日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2016-02-23 22:39:33 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(350)

4.近代の教会の夜明け ―宗教改革とその後―ツヴィングリ

鉄の搬入はもとより、穀物・塩、ぶどう酒のような生活物資までも一切の搬入が阻止された。もともと生産力の弱い山岳森林諸邦はたちまち困窮に陥ることになった。したがって森林諸邦はそのまま座して破局を待つわけにはいかない。軍事的冒険に出て活路を拓く路を取らざるを得なくなったと言ってよい。したがって、開戦の避けがたいことを感じたツヴィングリは、進んで軍事的指導をも買って出ようとするが、彼には軍人的訓練はもとより軍事的情報も乏しかった。悪いことには、職業軍人たちはチューリヒ連邦の軍事費削減の経済的事情で既に10年も前から、そのチューリヒを見棄てていた。しかもツヴィングリ側には、それにさえ気がつく人もいなかったといわれる。

10月4日、ついに森林諸邦が(ここまで前回)軍事的には十分準備して総動員令を発し、約8000もの兵力を差し向けた。前回の1529年6月、森林諸邦(ルツェルン他5邦)は劣勢を背景に「カトリック・キリスト教連合」を結成して軍事行動に及びカッペルの野に兵力を集結したのを第一カッペル戦役というが、既述のように、仲裁和議が成立した。それから二年後のこのとき、チュウリヒ側の迎撃体制はまったく不備であった。緊急招集をかけられた市民軍はそれでもその数、数千にも及んだが、戦いにならない。10月11日朝から始まったカッペルの戦場に残された約500の戦死者のうちに、カトリックの宿敵ツヴィングリの遺体が発見された。(つづく)


聖書研究

2016-02-23 22:35:21 | 大分中央ウィークリー

創世記22章14節である。「アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日も『主の山に、備えあり(イエラエ)』と言っている。」という。8節でアブラハムの息子のイサクが問いかけた「焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか」に対して、ここの節ことばを使って答えた。すなわち「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物にする小羊はきっと神が備えてくださる。」と。 

その「きっと神が備えてくださる。」という「備えて(イエラエ)」という言葉が、ここで、人間アブラハムは思いもよらず苦しみながら見出させていただいたその時の言葉が、ここで現実となったのである。イサクが問いかける前から、主なる神が働いていたといわねばならない。かくして「主の山に、備えあり」の言葉が生れた。 

15節である。「主のみ使いは、再び天からアブラハムに呼びかけた。」という。主なる神が直接語りかけるのが常であった。アブラハムの愛する独り子のイサクについて「彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい」(22・2)と命じたのは、御使いではなく神ご自身であった。そして、この御使いの呼びかけである。神の約束の更新が始まった。最初は、「刃物を取り、息子を屠ろうとした。そのとき、天から主の御使いが~」と、続いて「その子に手を下すな~」と言ったのであった。(10~12節)。 

そして今二回目である。天からの主の御使いによって神の約束の具体的更新となった。その更新の手段として御使いをお用になられたのではなかろうか。その約束の更新によってまったく新しい事柄の歴史的展開を告げておられる。一民族の族長時代の物語から神の御約束の広大な世界がここから開かれようとしているのである。

 


牧 会 通 信

2016-02-23 22:27:25 | 大分中央ウィークリー

ダンテの「神曲 地獄」編 第12歌(カッコ内は筆子、その13) (原 光訳 2000年、沖積舎)

◯そのときわたしが詩人の方を振向くと、かう言つた、「いまはこのものを第一とせよ、わたしは第二だ。」

  もう少し先でチェンタロウは立止まつた、真下のものたちは咽まで沸騰する血から出てゐるやうだつた。

  片隅に一人きりでゐる霊を指し示して、ネッソは言つた、「こいつは神の懐の中で、いまでもタミチ河の上で血を滴らせている心臓を突き刺したのだ。」(ここまで前回)

