日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2017-05-29 08:02:07 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(413)  近代から現代へ(宗教改革とその後)

はじめに近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その53)

34.神は恵みをもって破壊された都市に救いを与えられた。

あなたがたが現に生き延びている、というのは神の恵みによるのである。神はあなたがたを救い、悔い改めに

よって自らを正すように警告された。あなたがたは忘恩の民ではあるが、それでもあなたがたが神の僕と自称

することを、あるいは神の殉教者の教会に避難することによって、敵の手を逃れることを許された。ロムルスと

レムスは(前回はここまで)逃げ込み所を設け、そこに逃げ込めばだれも害を加えられることがないようにし

た、と伝えられている。こうして彼らは町の人口を増大しようと望んだのである。この例は、キリストの栄光のた

めに最近再現された。ローマ市の破壊者たちはその建設者によって定められた先例に従ったのである。ロム

レスやレムスが市民の数を増やすためにしたことを、もしも神がその敵の数を減らさないためになされたとすれ

ば、それはなんと偉大なことであろうか。

 

35.ちょうど教会の中にも偽キリスト信者がいるように異教徒の中にも、教会の隠れた子らが見いだされる。

これがわたしたちの主キリストの贖われた家族と、王なるキリストの巡礼者の都が、その敵対者に対して答え

る論議である。わたしたちはそれをいっそう拡大し、もっと豊かにすることさえできる。わたしたちの敵対者の間

にすら、来たるべき神の国の隠れた市民が存することを思いみよう(つづく)(「神の国」出村彰訳)


聖書研究

2017-05-29 07:58:58 | 大分中央ウィークリー

創世記24章37節である。「主人はわたしに誓いを立てさせ、『あなたはわたしの息子の嫁を、わたしが今住んでいるカナンの土地の娘から選び取るな。~』」と。ここは、神の第三の約束と大いに関係がある。アブラハムが、自分の妻が90歳、自分が100歳になってまさか息子のイサクが生まれるとは思っても見なかった。がしかし、それが現実となってその子に嫁をとるとなれば、神の約束をおろそかにできない。

 

「星の数のように」(15・5)子孫を増やさねばならないのであった。その責任の重大さを認識したようである。彼の一人息子の初めに異邦人の地カナンから嫁をとるわけにはいかない。神の選びの民の親族から嫁を出さなければならなかった。神の選びの民としての、彼に重大な責任を自覚させた。我らも信仰を継承させる責任は大きい。

 

38節である。「『~わたしの父の家、わたしの親族のところへ行って、息子の嫁を連れてくるように』と命じました。」という。「わたしの親族のところへ」とあるが、アブラハムの親族が生活しているところはどこか。兄弟は二人、ナホルとハランがいたが、ハランはカルディアのウルで父に先立って死んだ(創11:28)。僕は長旅の用意を整えて、アブラハムの弟ナホルのところに向ったことになる。

 

兄弟ナホルが住んでいるところは、チグリス・ユーフラテス川の上流ハランの南方地域の「アラム・ナハナイム」(24:10)であったといわれるが、その「アラム・ナハナイム」はどこか、今日、特定されていない。その言葉「ナハナイム」の意味は「二つの川」であるから、チグリス川とユーフラテス川の間という広域になる。それにしても、アブラハムがいたヘブロンから約1000キロ離れた遠方に、兄弟ナホル一族が住んでいた。


牧 会 通 信

2017-05-29 07:43:08 | 大分中央ウィークリー

(原 光訳 2000年、沖積舎)  ダンテの「神曲 地獄」編 17歌(カッコ内は筆子、その2)

◯尾鋭いこの獣を見ろ、山山を横切り、城壁と武器を破壊し、世界ぢうを悪臭で満たすこいつを!」

   先達はまづわたしにさう言つて、獣に合図した、わたしらの通つてきた石堤の端に近く、崖つ縁に来るやう

に、と。

  するとこの不潔な欺瞞の化身は近づいて、頭と胸を緑に載せたが、尾は緑に引上げずにゐた。

(前回ここまで)

◯その顔は正義面(づら)で、実に慈悲深い上つ面だつたが、外(ほか)はすつかり蛇体だつた。

   二本の鉤爪ある前肢(あし)は腋の下まで毛深く、背と胸と脇腹は描かれた結び目と小さい輪でギッシリだつ

た。

  これよりも多彩な下地と浮出し模様の織物は、タタール人とトルコ人もかつて作つたことがない、アラニェもこ

んな布は織り上げたことがない。 (つづく)

 

◯本日、5月28日の日本聖書協会の、「聖書愛読こよみ」の主題は「この世の権威と神の主権」という。聖書は

マルコ12章13~17節である。ユダヤの民はローマの支配下にあってその皇帝への納税は神の律法に適っ

ているか、どうか、神の言葉を重んじるイエスを試みるためであった。イエスはその下心を見抜いて適切に答え

られた。まず、彼らの持っていた銅貨を見て、「これはだれの肖像と銘か、」と、彼らは、「皇帝のもの」と。それ

なら「皇帝のものは皇帝に」と。実に見事な答えであった。

◯写真は、教会堂の美術館側ブロック塀の青々とした緑の蔦と琉球朝顔(5月26日朝、撮影).