至った今でもなされている

     奇跡について。

  男女の全会衆は兄妹を目のあたりにしたが、兄はしっかりと立っているのに、妹は全身震えているのに気が

ついた。神の憐みが兄のためになしたことを自分で見なかった者たちも、その妹を見ることによってこれを知る

ことができた。人々は兄のゆえに感謝を捧げ、妹のために何を祈り求むべきかを知った。読み終えると、わた

しは二人に(前回はここまで)立ち去るように命じた。それから、わたしは注意深く出来事全体を論じ始めた。

わたしがまだ話を続けている間に、新たな讃美の声が寺院の方向から聞こえて来た。

 

  会衆はわたしを残してそちらへ走って行った。少女が立っていた階段を下りて、殉教者の廟の前に行き祈っ

ていたようである。彼女の手が手すりに触れるやいなや、彼女も倒れて眠っているようになり、起き上がったと

きには完全に癒されていた。いったい何が起こったのか、この喜びの叫びは何を意味するのか尋ねていると、

会衆は彼女とともにわたしのいた教会へもどって来た。連れてこられた彼女は全く健やかになっていた。

  そのとき、 (つづく)(「神の国」出村彰訳)

 


聖書研究

2017-11-14 16:44:52 | 大分中央ウィークリー

創世記24章61節である。「リベカは、侍女たちと共に立ち上がりらくだに乗り、その人の後ろに従った。僕はリベカを連れて行った。」という。リベカには大いなる希望の時であり、アブラハムの僕にとっては、主人アブラハムとの約束を果たさせていただいた感謝と喜びのときであったと思われる。何よりも神への信頼と信仰と強くしたに違いない。

 

しかし、人の人生は単純ではない。複雑怪奇であるといえるかもしれない。しかし懼れることはない。主なる神が支配しておられる世界であることを深く理解できるかが問題である。神が人の人生の全てを支配している。神のみ心がどのように現われるのか、アブラハムの僕が祈りつつ、明確な決断と行動をしていたようであった。

 

62節である。「イサクはネゲブ地方に住んでいた。そのころ、ベエル・ラハイ・ロイから帰ったところであった。」という。「ネゲブ地方」は、ヘブロンの南方に横たわる放牧地帯(「山地」または「傾斜地・荒れ野」、ヨシュア10・40,12・8)であり、イサクがそこに住んでいた。「ベエル・ラハイ・ロイ」の呼び名はこの創世記では二度目である。16章14節にアブラハムのそばめエジプト人の女奴隷ハガルがヘブロンから約120キロ南方に逃れて来て、御使いに出会った場所にあった井戸の名前が「ベエル・ラハイ・ロイ」で、多分それが地名となったのであろう。「カデシュとベレドの間にある」とある。

 

「カデシュ」は地図では「カデシ・バルネア」という。「ヘブロン」から「ベエルシバ」を経て「カデシュ」と南のエジプトに向ってハガルの逃れる路が、この山地(あるいは傾斜地)に通じていたようである。今、イサクが何の目的で120キロも遠方から戻って来たのか不明であるが、リベカと出会うための神の配慮(御心)を現すのであろう。