◯それから見られたものたちは、血から頭と胸をすつかり出してゐた、わたしの見知つているものもかなりゐた。

 このやうに少しづつ血は浅くなつていき、煮られるものは足だけとなつた、ここでわたしらは堀を渡つた。

 「ごらんの通りこつち側では、沸騰する血はしだいに浅くなつているが、」とチェンタウロは言つた、「信じてほしい、~(つづく)

 

◯2016年2月21日は第八主日。日聖協「聖書愛読こよみ」は「ゆるし」という主題である。マタイ18章21~35節その35節、「あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」とイエスはおっしゃっている。わたしたちの日常生活の実際では「ゆるす」ということが、非常に難しい。生活の必要に迫られて「ゆるす」ことは赦し合って生活を続けている。しかし心の中では赦していない。返って憎んでいるのが現実。 

◯写真は、2月7~9日の三日間札幌・大通公園での雪祭の雪像つくり、これらは2月10日に壊され元の公園通り風景になった(2月4日撮影)。


プロテスタントとカトリック

2016-02-17 13:58:01 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(349)

4.近代の教会の夜明け

 ―宗教改革とその後―ツヴィングリ

それぞれマールブルクを後にした。このような過程を経て、なおこの問題が今日になっても完全に両者が一致した見解に至っていない痛みを持っている。その後のツヴィングリとチューリヒ教会は弱いながらも単独に自分たちの道を開くより方法がなくなった。1531年になるとますますカトリックとの対立が激しくなった。5月に開かれた、チュウリヒやベルンが中心なっている福音主義諸邦の都市同盟会議は、チューリヒは武器を持って戦う主戦論に対して、ベルンが主張するカトリック諸邦に対する経済封鎖論との対立になって激論を交わして、ベルンの経済的封鎖論で闘うことになった。武器の元になる鉄の搬入はもとより、穀物・塩、(ここまで前回)ぶどう酒のような生活物資までも一切の搬入が阻止された。

もともと生産力の弱い山岳森林諸邦はたちまち困窮に陥ることになった。したがって森林諸邦はそのまま座して破局を待つわけにはいかない。軍事的冒険に出て活路を拓く路を取らざるを得なくなったと言ってよい。したがって、開戦の避けがたいことを感じたツヴィングリは、進んで軍事的指導をも買って出ようとするが、彼には軍人的訓練はもとより軍事的情報も乏しかった。悪いことには、職業軍人たちはチューリヒ連邦の軍事費削減の経済的事情で既に10年も前から、そのチューリヒを見棄てていた。しかもツヴィングリ側には、それにさえ気がつく人もいなかったといわれる。10月4日、ついに森林諸邦が(つづく)


聖書研究

2016-02-17 13:54:12 | 大分中央ウィークリー

創世記22章13節である。「アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。」とある。ここのアブラハムの「後ろの(「ハル」)」という言葉はこのように副詞として使われている例がなく、文法的に不自然、転記間違いではないか。1970日本語訳の新改訳聖書はこの「後ろの」を削除、「見回す」必要もないとして「見ると、見よ、角を藪に引っ掛けている一頭の雄羊」と翻訳している。この方が驚きをよりよく表して、目の前に羊が用意されたことを描写される。この種の驚きは、深刻なものではないがわたしたちにもしばしば起こる。 

また、雄羊がイサクの代わりにささげられたということは神学的に贖罪の神学の基盤となった。もし人身供養なら人間の側からの犠牲となり、神の贖いは成立しない。

14節である。「アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日も『主の山に、備えあり(イエラエ)』と言っている。」という。8節でアブラハムの息子のイサクが問いかけた「焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか」に対して、ここの節ことばを使って答えた。すなわち「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物にする小羊はきっと神が備えてくださる。」と。 

その「きっと神が備えてくださる。」という「備えて(イエラエ)」という言葉が、ここで、人間アブラハムは思いもよらず苦しみながら見出させていただいたその時の言葉が、ここで現実となったのである。イサクが問いかける前から、主なる神が働いていたといわねばならない。かくして「主の山に、備えあり」の言葉が生れた。